私には趣味がない。
極度の飽き性なのもあって何も続かない。興味すら湧かない。なので早く死にたい。
趣味が無いからって死ななくてもいいのでは?となるかもしれないが、この世界を楽しめなくなったら本当に終わりだと思う。
生きている意味がないのと同じ。
答えは、何もしていない。
音楽を鳴らしながらベットにうずくまっている。出来るなら一生寝ていたい。
コロナで家にいる時間が長くなって改めて自分の趣味が0である事を実感した。よく気が狂わなかったと思う。
Twitterなんかを覗くと、趣味の無い人間程つまらない人間はいないという風潮を強く感じる。
Twitterの主成分がオタクであるのを考えると当たり前ではあるのだが、私にはとても辛く感じる。そして趣味のある人間が本当に羨ましい。
私はそのような充実した人間にはなれなかった。
アカウントを作ってその人達になりきろうとしたが、無理だった。ただ惨めになっただけだった。
こんなつまらない人生、早く捨て去りたいが、本当は死ぬのは怖い。痛いから。
死にたいけど死にたくない。
ユーミンはまじめにアリだな。
今はどのゲームでもAIが発展して機械と電力が人のチャンピオンを打ち負かすようになってしまっている
だがその中でも一番AIが最善手を見つけるのが早かったのがチェスで1980年代。
その次が将棋。
囲碁は2010年代後半になるまで読み手が多すぎ評価が難しすぎてAIでもなかなかショートカットができなかったが
グーグル社が開発したアルファGOが1兆円相当の電気代・サーバー代をかけて作成した、
人間では思いつかない手の棋譜がいくつかのこっている、電気代・サーバー代が安くなれば完全に機械が人をうちまかしたといえる
したがって純粋に数学的解析能力では囲碁のチャンピオンが頭がいいとおもう
一方で機械に解析されつくしたボードゲームの中でもまだチェスのチャンピオン、将棋の藤井将太が存在するということにも思いをはせたい
藤井氏はAIを最適な手法で利用しAIから学べるという意味で強い
カラオケボックスが凍りつく瞬間が見たいだけやで
ブコメで指摘されてるが、ブラックコーヒーがカッコイイとかの話ではなく、客先/上役の前で
「砂糖掴んでザーっとやってまぜまぜする」とか
「ミルクをパキっとやってダラーっとしてまぜまぜしてさらに使い終わったものをどこに置こうか迷う」とかが
できない・やり難いという話だな