横から失礼するが
「過酷な労働」の定義を「最も多く価値を生産する義務を負う存在」
っていう形で定義すれば、市場原理主義型資本主義を前提にしても
一応正しいっちゃ正しいんじゃねーの。
大企業型、あるいはアジア型の資本主義に於いては馴染み深いものだと思うけれど。
この定義に強い違和感を感じるのは「資本主義」を共産主義の側のロジックから
「過酷な労働」なんて定義の難しいことを研究する人間は資本主義陣営にはまずいないから
おそらくどの本にも直接おなじことは書かれてないと思うけれど
「株式の自己所有ゼロの代取とか、要するに経営者と労働者の奴隷だよね」
って言い換えれば納得できるんじゃねーかな。
資本主義で、最も過酷な労働を強いられるのは、価値を生み出し社会を引っ張るリーダー。 働いている労働者は、その恩恵にあずかれる。 横だが、すごいこと言いだしたな。 まあ俺...
横から失礼するが 「過酷な労働」の定義を「最も多く価値を生産する義務を負う存在」 っていう形で定義すれば、市場原理主義型資本主義を前提にしても 一応正しいっちゃ正しいんじ...
またおまえか