10年前くらいに鬱で死にかけました。
そんなわたしが色々なことを経験してみたどり着いた5秒で幸せなる方法。
それは、目を閉じて軽く深呼吸して心のなかで「許す」とつぶやくこと。
慢性的な人手不足で月の残業時間は300時間超え。(もちろん手当は雀の涙)
20代後半から5年くらいはまともに休みもなく、いつもお店にいました。
家に帰るとわたしと同じ実家住まいの5つ上の兄、冷え切った夫婦仲の両親。
母がけしかけるせいで父と兄の仲は最悪に悪く、父の一挙手一投足に兄が舌打ちやらいらだちを見せ、家の中は常に緊張の糸が張り詰めている状態でした。
仕事では体力も精神力も尽きるまで働き、家に帰ると親兄弟の顔色を見て釣り糸の上を綱渡りするような生活でした。
兄は極度のマザコンで、父が母を苦しめていることが許せなかったのでしょう。
母も、それがわかっていながらわざと兄の前で父からの仕打ち(といっても正直しょうもないものばかりでしたが)を、さも不幸な様子で語っていました。
(わたしはそれがわかっていたから母の話はほぼ聞き流していました。それがあったからなおさら兄にばかり頼っていたのかもしれませんが)
仕事中、いくら忙してく返事ができないといっても5分おきに着信履歴が溜まり、留守電にはわたしが助けてくれないから不幸になるといったような呪いの言葉が溜まっていました。
(困っているから助けてくれではなくて、わたしが困っているのはあなたが助けれないからだ、というような内容です。母を助けない子供は悪い子。子供に助けてもらえない母は不幸。という呪いです。)
そのままベッドに倒れ込みたい気持ちを我慢して、母からの頼み事を聞きました。大半はしょうもないものばかりです。お金払って業者に来てもらえば終わるものです。
もちろんありがとうはありません。
彼女にしてみればわたしが手助けしなかったせいで不便を強いられていたのですから、直したところで普通を取り戻した気分でしかないのでしょう。
こんな毎日が、終わりを見せる様子もなく続きました。
ある日、いつものようにお店に立っていると入って一ヶ月くらいの新人さんがぎょっとした顔をしてこちらを見ています。
「え?○○さん、どうして泣いているんですか?」
【そんなことはない】そう言い返そうとしても言葉がでてきませんでした。
その時はじめて自分が泣いていることに気が付きました。
泣いていることに気づいた途端に、目からは更に涙が溢れ、何か説明しようにも頭のなかで次から次へと湧いてくる言葉が嵐のように渦巻くばかりで一向に口から出てくることはありませんでした。
わけもわからないままに控室に飛び込むと、次のシフトで出勤予定のこれまた入りたての主婦さんが驚いた様子でこちらを見ていました。
やはり何も説明できずに、ただひたすらに涙が流れる目で相手を見ていると、主婦さんは表情を柔らかくして優しく言いました。
それだけ言うと、わたしの両肩に優しく手を乗せてしょうもない世間話をはじめました。
それは何かに対する愚痴や不満ではなく、毎日のちょっとした発見や何でもない出来事の話でした。
それがどれだけの時間だったのかわたしにはわかりませんでしたが、ようやく嗚咽が止まり状況を説明しようとするとその人はただ「大丈夫よ。わたしに気を使う必要はないから。」とだけ言いました。
途端に新人さんだけをお店に取り残していることを思い出し、お礼もままならずにお店に戻ってしまいました。
次の日、お店の開店準備だけ顔を出すとその日は久しぶりの休みを取ることにしました。
お店に自分がいないことはとにかく不安でしたが、それこそ倒れてでもしまったらどうにもならないと考えたからです。
太陽が明るいうちに街なかを歩くのは本当に久しぶりでした。
ビルの谷間から雲一つない青空を見ていると、自分の心の中も綺麗さっぱりに晴れていくような気がしました。
最初はあえて着信を無視しても、履歴はあっという間にたまり、最後に留守電が一つ入って止まりました。
今まで休むことなく自分を犠牲にしてきて、罪悪感に苛まされながらもやっと取った休みを奪うほどの用事は一体何だ、と。
それを横で聞いていた聞いた兄が、今度は「親に向かってその口の利き方は何だ!」と怒鳴ってきました。
わたしはテーブルをひっくり返しました。目につくもの全てを床にぶちまけて叫びました。
「これでわたしが悪いと言うならわたしには生きている意味がない!xんでやる!」
明らかに二人が動揺したのがわかりました。
