はてなキーワード: 天文学とは
http://anond.hatelabo.jp/20090316120147
たくさんの人に言われた、「ほんとはおまえは自分は無価値とは思ってなくて、むしろ彼女と相手の男を貶めることで自分の価値を主張してんだろ」という意見は多分当たっていると思います。ただ、だからこそ理不尽でやりきれなく感じたんだと思います。俺は今まで自分の彼女への対し方や感じ方には価値あると思ってたんだけど、彼女と相手の男を見ているとどうもそうじゃないらしい!向こうに価値が在るなら、価値ないのは俺の方だった!ていう感じです。まあ当たり前ですわな、彼女は、そういう、男を求める部分で向こうに行ってこっちには来ないわけだから。ついでに、他のことだと「馬鹿だなアホだな」と笑ったりできる理不尽ぶりに切ないとか哀しいとか感じたところが、なんというか、久しぶりに女性を好きになって、恋得体知れないと思ったところなんです。
確かに自分が無価値だとは本気では思ってませんね。多分、自分の方が人として正しいはずだという自信もある。それでも、恋で否定されると、俺はくずや!価値無しや!もうだめだ!オワタ!という気分になるんです。そこがまた理不尽でやりきれないんです。
まあ、確かにきもかった。書いたのが自分じゃなかったら、うわ!ひくわ!と思ったかもしれない。反省してる。
だけど、彼女の相手のことを俺は評価してない上に、彼女のことはそれ以外の部分で、生活が大人だったり理知的な人だったりして、とても尊敬しているわけで、そんな人が他の男と会って抱かれようとしていることにものすごく期待している様子っていうんですかね、なんていうか、もう伏し目がちだったりするんですね、微妙な羞恥心とか漂わせたりして、多少隠そうとしたり、まるで恋愛がちょっと悪いことみたいな意識のあった中学生のような眼をするわけですよ。そういうのを目の当たりにすると、なんかなーなんでなんだろうか?とか、こっちとしては風船のふたを抜いたみたいに肝が萎えるわけですね。さっき、お茶漬けを食べたばかりなのに、二日くらい何も食べてないような胃の感触になる。全身の力が抜ける。ひしゃげるんです。いいか悪いかは別として、こういうの目の当たりにしたら、大抵の男は、他の男に抱かれているその人を想像すると思うんですよ。それでさらに萎える。確かに、なんで俺は駄目で向こうはいいんだろう?彼氏でもないのに?彼氏でなくてもいいなら俺でもいいじゃないか!とか思ったりしますよ。それが駄目なのは男の魅力が俺にかけているからなんでしょうけど。
あと、おまえは好きだと言ったんかという話があったと思うんですが、実は大分前に言っていて、それで、ふられてるんです。付き合ってうまくいかなかったら元に戻れるかどうかわからなくなる、だとか、本当にそうなのかどうかはわかりませんよ。わかりませんけど、ああそうかな、そういうもんかもな、とは思います。といっても学生時代からの長い友人なんで、疎遠になったりはしませんでした。多分これからも疎遠にはならないと思います。まあ、結婚したら、酒を飲みながら政治がどうとか社会がどうとか業界がなんだとかあの作業はこうしてああすればうまくいくだとかあーだこーだと議論したり、あの本は面白いから是非読め、あの映画は期待外れだったから金の無駄だ、ちょっと今度バレーボールを見に行こう、暇だから車を借りて都内を回ろう、とかそういうことができなくなるんでしょうけれども。
俺は、そういうことを通して相手に惹かれて、ああこの人が他の男の特別になるのは到底耐えられないな、とか思うことが恋だと思ってたんですけどね。なんか違うんですね。違わないか。単純に、彼女が俺以外の男を特別だと思っただけの話ですね。こればっかりはしゃーねーな。
増田で話せてすこし息が抜けた気がします。なんかさっきみたら天文学的な米がついてて信じられないので無視することにした。ダイアリーにはブ米1つ星1つついたことないのにwwww
お騒がせしました。これで終わりです。
<追記>
http://anond.hatelabo.jp/20090318092715
その女がその程度の大したことない女だったということでヘコむべきという意見も出てるようだがそれについてはどう思う?
俺はむしろそういうのこそ、非モテ女のやっかみだと思うのだけど・・・。
まあ、なんであんな男がいいんだろうか?とは思いますけどね。それに加えて、あんなんでいいのになんで俺は駄目なんだろうか?俺でもいいじゃないか!という邪心もありますよ。相手の人のことを人として本当屑やな思ってるし。だけど、彼女が大したことが無い女なのに俺が恋しているから勘違いしているっていうのは違うと思うんですね。例えば、俺が彼女に恋していなかったとしても、彼女と相手の男の件で「ばっかだな」とは思うと思うけど、それを別にすれば彼女はとても気持ちのよい人間で、なんていうのかな、とにかくいろいろと情熱的で意志的でそれでいて理性的で成熟してるんですよ。自分とか他人とか仕事とか生活に対する姿勢というか、生き方そのものが。一番いい表現は多分「誠実」だと思うんですが、とにかく彼女が誠実じゃないところが想像できない。だからこそ俺も自分の感じていることや考えていることを出して行けるし、彼女が彼女の感じたことや考えたことや感情的な部分を出してくれると本当にうれしいんです。他人となにかを共有しているという実感が持てる。それを否定して「大したことない女」とは言わないと思います。ただ、俺は彼女が好きなので、単に「ばっかだな」で笑って済ませることができないというか、いやまあ、それがしんどいってだけなんですが。非モテ女のヤッカミかどうかはわかりません。そもそも人のことは言えませんね。「ぢぐじょー」言ってる俺も非モテなんですからね。
http://anond.hatelabo.jp/20090318094620
そういうことを言いたかったんです。
恋とか本当に、努力しないと報われない割に努力しても報われないとか理不尽で切なくて哀しいわ!ということです。でもそういうことは恋愛以外でもありますよね。しかし恋の理不尽さと切なさと哀しさは別格。
http://anond.hatelabo.jp/20090318094633
理屈抜きできもい文章ってあるもんだなあ。
そのまんま突き進むと次も同じ結果になるぞ。
確かにきもいですね。
これはただ恋がしんどいという話で、本当に抱かせてとか言うわけが無いし、これからそのまんま突き進むわけも無いので大丈夫です。ただ単に好きな人への努力があっさりとどんがらがっしゃん音立て崩れ去って、よその男が颯爽と彼女をかっさらって行き、それを彼女が押し殺しつつも喜んでいるのを見るのは本当に辛い。まるで自我を失くしたように様に辛い。これが恋だな。と言うだけの話です。本当にごめんなさい。
http://anond.hatelabo.jp/20090318134348
こういうことになるから、フった異性とは付き合いを切らざるを得ない.
