「尊厳死」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 尊厳死とは

2012-09-12

http://anond.hatelabo.jp/20120912140852

尊厳死導入してるのってオランダだっけ?

その「土壇場で泣いて嫌がる」ってのにはどういう対処が取られてるんだろうね。

http://anond.hatelabo.jp/20120912131254

尊厳死させる」じゃなくて、「尊厳死を選べるようにする」だと思うな。

恥をかきたくない、身内に迷惑をかけたくない、と思ってるお年寄りはたくさんいるよ。

そういう人が尊厳死を選べるようにすることは、クオリティ・オブ・ライフの面からもいいことのはずなのに、なぜかこの議論がタブーなっちゃってるあたりはどうかと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20120912134154

欧米といえば、左胸のところに「救命は要りません、ありがとう」っていう刺青すんの流行った(?)ことあるみたいだね。流行りとかじゃなくて普通にもう根付いてんのかな?

ある程度のトシ行った人が入れるんだって。道端とかで突然ぶっ倒れた時のために。

そういうのが可能なのって何つーの、自己に関する責任とか決定権とかが社会の共通認識としてある程度しっかり固まってるが故だよね。

でもニッポンはそうじゃないじゃん。和をもって貴しとなすの精神からか、意思決定とかめっちゃ苦手じゃんこの国の人は。

そうでなくても「死ぬ」なんてこと受け入れたり消化したりするの大変なのに、「これから受け入れたり消化したりするぞ!」って決めるのがそもそも踏ん切りつかないみたいな感じになるじゃん。

それを法制度化するのって、外部から押し付けるみたいに義務化するみたいにもってくのって、どうなの?

しかおためごかしにも本人の幸福のためでなくて医療費のため


尊厳死制度の整備自体は必要だと思う。

でも「そこから自己決定権を奪ってはアカン」という部分をどうクリアするのかって本当にすごく難しい。

「承諾書類にサインすればいい」くらいまで整えたとしても、土壇場で泣いて嫌がる人って絶対出るし。

カネとか損得だけ見るのは何か違うと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20120912134136

政策的見地っていうか、その根っこにあるべき人道とか人権の面で延命治療(と尊厳死)は語られるべきだと思うけど。

事実、単に「延命治療」に限るなら、老若男女問わず「治る見込みもなく、社会還元することもできない」連中はみんな死ぬべきだしそのための病院は要らないみたいな話になるじゃん。

「老人」に限るのは単に数が多くて財政圧迫要因として占める割合デカからってだけで他に理由ないでしょう?

でもそんな理由で「老人(一定の年齢以上?)の延命は打ち切るけど老人じゃなければ続ける」とか不公平じゃん。ダメじゃん。ってだけ。

個人的には、尊厳死なる意思表示(とその手段)がこの世の中に存在するとか、なぜそんな仕組みが必要とされ整備されたのか尊厳死協会とかあるよね)ってな事は広く知れ渡ればよかろうと思うけども。

でも強いちゃだめだよね、やっぱりね。そんな権利が誰にある?

http://anond.hatelabo.jp/20120912133348

要するに個人的な不公平感ルサンチマンの話ってことだね?

しかし老人をターゲットにしたいからとはいえ、そこで尊厳死を持ち出すのは何というか、頭が悪いね。

http://anond.hatelabo.jp/20120912131254

尊厳死ってのは自ら選ぶものであって義務化するとかして「させる」ものにしてはならんでしょ。

高齢者尊厳死させることの何が悪いのかわからない

自分医療費払って延命するならご勝手にどうぞ。

だが、今後、治る見込みもなく、社会還元することもできないのに

若者」「健常者」に高齢者様の延命費用を払えというのはどうなのよ。

一割負担とか、マジふざけてるわ。高齢者こそ全額負担でいいだろうによ。

http://anond.hatelabo.jp/20120912115733

尊厳死自体は何もわるいこっちゃないだろ

のぶてるは頭が悪すぎて政治家やらないで欲しいが

高齢者の死に方模索すんのは何も悪くない

むしろ今後必須のことだ

NHK尊厳死を美化して放送していた(2012年8月29日クロ現代)

