道民なのでめんみを使っている
ちょうどいいしょっぱ加減になるよう水で割ってレンチンしたらナスに注いで、最後に賞味期限切れた一味をここぞとばかりに追加して完成としているよん
例のPBデザインでよくわかんなかったのが「生活空間に置いても違和感がないデザイン」というコンセプト
コンビニで買う食料品って買ってすぐ消費してしまうのが殆どで、調味料などの例外除いたら生活空間に置かれること自体がほぼほぼないでしょ
これがボックスティッシュとかなら理解できるし、実際ボックスティッシュのデザインは特に話題になることもなく受け入れられてるみたいなんだけども
某中華料理チェーン。本格派を謳っており、王将やなんかに比べると割高だが、その分味も良い。
店内はさすがに店舗によるのでばらつき大きいが、今回のところは綺麗な店舗。
さて、漢字の店名にわざわざアルファベットってチャイナ語での読みが書いてある。こういうところも本格派って感じがいいな。
その日俺はどうしても中華が食いたかった。ぐるなび予約が出来なかったので電話をかけることに。
念のため確認する俺。
なにこれすごい恥ずかしい。
じゃあ読み方なんて書くなよ!
最終章ではありますがまだやるべきことが残っているので第1篇となるでしょう。
- 母親の介護から逃げてから、その後 anond:20210322144223
- 母が精神病棟に入院した anond:20210403022555
以前に語ったとおり、母親は病気で自活が不可能となり父親による老老介護を受けた後に精神病棟に入りました。その後は体調不良のたびに転院を繰り返し、最後は実家からほど近い病院で息を引き取りました。最期を看取ることはできませんでした。そもそも職場から2時間近くかかりますし一報があった時点ですでに危篤状態でした。
その少し前から体調不良が続きいつ旅立ってもおかしくない状態でした。でもコロナにより面会はかなりの制限がついていたので、病院からほど近い父でも最期を看取ることは難しかったのとこと。特に第5波の現在ではまともに病院に入れることすら怪しいのですが。
母親に関しての良い記憶は殆どありません。私が子供の頃から彼女の周囲はストレスと負の感情が渦巻いていました。あらゆることに怒鳴り散らし厄介事を量産します。隣人、宅配業者や取引先とのトラブルは枚挙にいとまがありません。家族の中にあっても暴力と暴言は絶えず、幼いときから母親は嫌悪と畏怖の対象でした。常に誰かしらを敵に回すことでしか自分を保てず、最後は泣きわめいて八つ当たりを繰り返す人でした。機械音痴だったのが救いでしょう。彼女はスマホやPCどころか自身のケータイ電話すらもっていませんでした。仮にスマホを扱えたとしたらツイッターやらでどんなことを書いたかわかりません。
そんな母も亡くなりました。
一番最後に家族が聞いた言葉は「来てくれてありがとう」だったそうです。数すくない面会の中で唯一話せたのはそれだけだったとか。そもそも、4月以降の入院生活の多くで彼女は心を閉ざしていたようです。閉鎖病棟という空間が耐えられなかったのかもしれません。彼女自身が介護状態になってから父への依存がマックスになっていたこともあり、父に会えず家族の顔を見れない寂しさが彼女を内向的にしていったのでしょう。だから面会時に言葉を話したことに周りの看護師が驚いた、と聞きます。おしゃべりだった母親がおとなしく心を閉ざすということはよほど病院の生活が心を折るに充分だったに違いありません。
父はそれを後悔しているようです。
葬儀は直葬でした。リーズナブルで早いというそれだけの理由でしたがコロナ禍では最善の方法だと思います。母親の親戚縁者数名と私の家族だけで執り行いました。
葬式自体は何度か経験があるものの、直葬は初めてです。住職もなく火葬場に直接集まって遺体を焼いて納骨するだけというもので、移動時間を除けば1時間半で終わりました。
従来型のように通夜と告別式を執り行うことが悪いとは思いません。故人を悼む人の多さや気持ちの整理をつけるために必要な儀式もありますから。
高くとも50万せず、極めて簡易的でスピーディ。遺族の負担が本当に少ないのです。
なぜ喪主が大勢の人の前で挨拶をしなければならないのか。多くの時間とお金をかけて悲しみと疲れをふくらませる必要があるのか。ほとんど交流のない親戚や会社の人々に頭を下げなければいけないのか。お坊さんの固いお話。。。
それらをすべて省くだけでここまで楽になれるのかと感動しました。いままでの葬式は何だったのでしょう。