気持ちに応えられないなら友達としても付き合わない方がいいわ.
大丈夫です。どういうことにもなってません。どういうことにもなりません。ただ、恋はしんどいというだけの話です。形を変えながらこれからもずっと友達として続くだろうし、そのうち俺もなんも感じなくなるでしょう。それでいいと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20090318150208
増田にとって、自分を男だと認めてもらえることが、そんなにも大事なことなのだったら、彼女もまた、自分を女だと認めてもらえることは、そんなにも大事なことだったのだろう。
これは耳が痛い。お腹も切なくなった。
世界的な金融危機の荒波をかぶって、ポーランド経済がふたたび窒息死直前にある。
ブームだった不動産投資が裏目にでて、市場が頓挫したのは、各国共通だが、ポーランドの相違点は、なぜか多くが、スイス・フラン建てで住宅ローンを組んでいるために、為替相場の変動で、二重の苦しみなのである。
もともと異様な投資境遇にあった。
ソ連崩壊後、いち早く投資が集中したのはポーランドで、米国にはブレジンスキーなどポーランド系の移民が多く、またカソリック教会のネットワークもあった。
筆者が最初にポーランドへ行ったのは90年だった。ワルシャワ駅前の(昔の)一流ホテルに宿泊、ジャガイモのサラダがいっぱいのったステーキが「一万ズローチ」と言われ、目を白黒させた。
すごいインフレだった。
ポーランド通貨は「ズローチ」。当時、一ドルが一万ズローチだった。ハイヤー(ベンツ)を雇ってグダンスク(グダニスク)を日帰り往復。高速道路をぶっ飛ばした。朝九時にでて、ワルシャワへ戻ったのは午後九時ごろ。途中、高速道路にドライブインが一軒しかなかった。
ハイヤーが往復わずか百ドルだった。グダニスクが「連帯」発祥の地、議長のワレサは、そのご、ポーランド大統領になった。
それから二年ほどして、再訪したら、はやくも証券会社が乱立し、株式市場が盛況を極めていた。
このときはワルシャワのホテルに一週間ほどいて、ヤルゼルスキー元大統領に会見したり、南のクラコウにも足を伸ばした。
ポーランド政府の招待で共同通信、日経、産経の記者と同じ政府系のボロ・ホテルが宿舎だった(招待と言ってもポーランド政府が出してくれたのは、このホテル代だけ)。近くの豪華ホテルには朝日、読売の記者もいた。
外国との合弁アパレル工場を見学し、社長とあったり、忙しかった。その時のルポは『財界』に連載し、なにかの単行本に収録した。
王宮跡の広場にあった有名なレストランへ行くと、素晴らしい鹿肉料理、音楽隊の伴奏もあった(余談だが、そのとき一週間隣室だったのが当時の産経ボン特派員の前田徹氏。その後かれはワシントン支局長から上海へ飛んで、先日まで上海からの特電を産経に書いていましたっけ。上海時代には二回あった)。
閑話休題。ワルシャワにはショパンの記念館もあり、昔の栄華の面影が甦った感覚があった。
駅前にはマリオット・ホテルの偉容が輝き、発展は約束されていた。駅裏にはホリディ・イン・ホテルもできていて、なんと日本経済新聞がデュッセルドルフから空輸されて読めた。
実際にポーランドは急激に発展したのだ。
西側から奢侈品が入り、ドイツや日本のクルマが疾駆し、レストランは満員。人々はスイスフランに投機を始める。
▲ドイツマルクにもユーロにも見放され? スイス通貨に依存した
ポーランドはドイツを憎み、ロシアを憎むが、それゆえにスイスが投資の的になるのか、或いはポーランド人というのは、もともとがギャンブル好きなのか。
スキームはこうだ。住宅ローンをスイスフランで借りると、金利が低い。
それを進めるファインス会社がたくさん出来た。またポーランドの輸出が好調だったので、通貨ズローチが切り上げになったことも大きな理由だった。
住宅ローンの60-70%がポーランドではスイスフラン建てである(ワシントンポスト、3月15日付け)。
欧米の銀行が機能しなくなって、突然ポーランド通貨ズローチが崩落、対スイスフランで半値、いや半値以下となる。
ズローチ建てに換算すると「天文学的な借金」が目の前に現出した。
つまり、日本で喩えると3000万円のマンションが、6000万円にいきなり化けたことになる。値上がりではない。債務が膨張するのだ。同様にフラン建てで不動産を借りている企業もオフィスレンタル急騰に悲鳴を挙げる。
同時期、ハンガリー、ウクライナ、ブルガリアなどの通貨も暴落を始めた。
他方、EU加盟を認められて以来、ポーランドからおよそ百万人がイギリスなどへ出稼ぎにでた。
レスゼク・ザルニッキという不動産王がいた。銀行も経営していた。いや、両方とも倒産の危機には至っていないが、このレスゼクが、スイスフラン建て不動産ビジネスとファイナンスをポーランド全土に広めてビリオネアになった張本人である。
「スイスフラン建てビジネスは失敗だった。しかしもっと悪いのは格付け機関と外国銀行だ。外国銀行は投資家に向かって東欧から資金を引き揚げろとアドバイスしているし、格付け機関はどんどんと投資不的確マークを東欧企業に打っているではないか」。
「上海株式指数が年初来、30%上昇し、鉄鋼価格が20%あがり、運輸の移動人口が急増している。政府の景気刺激策は天文学的であり、まもなく景気回復へ」と。
一月の貸し出しは1兆6200万元に達し、資金需要が旺盛なことは確実だが、これは中国の企業が金利安を見越して、一月まで待って集中して借りたからだ(ウォールストリートジャーナル、2月27日付け)。
同様に鉄鋼価格の一時的上昇は、政府のプロジェクトを見込んで投機筋がまた買い占め行為を行ったからで、先週ふたたび6・3%の下落を示した。
上海の株式指数も同様で再下落傾向にあり、回復の兆しはない、と同紙は予測している。
輸出は対米、対EU向けの激減が回復しておらず、上海の工業生産指数は12・7%下げている。
『2月14日、バレンタイン。
婦女子が、想いを寄せる男性に、チョコと共にその想いを伝える日。』
14日、男の子はドキドキしている。
靴箱を開けるその時に。
校門を出て友人と別れたその時に。
『2月14日、バレンタイン。
婦女子が、想いを寄せる男性に、チョコと共にその想いを伝える日。』
しかし、24歳の僕は、まったくドキドキしてません!
