はてなキーワード: 副都心線とは
5月31日に鉄分の濃い有志11人で「大人の遠足」に出かけました。
写真ありきの記述になっているので、時折意味不明なのはご容赦を。
東京メトロの葛西駅集合ということで地下鉄東西線で行ったのですが、ほとんどの電車は水色のラインの電車なのに、偶然にも東葉高額、もとい高速鉄道の電車が。一般の人にはJR中央線に見えるのではないかと。
今日は5月31日。明日6月1日から都営地下鉄が消費税転嫁のため値上げとなります。4月に一斉に足並みを揃えられなかったので、東京メトロはじめ通しのきっぷ(連絡きっぷ)を販売する各社は二度手間を強いられました。
東京メトロの案内ポスター。下の方には各駅間の運賃が掲載されていますがポスターとは思えないフォントサイズ。視力5.0くらいなら読めるかも……
首尾よく集合して、まずは東京メトロが運営する地下鉄博物館へ。
入場券210円。少し前に来た時は自動販売機はPASMO非対応だったと思います。しかしこの自販機、使いづらかった。
スマホ(モバイルSuica)をタッチして、紙の切符を購入。その先には自動改札機が……やっていない。そしてさらに先には有人改札。なんだかよくわからないですが、切符を切ってもらうのはいいものです。
チョキン。
入るとまず出迎えてくれるのが、丸ノ内線の赤い電車です。側面には∞∞∞のような模様(正弦波:サインカーブ)がありますが、塗装ではなくステンレスなのです。ドアが開くところもちゃんと。
普通の電車は電気を天井上の架線から取りますが、丸ノ内線などはレールの横にあるもう一本のレール(第三軌条:サードレール)から電気を取ります。SがShoe(シュー:集電靴)、FはFuse(ヒューズ)だったかな?そして電線の部分以外は「木」!確かにここが金属だったら車内で感電しちゃいますね。こういうマニアックな部分が「大人の遠足」ならではです。
銀座線の集電靴。これは「木」とハッキリわかります。
銀座線の車内。電気が流れている第三軌条の切れ目では、昔車内が暗くなっていて、その時にこのランプが点いたそうです。
・ラインカラーがありません。
・溜池山王駅がありません。
丸ノ内線の車内。運転士側は箱に入っていますが、車掌側は開放的ですね。
日本で一番古い銀座線。開業時から「打子式ATS」という、赤信号を超えた時の緊急停止装置がありました。丸ノ内線では98年まで現役でした。
レールにくっついた白い打子が車体の弁のレバーに当たり、ブレーキ管の空気が吐き出されて非常ブレーキがかかります。
これはなんのためのものかよくわかりませんでした
副都心線開業時の記念PASMO。開業直後は毎日「!」でしたね。
メトロ3本目の日比谷線の開業パンフレット。丸ノ内線の新宿から先は「荻窪線」と言っていました。450億円というのは今のどれくらいにあたるのでしょうね。
東横線との直通は終わってしまいました。
お金を入れると通れる改札口です。実際に試せます(お金は戻ってきます)。
リコ式のつり革。RICO社なんですね。頭を打つと痛いです。
日本人が「たん」をはかなくなって随分たちます。「たばこ」ものめなくなりました。まどは開かないので「かほ」や「て」も出せません。
春場所の案内。当時は11日間だったのでしょうか。
マネキンに何か貼ってあります。固定資産使用シールです。そこに貼らなくても……同行者はべつの場所で、遺跡からの出土品に貼ってあるのを見たことがあると言っていました。
中央線の旧万世橋駅はリニューアルオープンしましたが、銀座線に「万世橋」があったのは知りませんでした。「時代の最尖端を行く雷門直営食堂」とはどのようなものだったのでしょう。
13号線(現副都心線)の工事中のポスター。新宿七丁目、新千駄ヶ谷という仮称でした。
輸送指令室のシミュレーションコーナー。駅でのトラブルにどう対応するか。正解は写真の後に。
正解は「ドアを開けたのち……」でした。お客様第一ではありますが、ダイヤも守らなければいけません。
こういうのを見ると、もともとなんと書いてあったのか「き」になります。
