はてなキーワード: ワイアードとは
Hotwired Japan 1997年〜2006年3月 NTTレゾナント hotwired.goo.ne.jp
WIRED VISION 2007年5月〜2011年1月 株式会社ワイアードビジョン wiredvision.jp
WIRED.JP 2011年1月〜 コンデネット・ジェーピー(Conde Nast Publicaions現地法人) wired.jp
紙媒体
1994年(1995年1月号)〜1998年11月号 同朋舎の関連会社 小林弘人編集長
2011年6月11日(VOL.1)〜2017年12月9日(VOL.30) コンデナスト・ジャパン
2018年11月23日(VOL.31)〜 コンデナスト・ジャパン
職場でプチ話題のばずわーどITC(意識高いカフェ)について前回書いたれいむだよ。
れいむ要素がないというつっこみをうけたので、ゆっゆっと跳ねながら本日も探訪にでかけてみる。俗にいう連載第二回だね。
職場ではITCが話題なんだけどじゃあ逆はどうなんだ? IHC(意識低いカフェ)はあるのか? でも考えてみたらそもそもカフェって言葉自体がおしゃれなものだから意識低くなったりはしないんじゃないかなーすべてのカフェは意識高いんじゃないかな? でもある。あるんだなー今回はそんなIHCを紹介するよ。
れいむの住処は東京東部の23区底辺にあるよ。職場は都心部なのでITが優勢だけど、このへんはまだまだ下町なのでIHもたくさんある。そもそも人間おのずとおしゃれ度には個人差があると思うんだよ。久保帯人師匠みたいにポエミーで霊格の高いソウルはおしゃれ度の高いカフェでお茶が飲めるけど、霊格の低い下町の人間はあんまりにも霊圧の高いカフェに入ると自我が崩壊してしまう。何にせよほどほどの場所が必要なのだ。
とはいえ、23区内では下町とはいっても一応東京都内ではあるのでそこまで乱暴なカフェなどそう多くはなく、代表的なところはプロントとかBekkersとかワイアードくらいか? ドトールやら(ちょっと外れるが)ミスタードーナツなどのファーストフードチェーンなどがその任務にあたっている。みんな普通の顔をして利用しているよ、ゆっゆっ。
最近隣町に大学ができたので学生さん多め。参考書を広げる光景をよく見ることができる。参考書って見てみると不思議だなあ。大学生って色んな種類がいるので、自分が通らなかったルートの読んでる本とかちんぷんかんぷんなんだが、今の大学生って資格受験の参考書とかが多いのかな。それともあれは学校の授業じゃないんだろうか。このあいだ一心不乱にWikiをコピペしてる学生さんを見た。どうでもいいけどAirMacのタッチパッドってコピペにはむいてないデバイスだとおもうんだよなあ。マウスのほうが使いやすいよ。
さてそういう中途半端なチェーン店はいいとして、下町の本格的IHCについて。
IHCとはいえそれって別に侮辱するような意図はないのを断っておきたい。ぽいんぽいんと跳ねながられいむは主張するよ。
本格的IHCは下町的な居心地の良さを追求したカフェなんだよ。いわば、ゆるカフェだよ。いくつかの特徴を紹介するよ。
2)ラテの注文が来ると微妙に手間取る。でも380円でのめる。
3)有線放送ではAKB48がながれる。たまにセイカイノオワリとかいうのが名前の割にはちっとも終末感のないポップスを歌う。
こんな感じの特徴があってれいむのす住処の街には数件確認できたよ。実は意外に居心地が良いのでたまに利用しようと思った。意識は低いけど。顧客の年齢層が高いのもいいかんじだよ。あんまりうるさくないしね。老人多め。そういえばメニューに日本茶が数種類あったなあ。