僕は知ってるから。勇気を出して言おう。
バレンタインは、存在していない!メディアがでっち上げた嘘っぱちさ!
事実、悩める学生時代から今現在を通じて、そんな風景に出会ったことは、ない。
2月14日、僕はいつもとても順調に家路に着く。
普段開かずの踏み切りさえも開いてる。
ifもしもこの世にバレンタインなるものが本当に存在するとしたら、1学年約150人余りの婦女子がいるとして、3学年通して×3倍。
そして世界は広い。世界中の女の子達が誰一人残らず僕への恋で悩んだことがないということになる。
もしこの天文学的に多い数の女の子が皆僕のことをノーマークだとするならば、逆に凄いよ?
信じられないっ!!』
ってな感じだよ?
そりゃ僕だって気付いてる。
の地元のツレ・・・
に昔殴られた学生・・・
にカツアゲされた少年的立場くらいだってこと。
と、とにかく!
バレンタインを信じないっ!!
し、信じたくないっ!!
あ、もう日付かわる。
ごめんなさいお父さんお母さん。
単に幕末維新の歴史の知識だけなら、百科事典講釈師のような物知りも沢山いるが、この対談は人物評が現代的で、政治家として官僚としての力量を問う通信簿的な作業でもあり、ことごとくがリアリスティックなのである。
しかも幕末維新を、本筋を外さないで不思議な逸話で溢れさせ、しかし歴史観の骨髄をしっかり守っている。
経済の視野から薩長と会津を比較してみると、京都守護職を越前の松平春嶽から押しつけられた会津の松平容保は、財政的艱難辛苦に耐えなければならず、藩士1000名の京と駐留経費の捻出は並大抵ではなかった。京都は島原の遊郭で遊ぶカネがなく、だから会津武士は京都人から嫌われ、薩長はすかれた。
なぜか。長州は竹島経由で、薩摩は沖縄を梃子に「密輸」をやっていて資金が潤沢、最新鋭の軍艦も鉄砲も買えた。中村彰彦によれば加賀前田藩も日本海の北と密貿易を展開した銭屋五兵衛を黙認した形跡があるという。
密輸で設けた諸藩の志士らは、経費をちょろまかして島原で遊興もできた。
本書で両人からコテンパンな酷評を受ける一つは御三家のなかでもイデオロギーの強い水戸藩、天下の副将軍と勝手に僭称した水戸光圀は、伝説では「名君」だが、じつはとんでもない御仁だった。
水戸学が、やがて水戸藩を分裂させ、悲惨な内訌が天狗党の悲劇を生んだが、じつはその後も明治三年まで復讐劇が続き、難を逃れて群馬や栃木あたりに逃げ、その末裔が現在もいるという後日談も、なんだか、西南戦争に負けた西郷軍のうちの1500名ほどが台湾へ逃れ、現地民に同化したという歴史の裏面の話に通じる。
本書は、薩摩が長州と歴史意識も政治構造も科学・天文学への心構え、軍事思想など似ているようで全く異なることを、これまた目から鱗のように別の視点からえぐり出している。
たとえば坂本龍馬が斡旋した薩長同盟の基軸の発想は公武合体の実現だった。
山内教授は「オーストリア・ハンガリー二重帝国」の例があるように、天皇を頂き、徳川と薩長が二分するアイディアの存在を告げる。
イギリスのオールコックなどの歴史観や世界の情勢から、倒幕に踏み切っていくプロセスで西郷、大久保は坂本が邪魔になったという闇の部分にも光を当てる。これは中村がまだ直木賞受賞前にかいた『龍馬伝説を追う』(世界文化社)にも詳しい。
また榎本武陽の「蝦夷共和国」構想も、じつはハプスブルグ家の「オーストリア・ハンガリー二重帝国」が発想にあった、と示唆する。
脱線ながら、評者(宮崎)が鹿児島は指宿の「伝承館」でみたパリ万博の記録展示の或る部分に驚いた。パリ万博は薩摩と徳川幕府が出展した。薩摩焼など、パリジャンの度肝を抜いた。ともにそれぞれの勲章をつくった。
薩摩は「薩摩・琉球国」として勲章をだした。つまり独立国として、国際社会にアピールしていたわけである。
もう一人、こっぴどく批判されているのは福沢諭吉だ。
福沢が欧米派遣のおりに経費を誤魔化して図書を買いあげたが、それは小学生程度の英語の本が多く、小栗上野介は「あの男の選択眼は節穴、語学能力はその程度だ」と評した逸話は有名だろう。
福沢は本来なら切腹ものだが、ばれて詮議にかかろうとしたとき徳川幕府が瓦解した。
他方では講釈やら近年の小説の裁き方や世評はともかくも、食えなくなった旧幕臣らの面倒をよくみた勝海舟と榎本武陽への評価が高い。
さて表題も示唆する「黒船来航以後」の話であるが、アメリカとロシアが日本にとって最初の接触だったのは、幕末の混乱期における日本にとって僥倖であり、もし英仏のような『ならず者国家』が日本に先に乗り込んできたらどうなっていたか。
シナにしかけたアヘン戦争のような略奪と、国内分裂は防げなかったのではないか。幕府はフランスに薩摩は英国に頼ったが、本気で内戦にのめり込んでいったら、日本は良いように利用されたあげくに英仏の植民地化されていた恐れがあった。
しかし幕末に徳川幕府をさしおいて薩長が最新鋭の武器を大量に買えたのも、その先見性や薩英戦争、馬関戦争敗北の体験から軍事知識と実践があり、おりしも南北戦争が終わって大量の武器をもてあましたアメリカから大量に買い付ける。
