初めてはてな匿名ダイアリーを書くので読みにくいかもしれませんが、ご容赦を。
最近よく見聞きする言説の一つが「小説は誰にでも書けるわけじゃない」という物です。私自身の感覚としてそれって本当かな、というものがありこんな文章を書きます。
上手くはないですし、評価をされていると言うこともありません。
感想もあまりもほとんどもらいませんし、もらっても批評未満の意見が多いです。
たまにもらう感想で心がほっこりし、自分の欲求を満たすために小説を書いています。
そんな人が思うのは「小説ってやっぱり誰にでも書けるよね」です。
卑下しているわけではありませんし、貶め炎上することが目的でもありません。
ですがどうしても「誰にでも書けるよ」と思ってしまうのです。
ある人は毎日空想をします。そして「あ、これは面白いな」と思えば140文字でも500文字でも1000文字でも書きます。
もっと言うなら、ノートの端に「○○が●●と△△する。きっとかわいい」などと書きます。
ここまでで察しのいい人は「そういうことか」と解ってもらえるかもしれません。そうでない方にも、解ってもらいたいので私は続きを書きます。
私が言いたいのは「どんなに短文でも、どんなに体裁が整っていなくても、一文、単語の羅列であってもそれは小説だよ」ということです。
空想をして、ひいては感じたことを何かに書き付けたその時、人は小説家になるのです。
多くの人は「小説って書けないよ」と言います。でもその「小説」は川端康成だったり芥川龍之介だったり清少納言だったりする、後の世であろうと通用する作品を指して言っているのだと思います。
もしくは、自分の心に残っている作品を指しているのだと思います。
素晴らしいことです。
他人の心には残らないかもしれないけど、自分の心には色濃く残る文章って誰しも持っているのだと思います。
それは単純に「夕日がきれいだった」「おいしかった」でいいのです。
その裏にある、自分がその時感じた心の動きを思い出せるなら、小説なんて「○○が●●と△△する。きっとかわいい」でいいのだと思います。
人は「それは小説じゃない、ただの感想」と言うかもしれません。
ですが私は、ただ自然と「おいしかった」と書くことは、心のままに「かわいい」「格好いい」と書くことは、それだけで小説家になる行為そのものなのだと思います。
絵に関しても詳しくはありませんが、同じなのかもしれないな、とも思います。
誰かが何かを書いた時、絶対に馬鹿にしてはいけないと思います。
委縮してしまうと色々なことを考えても、表現することが出来なくなってしまうからです。
ですが、明らかに間違っているのだとしたら「間違っているよ」と言うことはあるかもしれません。
間違いは正すべきものです。そして、馬鹿にしてはいけないものでもあるのです。
よくわからない人向け、もしくは私の文章が下手だった場合の、要点を書いておきます。
ジャンル場所問わず世に小説はいっぱいあるよ、それを指して「小説が書けない」は違うと思うよ。
どんな者でも馬鹿にだけはしちゃだめだよ。
初めてはてな匿名ダイアリーを書くので読みにくいかもしれませんが、ご容赦を。
最近よく見聞きする言説の一つが「小説は誰にでも書けるわけじゃない」という物です。私自身の感覚としてそれって本当かな、というものがありこんな文章を書きます。
上手くはないですし、評価をされていると言うこともありません。
感想もあまりもほとんどもらいませんし、もらっても批評未満の意見が多いです。
たまにもらう感想で心がほっこりし、自分の欲求を満たすために小説を書いています。
そんな人が思うのは「小説ってやっぱり誰にでも書けるよね」です。
卑下しているわけではありませんし、貶め炎上することが目的でもありません。
ですがどうしても「誰にでも書けるよ」と思ってしまうのです。
ある人は毎日空想をします。そして「あ、これは面白いな」と思えば140文字でも500文字でも1000文字でも書きます。
もっと言うなら、ノートの端に「○○が●●と△△する。きっとかわいい」などと書きます。
ここまでで察しのいい人は「そういうことか」と解ってもらえるかもしれません。そうでない方にも、解ってもらいたいので私は続きを書きます。
私が言いたいのは「どんなに短文でも、どんなに体裁が整っていなくても、一文、単語の羅列であってもそれは小説だよ」ということです。
空想をして、ひいては感じたことを何かに書き付けたその時、人は小説家になるのです。
多くの人は「小説って書けないよ」と言います。でもその「小説」は川端康成だったり芥川龍之介だったり清少納言だったりする、後の世であろうと通用する作品を指して言っているのだと思います。
もしくは、自分の心に残っている作品を指しているのだと思います。
素晴らしいことです。
他人の心には残らないかもしれないけど、自分の心には色濃く残る文章って誰しも持っているのだと思います。
それは単純に「夕日がきれいだった」「おいしかった」でいいのです。
その裏にある、自分がその時感じた心の動きを思い出せるなら、小説なんて「○○が●●と△△する。きっとかわいい」でいいのだと思います。
人は「それは小説じゃない、ただの感想」と言うかもしれません。
ですが私は、ただ自然と「おいしかった」と書くことは、心のままに「かわいい」「格好いい」と書くことは、それだけで小説家になる行為そのものなのだと思います。
絵に関しても詳しくはありませんが、同じなのかもしれないな、とも思います。
誰かが何かを書いた時、絶対に馬鹿にしてはいけないと思います。
委縮してしまうと色々なことを考えても、表現することが出来なくなってしまうからです。
ですが、明らかに間違っているのだとしたら「間違っているよ」と言うことはあるかもしれません。
間違いは正すべきものです。そして、馬鹿にしてはいけないものでもあるのです。
よくわからない人向け、もしくは私の文章が下手だった場合の、要点を書いておきます。
ジャンル場所問わず世に小説はいっぱいあるよ、それを指して「小説が書けない」は違うと思うよ。
どんな者でも馬鹿にだけはしちゃだめだよ。
小学校で習った範囲の内容なはずなのに難しすぎる。「君、小学校卒業したんでしょうがー!」と、日ごろ松下幸之助みたいなジジイにいびられる俺も、本当に小学校を卒業してきたのか不安になる。みんなよく中学入試受かるよな。明日から満員電車に乗り込む中学生見ても邪険にできん。コノコハオレヨリアタマガイイ、コノコハオレヨリアタマガイイ、コノコハオレヨリアタマガイイ、コノコハオレヨリアタマガイイ、コノコハオレヨリアタマガイイ
フェミはよく女だけの方がいいと言うけど私にはそうは思えない
女も結局ブスより美人が好きだしファッションや化粧に疎い人より流行に敏感な人が好きだから
10年経っても変わらず好きです。
毎日四六時中あなたのことを考えてるなんて知ったら引くかもね。
寒くても暑くても、嬉しくても悲しくてもあなたのことを考えて「頑張ろう」って思います。
理由なんてないです、一緒にいたい。
本人には届かないけど、気持ちが伝わるようにいろんなことを頑張りたい。