感銘を受けたのが、ある日のランチが「シラスいり卵かけごはん」「明太子卵かけごはん」「鮭バター卵かけごはん」「ネギだく卵かけごはん」の4択だったことだよ。強い意志を感じたよ。もしかしてIHCっていうのは強い意志でIHなこことを選択したITCなのかもしれない。れいむのカフェめぐりもまだまだ修行が足りないって思ったよ。
つれづれにレスする。
脳みそで再生される記憶に、現物と同じような価値を見出すようになるからかも。言い換えれば、しゃべり、本を読み、文章を書くようになるつれて、言葉からの想像(記憶のコラージュ)だけで興奮できるようになっていくってことじゃないかと思う。
最近おれは、五感から入ってくる情報に良いとか悪いとかの意味づけをせずに、感じ取れるようになれないかと思ってる。たぶん、全然ちがう世界観が生まれる。世界観というよりは、ただただ、ありのままの世界を見てる感覚かもしれない。最近、ホッテントリに上がったワイアードビジョンの記事で、確か、脳の左半球の機能が脳溢血で一時的に失われた女性の学者の話があったけど、彼女いわく、見慣れたハズの自分の手が、熊手のような得体の知れないなにかに見えたんだとか。これなんかは、脳溢血によって「自分の手」を…食べ物を掴んだり、ボールを投げたり、あらゆる仕事をこなす道具…今までそれを使ってきた様々な記憶…そういった意味づけから離れて、見ることができた結果なんじゃないかと思ってる。そういう認識を、病気にならずにしてみたいんだよね。
なんか、昨日沸いてた学歴君とか見てるとかわいそうになってくるんだ。自分で世界に貼り付けたラベルから逃れられなくて苦しむの。その自分中心の手前勝手なラベル貼りで、逆に自分が苦しくなってくることに、彼はいつ気づくのだろうか、とか思っちゃう。世界にどんなラベルを貼るかなんて、個人がいかようにも決められることだというのに。自分のラベルの貼り方が絶対だと思ってるんだ。「これはイイ」「これはイクナイ」「おれのラベルの貼り方が世界一だ。唯一最高の貼り方だ」ってね。でも自分で貼り付けたいラベルを、現実には自分に貼り付けられなくて苦しむ。最高の私像みたいなものがあって、でも現実には、全然それに届かない私がいて、たぶん、彼らは苦しんでる。あるいは、自分に都合のいい形での最高の世界像みたいなものがあって、現実の世界がそれに全然似ていないからといって、嘆き悲しんでみせたりする。場合によっては、こんなにみにくい世界がいけないんだ、おれは悪くないとか言っちゃって、しまいには世界を変えるとかなんとかいって、過激な行動にでたりする。なんだかな、とおもう。醜いだのキレイだのラベルを貼ってるのは自分だということに、こういう人って気づいてないんだ。
クリス・アンダーソン Chris Anderson
「ロングテール」という言葉を初めて提唱したワイアード誌の編集長。
ジョージ・ワシントン大学で物理学の学位を取得し、量子力学と科学ジャーナリズムをカリフォルニア大学バークリー校で学ぶ。ロス・アラモス研究所の調査員、アメリカ運輸省のチーフ・サイエンティストの調査アシスタントを経て、ネイチャー誌、サイエンス誌に就職。その後、英エコノミスト誌に移り、ロンドン、香港、ニューヨークと飛び回り、テクノロジーからビジネスまでの幅広い領域を担当する。2001年にワイアード誌編集長に就任すると、以来同誌を五度「全米雑誌賞」のノミネートに導き、2005年度には「最優秀賞(General Excellence)を獲得。同年には、アドバタイジング・エイジ誌の「エディター・オブ・ザ・イヤー」にも選ばれた。現在はカリフォルニア州バークリーに妻と四人の子どもとともに住んでいる。彼のロングテールに関する考察・最新情報はブログ(www.thelongtail.com)で読むことができる。
増田 Masuda
中卒。自宅警備員。恋人いない歴=年齢。彼の「ろんぐてーる」に関する考察はブログ(http://anond.hatelabo.jp)で読むことが出来る。