考えずに諦めてるんじゃなくて「わきまえてる」んだよ
ナチス時代のドイツにドイツ人として生まれれば、人間はほぼみんなナチス支持になる
自分でもそうなる
それをわきまえてるから、そうなる前に止めよう、という思考になる
ならば全ての言説は自由に行われるべきだし
キリスト教だと人類全体のこの世の終わりに最後の審判があって、
いい人だけが天国に連れて行かれてその他は残されて永遠に地上を彷徨い続けるって聞きました。
イエズス会ってそういうのないのかな?
ふつう両手使えばなんとか届きませんか?
脱毛機はどうかな?
https://anond.hatelabo.jp/20240615223307
前々から思ってて、さらにこの対談見て確信したけど、暇空さん、地平線の向こう側に勝手に一人で行ってない?
物事の理解や議論の折衷みたいな考え方の1つとして、哲学ではガダマー『真理と方法』(1960年)という本に1つの答えがある。(まあ、人間の脳における「理解」の現代の専門分野は、脳科学や認知心理学(cognitive psychology)に取って代わった感もあるが)
これはどんな考え方かというと、「理解」とは「地平の融合 fusion of horizons」であるという考え方である。
では「地平の融合」とはどういう概念かというと、今まで持ってる知識に新しい知識が合わさってこの中間(水平)にくる、というこの作業が「理解」というシロモノであるといっている。
例えば、新しいモノをわかりやすく理解するために例え話を使ったりするが、これはまさに、新しいモノを事前に知ってる古いモノで例えて理解という作業を試みてるわけである。
さらに、確率・統計に例えるとこの概念はベイズ統計にかなり近い。ベイズ統計では事前に知ってる事前確率(事前情報)に新しい観測データとして尤度(新しい情報)を計算しそれを使って、事後確率(事前確率と尤度の間)へ更新計算をする。「地平の融合」とかなり近い。
この「地平の融合」の考え方は、議論でも重宝される。A案、B案の2案ありそれぞれの立場の議論において、地平の融合により折衷案Cを生み出せるわけある。議論において、この「地平の融合」を目指すべきなんてはこの効用があるためよく言われる(もちろん、トンデモ案は融合を目指す必要なく却下される前提だが)。
で、暇空さんの議論のやり口って、こういった「地平の融合」みたいなのは無さすぎないか?という話である。
人間誰しも多少なりとも偏見(事前情報)を持ってるわけだが、これは他の人や本、ネットなどとのコミュニケーションにより、情報交換が発生し(新しい情報を得る)、多少な偏見は均される(地平の融合)。(情報哲学において情報交換が大事なんて言われるのはこの辺だったりする。)
暇空さんの場合、地平の融合どころか持論展開だけで地平線の向こう側に勝手に一人で行ってないか?
正直、石丸氏もウォッチャーが付くレベルのトンデモなので、こんなのに丸め込まれてる場合かと言いたくるなるが、丸め込まれてる理由はここである。地平線の向こう側に勝手に一人で行っている。
ずいぶん柔軟な関節をお持ちで
ぎんぎん(勃起しない)
そして「狼に襲われたい」という声は都合が悪いので完全無視です
お前に孫はいねーだろ
・おろろん(泣く時に使うんだろうけど、おろろんと泣ける気がしない)
・きゃっきゃ(もうそんな年齢じゃないので)
・そぼろそぼろ(食べ物じゃないよ。泣く時に使うらしい)
・はくしょん(言うて「はくしょん」とは言わなくないか?)
・ぴか/\(「/\」が読めないので使えない)
・ゴゴゴ(ジョジョに出ないと使えない)
他にある?
孫の手使うやで
家庭環境が伺い知れるわね
みたいなこと言ってるのに気づいてるか?
一大コングロマリットでアジアでの奴隷貿易の仕組みづくりに貢献したイエズス会と
どっちがより邪悪だよ
後で反対の立場に立ったとしても免責されるわけないだろ