結婚しておよそ1年半。
僕はフルタイムで働いていて、妻は週の半分ほどパートタイムで働いている。
「妻の方が使える時間が多いのだから、基本的に家事はやってほしい」
いつの間にかそんな考えを、当たり前に抱くようになっていた。
同時に一見理にかなったその考えに、我ながら気持ち悪さがあった。
お互いの持てる仕事や時間を交換可能なものとする、その思考のスタート地点に躓きがあったのかもしれない。
定時がある/終わりがない
外の世界に開かれている/逃げ場がない
違いを挙げればキリがなく、全部を計量可能にしてやり取りすることなど不可能に近い。
何よりも男性/女性という、回収し切れない差異が根底には横たわっている。
そもそも、他に代え難い存在であるとお互いを思ったからこそ、一緒になろうと思ったはずだ。
交換可能性を前提にその差異を埋めようとするのでなく、交換不可能性をベースに差異を尊重すること。
これが今のところの自分の答え。
同じ人間で同じことが同じだけできるハズだって前提だからでしょ? 最近の女性差別を訴える人も同じ考えでモヤるけど ふつうは女性の方が体力は少ないし、女性は顔や身体のケアみた...