それでも兄は強がって「何があった。聞かせてみろ」と言ってきました。
馬鹿か。お前に聞かせてどうなるというのだ。また家族の愛だとか綺麗事を並べてわたしを縛り付けようとしてくるだけではないか。
それ以上何も言わぬ二人をおいて、自室に戻りました。兄も母も追ってはきませんでした。
それまで、正直に言うと何度か死んでしまおうと考えたことがありました。
それができればどんだけ楽になれるか。
でも、そんなことをすれば周りが悲しむし、それ以上に迷惑をかけてしまう。
そう思ってはできるだけ忘れようとしました。
しかし、もちろん状況は一向に良くなっていきません。その思いは段々と強くなってきていました。
だからこそあんなことを口にしたのだと思うのですが、その瞬間に、こんなやつらのために自分の命を犠牲にしようとしてだなんてことが心の底からバカらしくなってしまいました。
誰が言い始めたのかもわからない、そんなつまらない思い込みで自分が追い込まれていたのだと気づいてしまったのです。
「バカバカしい。」
口に出してみると、ここ数年の自分の生活全てが本当にバカバカしく感じられました。
今まで一体何をしていたのだろう。
「あなたが何かを許せないと思うとき、あなたは同時にその何かから許されていない。」という言葉でした。
なぜその時その言葉を思い出したのかわかりませんが、わたしは試しに母と兄を形だけでも許してみることにしました。
父をぞんざいに扱う母も、母にいいように操られて父に苛立ちをみせる兄も、そういうものなのだと存在を許すことにしてみたのです。
すると、頭の中だけのことでも、ある意味ではそんな存在がどうでも良くなりました。
どうでも良くなってみると、いままでそんなことに悩んでいた自分がバカバカしくなりました。
すると、自分が職場にい続けていた理由が、売上が悪かったときにせめて自分がいなかったことを悔やみたくないだけだからだということがわかりました。
(おかしなことを言っているかもしれませんが、つまりはそういう追い込まれ方をしていたのだと思います。)
考えてみれば、わたしが父を嫌いではないのは、父のそういうところを許しているからに他なりません。
なんだか、それまでの人生が、まるで動いてもいない電車の中でひとりだけ転ばないようにと必死に踏ん張っているだけなように思えました。
お店の売上が思うように上がっていかないのも、両親の仲が悪いのも、兄が母にいいように操られているのも、自分に何かできることがあるかもしれないけど、自分のせいではないんだ。
そう思うと、自分という存在を包み込む殻のようなものがすーっと溶けてきて消えていくような気持ちになりました。
あのまま放っておけば、世の中の不幸は全て自分のせいかもしれないと考えていたかもしれません。
言葉が下手で申し訳ないのですが、「いい」「悪い」と、「許す」「許さない」は別のことです。
逆を返せば、すでに存在しているものは、存在を許すことしかできまないのです。
それならば、存在することに頭を痛めるより、存在を許した上でその中で自分が何をすればいいのかを考えたほうが楽ですよね。
そう思ってからは、世の中の大半のことに心を乱されることはなくなりました。
感情に直接働きかけてくるような出来事も少なくありませんが、そういうときはこうします。
1.目を閉じます
4.目を開けて心のなかで「許す」と唱えます
あら不思議。
自分ひとりではどうにも出来ないことを許せないと歯を食いしばるより、それを許した上で、自分はどう生きるかを考えたほうが健全で現実的だからです。
そう思うと、あの主婦さんはあのときの自分をありのままに許してくれていたのかもしれません。
だから余計なことを考えずに済んだし、パニックになっていたのにもかかわらず、なんだかとてもホッとする時間を過ごしていたような気がしました。
いまでは家族とも程よく距離を取り、仕事も繁忙期以外の無用な残業や休日出勤はしなくなりました。
相変わらず残業代は雀の涙ですが、あの頃より家族関係も仕事の成績も良くなり、何より自分の幸せと正面から向き合えるようになりました。
大丈夫。逃げ道はいくらでもあるし、逃げ道の先にも新しい世界は沢山あります。
だらだらとわかりづらいことを書いてしまいましたが、みんなの役に立てるとは思いませんが、誰か一人の役にでも立てたなら本当に幸せです。
そうだね。許さないっていうのは、払ってもらえるあてのない債権を持ち続けてるようなものだから、貸倒れにして損切りをしたら自分が楽になるね。