石原伸晃の「年寄り死んでくれ」発言が波紋を呼んでいるが、これって国策だと思う。

NHK2012年8月29日に放送されたクローズアップ現代でも尊厳死を美化して伝えている。

若干のオカルト色を使って、映画おくりびと”的な安心感を演出しながら、要は「爺さんども、死んでくれ」と言っている。

天国からの“お迎え” ~穏やかな看取り(みとり)とは~


「死んだ親父が会いに来た・・・」など、死を間近に体験すると言われる“お迎え”現象についての日本初の学術調査が進んでいる。在宅医療専門医東北大の社会学者たちが、文科省助成を受けて高齢者や遺族500人あまりを調査、自宅で看取られた人の4割が“お迎え”を体験し、そのうちの8割が死への恐れや不安が和らぎ、穏やかに看取られていったことが分かった。その一方で、「生」を追求する過剰な延命治療が、“お迎え”ばかりか、患者が「死」と向き合う妨げになっている現状も浮かび上がった。調査を行った岡部健医師は、「死を受け止める力」に注目した新たな在宅医療模索している。自らも末期ガンを患う岡部医師の活動を通じて、自然な看取りをいかに実現していくのか考える。


http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3238.html

これが国策でなくてなんだと言うのだろう。

公共放送の夜7時のニュースが終わった直後にこの番組は始まる。

ニュースが終わってそのまま見る視聴者を目当てに国や大企業経団連などが言いたいことを代弁している(かなり露骨に)。

長く見ていると分かるがプロパガンダ色が強い番組だ。


前にも野田が生で(台本通りに)出てたし胡散臭さは折紙付だ。

石原総理候補の踏み絵か何かだと思ってやらかしたのか、そうで無いのか。


どっちにしてもこんな団体(NHK様)に払ってやる金は無い。

石原のびてるがバカな理由

報ステ古館とのびてるの会話。

99 :無党派さん:2012/09/12(水) 00:40:44.50 ID:nVuoW5xD

一番やばかったのが福祉・社会保障に関してのトーク

医療費生活費を払えずに苦しんでるお年寄りが増えている」っていう問いかけに対して

「そういう人たちが安楽死ができる施設を作ればいい」という答え

「それは日本法律で禁止されてます!」と突っ込まれるも

「いや僕個人としてはね。老人の尊厳死安楽死って認めるべきだと思うんですね。

『もう俺はここまで生きた!十分だ!』みたいなのを認める制度みたいなのがね。

「僕ね、尊厳死協会に入ろうと思ってるんですよだいぶ前から」と返答

2011-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20110302001223

自殺の主要な問題だった安楽死尊厳死については

終末期医療の発達というかペインコトロールの発達普及で前世からだいぶ変わったね

個人の権利として自殺が認められるかみたいな議論も

医療が原因のものは安楽死尊厳死と分離され、

さらに国がなし崩し的に自殺対策法つくったからもう聞かれなくなっちゃったし・・・

今や自殺は悪かは知らんけど少なくとも非国民の所行だね

増えてるけど

2010-10-12

http://anond.hatelabo.jp/20101012123328

追い詰められた人の自殺とは一緒にして欲しくないよ。

ここについて。

追い詰められた人の都合なんて考えてたら、自殺は止められない。

その人は「死んだ方がラク」なんだから。

自殺を止めるというのは、完全に自己中心的な理由になる。

当人が死ぬ事によって故意に損害を与えようとして「いようがいまいが」あまり関係ない。

利己的な理由に、すこし公益が加わるくらい。


で、もともとの意見は「何故止めるんだ?」なんだから、「金銭的・時間的に負担させられるから止めるんだよ」となる。

理由は個々人でイロイロとあろうが、死ぬのが自己都合なら、止めるのも自己都合だ。

都合同士がぶつかり合うので、(仮に機会が与えられれば)あとは折衝。

死ななくても済むような助力が出来るのか。

それは、そいつが死ぬよりもマシな提案なのか。

借金保証人になるのを、さて何人が受け入れる?)


