株とか土地とかの不労所得ってそれを失うことに対するストレスの蓄積が半端ない
親の代から引き継いだとかいうボンボンならそういうストレス無いんだろうけど
頑張って築き上げた不労所得プラットフォームが破壊されるかもしれないと思うと気が気じゃ無い
ずっと何か気がかりになってる感じ
捨てることのできないコップに一滴ずつ水を垂らしてる気分
コップに貯まった水は捨てることができる
どこかでコップから溢れるんじゃ無いかという不安もストレスになる
全然不労じゃない
そもそも表現なんて多かれ少なかれ誰かの心に影響を及ぼす刺激物な訳で、 そういった刺激に対して弱い受け取り手に見れる所(公共の場であったり商業の場であったり)でやるなって話でしかなく
気持ちはわからなくはないんだけど、看護助手がたくさんいる的なのっては必ずしも悪いことではないんじゃないかな
多分、看護助手でもできる作業ってことは要するに資格がなくてもできる仕事ってことじゃん。
全員看護師に対して、助手でもできることも資格者にやらせるなんてことになったら、それこそ
はてなーの嫌う専門家の専門性を尊重した仕事をさせなくてケシカラン的状態になるような気がする。
現状、学校現場なんかは資格がなくてもできるはずの事務作業の類を教員にやらせすぎて叩かれているわけで。
もっと学校事務職員などをたくさん配置しろと言われてるという状態。
大学の先生なんてこないだの共通テストの件を筆頭に、博士号持ってる専門家にやらせるべきとは思えない仕事が多すぎて色々言われている。