で、自分が言ってるのは1.57ショック当たり
数値は間違ってるけど、他の人みたいに何の根拠も出さずに思い込みだ知識が浅いだの言う人より根拠を出そうとしてるだけで好印象だよ、good
わたしは女で、顔面は中の上マイナスくらい、背が低く、華奢で、見捨てられ不安が強いが比較的社交的で、男を立てるとかみたいなこともまあできるほう。
ブスすぎずかわいすぎない程度の顔と体型が全ての元凶なのかもしれない。すっごく付き合いたいわけでもないけどヤレる顔。俺でも押したらいけそうなレベル。そう言うレベル感の女なのだろうと思う。
見捨てられ不安が強いところが滲み出ているのか、強い言葉で言うなら精液便器、いわゆる穴モテだなと思うことがこれまでに何度も何度もあって、もう男の人はそういうものなんだと思っている。ていうか、いまさら違う!とか言われても、信用できない。
ビッチだったりヤリマンだったりした過去はない。その時々のパートナーを大切にしてきたし、パートナーがいない時は紹介されたり合コンで出会ったり友達経由で声かけられた人とフツーに会ったりしてきた。
けどなんか…いや、イケるとこまで行きたいと言う気持ちがあるのは当然だと思うけど。
けど、今までわたしに恋人がいたときは友達としてラーメンだけ食べて解散!とかしてた人が、わたしが恋人と別れたら急にバーいこ!とか言い出して手を触ってくる瞬間とか、
1回目の食事の時はふつうだったのに、2回目以降たまたま20時とかに合流になって食事が終わって遅くなったときのこのあとどうする?ときいてきたときのあの目とか、
ドライブして家に送ってもらおうとしたら急に最近見てるドラマの話を始めたときのウワ…って気持ちと、案の定俺んち寄ってドラマ続き見てかんー?てなったときの気持ちとか、
何度も食事に誘ってくれるけど断っても断っても誘うので一度だけご飯に行ってセックスの話しかされない時のこととか、(わたし何言われても○○さんとは寝ませんよって言ったらなんでー?って言われたこと忘れない。性病持ってそうだからですって言った。我ながら最低すぎる)
思い出すだけで自分の価値ってセックスなんだなあと思うし、男の人はセックスできそうかも、と思うと頭がおかしくなってしまう生き物なんだろうと思う。
そういう意味で男性にとって女性は精液便器である一面があることは一定、不変なんだと思う。
上記みたいなことがあってウワーて思ったら、こんなに親切にしてくれても私とは寝れないのに申し訳ないです、的なことを言うようにしている。(お前とはこれきりだと言う意味もこめて)そしたらえ、なんで?寝れないの?って聞かれる。
せめてそこでそう言うんじゃないよって言ってくれる人がひとりでもいたら救われたのになあ。
あと、男の人がそう言うセックスできるかも、というギラつきをみせるとき、「今日何で来てくれたのー?」と聞いてくる確率が非常に高い。これを聞いてくる時の男の人の目はたいていすでにおかしくなっている。
普通の意味で聞いてくれた人もいるんだろうけど、わたしはこの台詞を言われたら帰り道にブロックするようになってしまった。すみません。
大好きだよ💗
うんこもりもりギャグは別にやってもらって構わないんだけど、出すうんこがもう笑えるうんこの形してないんだよね…
なんでそれが正しいと思うの?
何故なら納得できないから。
だって、もしある男が自分のことを「嘘つきじゃない」って証明しようとして嘘つきじゃない証明になるような話をしたって完全には信用できないだろ?
だから男が本当に「嘘つきじゃない」ってことを証明するには、他の奴から「嘘つきじゃないよ」と言ってもらわないと駄目だと思うんだ。
やだーっ
している
ヴィウジランテ開始当初はオールマイトの「私が来た!」に対しての雑なパロディだと侮っていました。
ナックルダスターの「俺がいる」は作中で何度か印象の変化を遂げて最後には最高の台詞になったわけですが、作者は多分最初からこの構想があったんだろうなとも思います。
なんでそう思うのかというと、師弟コンビの個性がそれぞれ「滑走」と「超加速」だからです。
読者からみればまさかまかさのコーイチの大出世なのですが、作者は最初からこのオチまで決めてあったのかなと。
最後に飛行機を止めるシーンで滑走を使いましたが、まさに飛行機が飛び立つ瞬間にすることが「滑走」からの「超加速」なわけで、いつか飛び立つことを決めていたからこその「滑走」だったのかと最後の最後にようやく気付かされました。
活躍を続けるうちにコーイチはいつからかヴィジランテとしてあの街でヒーローになっていきますが、そんな彼も遂には飛び立ちその跡の街に残されるのがナックルダスターな訳です。
バットマンでたまにやってくる「バットマンの消えた街。誰が守るのか」問題に対しての答えとして彼はヴィラン未満のチンピラ、ヒーローが相手するまでもない者たちをヴィジランテとして倒す役目を続けていくのです。
ここでの決め台詞が「俺がいる」。
これが「私が来た」だと成立しないのです。
何故なら、「来る」というのは移動を意味する言葉であり、それは同時に他の場所にヴィランがいればそっちに「行く」ことを意味するからです。
コーイチがいなくなったあとの街、そこにはまだナックルダスターが「いる」のです。
作中において「俺がいる」を「俺がついている大丈夫だ」という意味でナックルダスターが使ったことがありましたが、彼はもしかしたらずっとこの意味で使っていたのかも知れません。
彼の凶暴なイメージから読者は「悪党ども。俺がいるぞ」という意味で使ってきたように感じてきました。
釣れませんね
ダジャレ書いてくる人がほぼ意味不明状態に堕してるのも似たようなもんだよね
気張りすぎて血まみれになってるぽろぽろうんこで以前に受けたうんこもりもりギャグをやったってそんなの見ても誰も喜べないんすよ