市場開拓を狙うドイツ人の武器商人だったスネル兄弟は河井継之助の長岡藩にガットリング銃を売りつけたが、会津に強力にテコ入れし、最後は榎本軍に従って函館戦争をともに戦った。
ドイツはむろん、英仏米露の隙間を狙って日本での武器外交が主眼だった。
しかし幕府敗戦により、スネルは代金を回収できず、兄はやがて会津武士団の食い詰め組を率いてカリフォルニアに移住したり、弟は御維新後、浅草で落語を聞いていたとか。脱線する逸話もまた本質に付随した、人間の描写なのである。
それにしても幕末維新を縦横に語る中村彰彦は歴史作家だから回天の内幕に詳しいのは当然にしても、なぜイスラム中世の専門家である山内昌之が、ときに中村を唸らせるほど幕末日本に精通しているのだろう。
もう一つ不思議に思ってきたことがある。山内昌之教授は、『世界』と『諸君』の両方に論文を書く器用な論客でもあり、保守なのか旧左翼なのか、いまもよく分からないところがある。
山内がいみじくも「後書き」に書いている。
国際会議で、オスマントルコ帝国の解体過程やイスラム政治の歴史と、日本の近世・近代との比較をよく問われる。国際的要請でもある。まして日本史を知らずして世界史を語れる筈があろうか、と。
最後節あたりの日露戦争から大東亜戦争に至る山内の歴史講釈には、ちょっと首肯できない史観部分があるが、山内教授の主観だから、その部分は聞かないことにする。
英紙「フィナンシャル・タイムズ」(2月12日)によれば、中国国有企業の「シナルコ」(CHINALCO)は、豪州最大の鉱山リオ・テント社の窮状を救うために現金で195億ドルを投じると報じた。
引き替え条件はレアメタル、鉄鉱石、銅山、石炭などの鉱区。転換社債とも引き替えるので、CHINALCOは、いきなり9%から18%株主になる。
道路、鉄道、学校、病院の建設に北京政府は90億ドルもの資金を投入しているが、交換条件は、ずばり銅鉱山だ。
銅鉱脈に付帯するのがレアメタルの代表=コバルト。これがないとハイブリッド車のエンジンの触媒や高速輪転機の裁断機などが生産出来なくなる。
つまり戦略物資の独占的確保である。
かつてコンゴの内戦はコバルト鉱山の権益をめぐって争われ、ベルギー、フランスなどが落下傘部隊を投入してコバルトを守った。
総額200億ドル、世界一の保険会社AIGのアジアビジネス部門をごっそりいただこうと言うわけだ。
倒産かどうかで揉め続けているベルギー最大の銀行フォーティスにも中国は触手を動かしている報道がある。
ともかく金融危機直後から中国の首脳は「もう海外投資はしない」と言ってきた。
温家宝はロンドンで「米国債を継続的にさらに購入するのは熟慮する」と消極的な姿勢を見せた。それから十日も絶たないが、「米国債の購入継続は規定の方針。中国は購入をやめると人民元高騰に陥るためやむを得ず、米国債購入を続けざるを得ないようだ」(同フィナンシャル・タイムズ。同12日付け)。
中国は積極路線に再転換した可能性がでてきた。
何の問題も無く話が進み、二人であーだこーだいいながら色々考えて。
こちら結婚の予定はあるけどお互い貧乏で貯金もないから、結婚式は挙げたいけどいつになるか、挙げられるかどうかも分からない。
挙げるなら数十人くらい、親戚ひととおりと友人たちという目標でいる。
結婚することになってから一応参考にはしてみようと思ってzexy買ってみたけど今の自分から見ると天文学的な費用だ。
彼氏にも情報として読んでおいてほしかったけどページをめくりもせず。
お金がないからと諦めているのか、興味がないからなのか。
件のゼクシィカップルは式を挙げることを前提に話が進んでいるのもうらやましいし、何より彼氏がノリノリなのが非常にうらやましい。
自分としては結婚式に漠然と憧れはあるし、絶対やらなきゃいけないものじゃないけど挙げた方が親も喜ぶだろう、花嫁姿みせたいという気持ちもある。
かといって何でこんなにお金かかるんだろう、もったいないという思いもある。
6年つきあってるせいもあるかもしれないけど、式のことが曖昧なままだと何か気持ちも盛り下がるなあ・・・
みんなの前で結婚宣言してくれて、とっても嬉しかったんだけど。
seventh heavenっていう言葉があってたしかライブハウス名とか曲名とかに使われていたが、7番目の天国って何のこっちゃと思っとったんだ。
どっかのろくに歌詞を吟味することもない阿呆な歌手が適当に、語呂の良さだけで作った造語だろうとずっと思っていた。
だが調べたんだが、どうやらユダヤ教や、昔の宇宙観に由来する、れっきとした言葉だった。
現在は天にも昇るような気持ちを表現するが、元々は7階層ある天国の最上界であり神と天使が集うところを表す言葉だとか。
7階層ではなく9階層と考えられていた時代OR理論?もあったとか。
まだ調査中。
追記;
宇宙観というか天文学か。しかし中世なんかは、星をそのまま天:神の世界のものと考えていたり、いまでもheavenly bodyといえば天体を表すし、当時にしてみれば似たようなものなのか。
用例:I'm in seventh heaven.