正直、病院で余命幾ばくもない人間尊厳死を選ぶのだって、親族からしてみれば止めたくなる事もあるだろう。

生きているのに意味が無くても、生きてるのが本当の意味苦痛しか産まなくても、親族は生きて欲しいと願うかもしれない。

何故って、そいつが死ぬのが精神的損害だから。

2010-08-25

根本的な勘違いをされていると思われるので

ホメオパシー信じて死ぬのと同じだよねこれ。

http://d.hatena.ne.jp/ssig33/20100825/1282722071

ホメオパシーの例の事件の問題は、助産師という医療関係者が、K2シロップの非投与という医療怠惰行為を本人又は保護者の説明/了解なく行ったこと

・代替治療の多くが非難されるべきなのは人の弱みにつけ込む悪徳商法となりやすいか

本人が自分で判断できるのであれば、治療方針が科学的であるかは関係ないです

基本的に、転移した膵がんはまず助かる余地がないです

がんは若くて元気な人ほど進行が早いので、今監督のようなケースでは余命は予測がほとんどできないです

少なくとも、抗がん剤治療をしたところで、新しい作品を残すところまで回復するのはありえない

そもそも、抗がん剤治療というのは完全に確立したものではなくて、

いろいろなガンの発生部位、進行度、併発症状などを

少しずつ試しながらある程度効果が確かめられたものを取り入れて

現在進行形で少しづつ進化しているものなんです

それも、多くの場合は早期で転移が少ない状態では有効でも

進行したがんについては非常に難しいのが現状なんです

抗がん剤治療というのは、すごく大変なんです

まず副作用がひどい(事が多い) 本人もつらいし、まわりもつらい

副作用によっては見た目が変わる。

費用面でもバンバン出費がかさむ

本人は早く死にたいと言い出すし、

介助してる側も、こっちのほうが早く死にそうだと

そういう冗談を言いたくなるほど大変です

もちろん、がんになった時点で同じなのかもしれません

抗がん剤治療をしなかった場合でも大変なこともあるでしょう

でも、抗がん剤治療を選択することが絶対の正解ではない

ということもわかって頂きたいのです

患者さん本人とその家族医療従事者がみんな大変な思いをして

ちょっとずつ進化しているのが抗がん治療なんです

最近では医療ミスとして訴えられる訴訟リスクも重なってさらにヤバイ)


代替医療カルト」だなどと言うのは簡単なんですが

現代医療であっても そういうリスクを踏まえて行われていると

いうのを理解して欲しいです


多くの場合で、まず抗がん治療医師が勧めるのは

それが正しい判断である場合がもちろん多いのですが、

保険制度訴訟リスクの問題から、

それ以外の選択肢が許されていないということもあるのです

患者さんにとって、最善の選択ではないと分かっていてもです


科学が絶対であっても、いつか人は死にます

現代医療が最大限の努力をしても

どうにもできない時が必ず来ます

その時にあなたは、どう生きるのか

そして死ぬのか


自分としては

本人の意思と判断が正常である場合には、

むしろ自由度を高めてもいいと思っています

大人というのが自分責任を持てる存在であるならば

自分人生デザインできるように

自分の死にざまをデザインできるように

自由度を高めるのは悪いことではないと思います


医療保険に入るのも、貯金をするのも、ダイエットをするのも、

丸山ワクチンを打つのも、延命治療を選択しないのも

自分費用も含めた責任を負えるようになるのは

けして悪いことではないとおもいます


命の価値という測りようのない責任から

みんなが逃げながら、過度に膨張する倫理

そして国家財政を歪めるほど積み上がる医療費

だれもが来る死

それから逃げないで、だれかのせいにしないで

もう少しだけ自分と向き合って欲しいです

ホスピスを含めた緩和医療への理解が進んで欲しいし

尊厳死ももっと議論の俎上に上がっていいのではないかと思います

監督遺書終末医療のケースを考える上でとても

興味深かったですが、まさかこんな感想を持つ人が居たので

少し長い話を書いてしまいました。

2010-07-16

http://anond.hatelabo.jp/20100716114900

今は尊厳死が選択できるからQOL考慮してみんな気を使ってくれるよ。

ただし尊厳死医師から認められている場合のみね。

2009-11-23

久々に増田に来てみたが

みんな相変わらずで安心したよ。

相変わらず薬は飲んでるし体調は悪いけど、社会復帰はして仕事バリバリやってる。だからといってリア充かっていうとそんなことはなくて、仕事しかしてない。会社の女子とかとは仕事の話はするけど、特に興味はない。若すぎるし。あ、でもちょっとだらしない体はいいな、って思うことはある。でもとくにモーションかけたりしない。しんどいし。うちに帰って眠りたい。それだけ。

