はてなキーワード: 君の膵臓をたべたいとは
「保育園落ちた日本死ね」が流行語大賞になった時、一部では「ブログの文章が元」と完全に勘違いされて紹介され、
同じように、最近の流行の中にはしれっと一般向き、ウェイ向きに再解釈されているものの、
元を辿ればネットのこんな見向きもされないような所から出てきたんだってものが割とある。
「君の膵臓をたべたい」は「小説家になろう」掲載のWeb小説である。
「幸色のワンルーム」は元はTwitter連載漫画「世の中いろんな人がいると言う話」である。
「米津玄師」はニコニコの初期から人気だったボカロP「ハチ」である。
「ワンパンマン」の原作は個人サイトで掲載しているクソ雑な絵のWeb漫画である。
他にも、岡崎体育(元ボカロP)、SAO(個人サイト発)、勇者30(個人サイト発)、まおゆう(2ちゃんSS発)、…
ちょっと最後の方オタク向きになりすぎたが、まあこういうものは幾らでもある。
原作を見ろと言っているのではない。ただ知識として、事実として知ってほしい。
言いたいことは逆で、ネットの薄暗い所から出てきたこれらの作品群を一般人がこんなに評価して、
こんなに見向きしているのだから、
「見向きされてこなかったこれらの場所にも十分見向きする価値がある」
「もはや薄暗い所なんかではない、立派に光が当たって良い所」なんだと知ってほしい。
知ってどうしてほしいというわけではないが、ただ知ってほしい。その過去方面を無かったことにしないでほしい。
それだけだ。
ふとYouTubeの急上昇にアニメ「君の膵臓をたべたい」の特報映像が載っていた。前から独特なタイトルが気になっていたし、実写化からアニメ化のスパンが短く、なぜそんなに人気なのだろうかとミーハーながらもこれを機に読んでみることにした。読後なぜか感想を言わないともどかしい思いにとらわれたものの、こんなのを言う相手もいないのでここに投稿することにした。長いし臭いし拙い感想文だが、付き合ってくれるとうれしい。あと、かなりネタバレ注意なのであしからず。
美しい終わりへの話。
最初僕はそう思ってこの小説を読んでいた。春樹(僕)の初めて感じる楽しさと、桜良の僅かな時間を精一杯楽しみながらも死と直面する恐怖が合わさりながら美しく生と死を描いていると思っていた。読み進めて残りページが減るにつれ、いつ桜良は死んでしまうのかと悪知恵ながらもドキドキしながら読んでいた。しかし、突然出刃包丁というワードが出てきた瞬間、頭が止まった。言葉にならない感情が湧き上がってきた。そして、死がいつめぐってくるかなど誰にもわからないという当然な決まりが自分の頭から抜けかけていることに気づき震えた。
人はいつ死ぬかわからない。仲良い友達も家族も、挨拶を交わすだけの人も、話したことない他人も。痛みを伴わない病にかかっているかもしれないし、ふいによろけて電車が入ってきているホームから線路へ転落してしまうかもしれない。それこそ突然電柱の影から現れた通り魔に刺されてしまうかもしれない。当たり前に人はその事実を知っている。何万もの命が一瞬に奪われた大地震を経験して。或いは平穏な朝に起きた悲惨なテロで。しかしその日が終わればまた何も無い日常が繰り広げられ、大多数はTVに映る悲惨な光景の一片を目にしただけで受け流してしまう。1年も経つとそんなのあったな程度に感じてしまう。それが人間の性であるから仕方がない。一日一日を大切にしよう。明日死ぬ気で一日を生きよう。そう思っても絶対明日が来るという確固たる事実が、経験が、邪魔をして惰性で生きてしまう。安定した日本で生きる僕らの頭の中で埃をかぶって小さくなっているそれらを、この小説はつついて大きく存在感があるものにしてくれた。
朝起きて、学校へ行き、ただいまをしておやすみをする。何ら変わらない退屈な毎日で生きている実感が薄れていた。しかしそこには変わらないと思える贅沢があり命があることに気づいた。いつしか涙が溢れていた。
色々な意味で気になっている。
多分小説読んだらそれなりに感動するんだろうけど、TV CM で多分映画版の主演女優が「タイトルに泣きました」って言ってるのを見て以来「あー絶対買わねー」と思ってしまった。性根が曲がっているので仕方がない。と思っていたら、検索してみると僕のように性根が曲がっている方も世の中にはいるようで、あの CM で同じように感じた人もいるみたいだった。
元々はなろう小説発のものらしいのでそれなりに読みやすいはず(な気がする)。漫画版もあるらしいので最近流行りのメディアミックス作品なんだろう(最近なろう小説発のもの多くないか…)。
やはり(内容を読んだらそれが解消されるとしても)タイトルに生理的に抵抗感があるのと、それを原作とは違う映画版の人間が言っているというのも拍車をかけている。そもそもお前それ番宣で言っていいのか。物語の中心要素じゃないんか。ネタバレ違うんか。なんかタイトルだけでも十分セールスコピーの要素があるにもかかわらず、生理的な抵抗感を人々が抱くであろうと見越してそれを擁護しているような、それが凄く気持ち悪い。
おまけに元々「泣いた」と言われると見たくなくなるのもある。そう言われてそれを見て泣く自分を想像すると馬鹿みたいに思えてくる。でも多分内容は良いものなんだろうな、見たら泣くんだろうな、というのは分かっていて、だからこそ見たくない。さっさと読んでしまって楽になりたい気持ちもある。自分の中で下手に期待感を上げるのも本意ではない。どうしたものか。