つるっつるやぞ
最近色んな所でポリコレやら何やらの話題を目にするのだけれど、ポリコレとクレーマーや不寛容って紙一重ではないかと思う。
ヘイトなどの排他性に対するカウンターがポリコレなのだろうけれど、どちらも他者の思想に不寛容という点では同じであり、
極論を言えば、いずれも「不快だからやめろ」という所が根源になるとは思うのだけれど、これってどこまでが正当化され許容されるのだろう?
糖尿病みたいなメジャーな病気ではなく、過去に暴飲暴食をしていた訳でもなく、遺伝性のものらしいのだけれど、
となると当然、そういった禁止食品の広告類は物凄く不快なのである。
今はもう口に出来ないのに、視覚を通して味がリフレインするのが物凄く苦痛なのである。
もっとも、だからといって個人的にはそれは仕方のないことだと割り切っているのだけれども、それはそれとして、
論理構造的な意味合いにおいて、私にも「食品広告は不快だからやめろ」と主張する権利はあるのだろうか?そこに正当性はあるのだろうか?
私みたいな病状の人間はマイナーだから、多数の益が優先されるべき?
それなら性的少数者も同じくマイナーなのだから、その他多数の表現の自由が優先されても良いのではないだろうか?
出生や性別などの変えようのない、先天的なもののみが正当性を持つ?
それなら私の病気も遺伝性で、後天的な要素が原因ではないらしいから、この病気故の不自由も先天性として正当性を持つ?
企業にも広告を展開する自由があるから、それを制限すべきではない?
それなら他のポリコレだって、良いか悪いかは別として、他者の表現の自由を制限している訳だけれども、私を不快にする広告は何故制限されるべきではない?
なにこのリフいいじゃんと思ってオリジナル聞いたらそのリフ部分は影も形もなかった
話が一周回ってるとかなんとか、わけのわからんことをほざいてるやつがいるようだけど、降水確率が何なのかを全く理解してないから、こんなトンチンカンなことを言えるんだろうが。↓
アホとしか.....
対立する2つの意見がある話題で、自分の考えに近い方の識者がそれっぽいことを言ってみんなうんうんと言っているんだけど
自分の中でそれに対して矛盾をつくことができる意見を思いついてしまった。
これを言ったら多分議論の潮目が変わるんだろうなって思うんだけど、自分の意見とは反対だしなあとためらう。
でも他の人が気づいてないすごい反論だからそれを言って自分に注目集めたいっていう気持ちもある。
そう考えてたら一日過ぎてた。
この勉強会を主催しているHagexとかいうやつが刺されて死んだらしいです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180624-00000062-jij-soci
セキュリティキャンプをずっと支えてくれていた方だと今知りました。