東京メトロでの車内冷房導入は極めて遅く、銀座線、丸ノ内線はスペース的な問題もあって、92年にようやく冷房車両が登場しました。長年、トンネル内の温度上昇を抑えるために、トンネルを冷房して、窓を開けるという形をとっていましたが、その点の展示は見つかりませんでした。
以前の案内表記。「国鉄線」というのが懐かしいです。
銀座線のルーツは、浅草~新橋の東京地下鉄道と、渋谷~新橋の東京高速鉄道です。こちらは東急の総帥、強盗、もとい五島慶太氏が率いる鉄道でした。地下鉄の父、早川徳次氏は経営権を奪われてしまいますが、営団、東京メトロはやはり早川氏や東京地下鉄道を誇りに感じているようです。しかし、百貨店と一体になった渋谷駅は、東京高速鉄道ならではのものではないでしょうか。電車は「三越前」まで直通してしまうのですが。
図書室に立ち寄ります。営団地下鉄の建設史は「東京地下鉄道○○線建設史」のような題名がついていました。年代が下るにつれて、東京の地下は複雑になり、半蔵門線大手町界隈の工事では各所と協定を結んだようです。
営団地下鉄は電車のスタイルや制服などでなかなかの洒落っ気があったのですが、一風変わった「マナーポスター」も有名です。図書室にはマナーポスターをまとめた本もあるので、是非ご一読を。先ほどの空調に関しては「窓を開けよう」というポスターが何度も作られているのがわかりました。
こちらで少し紹介されています。
http://jipangnet.blog.fc2.com/blog-entry-101.html
車体が動く本格的なシミュレーターもあります。写真撮影は自由だがビデオ撮影ご法度というのは、やはり警備対策なのでしょうか。
この「出口」は旧デザインですね。
さて、葛西駅から西葛西駅に移動します。またもや東葉車でした。通過待ちに一枚。
都バス「亀29」系統で亀戸までやってきました。駅は正面の白いのではなく右の茶色いビルでした(笑)。
東武亀戸線。東急世田谷線のようにメディアで取り上げられることも少ない、知る人ぞ知るローカル線です。駅番号は「TS44」東京、もといスカイツリーラインの支線扱いです。
次の目的地はここ。
8000系の電車が短い2両編成でやってきます。おでこに車体番号を書くのが東武流。
もちろん先頭に陣取ります(周囲の乗客の方、すみません)。
途中駅の「東あずま」。他の地名は無かったものか、と思うのは私だけでしょうか。まぁ、日暮里・舎人ライナーの「西新井大師西」駅よりはマシかもしれません。
「津覇車輌」東武にあまり馴染みがない私には、初めて見る銘版でした。
4駅目で終点の曳舟です。たった3.4キロしか走っていません。ここで乗り換えます。
福島県は会津田島駅まで向かう区間快速が通ります。このように、私鉄としては旅情を感じさせる列車が多いのも東武ならではです。
東向島(旧玉ノ井)駅です。この後昔の地図を見て、銘酒屋という言葉が出てくるのですが、そういう意味だったんですね。隣の駅の「鐘ヶ淵」は、For Beautiful Human Lifeのカネボウ、鐘淵紡績のルーツだそうです。
ドイツ有数の観光地、ローテンブルクの背後にそびえる東京スカイツリー(R)。
なんと、ここでは東武博物館名誉館長の花上嘉成氏から、説明を伺うことができました。写真はSL B1形です。
デハ1形5号電車。この斜めの支え棒?も見どころの一つだったそうなのですが、よく聞き取れず、すみません。
窓のブラインドは鎧戸。
上の小窓も開きます。
扉は手動。ゴロゴロと重々しく開閉します。
正面は五枚窓。側面には「草淺←→井新西」の案内がありました。
アルナ工機に保存されていた5700系5703号(前面部)です。搬出、搬入には相当苦労したようです。
戦後まもない1951年(昭和26年)の日光・鬼怒川向け特急、5700形5701号(ネコひげ)。後のデラックスロマンスカー(DRC)の先輩です。前頭部は搬入後に改めて当時の姿に戻したようです。
車内の様子。シートは前後に方向転換できます。あまりの人気に「補助席」も用意されました。デッキには売店も。昭和26年ですよ?
