お前こそ論理的に考えろ。
それがお前のことであれば、それは年収400万円増田子と何の関係もない。
あるいは将来そうなるという仮定
それはお前の仮定であって、仮に統計的に相関があったとしても、年収400万円増田子と直接的には関係ない。
に対して「可哀想である」と言ってるだけ。
お前は、「自分がかわいそう」アピールしてるだけであって、無関係な話してるんだよ。
そして、お前みたいな自分と他人の区別ができない奴が、かわいそうって言葉を再生産して自分と同じ境遇のこどもを呪ってるんだよ。
仮に不幸だとしたら可哀想だよね、って話をしてるんだよ。
貧乏人は同じように不幸であらねばならない
そんなこと一言も言ってないでしょ。もう少し論理的に考えてくれ。
実際に存在する「貧乏であることで可哀想なことになっている子供」あるいは将来そうなるという仮定に対して「可哀想である」と言ってるだけ。
なるほど。
お前が不幸なのは誰も否定してない。肯定もしてない。知ったこっちゃない。
元(でもないが、年収400万円の)増田の子供が幸せか、不幸かなんてのも、お前の知ったこっちゃない。お前がお前の経験をあてはめて、「かわいそう」と言うのは不遜なんだよ。
誰もそんなこと言ってないと思うが。
俺はアレな家庭に生まれて実際不幸な目にあったから言ってるんだよ。
俺はアレな家庭に生まれて実際不幸な目にあったから、貧乏人は同じように不幸であらねばならない、と考えてるとしたら、そちらのほうが「呪い」だと思うよ。本人がどう思うかについてはお前以外の誰も何も言っておらんと思うが。
だから、俺の親は経済的に破綻していて住宅ローンすら払えない状態で、俺が経済的に援助とかしてるわけだが、そういうものすら金で測ってはいけない問題なわけ?
横だが、幸福の多寡を他人が、しかもたかだか年収ごときで云々するのは不遜極まりない、と思う。
また、本人は幸せであっても、「おまえはかわいそうな子だ」という声や目線が、差別やいじめを生むこともある。
うがった見方をすると(これはどこかで見た台詞であって、俺の意見じゃないが)「かわいそうなこども」じゃなくて「(私の社会的幸福感維持のために)かわいそうであってほしいこども」なんじゃないか、とも思える。お前は、そういうこどもたちを「かわいそう」と思うことによって自分の置かれた立場の相対的な優位性を確認して「幸せ」を感じているのだ(と断言するのは極論が過ぎるが、そう思っちゃうよね)。
http://anond.hatelabo.jp/20130808003138 (45)
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168を旗艦にして、SS率、効率性の上昇、ボーキサイト消費量の低減と引き換えに
好きでもない女の声をずっと聞かされるのが辛い。
見た目のステータスが、35Lvくらいから星5つで止まったまま比叡さんの顔を見ていると、
戦艦として、護衛艦として、歴史背景に胸を穿ったのが、ちょうど2週間くらい前。
だからと使い続けて、女の顔は三日で飽きることを儚くも証明してしまったのが辛い。
北上さんを改造して、開幕雷撃で活躍してくれるようになったけど
時々改造する前の台詞を言ってくれないかな...と期待するのが辛い。
五人目の榛名さんが出ても金剛お姉様だけ出なくて第四艦隊が解放できないのが地味に辛い。
2-4の低レベルクリアを目指して(多分)結構誇れるレベルで達成したけど、
代わりに赤城さんを失ったショックで証拠のスクショを取り忘れたのが今更辛い。
飛龍•蒼龍×2+五航戦+軽空母全員はいるのに、未だ赤城さん、加賀さんが来ないのが辛い。
同人誌で「烈風? いえ、知らない子ですね」とネタになるたびに、もうあの娘の声は聞けないんじゃないかと
胸が張り裂けそうになるのが辛い。バケツ飯って陰口叩いたことを咎める良心の叱責が辛い。
そうなったときに、遠征でお母さんを選んでしばし心の安寧を取り戻すのが幸い。
