実際には存在しない物を実際に見ようがない。
こう言われて、「実際に見ればいいだろ」と返すことについて君はどう思う?
僕は違うと思う。
そういうときに「見ればいい」で終わらせる人は、「見れば私と同じ感想になるはずだ」という思い込みがある。
端的に言えば、自分は自分だが他人は自分ではないという切り分けがまだできていない。
社会適応において幼稚園を卒業する前に学ばないといけないことがまだ出来ていない。
そのことに気づいて今すぐ治す努力をしてほしい。
追記ども、いやーこんな増田で伸ばせちゃうのって俺ぐらいっすかねーへへ
一言だけ言わせてもらっていいっすか?「ガンダムでたとえたら理解できることが、なんで他のことだと急に理解できなくなるんですかね、皆さん」
結婚しておよそ1年半。
僕はフルタイムで働いていて、妻は週の半分ほどパートタイムで働いている。
「妻の方が使える時間が多いのだから、基本的に家事はやってほしい」
いつの間にかそんな考えを、当たり前に抱くようになっていた。
同時に一見理にかなったその考えに、我ながら気持ち悪さがあった。
お互いの持てる仕事や時間を交換可能なものとする、その思考のスタート地点に躓きがあったのかもしれない。
定時がある/終わりがない
外の世界に開かれている/逃げ場がない
違いを挙げればキリがなく、全部を計量可能にしてやり取りすることなど不可能に近い。
何よりも男性/女性という、回収し切れない差異が根底には横たわっている。
そもそも、他に代え難い存在であるとお互いを思ったからこそ、一緒になろうと思ったはずだ。
交換可能性を前提にその差異を埋めようとするのでなく、交換不可能性をベースに差異を尊重すること。
これが今のところの自分の答え。
クアンティック・ドリームの功罪か洋アドベンチャーゲームにはムービーゲーが増えてるよ
死霊館シリーズも好き。nunはホラーというよりホラーゲームを見てる感じで、心霊的に怖いというよりストーリーゲームをプレイしているような面白いエンタメだった。過去作の方が怖かったな。
アメコミ系のヴェノムは、つまんなかったな…アクションの映像は迫力あるんだけどヴェノムの人類に味方する動機が弱くて、故郷で虐げられるヴェノムの描写とか入れたらよかったのに。冒頭シーンだらだらと時間かけすぎ