となりの小学校では運動会。土曜日に開催するんですね。実は中庭展示の車両は、小学校の校庭から搬入されたそうです。車両は重く、校庭を傷めてしまうため、校庭の改良工事があるわずかな期間で搬入しなければならなかったそうです。保存への熱意に頭が下がりました。
ロープウェイのゴンドラは生憎見られませんでしたが、搬入の様子が。
東武博物館は動かない車両の展示(静態保存)だけではなく、東武鉄道から車両を買い取って、動く状態での保存(動態保存)も行っています。この列車は貸し切りもできるそうです。6両編成の堂々たる電車の貸し切り!
参考:http://tusrail.seesaa.net/article/394766310.html
東武といえばDRC(デラックスロマンスカー)。カットされていますが、車内に入ることもできます。シート間の間隔が広いことにビックリ。新幹線に初めて乗った時に車両間のドアが自動だったことに驚いた人もいたでしょうが、実はこの自動ドアはDRCが日本初で、この車には「自動扉 AUTOMATIC DOOR」と書いてありましたが、宣伝文句は「○○○○ドア」だったそうです。
その後、博物館の奥の「ウォッチングプロムナード」。観察の小道とは?と思いながら階段を登って行くと、天井の低い、殺風景な、廊下とも部屋ともつかない場所へ。しかし右をみるとそこには窓が!
軽症「あ、スペーシアが通ったヽ(^。^)ノワーイ」
「いやぁわれわれ脚フェチにとっては実にたまらない場所ですなぁ」
模型のパノラマもありましたが、やっぱり東京スカイツリー(R)が……
東向島駅に戻り、東武浅草駅へ。後ろ2両のドアはホームがあるのに開きません。ホーム先端まで行くのは狭すぎるためです。
鉄道グッズをかけたクイズ大会が開かれましたが、難問ぞろいで、13問のクイズの1位は8問正解の方。
■オーソドックスな難問
■ひっかけ問題
「大手民鉄16社中、関東で一番営業キロが長いのは……」「東武!」「……ですが、では2位はどこでしょう?」
「西武」
「京成」
「正解は、東京メトロでした!」
東京メトロが大手民鉄というのを皆、見落としていたのですが、よくよく考えると営団時代から民鉄協に加盟していたわけで、酒が入っていたとはいえまだまだですね……
■マニアック問題
「日本で初めて貫通路に自動ドアを装備した東武DRC。その自動ドアの名称は?」
「マジックドア」
■無茶ぶり問題
「(私が利用する)井の頭線渋谷駅のアベニュー口の営業開始時間は?」
「……アベニュー口ってどこ?」
他にも、参加者の方の最近の武勇伝や懐かしい話を肴に、楽しい時間を過ごしました。
おつかれさまでした。
自分のツイートを転載編集。読み苦しいかもしれませんがご容赦を。
★近年池袋にある豊島丘女子中は女子中御三家に匹敵する偏差値にまで上昇しているが、
「池袋に湘南新宿ライン&副都心線が乗り入れたから偏差値が急上昇」した、という説がある。
大宮・浦和・川越・志木・武蔵小杉・東横線・横浜・・・辺りから通学しやすくなったから、一気に偏差値が上がった
★開成の歴史は詳しく知らないが、千代田線(常磐緩行線)が西日暮里開業して、一気に偏差値が上がった、ということはないか?
というか、山手線(京浜東北線)西日暮里駅自体が、千代田線に合わせて作った新駅だからなあ。
それまでは開成は日暮里又は田端から歩いてた、陸の孤島だった。
西日暮里駅開設で、山手線京浜東北線千代田線で「集客」できるようになったから、開成の偏差値が上がった説。
★男子御三家の中で武蔵が低迷してるのは、立地が山手線の外で、北西方面の中学生以外からは「通学が不便」だからでは?
★灘が名門になった背景には、京阪神間の鉄道インフラの充実が確実に影響している。
灘は住吉(国鉄→JR)、魚崎(阪神)、岡本(阪急)が使える。昔は阪神国道線(路面電車)も利用できた。
ライバルの甲陽は、阪急以外は使いづらい。この辺も影響して偏差値に格差?
昭和40年代に神戸高速鉄道が開業し、山陽や神戸電鉄沿線の子供も灘に通いやすくなった。
灘が東大合格者数が1位になった時期がそれと一致するのは、単なる偶然か?
★近鉄と阪神のなんば直通運転で、従来なら東大寺学園を目指した奈良の秀才が、灘を目指すようになったらしい。
徐々にその効果が出てくるのでは?
★80年代に開成が灘を抜いたのは、「開成が上がった」というよりは「灘が落ちた」というのが正しいのでは?
