情弱乙
https://www.lawson.co.jp/sp/recommend/original/detail/1357776_2168.html
https://www.lawson.co.jp/sp/recommend/original/detail/1338735_2168.html
誰が見てもこれは会社が潰れる とか 本国に怒られますわってレベルなら
エスカレも緊急対応もするだろうけどそれ以外は・・・ってところやな
例えば、トータル億近く使っている製品の納期でそれありなの?対応された事あるやで
当然リスクヘッジしてそこはメインから外したけど、当人もその上司も屁でもないご様子だったと思うで?一切詫び来なかったし
会社としてはアイタタタタタタタタタタだろうけど
そういう情報、社内で拾えてないし、拾う気もないと思う
いまだにできていない。
いや、この文章が投稿できたらそんなことないのだけれど、とにかくわたしは増田に投稿したことがなく、投稿してみたい。
なぜしたことがないかというと、文章を書いたら自分のブログに載せたくなってしまうからだ。
そもそも文章を書くことが得意ではなく、どんどん話が脱線してしまう。つまりひとつのトピックを選んでそれだけを書いていくことが苦手なのだ。でもプロットを作成して下書きを書いてから清書、などということはしたくない。面倒くさいのもあるのだが、なんだかそうやって書いた自分の文章がおもしろく感じられなくて、きっと文章センスみたいなものがまったくといっていいほどないのだと思う。
増田だから所持ブログじゃ書きにくいようなこと人目を気にせず書きたいよね。そんなものわたし持ってないよね。いや、一般にいう書きにくいことはあるのだけれど、べつに隠してないからここで書く必要性もないんだよな。だからたいてい書いてからこれ増田である必要性なくねってなってる。
出なくてもいいよ❤
私には「俺が悪いんだからしょうがない」で色んな気持ちを飲み込むくせがあった。
それが処世術であり、それこそが生きる道だと信じていたのだが、改めて振り返ってみるとこの方法に頼っていると定期的に精神が爆発を起こすことが判明した。
どう考えても自分が悪くない状況で、理不尽な目にあった時、自分が悪いという言い訳によって怒りや悲しみを飲み込むことができなくなったその瞬間、それまでに積み上げてきたストレスが爆発する。
世の中の理不尽は複雑化した社会構造の中で生まれたものばかりなのだから、それらを紐解いていけばどこかしらに「でも、俺も悪いんですよ」で無理やり自分を納得させられる。そう信じていた。
最もシンプルなのが可視不可視を問わぬ階級制度であり、自分の立場が高いことや低いことに無理やり理不尽の原因を持っていけばそれで大抵のことは無理やり飲み込める。この方法論で人間として振る舞いきれると思いこんでいた。
だが今までの人生をゆっくりと振り返ると、どうもそうではないらしい。
「俺が悪い」によって社会にある99%の理不尽は絶えきれるのだが、それには例外があり、その例外にぶち当たった時、溜め込んできたストレスvs精神的余裕 による戦いが始まり、それまでストレスを貯め込むことに疲弊した精神は常にその戦いに負けてきたようだ。
生身の自分で抑えられる程度のストレスしかない環境に身をおくのが一番手っ取り早い気もするが、今の日本にそんな場所を期待するのは難しそうだ。
どんだけ底辺なんだよ
https://mainichi.jp/articles/20190130/k00/00m/040/018000c
エロ漫画の規制の話でも「成人指定の雑誌を出してる出版社やそこで描いてる作家は意識が高くて
時代に合わせてちゃんとルールを守り社会と調和出来る範囲を探りつつその中で売れるよう努力をしているのに
成人指定をつけずグレーゾーンで商売している人たちが安易なチキンレースで市場を荒らしていく」
って話があったけど、実写エロでもそういう構図があるのかな
辞書にも載っているのになぜか関西以外で通じなくなりつつある「また」。
この「また」の用例を考えると、
初対面のサラリーマン同士が「また飲みに行きましょ!」と言って別れる
この使い方が一番しっくりくる。
思うにもともと日本語にあった用法が、関西以外で消えていき、関西に残ったけど若者世代は使わなくなってきてるということなのでは!?
俺も逃亡死刑囚と働いてた自慢がしたい