ちなみに
I'm on cloud nine.
でも無上の幸福を表す。由来は同じ感じ。
思っているっていうか、、筋のとおった試算じゃない。
ただ、国の場合、事実上支払い能力は無限大なので払う気があるかないかだけの問題。
http://www.genron-npo.net/library_politics/000416.html
天文学的な債務を抱えながらも、高いインフレ率によって見かけ上の債務比率上昇を抑えているトルコでさえ、自国通貨での支払いに支障はない。また、債務不履行を選択したロシアでさえ、実際にはルーブルによる支払い能力を有していた。
国である以上、支払い能力がなくなることはない。
これは違う。
日本の国債が評価が低いのは支払い能力が問われているわけではない。
投資先として日本の国債を買うのもボツナワを買うのもたいして変わらんと評価されているに過ぎない。
あくまで投資評価としてだ。
日本はその債権の償還をするために理論上インフレにもっていく可能性がたかい。
外からみればインフレしちゃった国の国債なんてもってたら資産の減少以外のなにものでもない。
現在、日本国債の格付けは、他の先進国諸国と比べると極めて低いが、どの格付け会社も「返済能力が高い」という見解は崩していない。
たぶんこっちが一般的な見方。
特に日本の場合、まだ国内の金融資産が多くのこっているので、ぶっちゃけ税率あげて庶民のお金を全部召し上げることによりまだ返済することができる。だから、国としての返済能力はまだ高い。
怖いじゃん、そんな国の国債持つのって。。。
そう評価されるのはしょうがない気がするな。
追記:
なんかA2とかAA-とかに違和感があったが、2002年の記事じゃん。
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/mnews/20040325mh03.htm
去年の4月ごろに一旦上がったんだけどね・・・。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe5600/news/20070913ib21.htm
このサブプライム以降の景況感の悪化と、経済危機でどうなるかわからん。
あるいみB目前・・・。
そういえばそろそろか?
リビングにファッション誌PSが置いてあった。どうやら妹が読んでいる雑誌のようだ。
手にとってパラパラっと読んでいたら、「初めての夜」STORYというのが目に留まった。
どんな初々しいことが書いてあるんだろ?とワクテカしながら読んでいたら、
初めてなのにイッた、同時に達した、「触って・・・」と懇願、着物プレイ、学校で、と、
中でも最高なのがコレ。
話を要約すると、
A子の通う学校は必ず部活に入らねばならず、帰宅部希望は実質休部状態の天文学部に入るのが常だそう。
その年の入部はA子とB男だけで、天文台で星を眺めているうちに、気がついたらちちくりあっており、
学校で制服を着たままするという背徳感にゾクゾクし、初めてというのを忘れ感じまくっていたんだとか。
帰宅部希望が2人とかありえねー、とか思いつつも、「その後の2人」がもっと面白い。
以下、全文、そのまま抜粋。
卒業と同時に音信不通に。「彼とは天文台じゃないと感じないのかも」と自己分析。
彼とは天文台じゃないと感じないってなんやねん!
4月末の夕暮れ時の星は美しい、と青春を感じたちょっとした美談だったのに!
天文台、星、入部は2人だけ、という乙女チックなロマンティックワード満載だったのに!
それなのに、
オチは、ただのお猿な2人かよ!
そんな2人にこの歌を捧げよう。
午前二時 フミキリに 望遠鏡を担いでった(実際は、午後2時過ぎくらい?)
ベルトに結んだラジオ 雨は降らないらしい(雨が降らなくてよかったね)
二分後に君が来た 大袈裟な荷物しょって来た(授業おつかれっす)
始めようか天体観測 ほうき星を探して(新ジャンル:天体観測プレイ)
深い闇に飲まれないように 精一杯だった(夜になって校門が閉まる前に、学校出ないとね)
君の震える手を 握ろうとした あの日は(ヤリすぎ!若いっていいネ☆)
見えないモノを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ(モノ、アレ、ナニ。表現いろいろ)
静寂を切り裂いて いくつも声が生まれたよ(そりゃ声は出るよねぇ)
明日が僕らを呼んだって 返事もろくにしなかった(明日を教師に変換すると)
「イマ」というほうき星 君と二人追いかけていた(「イク」というほうき星を追いかけていた二人)
論理的思考力というのもそうなんだが要するに集中力と持続力ですよ。
だから、1年かけて絵を仕上げたとか、不利な対局でも投了を認めざるを得ないとこまで
がんばるとか、そういう事と等価な部分はあるでしょう。うんざりするような単純作業を、
完成形をイメージしてこつこつ進めるという事は、「すぐに結果を出すこと」とは矛盾するし、
頭のよい人ほど安直に結果を出すことを求められがちになるけど、みんながそれをやったら
責任のなすりつけあいと業績のかすめとりあいで社会が貧しくなるので。
ただし特に数学をやっときゃよかったと思うのは「数式の読み方」がわからないことです。
オイラー(理系、数学者/天文学者、有神論者)が無意味な数式をディドロ(文系、哲学者、
無神論者)に突きつけて、「ゆえに神は存在する、返答せよ!」と恫喝した、という
ネタがありますが(ちなみに実話ではないそうです)こういう不安感は一介の文系としては
いつも持っています。そうすると、ちょっと数学を知っている人が tips 的なものを書い
たり、最新科学の業績について「わかりやすく」解説した本とかを買って読んで何の役にも
立たないといったことにもなるわけで、そういうのが嫌なら少し勉強したほうがいいです。
まぁなんというか工学的制御の結果として「一定速度」とかを実現している電車の
到着時刻を考えるのに微分方程式は要りませんよね(時刻表を見ればいい)。で、最短
ルートを求めるという「組み合わせ最適化」についていえば数学ができることは
それほど強力ではないし。エンジニアリングがうまくいって世の中に人工物が溢れた
結果が、数学があんまり役に立たない、という現状をもたらしたともいえます。