70年代に関西の繊維とか商社とかがダメになり、本社の東京流出が目立ちはじめ、アッパーミドルの親が東京流出したのも大きい気がする。
★名古屋圏が御三家や灘クラスの難関中学を生み出さない理由の一つに、
「優秀な生徒を効率良く集めるインフラがない」、つまり「鉄道網が首都圏や関西圏より貧弱」という理由もあるのでは?
他にも「アッパーミドルクラスが、従来なら都電エリアに集住してたが、
高度成長以降、郊外にも分散居住するようになり、学区内のアッパーミドル数が減った」影響も無視できない。
★筑駒が躍進した一因に「アッパーミドルクラスの人口重心が日比谷付近から渋谷付近に、南西に移動したから」
という要素はないか?
★「アッパーミドルクラスの人口重心が、中高一貫校の難易度に影響する」仮説が正しければ、
湾岸エリアのタワマン大量供給は、中高一貫校の偏差値を左右する力はある。
★開成の躍進は「アッパーミドルクラスの人口重心西南移動」に反するが、
あれはやはり埼玉や常磐エリアのアッパーミドルクラスを一網打尽にしたんだろうな。まさに西日暮里駅効果
★こうみると、アッパーミドルクラス人口重心論から超然としているラサールって、異質だな。
ラサールの歴史は知らないが、ひょっとして敗戦時に「日本をキリスト教化しよう」と開校したのか?
戦前に、保守の権化のような鹿児島にキリスト教学校設立が認められたとはとても思えない。
鹿児島って廃仏毀釈を徹底して仏教すら否定した土地だから、そういう土地がキリスト教を容認するとは信じられない・・
ラサールが「アッパーミドルクラス人口重心論」を無視して、今でも東大合格者数が上位なのには敬意を表する。
逆に言えば、そこまでして頑張らなければならないほど、鹿児島は保守が強いことを逆説的に証明している。
多分、地元の鹿児島県庁鹿児島市役所鹿児島銀行鹿児島新聞などは、昭和30~40年辺りは「鶴丸高校閥」が強固で、
ラサール出身者はいくらアタマが良くてもなかなか出世出来なかったんだろうな。だから福岡や東京を目指すしかなかった。
ラサールの開校は1950年。つまり最長老のOBでも79歳以下。だから県政界への影響力は鶴丸には遠く及ばない
あえて書くと、「逆説的だが、ラサール高校は鹿児島の保守性のお陰で東大進学校に成長できた」
★久留米付設は孫正義を生み出したが、久留米付設が優秀な背景には、
筑豊や三池の関係で優秀なアッパーミドル層があの辺りに存在した影響もあると思う
(はてなーの自分は、「はてな」というサービスを生み出してくれた近藤氏そして京都大学に感謝している)
★日本の私立中学文化が、日本の高度な鉄道インフラを前提としてるのは紛れもない事実で、
例えば都市内公共交通が未発達なアメリカだと、「公共交通で通学なハイスクール」は成立しない。あるとしたら寄宿舎型?
イギリスとかは寄宿舎型の私立スクールとか盛んですが、あれは都市内交通が首都圏ほど発達しなかった裏返しかもしれない
★鉄道インフラの進展と私立中学高校のレベル推移について、交通社会学?が専門な原武史先生に論文書いて欲しいものだ
すまん言い方がわるかった。
理論上便利になる可能性のある乗り換えは2通りあるが、いずれも代替の、より便利な乗り換え経路がありほとんど使用されていない。
と言いたかったのだ。
半蔵門線・田園都市線渋谷方面の各駅から都営新宿線・京王線新宿方面の各駅への乗り換え経路を駅探で調べ、
第一候補の最初の乗り換え駅を拾った表が以下になる。
つまり、壁がなくなってうれしいのは
しかない。事実上曙橋と半蔵門駅利用者にしかメリットがないのだ。
同様に、都営新宿線本八幡方面から半蔵門線押上方面への乗り換えでやってみると次のようになる。
発駅\着駅 | 大手町 | 三越前 | 水天宮前 | 清澄白河 | 住吉以遠 |
---|---|---|---|---|---|
小川町 | 丸ノ内線淡路町 | 丸ノ内線淡路町 | 丸ノ内線淡路町 | 丸ノ内線淡路町 | 住吉 |
