はてなキーワード: ニホンザルとは
要するに対案の出し方をみんな親から教わってないんだな
嫌ならNOとしか言えない→だから先に続かなくて生産性がない→NOとしか言わないやつは無能→誰も反論しないor黙って去る
対案の出し方さえ教わってればNOといった後に奇抜なアイデアが凡人からでも天文学的な確率で出るかもしれない
けど日本人は考える能力も友好的な反論の出し方も知らないのでNOと思ったら喧嘩するか黙るか居なくなるかしかない
こんな世の中だから発明が生まれないし東芝みたいなのを社内・社外で誰も叱ろうとしない
最悪の文化だと思う
猿のマウント合戦をするんじゃなくて議題に対して出てくる論は参加者全員の発言だから
2.22猫の日に、けものフレンズEDを含むみゆはんのメジャーデビューCDがプレス・リリースされた。
それに先立つ2.20に、奇跡的な確率を超えて発券された同一番号BIGの問題に関するプレスリリースが出された。
BIGの投票内容(発番)につきまして(2017.02.20)
http://www.toto-dream.com/press/20170220.html
日ごろからスポーツくじtoto・BIGをご愛顧くださり誠にありがとうございます。
合縁 奇縁 一期一会 袖すり合うも多生の縁
さて、先般インターネット上に『楽天totoサイトにおいて、お客様が第909回BIGを複数回購入した際に、5口分の投票内容が一致していた券面があった。』という事例が掲載されておりました。
この事象につきまして、日本スポーツ振興センター及び『楽天totoサイト』を運営している楽天株式会社において事実確認を行ったところ、実際に販売されていたことを確認いたしました。
また、コンピューターが投票内容(「1」「2」「0」)を発番する際の仕組みにおいて、重複した投票内容の出現はあり得るものであり、
必ず僕らまたどこかで 出会いを果たすだろう
かけがえない 僕と似た君へ
とびっきりの長いお説教は短めにして
どうだろうか、偶然と言うにはあまりにもできすぎている。
しかしニホンザルもランダムタイプで芭蕉の句を詠むのだという。
http://kyoko-np.net/2017022101.html
我々は何故このような文章ができあがったのか究明するため、栃木県に向かった。
「ふわああぁ!いらっしゃぁい!よぉこそぉ↑ジャパリカフェへ~!どうぞどうぞ!ゆっぐりしてってぇ!いやま゛っ↓てたよぉ!やっとお客さんが来てくれたゆぉ!嬉しいなあ!ねえなんにぃのんむぅ 色々あるよぉ、これね、紅茶って言うんだってぇハ↓カセに教えてもらったンの!ここからお湯が出るからそれを使ってにぇ!」
情報系の資格でも取るかと思って本を読んだら、待ち行列の話が載ってた。どうやらよく出るらしい。
しかしモデルの結果が公式的に書いてあるだけで説明がほとんどない。ネットで調べても同様だ。
サル用のいい加減な説明しか無い。日本で待ち行列を必要としているのは主にサルらしい。おそらくニホンザルだな。
英語で調べたら1分で大量に出てきた。
http://www.tkn.tu-berlin.de/curricula/ws0203/ue-kn/qt.pdf
http://www.win.tue.nl/~iadan/queueing.pdf
http://www.s3.kth.se/lcn/courses/2E1624/nain-qt-basics.pdf
http://www.research.rutgers.edu/~xili/cs352/queuing-theory.pdf
どうやら欧米のmonkeyは待ち行列(queueing theory)を必要としてないようだ。
しかし今度は説明が細かすぎる。100ページの英語を読むのはめんどくさすぎる。
マルコフチェーンの一般論とか無くてもなんとかなるだろ。もうちょっと簡潔にしてくれ。
つーか日本のヒトはもうちょっとしっかりしてくれ。なんでサルしかいねーんだよ。
しょうがないから一番上のshort introductionを読む。めんどくせえ。
http://anond.hatelabo.jp/20071102195139
同じ文章を生み出すかっていう、そういう話?
