最低なことは最低なこととしてほっておけ
森毅氏のやけどをざまあ見ろと思うと書いてある日記を読んだ 若い頃森氏の本を読んで影響されたことがその後の(日記の)著者の人生をダメにしたと考え 森氏に恨みを持っているらしい 本人はその感情が倫理にもとると思ってはじめは封じ込めたらしいが何故かその後 正しい感情の発露だったと思い直し文章化したというのだが その心情の変化の過程が書かれていない 何故「正しい」ことになったのか分からない
彼(または彼女)は現在うだつのあがらないサラリーマンだそうだ 大学を出て20年もたっているとか 20年もたって自分の人生を人のせいだと思っているおろかさ 人が傷を負ったことに胸がすくという事実を1年たっても咀嚼できない知性の低さ 精神の固着 そのことそのものがこの人物の限界を示している これからもこうやってぐちぐち言って生きていくのだろうか 最低だ
http://rand.ldblog.jp/archives/5536508.html
では本題。
ないなら仕事をつくればいい
新しい事業をすればいい
とか
言われている
そこでふと考えてみた。
その新しい事業に一番向いている人間とは誰か?
それはきっと「事業に応用が効く経験と技能を持ち資金と時間がある人間」だ。
それは誰か?
年を行き過ぎた退職老人でもない。
ずばり、第一線で活躍していて、引く手あまたのビジネスマンだ。
そのリソースが社会の隙を見つけて挑戦することによって新しい事業が生まれる。
そのリソースをどれだけ多く生み出すかによって社会は発展する余地を得る。
もし社会発展が落ち込んだならば、ソレは何の権限もない就活生の責任ではなく
そういう超一流の人材の生産に不都合ななにかが社会構造にあるか
そういう人材のモチベーションを下げる問題がないか探すのがいいのではないだろうか?
言い方は非常にルサンチマン的だけど、すべての責任は超一流の人間にこそあるとも言える。
結論。
最近自分のやりたいことが見つかって、日々に張り合いが出てきた。
肩の力が抜けて、自分らしくいられるようになった。
それは良いことなんだけど、そうでなかったこれまでの数年間は、
自分を騙して、嘘ばかりついて、無軌道な振る舞いで周囲に散々迷惑をかけてしまった。
荒れて人に当たり散らしたことも何度もある。
醜態の限りを晒して、迷惑ばっかりかけて、本当に沢山の人に嫌な思いをさせた。
今は日々充実しているけど、ここ数年関わった人たちに会うと、
気まずくて、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
今更良好な関係を築き直しましょうなんて手前勝手なことを言う気はないけど、
少なくとも、もう絶対に迷惑はかけないし、心から申し訳なく思ってると、わかってほしい。
甘えなんだろうけどな。
向こうはもう二度と関わりたくないと思ってるはずだし、
やっぱり、黙って消えていくのが一番いいんだろうな。
28歳。
付き合いの長い友人も多い。年に2・3回ある小規模同窓会には、毎回顔を出す。年末は、学部時代の友人たちと温泉旅行に行くことになっている。
学歴にしても容姿にしても、コンプレックスの類とは無縁。経済的にも困ってない。
家族も息災。きょうだい達も立派に自立している。弟は今年結婚した。
たぶん10年後ぐらいの光景なんだろう。俺は清潔な新築マンションを借りて、お気に入りの家具に家電、服や小物に囲まれて生活してる。
今欲しいと思っているモノは、その頃には大体みんな手に入っている。どれも小金があれば手に入る程度のモノばかりだから、まあそりゃそうだろう。
仕事も順調。自分がやりたいと思うことだけを仕事にして暮らしていける、とても幸せな身分にある。
周囲の人々には尊敬され、愛され、精神的にも満たされている。俺の勝手な勘違いでないなら、この辺は現在とそれほど変わらない。
ただ、未来絵図の中の俺は未だ独身で、恋人の姿はそこにはない。結婚してないんだから、もちろん子どもなんているはずがない。
周囲の人々には愛されているはずなんだけれども、そこに現在の友人達の顔はない。というか、周囲の人々には、具体的な顔がない。
家族ともうまくやってるはずなんだけれども、具体的な彼らの存在は、影も形もない。まるで初めからいなかったみたいに。
誰が見ても分かる。この幸福は、どこかが間違いなくフィクションで、ごまかしで、不整合だ。
10年後の自分はどうだったら幸せなのか。何があれば満たされるのか。
俺にはさっぱり分からない。
横だけど、
とんかつ、ソテー用のある程度厚みのある豚ロース肉とか、ヒレ肉塊とかは手では簡単にちぎれないと思うぞ。
ハサミで切る事はできるけど。
→いいけど、実は初めてなの・・→
ミニカー登録している三輪バイク、いわゆるトライクに乗っている。
俺が乗っているのは、トライクといっても、結構小さい三輪バイク。いわゆるピザ屋バイクだ。
歩道に駐車して感じたメリットを紹介したい。メリットといえるのかどうか微妙だが。
駐車するスペースはミニカーなのに自転車置き場の「駐輪」場に駐車可能。
たまたま、わけあって、数時間、大きな歩道に駐車になってしまったとき、周りの自転車が撤去されていたのに、なぜかこのミニカーだけは撤去されていなかった。
自転車撤去は、市役所の仕事で、ミニカーは車扱いなので、行政区分が違うからなのか。それとも重すぎたためなのか。たまたま見逃されたのか。いずれにしても、撤去されたことも、駐車違反で取り締まられたことがない。
ミニカーの歩道駐車は、取り締まりのグレーゾーンなのかもしれない。
これをメリットといってもよいのかどうか。
うん、それはそうかも。
出てくるとすると、話題が切れた時とかに一般話題の1つとして出てくるもんだと思う。
まっとうな人間になってほしいぞ