岩本町 | 丸ノ内線淡路町 | 山手線秋葉原 | 神保町 | 大江戸線森下 | 住吉 |
馬喰横山 | 丸ノ内線淡路町 | 総武快速馬喰町 | 神保町 | 大江戸線森下 | 住吉 |
浜町 | 丸ノ内線淡路町 | 総武快速馬喰町 | 神保町 | 大江戸線森下 | 住吉 |
森下 | 丸ノ内線淡路町 | 住吉 | 住吉 | 大江戸線森下 | 住吉 |
菊川 | 住吉 | 住吉 | 住吉 | 住吉 | 住吉 |
住吉以遠 | 住吉 | 住吉 | 住吉 | 住吉 | 住吉 |
... 駅探様は同一ホーム乗り換えとか評価しないようで、神保町乗り換えを出してきますな。
そして神保町乗り換えといっても浜町→水天宮前は徒歩でも同じくらいの時間で到達するので
意味がない。
岩本町・馬喰横山から水天宮前に行くときのみ便利になる可能性があるが
目的地によっては秋葉原・東日本橋から人形町・茅場町に行く手もあるので
メリットのあるケースを探す方が大変だ。
まあ、やるかやらないかでいえばやった方が明らかにいいとは思うのだが
「壁がなくなったことによって乗り換えが便利になりました」
その後副都心線で更に移動、友人宅の最寄駅に着く頃には22時を回っていた。
私は待ち合わせの時間から30分も遅刻して駅に到着したものの、友人はやって来ないし私が送ったメールも返信してこない。
そもそも友人と移動日前日にはメールのやり取りをしていたのも関わらず、その日はメールを一切寄越して来なかった。
そのまま2時間が経過し24時を回ったけれど何も連絡が来なかったので
「アイツは寝たんだな!そうなんだな!全く高校の時は優等生だったから
約束事にはキッチリしていると思っていたがヌルい大学生活でアイツの心もヌルヌルに腐敗したんだな!」
と思うことで自分を納得させることにした。結局その日は某ファーストフード店で一夜を過ごすことにした。
夜が明けると9時頃から1時間毎に電話をかけた、もうヤンデレだと思われても構わない。
それでも彼は電話に出ることがなかった。結局電話がかかってきたのが15時過ぎだった。
私はその頃になると彼に少し愛想を尽かし最寄駅を離れ横浜まで来ていた。一人で観光してカプセルホテルにでも泊まろうかと考えていた時だった。
電話を取ると見知らぬ声が聞こえた。彼の父だった。そこで友人の自殺を聞いた。
あまりに突然の訃報だったので気持ちの整理がつかず、私はその日に新幹線で下宿に帰って、寝た。
何年も泣いてないので涙すら出なかった。
最初は気が動転して誰かから殺されたのかと思ったけれど、よくよく考えてみると、まあやっぱり自殺なんだろうなと思う。
こんなことを日記に書いて何になるんだって自分でも思うけれど、自分の中でモヤモヤしたものを文章化することは
それだけで意味のあることだと思うし、文章化を通してこのことに対して気持ちの区切りつけたいという側面もある。
でも、自分の周りに起こった出来事や考えを誰かに伝えたいという面が1番大きいのかもしれない。良く分からない。
この出来事を通して私が言いたいことは一つ、「自殺する人はバカだ」ということである。
名門大学へ進学し、将来も心配も無い・・・わけではないだろうが傍から見て順風満帆な彼がどうして自殺したのかは分からないし
今となってはもちろん追求する気もない。でも何か悩みごとあるなら死ぬ前に私にオブラートに包みながらでもいいから話してくれと思う
解決出来ない可能性の方が高いかもしれないけれど。悩みを共有するのとしないのとの差は大きいんじゃないのかと思う。
私は面白い小説やラノベ、漫画を片っ端から読んで、面白い映画やアニメを片っ端から観て、面白いゲームを片っ端からやって、
行きたい国には片っ端から行って、美味しい食べ物は片っ端から食べ尽し、美人な嫁を持って可愛い子供を生むまでには死んでも死に切れない。
死んだら上に書いたような欲求を満たす行為は何も出来ないんだぞ?誰かと他愛もない会話を交わすことすらできないし、セックスとか言わずもがなだぞ?