この「蜘蛛の巣」に喩えられたネットの中には、私が出会うべきコンテンツが必ずどこかにあるはずなのだ。そのページは、リンクという名の見えない糸を密かに張り巡らせて、私が手繰るのを待っている。私の目の前のマシンのメモリにロードされる日を待っている。私も、偶然、若しくは必然として、そんなページに辿り着くことを期待しつつ、自らも見えない糸の網を広げつつ、クリックというたぐり寄せ作業を続ける。
でも、辿り着かないんだ。あるとき見つけた、心に傷を負った女の子のサイトは、私の探しているものにとても近いものだった。そのときはまさにそれだと思ったし、事実、あの短い期間だけを考えればまさにそれだった。私たちは恋をし、求め合い、触れあって、やがて傷を深め、別れた。ほんのひととき、半年ほどのオアシス。結果論でいえば、そこは私の探していたものではなかったし、結果論でいえば、私は辿り着いていなかった。
たぶん、そこはきっと、とても近いところにある。実は毎日毎日足繁く通っているサイトの隠しリンクから行けるのかもしれない。もしかするとなんとなくクリックすることを避けているその先に扉があるのかもしれない。わからないけど、近い気がする。2,3クリックで行ける気がする。その先にあるのは恋かもしれないし、恋ではない出会いかもしれない。仕事かもしれないし、一生の学問かもしれない。あるいは何かのダークサイドかもしれないし、スピリチュアルな何かかもしれない。何かはわからないが私にとって重要な何か。既に近くにある何か。でも、辿り着けなければいくら近くても意味がない。
ひょっとしたら今晩、うとうとした拍子に偶然クリックしたそのリンク先に、それはあるのかもしれない。その確率はしかし、一体どれほど天文学的な数字になるのだろうといぶかしがりつつも、パソコンの前からなかなか離れることができない。
いまやパンツといえばパソコンが頭にかぶるほど周辺機器として定番になりつつあるのですが、それにしたっておれたちはどうもパンツというガジェットがすきすぎる。これは何らかの国家的陰謀が働いているとみるべきではないだろうか。
万人に開かれ、さあ何らかの用途に使用せよ、といわんばかりのパンチラ。このようなものには全く人を惹きつける力がない。天文学的に言い換えるならば、引力を持たない。
しかし、その逆はどうだろう。秘め続けられたパンツが全くの無作為におれたちの前にさらけ出されるときのエネルギーたるや、新星のように唐突に眩く、儚く、人を惹きつけてやまない。この差は一体どこから生まれるのだろうかと考えるに、恐らくエネルギーの蓄積と放出現象ではないだろうか。
常に開かれていればエネルギーの蓄積は行われない。また、人為的なパンチラがかくも世の中に蔓延るのは、適切なタイミングでエネルギーの放出を行い、パンチラという現象の持つエネルギーの暴走を抑えるためなのだろう。ダムの放流と同じ原理なのだ。
だが、どうしたって人為的に完璧に制御することができないエネルギーが存在する。それこそが、原子力と、偶然のパンチラなのだ。こういったエネルギーの蓄積と放出現象は、ときに北極振動のような惑星レベルでの気候変動をも引き起こす。
だが、世界にはこれを遥かに凌いで現在も蓄積中のエネルギー体が存在する。UFOだ。
UFOの存在がおれたちの視界にチラ見えするたびに、特定の雑誌紙面は賑わい、テレビでは3時間特番が組まれる。これだけの人を惹きつける引力エネルギーたるや、相当なものだ。
チラ見えだけでこれだけの引力エネルギーなのですから、UFO、特にアダムスキー型のUFOなど衆目に晒されでもしたら、そのいつも隠されているものが不意に目前に現れるエネルギーたるや、想像を絶する。異常気象どころか、インデペンデンス・デイばりの大異変が起こるにちがいない。
そう考えてみれば、あの下着メーカーのCMで最後に流れる謎の「ジュポポポ??ン」というようなメッセージ、あれも怪しい。あれはフランス語だなどというまことしやかなうわさが流れたが、おれには毎回違って聞こえる。あれは下着メーカーから何者かへ向けた暗号文なのではないか? 例えば、今期のパンツの売り上げを母星へ伝えるような。
そう、これで全てが繋がった。
この結果何が起こるかわからないが、これだけは言える。
女性のみなさん。パンツは隠しすぎると大変なことがおこる! 適度に危険性を発散させてください! 何も変な意味で言っているのではありません。安全保障上の理由なのです! 本当です!
地球の生命、高温化で28億年後に死滅? - ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト(ナショジオ)
地球滅亡は76億年後、回避策は2つ 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
金などの重元素の誕生はどのように。 - 天文学 | 教えて!goo
金(Au)を人工的に作れない理由を教えてください。 - 科学 | 教えて!goo
もし人の悪口を言うならば、自分に返ってくることを予期せよ
人の小過を責めず、
人の陰私をあばかず、
人の旧悪をおもわず。
三者をもって徳を養うべし。
またもって害に遠ざかるべし。
菜根譚 洪自誠
我々は、我々の幸福を我々の外部、他人の評判のうちに求める。
他人はみな軽薄かつ不公平で、嫉妬、気まぐれ、偏見に満ちていることを百も承知なのに、だ。
天体の運動はいくらでも計算できるが、
人の気持ちはとても計算できない
他人の魂の中に何が起こっているか気をつけていないからといって、
そのために不幸になる人はそうたやすく見られるものではない。しかし、
自分自身の魂のうごきを注意深く見守っていない人は必ず不幸になる。
「マスターキートン」第4巻第1話『喜びの壁』より
「なぜ悩むんだね、人間は一生、他人の心などわかるはずもないし、人の死を本当に悲しむことなどできはしない。」
「あなたが奥さんを愛していたのは本当のことだ、それは、あなたの中にあるからだ。」
「でも、奥さんがあなたを愛していたかは、あなたの思いこみだけで、本当には分からない …ましてや、わかりあっていたなんて幻想に過ぎない。」
「自分の中に描いた他人と共に暮らし、ドラマを作り、泣き、悲しみ、死んでいく。」
「いや、これは人間だけではない、鳥や獣もそうかもしれない。」
「しかし人間は、この宇宙よりもずっと広大な宇宙を持っている・・・。」
久々に興味ある話題なので転載してまとめるよ。
巷で蔓延するニセ科学批判。多くの人間の共感を呼んでいるが、実は問題はそう簡単なことではない。
確かに、追試により証左を求めることが出来ない科学は全て『ニセ科学』だ!
