はてなキーワード: 新聞配達員とは
https://www.businessinsider.jp/post-207610
「恥の意識」だよな
親兄弟とか友人の世話になったり借金するのは構わないと思っても
赤の他人の助力を受けるのはみっともない
助けられる先方もそのように考えるだろう(だから相手に恥をかかせてはいけない)
また、赤の他人を助けると「ええかっこしい」「偽善者め」と見られるのが怖い
――ここまでは多くの人がすでに同じ事を考えてるだろう
ではなぜ、赤の他人に助けられると恥だと思うのだろうか?
***
駅までは一緒に運んでやるとか苦には思わない
以前、階段で乳母車を押してる人がいたんで下から支えてやったことがある
この場合、大荷物を持った老人にも乳幼児連れの人にも何の落ち度もない
学生時代は新聞配達の店で働いていたが、夕刊の配達時にはたびたび
前カゴに数kgの新聞を満載した自転車を上手に停車して降りられず
このようなとき、見ず知らずの通行人――確実に俺より身なりの良いビジネスマンだの
汗臭い新聞配達員の俺に近寄るだけで可哀相な若い女性などが拾ってくれようとすると
申し訳なさの余り切腹でもせねばいけないような気分になったものであった
だって、どう考えても、五体満足な成人男性の自分が、上手に自転車を停められず
自分に夕刊の束をぶちまけてるのは、言い訳のしようなく自分のせいだ
相手に対して感謝の念をすっ飛ばして「加害者」になったような罪悪感を覚えてしまう
無論、地面に散らばった夕刊を拾ってくれた人は
俺のせいで被害を受けたなどとは一切思ってない「かも知れない」
が、「かも知れない」であって、本心は分からない、それが怖いのだ
***
ではなぜ、人に助けられると罪悪感や加害者意識を覚えてしまうのだろうか?
つまり、助けられたら相応のお礼をせねばならない
乳母車で段差を越えるのを手伝ってもらった……といった程度のことなら
が、「本当なら相応のお礼(自分の失敗に起因するなら「お詫び」)」
をしないといけないのに、それをせずに他人の善意を受けるというのは
(まあ、別の機会に別の赤の他人に親切にすればいいんだが、そんな機会はいつあるかわからない)
***
要するに、因果応報とか、権利には義務が伴うとか、目には目をとか
そういう「世の中はプラスマイナスゼロの均衡があらねばならない」
という価値観が、無償の人助けを「自然に反する異例なこと」のように
思わせているのではないか?
***
金持ちが見ず知らずの貧乏人を助けたりすれば死後アッラーに高く評価され
逆に助けられた方も「助ける機会を作ってやった」という善行と見なされるとかいう
この後段部分が重要だ
つまり、一方的に助けられることを精神的な負債と思わずに済むような
(仏教渡来の初期には皇室が悲田院とかやってたけど恒常的には定着しなかった)
ただまあ、この日本の「他人に助けられるのは恥」という文化のおかげで
日本では生活保護を忌避する人が多く、社会保障費が安く済んでいるのは確実
悪い意味でも、世の中よくできてるよなあ……と感じるばかり
植木屋やってるんだけど、正直、都市緑化計画とかCo2削減とか別にして植木って要らないのよね。
ってことは、日本中から植木を除去する、植木の手入れのために植木屋にお金払ってた人に増税する。
植木屋やってた人は遊んで暮らせる。
新聞配達とかはもっと要らない職業で、みんなが電子版読む、電子新聞は安くする、新聞代が下がった分だけ増税。
新聞配達員分のBIの原資が出来る。
植木とか新聞とか限られた職業に絞って考えると、植木屋なんて頼んでないのに増税されたら負担象だ! ってなるんやけど、
せやかて、様々な(いらない)職業に対して効率化、IT化、廃止を進めて行けば、増税での負担は平均的になり、国民誰も損しない。
ほんで、税収アップ。BI配れる。
俺、過去に、新聞配達員、マクドナルド店員、マンションの専属清掃員、ヤマト運輸の配送電話受付、デバッガ、小さいIT企業の顧客データベース構築、物流会社の会計データ打ち込み、解体工事、家電量販店のソフトウエェアの販売員、等々の職を重ねたが、レジ打ちだけはやってない、しかし「こんな仕事何になるんだ?」と思わなかったことは1度もねえぞw
俺は上記のいずれも失敗した、とくに接客系は絶対無理だと学習した
しかし
いつも行く西友じゃ、本当に素早くてきぱきとレジ打ちしながら、常に穏やかな口調で客に「ありがとうざいました」て言うてるおばちゃんがおるが、逆立ちしても俺には同じ事はできんと頭が下がる
俺には絶対に務まらない仕事が的確に出来ているという一点において、俺にとっては、レジ打ち店員も医者も弁護士もスーパーモデルも一切同列じゃ
新聞配達はなくなるだろう。現実に田舎の新聞は昼に配達される。そのうえ、新聞置き場(集会所)まで自分で取りに行かなくちゃいけない。新聞配達員がいないからだ。
そんな新聞買わなくていいだろうと思うが田舎者は人間関係のしがらみで買わざるをえないのだ。新聞を買うのを辞めたら変人扱いされる。
逆に「新聞取るのやめようぜ」って話になれば一気に村ごと新聞を取らなくなるのだが、まだそこまで行かない。10年もしないうちに頑固者いなくなるから新聞取る世帯が一気に減る。
どうしても新聞紙が読みたかったらコンビニまで買いに行けばいいし、それ以前にニュースはネットのほうが早くて情報が多い。動画も観られる。