「どうしようもなくバカだ」
船井は重ねて言った。君はむっとして、途方も無く長くまっすぐな廊下を先に歩く禿頭を睨んだ。
「ランダムなアルファベットの中に、いくらシェークスピアの文章が現れようとも、他のノイズから切り出すことをしなければ、それはやはりランダムノイズにしか過ぎんのだ。この場合シェークスピアを取り出す作業こそを創作と、取り出す主体を知性というのではないかね」
船井は振り返りもしないで喋る。
「それにだ、なんでチンパンジーなんだね。ニホンザルだっていいじゃないか。むしろニホンザルの方が。ああ、君は100匹目の猿の話をしらないのか。こういうことだ。ある日宮崎は幸島の一匹の猿が芋を洗うようになった。それを真似した猿が100匹を数えたとき、それは突如として群れ全体の習性となり、更に位置的につながりの無いはずの高崎山の猿までが芋を洗い始めた。集合無意識のなせる現象だな」
船井は突き当たりのドアの前で足を止めた。ドアを開ける。
「ということでだ。芋でもなんでもいい、餌で釣ってタイプライターを叩かせるように仕向けた猿を百匹集める。すると距離を超越して何匹もの猿がタイプライターを叩くようになる。それを集めて意味のある文章を叩いた猿に餌をやると果たしてどうなるか。そんな猿が100万匹いたら?」
船井が半身引いて見せた室内を君は覗き込む。獣の匂いが鼻につく薄暗い部屋は、反対側の壁が消失点の彼方にあって果てが無く、同様に左右の壁も判別できない。規則正しく置かれた机は格子模様を描き、部屋の広さを強調している。ひとつの机につきひとつのタイプライター、一匹の猿。キーキーと鳴き喚く声、カタカタとタイプ、チーンとリターンの音。君は息を止める。
部屋のドアが開いたのがわかると、猿達はタイプライターに叩きつけていた手を止めた。猿は紙を機械から抜き取るとそれを手に扉口に――君のほうに向かって殺到してきた。君は立ちすくむが、船井は目の前で紙を手にギャアギャアと飛び跳ねる猿めらをにこやかに見渡す。差し出される紙をいちいち受け取って目を通すと、あるものにはポケットから豆を出してやって褒めてやり、またあるものには首を振って紙をさし返す。豆をもらった猿はすぐさま空いた机にとって返し、豆をぼりぼり齧りながらまたタイピングを始める。もらえなかった猿は怒って紙をびりびりに引き裂くと、これまた机を探して占領しタイピングを始めた。もらえなかった猿の中には紙を破っても怒りが収まらず、あたりかまわず糞を投げつけるものもいた。その飛沫を浴びても船井は笑みを崩さず、猿どもの差し出す紙の検査を続けている。そして一段落つくと君のほうを見ていう。
「名作とそうでない物の判別をして、猿に餌をやるだけの簡単なお仕事です」
君は袋いっぱいの豆を手渡される。本当に100万匹いそうなこの部屋の猿に一袋では足りない。ならば本当に選別を、などと思っている間に第二波殺到。差し出される紙にはいずれもアルファベットが打たれており、「Stately, plump Buck Mulligan came from the stairhead, bearing a bowl of lather on which a mirror and a razor lay crossed.」「MARLEY was dead: to begin with. There is no doubt whatever about that.」「In 1913, when Anthony Patch was twenty-five, two years were already gone since irony, the Holy Ghost of this later day, had, theoretically at least, descended upon him.」などと書いてはあるものの君には何のことやらわからず、君がよく知るシェークスピアであるところの「To be, or not to be」だとかは探そうとしても、猿にせっつかれて見つけている余裕が無い。適当に意味のある英文に見えるものに豆を与えていたら、周囲は徐々に剣呑な空気になり、そういえばさっきつき返した紙にはキリル文字が書いてあったんじゃないかということに思い至るも、東欧文学まで原文でフォローできている君であろうはずは無く、殺気立っている猿達に奪われるようにして豆を与えているので袋の豆も尽き、いよいよ進退窮まったと助けを求めて船井の方を見れば、そこにはただ一匹の巨大な猩々がにまにまといやらしい粘着質の笑いを浮かべているだけで、君は脛に飢えた猿の歯が食い込むのを感じて倒れ、毛深い無数の腕が掴みかかり……夢でさえあればそこで目が覚めるはずだったのだけれど。
だから私が代わりにこれを