あと、世界の全てを恨む、根絶やしにするために生きてきたともいえる俺のルサンチマンはだいぶ解消してきたかもしれない。本気で周りから「最近優しくなりましたね」って言われる。言われるたびにぞっとするけど、事実そうみたいだから仕方ない。

この間「何がしたいんですか」って偉い人にぼんやり聞かれたことがあって、まあ適当に答えたんだけど。俺は何がしたかったんだろうね。

人生の折り返しはもうとっくに過ぎていて、今の体調であれば2年くらいが現役の限界。そこから先は少なくとも入院生活になることは間違いないだろう、と。まだどこが悪いんだかよくわかんないんだよね。それまでは、両親に何かを残してやりたい。海外には連れて行った。ヨーロッパはちょっと難しいなあ。頑張ってみるけど、言語が通じるところじゃないと厳しい(英語はできる)。

親より先に死ぬのは、正直非常にNGだよなあ。でもなあ、延命とかされて脳幹しか生きてない的なことになりかねなくて、それって苦しいならやだなーって。ワガママ聞いてもらえないかしら。こう言うのって尊厳死っていうの?

あー、えーと募集。メンタルおよび各種疾患のチェックをやってくれて、専門の医者に状況紹介してくれる「メタ医者」を探しています。睡眠障害、躁鬱っ気(この2つは医者掛かってる)、喉と口内の炎症&鼻の炎症(約8ヶ月継続)、頻尿(薬の副作用)、目が見えない(メガネの調整不良&乱視調整不良)、耳が聞こえない(軽い難聴)、記憶不良(内容が突然飛ぶ&デジャブ)、胃腸の不良(消化不良、腹痛、リバース)、突然駅のホームで座り込む(たぶん貧血&薬の副作用)、などなど……。改めて書いてみるとぼろぼろだな。なんとなく、このままの暮らしだと余命4年くらいしら。働くのをやめたら余命半年くらいなのは知ってる。もうちょっと長く遊びたいんだけど、なんかいい方法ないかね。

2009-10-21

http://anond.hatelabo.jp/20091021020803

http://anond.hatelabo.jp/20091021021318 はミス...。

用法が正しいかどうか分からないままに、もう一度名乗ります。元増田です。


ダブルスタンダード、とやらには当たらないと思いたい。


どうも「死の概念を与えられる」という言葉を誤解されてしまったみたいなんだけど。

(というか私が『概念』という単語を乱用している感がある)

要するに、誰かに殺される(死の概念を与えられる)っていうことは、厳密には無い、と言いたいんだ。

それは、『生』が消失したということだ。

そう言いたいんだ。


『生(あるいは表象)』の概念の出現と消失

結局、それだけの話なんだと思う。


自然死だろうが、他殺であろうが、望んだ自殺であろうが、尊厳死であろうが。

誰かの『生』が出現し、消失した。


それだけのことなんじゃないかな。

……で、何の話をしていたんだっけ。

そうか、つまり私が言いたいのは。

逃げたい、死にたい、などと言ってる人も、実際に生きている(死んでいない)時点では、生を望んでいるんだと、そう言いたいんだ。

とりあえず、最初はそう言っていたんだけど、もはやこの論点は不要かな。

http://anond.hatelabo.jp/20091021015351

生きてる内に死の欲求が芽生える事は無いけど、

尊厳死の選択が有り、っていうのは、

俺にはダブスタに見える。

ダブスタでないとしたら、

その線引きは微妙絶妙過ぎて

「みんな」には当てはまらない。

少なくとも、俺には共感できない。

 