と、定義できればこれほど簡単なことはない。
実際、そのような定義が正しいとは思う。
しかし、科学者自身がニセ科学を批判するには人類が築き上げてきた科学は脆弱すぎる。
科学がニセ科学を糾弾できない真の理由はを知るには『進化論』問題を見れば解るだろう。
なぜ進化論がニセ科学かは、具体的に事例を出してゆ行けば自ずと結論がでるのだが、これは実に根が深い問題である。
人と猿は近い種と考えられているが子供を作ることは出来ない。そこには明確な断絶があり、どのような手段で『進化』がこの壁を乗り越えることが出来たかは今だ明確な説明できない
猪から豚が、狼から多種多様な犬が生まれたからといって、進化はあると言うのは紛れも無いニセ科学的な論法である。事、人間に関してはミッシングリンクなどと言う名称までつけて事の解決を図ろうとしているが、これは現在は実証しようがないと認めているに等しい行為である。
進化論をやっかいなニセ科学にしている理由に多種多様な化石の存在がある。
そして、始祖鳥を筆頭に恐竜から鳥が、魚から両生類が、両生類から爬虫類が…と言うように進化したと言われている。しかし、これを証明できるほど遺伝子工学は進歩していないし、結論は別のものであると考えたほうが遥かに健全であろう。今の段階でこの希望的観測を学校の授業に取り入れるのは間違いである。
クローン猫の事例を出せば納得してもらえるだろうか。
恐らく多くの人間は遺伝子が同一なクローンはオリジナルに極めて近い性質であると考えたであろう。
私もそう予測した。
しかし、実際は違った。模様から性格に至るまでそれは明確に別の固体のように振る舞い、一卵性双生児のように極めて近い存在とはならなかった。しかし、同じ遺伝子であることに間違いは無い。細胞の寿命に関する機能が原因ではないかとも言われているが、多くの遺伝学者、識者が予想もしなかった結論がでた。
つまり、当時のクローン技術で予測された結果は正しくはなかったと言うことだ。
科学とは証左できない存在を排除するプロセスを経て初めて機能する具体的事例をここに出した。
しかし進化論では、状況証拠から結論を予測するしか出来ない。これは間違いを必然的に孕む手法であり、何より間違いを正す手段が無い。
更に言えば、進化論を形作る多数の証拠には扱いに困る物も多い。
例えば、中国政府が北京原人は実在すると主張し続ければ北京原人は存在することになる。(証拠が既に紛失してしまったので検証しようがない)
◆進化論の背景
現在、進化論のような理論が提唱されても学会で否定されるであろう。
このような証左を求めることが出来ない存在は現在の科学では入り込む余地がない。
しかし、これは当時の時代背景を考慮に入れなければ説明できない問題である。
実は科学とはアインシュタインの相対性理論をターニングポイントにその性質がガラリと変わっている。
それまでは、科学には無限の可能性があり、明らかに出来ない事象は存在しないと信じられてきた。
しかし、このドイツ出身の物理学者が提唱した相対性理論によって、そのことが明確に否定されてしまったのだ。ビックバンと呼ばれる宇宙開闢以前の時間が存在しない『モノ』の考証を物理学は放棄した。
これは、当時の科学者には相当な衝撃であり、決して受け入れられないと考えた学者も多かった。
しかし、誰一人、論理的にそれに対抗できる概念を作り出すことが出来なかった。
(その残滓がタキオンやエーテルと言えば理解できるだろうか?)