青葉をドロップしたら、流れでなぜか今頃になって第六駆逐艦隊のクエストが表示されて、慌ててドックを探したけど
とっくに全員普通の女の子に戻っていて「あの娘は今?」状態なのが辛い。
補給地点に止まる度に遅い遅いと苛立ちしか見せない艦娘と俺が好きな神通さんが同じ中の人というのが辛い。
好きではないが必要ではある娘と長時間付き合う唯一の報酬がステータスの変化なのに
ステータスが50手前で自然にしててもカンストしてレベルしか変化がなくなるのが辛い。
妖怪猫吊るしを直に見たことがなく、繋がらない苛立ちを別のもので発散させる動機になるほど
今の鎮守府が不安定ではない中途半端さが辛い。横鎮や呉鎮、舞鎮の絶叫に乗れないのが辛い。
ちょうど高校時代のクラスカーストでオタクが浮いてた年代を思い出すようでやっぱり辛い。
会社から取るように言われた高度情報処理資格の勉強がほとんど手付かずになったまま、ひと月が過ぎたことが辛い。
ほんと、どうしようか。
なんだかんだでコネで就職して、ネットで知り合った男と付き合って2年続いている。
最近になってなんだか付き合いがだるくなってきた。
突然のくだらん電話や特に用事のない訪問で自分の時間(アニメやゲームなど)を邪魔されるのが鬱陶しくてならない。
まあ彼氏のことは好きは好きなんだけどなんか最近気持ち悪いと感じることが増えてきたなーと気づいた。
二人っきりのときの猫なで声とか、変な言い回しの下ネタとか。前は大好きだったんだけど。
気持ち悪さMAXになったらどうしよう?って考えたけどおそらく別れないと思うんだよな。
だって別れたら家族以外の人間関係ゼロだもん。代わりがいるとかなら別だけどそんなことはまずないでしょうし。
恋人はいるが友達ゼロ(=かれぼ、かのぼ)の人たちはこういうふうに惰性でつきあっているのでしょうか。
それとも人間関係の狭さゆえに盲目的に相手にはまっているんでしょうか。
それはさすがにないだろ。
「うちらの世界」っていうのは「うちら以外」である全く知らない第三者から見られていることが感じにくい環境なんだから。
だからFacebookやTwitterなどのSNSではそういう人たちがたいして悪気もなく大暴れする。
Hagexの「ドンキ系Webサイト」だとアメブロとかmixi、前略プロフとかそうだね。
対して2chやニコ動で暴れるのは「誰だかわからない大勢の第三者」が見ているというのが原動力。
せっせとブコメを書き、たまにスターをもらうと承認欲求が満たされてニヤニヤ。そんな毎日。
暇さえあればホッテントリをチェックしている。
これまでSNSにハマることは無かったのだが、
はてな村には自分と同じような考え方の人が多く、ヌクヌクと気持ちが良かった。
が、ここに来て、急に、
「違う価値観の世界と分かり合おうよ!」「違う価値観を切り捨ててると良くないよ!」
てな雰囲気になってきた。
理性的に考えると、色んな価値観を認め合うことは確かに有益なんだろうと思う。
けれども、自分では、どうしてもブログタイトルに「えっち」と付ける神経が生理的に許せないのである。
「えっち」という言葉には若い女性がセックスについて実体験を語っているイメージがある。
多数の相手ととっかえひっかえセックスしまくってる人々とは永遠に分かり合える気がしない。
そういう存在は視界に入れたくない。
記事の中に「えっち」という言葉があるのならばわざわざ見に行かないので全く構わないのだが、
ブログのタイトルとして付けられると否応無しにホッテントリ画面に表示され、嫌な思いをさせられる。
この「違う価値観を認め合おうよ」という考え方には物凄い同調圧力を感じる。
「えっち」とか言い放ってる様な価値観が生理的に受け付けられないなんて言おうものなら
「違う価値観から逃げるのか?」「断絶は何も良いことを生まないぞ!」などと心に刺さる言葉がやってくる。
正論なので反論も出来ない。
というわけで、ブクマ辞める。
他の事に時間を使おう。