死が与えられた概念なら、生も与えられた概念だよ。

赤ん坊自分が「生きてる」なんて考えやしないよ。

むしろ、大好きなペットの死何かを通じて、

初めて生を学ばされる子もいるんじゃないかな。

手話の使えたゴリラのココは、誰に教わったものでもない、

彼女の死の概念を話したというよ。

 

話が逸れた。

生きている内に、死んだ先にまで想像力が及ぶ人類種であれば

生きている内に、死ぬ時期を選ぶ欲求が生まれても、

おかしくは無いと思うね。

その欲求を肯定するかどうかとは、また別の話。

http://anond.hatelabo.jp/20091021014511

アリじゃないかな。

結局、『死』っていう概念は、人に与えられたりするものじゃない。

『生』という概念そのものが、消失していくことを言うんだから。

尊厳死にしたって、結局『生』そのものが消失したんだ。

『生』そのものは、誰かに殺されたりなんかしないよ、きっと。

2009-10-20

http://anond.hatelabo.jp/20091020181300

モラルハザードの発生が予想される上に、その解決が難しい、というのは制度運営上致命的かもしれないですね。

尊厳死と絡むけど、特に介護を受けたくない人にとっては義務介護は大変な苦痛だと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20091020173238

尊厳死を認めなくてもフリーライダーがかなり(許容できる範囲まで)少なくなるように思うのですが…

許容できる範囲まで少なくなるであろうことは認めます。

その上で、

1)兵役と同じくこの手の義務を課した場合、サボタージュが続出するので効率が悪い。

特に、十分な技量倫理を備えていない人間介護を行うと

事故(あるいは犯罪)が多発することが予想されます。

子育て支援のために保育園でのボランティアの義務化が非現実的であるのを考えればわかり良いと思います。

2)要介護側が元を取ろうとして、過剰な介護希望するようになる。

「ワシが介護やったときはもっと心を込めて・・・」的な

予測されるのでその辺を手当てする必要があります。

http://anond.hatelabo.jp/20091020171955

元増田です。

とりあえず尊厳死についてはいったん脇に置いておいてもいいですか?

話があさって方角に進んでしまいそうなので。

(ちなみに個人的には尊厳死は賛成です。できるなら自分もそうしたいと思ってます。

「みなさん、さようなら」みたいにマリファナヘロインラリラリになって死にたい

ところで、フリーライダーが増えるのは

人生のうちで介護を受けたい〇年の分だけ介護のつくべし、その時期も長さも自由」

の場合であって

大本の案である

兵役みたいな感じで、60歳以上の人の介護職への従事を国民の義務的負担に。

だと尊厳死を認めなくてもフリーライダーがかなり(許容できる範囲まで)少なくなるように思うのですが…

http://anond.hatelabo.jp/20091020171037

いちおう「尊厳死は認められない」という前提の上で考えていました。

今までの議論が前提の上に行われていたと言うことはそれはそれとしておいておきまして。

現状でも末期で生命維持装置を外すことや、治療を拒否してのホスピスなどが段階的に認められてきた経緯がありますので

尊厳死」が認められるようになるのは時間の問題だと思います。

仮に尊厳死が認められるならば、たぶんそれだけで現在議論?中の介護問題は解決しそうなので

老々共倒れ的な事案はある程度は解決されるでしょうが

フリーライダーが残る限りは介護問題は解決しえないと思います。

http://anond.hatelabo.jp/20091020161719

元増田です。

フリーライダーへの介護を行うことを禁止する法律も出来れば解決



このケースでフリーライダーへの介護の禁止をしてしまうと、

ほとんど尊厳死を認める法律を作るということと等しくなってしまうので、

ちょっと難しいのではないかと思います。

まったくどこにも明記していなかったのにいきなりこんなこと言い出すのもアレなのですが、

いちおう「尊厳死は認められない」という前提の上で考えていました。

(仮に尊厳死が認められるならば、たぶんそれだけで現在議論?中の介護問題は解決しそうなので)

2009-05-15

http://anond.hatelabo.jp/20090515043010

人はどの時代に誰の子供に生まれるか選べません。

不慮の事故と病死を除けば、どう死ぬかということは本人が選べるはずです。

尊厳死というのは、人間の大事な権利なんじゃないかと思ってます。

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