さて、話は戻るが進化論はアインシュタインの相対性理論発表前にダーウィンが提唱した論文が発端になっている。科学が万能であると信じられた時代の遺物。まだ、科学が錬金術と近い間柄だった時代に生まれた存在である。
はっきり言ってしまえば、進化論とはアインシュタインが科学の万能性を否定する以前の学会だからこそ認められた存在であり、これは科学というより歴史学といったほうが良い代物である。
◆本文を書こうと思った背景
ちょうど大阪大学の菊池誠教授の『水からの伝言』でニセ科学が話題になっていたので常々思っていたことを文章にしてみようかと。それまでは、非常にナイーブな問題で、米国のほうではインテリジェント・デザインとかいう物まで生まれてしまうほど議論にさえならない状態だったこの問題に区切りをつけて、科学とニセ科学を明確に分けたい!という衝動から書かれた文章。
伝えたいことは進化論の科学的な証明プロセスはありえない存在であり、進化論を科学と扱うことを否定して貰えればそれでいい。
進化論が流行らせた最大の間違いは何か?と聞かれれば私は獲得形質を挙げる。
既に遺伝学的に否定された獲得形質ではあるが、
この考えが根本となり、ナチスの優生論が生まれ、多くの人間が犠牲となった。
淘汰は自然には起こらず明確な人の意志によって行われたのだ。
(追記)
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20061226222936
実はこの手の話は感情的になる人間が必ずいる。しかし、大事なことは追試をどう行えば進化論が肯定・否定されるかを彼らが提示することはないという事実だ。
私は進化論が間違いだと言っているわけではない。そもそも進化論は否定する必要さえない段階の説なのだと言っているのだ。
タイトルが釣り過ぎという指摘はその通りでございます。賢い貴方に乾杯。
07:41:09-12/27(水)/2006
インテリデザインという不正確な表記をインテリジェント・デザインに訂正
14:11:45-12/27(水)/2006
【A】に対して。
科学の中でも追試が行われ易い分野とそう出ない分野がある。これは、時間スケールが関係しているよ。長い時間をかけて出来るような、天文学や進化の関連では検証が簡単ではないものが多いです。
でも、進化でも検証されてきてる分野はでてきてる。たとえば、大腸菌を使った進化を検証したものでしょう。だから、まったく、追試が出来ないかと言えばそうではない部分も持ち合わせているようです。それ以外にも社会性の昆虫の分野の性比の問題なども進化的な検証から成果を上げていますよ。パルサー天体のようなものもあるくらいだから恐らく、天文も同じでしょう。また、検証が難しくとも現存するデータで理論が正しいかどうかを確かめる為に統計学を利用しているが、20世紀半ばの集団遺伝学を引っ張ったフィッシャーのように統計学へかなり影響を与えたような事も産まれている。
科学ってものは未解決なものをといていく事で知見が深まっていく。未解決な例を上げて、否定する論法は偽科学と科学の関連でよく使われてるが、それでは説得力が乏しい。たとえば、進化が関連しそうな未解決なものを進化的な方法を取り入れずに解けたならそれは一つの有力な考え方になるだろうし、進化を否定する事につながるかもしれない。要するに、他の方法で未解決なものを説明する試みをしてみないと行けないです。もちろん、インテリジェントデザインのように、超自然的な存在がそうしたのだ。と一言で言われたら、変わりの未解決問題の解決説なのかもしれないが、ここで大きな問題は、超自然的な存在を持ち出す事によって、ブラックボックスを常に作ってしまう事にある。
このブラックボックスってのは、何か都合が悪い事があれば、超自然的な存在の影響だと言う捉え方も可能だし、逆に良い事があってもです。そうする事によって、それ以上の知見を求めない事に問題があると考えていますね。もし、超自然的な存在がいたとしたら、知見を深める事をタブーとはしないと思うけど。倫理的な問題はちょっと別だが。思考を止めて盲目的に信じる事がどのような事に通じるかそれは書かなくてもわかる人が多いだろう。
ただ、偽科学と科学の間にある対立で残念なのは、相互理解が全くないところにある。偽科学だと言われてるものたちが科学(=科学的手法)に対して誤解があるし、科学者が偽科学に対して攻撃的なだけのことも多い。科学じゃないけど、感情的な理解を少しはしていかないと理解はされない。情緒と論理の間の対立のようなものだ。ただし、科学への誤解が解ければ、おそらくニセ科学の多くは科学の顔をしないようになるだろう。
【A】に対して。
そもそも一卵性双生児の性格がまったく一緒かというと、そんなことはないわけで、つまり性格は遺伝要因と環境要因のうち後者の影響が大きいと考えられます(通常は似たような環境で育つので近いものになるとは思いますが)。昔の人はいいことを言った。「生みの親より育ての親」
模様については以下を参照のこと
http://plaza.rakuten.co.jp/kemusiro/diary/200608170000/
素人考えで性格も模様も一緒になるはずと考えるのは勝手ですが、みんなもそう思ってたと考えるのはどうかと思います。どちらも知識さえあれば事前に予測できたことです。昔の人はいいことを言った。「下手の考え休むに似たり」
以下蛇足。
この手の文章を読むと、だいたいどういう方面の人かというのが分かるのだけど(インテリジェントデザインがキリスト教右派の主張の焼き直しにしか過ぎないことがバレバレなように)、この文章はどうも分からない。分からない原因は対立概念が書いてないからだと思うのだけど、「進化論」がニセ科学だとするならば、人間その他の生物はどのようにして発生したと考えているのでしょうか。そこを詳しくききたい。
俺にとって「反証可能であるか」「追試可能であるか」どうかなどどうでもよく、
血液型性格判断も、マイナスイオンも、ゲルマニウムも、水への言葉も
「ナゼ」「どのような仕組みで」と言う部分をすっとばしているから「科学ではない」ではない。と言いたい。
「理由はよく分らないのですが、こうするとこうなります」
ではただの経験則であって、万人に通用するかは分らない。
「B型は身勝手だから」「マイナスイオンは体にいいから」「水が人の心(の波動)を受けるから」
全て「どのような仕組みで」をすっ飛ばしている。
だから『科学ではない』これではいかんのか。
ひとつの理由。
偽者と本物が同じ土俵に立つわけにはいかない。
同じ土俵に立って戦えばピエロになるだけ。
科学とはできないを突き詰めるもの。
可能性を夢想するものではない。
科学は万能などではない。
我々にはできないことの方が多すぎる。
だから前提条件が必要なのだ。
空を飛ぶ為には人間が両手を広げてブーンと言うだけでは飛べない。
これは前提条件だ。
「人間が飛べない」というものを証明したものではない。
同じ論点で、宇宙人がいないと断言するのは間違っている。
「宇宙人は少なくとも確認されていない。」
科学からすれば、それ以上でも以下でもない。
それを「居る」と断じる人たちと戦おうとするのが間違っているのだ。
「居る」「居ない」で戦おうとする人たちに
「いまは確認されていないのでは?」と問う声は届かない。
すべてはおまじない程度の可能性。
すべての可能性は否定はしない。
テレビが映るのを不思議と思わないのに幽霊を見るのは特殊な才能だと思っている。
そんなアンテナ感度の違う人たちと同じ土俵で戦えるわけがない。
仮説にもなっていない言説ということなんでしょうか?
かせつ 0 【仮説】
〔hypothesis〕ある現象を理論的に統一して説明するために立てられた経験科学上の仮定。その真偽の検証は、仮説から必然的に演繹(えんえき)された諸命題を実験や観察によるテストで確かめることによってなされる。検証された仮説は法則や理論として公認される。