魂のみが存在し、現実世界を見ることのできる死後の世界があるならば、私があらゆる欲求をみたしていく様を友人が見ることもあるだろうな・・・
「消費電力をバブル期の水準に戻せば、原発は全廃できる」という人がいる。
確かにバブル期の消費電力は今の3/4程度だから、ちょうど原発を無くしたぐらいの発電量で賄えるだろう。
じゃあ我々がバブル期にどんな生活をしてたか、具体的に列挙してみよう。
まず、ごく一部の金持ち以外は携帯電話(自動車電話、ショルダーホン)を持っていなかったし、
ISDNが始まったのが1988年で、電話回線にモデムを繋げられるようになったのが1985年。
パソコン通信が始まったのがこのくらいの時期。衛星放送はまだ始まっていなかった。
ビデオデッキと電子レンジがようやく半数の家庭に普及した程度。ウォシュレットがある家が珍しかった。
エアコンも一家に一台あればいい方。今みたいに全部の部屋にエアコン付けてる家庭は稀。
家庭用ゲーム機も、今みたいに100Wぐらい電気を食うPS3ではなく、4Wしか電気を食わないファミコン。
会社で仕事するときも、社員全員に1台づつパソコンが行き渡っているわけではなく、
コンビニの店舗数は今の1/4くらいで、ドン・キホーテのような24時間開いている店は珍しかった。
駅にはまだ自動改札がなく、駅員が鋏で切符を切っていた。地下鉄はまだ冷房車がなかった。
青函トンネル、瀬戸大橋が開通したのが1988年。それまではフェリーや連絡船を使っていた。
南北線、大江戸線、副都心線、りんかい線、ゆりかもめ、成田エクスプレス、長野新幹線等の路線は未開業。
何もかもがそのまま20年前に戻るわけではないとしても、消費電力を当時の水準に戻すのは、
実はものすごく大変なことなんじゃないか?
副都心線が話題になっている。
■急いでる時は副都心線に乗ってはいけない
http://jnsk.blog14.fc2.com/blog-entry-535.html
http://d.hatena.ne.jp/sjs7/20080620/1213900524
…ので誰でもすぐ思いつくネタで便乗してみる。
■東京メト○・新線風
http://ume.que.jp/~metro/newline/
例)
■ひづけへんこうせん
■ぜんりつせん
■げんまたいせん
■ふしんせん
■すいません
なんとなくバランスが悪いような気もするけど気にしないで…。
いまいくつかGoogleMapやGoogleMapAPIを使ったサイトを見てて
もしかしたら、と思ってGoogleトランジットで
全く情報引っかからず。
おいおいおいもう開通して3日たってるんですよ。
ヤフー!なんかはとっくに対応してまっせ。
Googleマップを使っているサイト結構多いから何げに目立つような
あとトランジットも使ってる人にとっては痛いかも。
てか、Googleマップの情報更新ってどれくらいの頻度で行われてるんだろう?
追記:
http://anond.hatelabo.jp/20080617153254
明治神宮前や新宿三丁目などで検索するとちゃんと副都心線経由で出てくるので情報自体は持っている模様。
ま、路線検索にに駅すぱあとつかってるからかね。
どうやら既存の駅なら引っかかるんだけど、新しくできた駅だけ対応してないみたい。
副都心線ヤバイ、超ヤバイ
きょうも副都心線乗ったんですよ、そしたらやっぱり遅れまくり、
仕方ないんで、有楽町線に乗ったんスよ。
したら、激混み。ちょー激混み。
まあ何とか発射したら、要町でとまるし。
止まんのはいいけど中途半端なところで止まるし、ドア開かねーし。
んで、すげぇ待たされて、やっと要町の正しい停車位置に到着。
おもわず「ついてなかったのかよ」とかいっちゃうし
おれは三村かっつうの。
和光市より先に行くヒトは、逆向きに乗って池袋で乗り換えレって
ありえないっしょ、普通に考えて。もうマジウケるって。
したら、もうねキレて運転手を怒鳴りつける親父も出てきちゃうし、
もう最高ーに受けるんですけど。
俺小竹なんで、まあいっかと思って待ってたんですけど、
そしたら乗ってた電車が走り出す合図がしたの。
したら、向かいの電車から猛ダッシュして戻ってくる奴が多数、
マジで顔超怖えーよ。
小竹についたらもうヘロヘロ、いつもの倍かかってるし。マジありえねぇ。
副都心線ヤバイ、超ヤバイ