コロナは多くのものを奪いましたが、葬式に対する考えを改める機会をくれたことだけはメリットと受け取っています。
さて、旅立ちのあと家族と合流していくつかわかったことがあります。
母親はいくつか不動産を持っているのですが、その一つが少々どころかかなり厄介な物件だということ。保険嫌いだったのにいくつか保険に入っていたこと。預貯金はそこそこあるのですが、額よりその中身についてここで書くことが憚られるものであること。デパートの預け金が結構な額になること。そして、母親が成人後に殆ど健康診断等を受けていなかったということ。
母親が病院を嫌っているのはわかっていましたが、健康診断そのものをまともにしていないのは驚きです。歯もぼろぼろだったので長く歯医者にも行っていなかったのでしょう。
思えば母親の数々の病気は、去年の夏に倒れてからようやくわかったものですばかりです。糖尿病やガンなど、本当は健康診断で発覚するものばかりです。少なくとも献血でいいからしておけばなんらかの予兆を見て取れたかもしれません。
恐らく長いあいだ健康上の不安を抱えていたと思います。でもそれを認めずに騙し騙し過ごしていた結果がこれです。
さらに病気がわかっても頑なに医者を信用せずかなり説得が難しかったと聞きます。
自分の家族が崩壊寸前だった記憶が強いがために、幸せな家族という存在が実感できないのが本音です。配偶者の実家にお邪魔したとき、リビングに家族との写真が所狭しに飾ってあったのはかなり印象的でした。そうやって家族と記念写真を撮って飾っておく習慣が失われた家庭でしたから。実家で目につく写真といえば、唯一仏間くらいにしかありません。本当は以前にもありましたが引越しの際に殆どなくなってしまいました。
今一番不甲斐ないのは、遺産や死後の手続きの諸々を実家の家族に任せっきりだということでしょうか。でも多くがオートメーション化されているのでかなり手続きは簡単とのこと。いい時代ですね。
遺産の整理がついたら第2編を書くかもしれません。
今、後任の新人に教えながら引き継ぎをしているのだけど、メモを取らない。
取らなくても覚えているのなら、全く問題ないんだけど。
「この手順は絶対覚えておいてね。お客さんに聞いてもわからないコトだから。ちゃんとメモっていてね」
とメモらせても、次回に同じ場面で
「どうやってやるんでしたっけ?」
と聞いてくる。
「前回メモを取ってもらったよね?それを見てみて」
と言われてようやくメモを見る。
別にメモを取らなくても写メるとかであとで確認できるのならそれでいいんだけど。
メモをとれ、と言わない限り、メモは取らないし、かと言って、覚えているわけでもないから、同じことを二度もお客さんに聞こうとするので、オイコラってなったりする。
最初に教えた某所の暗証番号を覚えていなくて2回聞かれたときは、え?この人大丈夫なん?と思ったりしたわけだけど。
今後一人で作業するのに暗証番号を覚えてなければ何もできないのに、どうするつもりだったんだろ?とか。
ずっとつきっきりで教えられるわけでもないのに。
中堅の人に引き継ぎをすると、必ず手順をメモるし、自分が一人で作業する状況を想定したメモを取っているのに。
お客さんが「自社の新人社員が、何度もさせているのに、先を想定した行動ができない、教えても、今後自分一人で作業する時を想定した行動ができない」とボヤいていたけど、まさにそんな感じ。
それとは別に、なんとなく要点を押さえてノートをまとめる、とか、そんな作業をしたことがないんじゃないか?と思ったりもしたのだけど。
自分と反対の意見を持ち、それが自分の生活や信念を害するならその人が改心するか不幸になるかを願うものではないのか。
コロナ禍において、俺はワクチンを打っている。この立場からすれば、ワクチンを打たないという選択はウィルスとの戦いを阻害するんだから、何らかの理由でワクチンを打つ判断に至るか病気に臥せって衰弱するかしてもらわないと困らないか?
そして逆に反ワクチン派は打った人が副反応なり、将来に致命的突然変異が起こって苦しむことを(明文化しないまでも)期待しているんだろうか?
今、嫁はワクチン慎重派という名の反対派で。家が少し揉めている。
ワクチン打った俺が後悔した方が良いのか?という問いにはnoと答えた。
わからない。
俺は嫁本人はともかく周囲の反ワクチン派知人の誰かが致命傷にならない程度にはダメージ負ってもらって、それを根拠に打つべきと改めて突きつけたい。
そんな恐ろしい話やめましょうよぉ