はてなキーワード: すぎやまこういちとは
ドラゴンボール世代だったし、ドラゴンボールのカードダスめっちゃ集めたり、メンコ(やってたやついる?)でいっぱい遊んだりしていた。
それよりもDrスランプのほうが漫画としては好きだったぐらいで、◯作劇場とかも小さい頃めっちゃ好きだった。
ドラクエのキャラもめっちゃ好きで小学生の頃はスライムとか勇者とかばっかり書いてた。
その鳥山明が亡くなっても正直なんとも思わなかった。
京アニの事件の時とかはアニメ全く見ない勢なんだが残念に思ったし、時々思い出して嫌な気持ちになる。
今見たニュースの、まったく知らなかった藤岡さんという35歳で落馬でなくなった騎手の方の話とかも大変残念に思う。
なぜかを考えてみたんだが、どうやら自分は人間本体には興味がなく、活動をして社会的影響を生み出す装置としてしか見ていないのかもしれない。
若くて社会にいろいろなものを生み出しているピークの頃の方とか、もっと小さいこどもとか若者がなくなるのは大変悲しい。
特に目立った実績がない普通の人でも40代ぐらいの人がなくなると悲しい。
すぎやまこういちも死ぬほど好きだけどなくなった時になんとも思わなかった。
自分の中では作曲家としてのすぎやまこういちはDQ8までだった。
DQ8の直後に死んだら相当悲しんだだろう。
昔のゲーム音楽ははじめから終わりまで全部メロディが切れ目なく流れていて、しかもそれが短い間隔でループするから記憶に残りやすかったんだよな
クラシック音楽も古典派音楽の頃は反復記号が頻繁に使われていた
もちろん記憶に定着させるため
今のゲーム音楽はメロディがあってもずっと歌い続けるような作りにはなっていない
セクションの盛り上がりで中断されることが多い
ずっと同じパートが同じメロディを鳴らし続けるのではなく、複数の楽器が交代しながら、あるいは同時に演奏することで奥行きのあるゲーム音楽になっている従来より(比較的)ポリフォニックになったということだ
もちろん今のゲーム音楽の方が作りとしては良くできているが、ハンバーガーみたいな分かりやすい味付けではない
かつてのゲーム音楽の性質を知っているすぎやまこういちは、それを逆手に取るようにオーケストラで演奏させたんだな
このギャップはハードが進化するにつれて埋まっていき、ついにはストリーミングでオーケストラを鳴らし続けるようになってしまった
めちゃくちゃ楽しく何回も何回も読んだけど、亡くなったことに対してあんまりショックを受けてない自分がいる。
かつての小室哲哉の逮捕とか、すぎやまこういち先生が亡くなったときのほうがショックだった。
なんでだろう?あまりにお馴染みすぎたんかな…。
うわああああああああああああ!
世界最高ナンバーワンの漫画家が死んでしまったあああああああああああ!
うああああああああああああ!
大号泣だあああああああああああああ!!
鳥山明が死んだらだめだろおおおおお!
すぎやまこういちの時もショックだったけどこれはつれえええええ!
ドラクエどうなるんだよおおおおお!
すぎやまこういちが死んだ時点で終わってるよな
JKローリング「性別がないなら同性愛も存在しない。女性の辛苦もなかったことになる。トランスの皆を愛しているけど、性別の概念を無くせば意味ある対話ができなくなる。真実を語ることはヘイトじゃない」
にトランス界隈からの激しい憎悪キャンセルバッシング脅迫が来ているのに
杉田水脈「生産性がない同性愛の人達に皆さんの税金を使って支援をする。どこにそういう大義名分があるんですか」
すぎやまこういち「男性からは言いにくいことをガンガン言っていただくのはありがたいですね」
「正論ですよ」
同性愛の子どもは自殺率が6倍高いと杉田と一緒にゲラゲラ笑ってたすぎやまこういちのドラクエはキャンセルされないし、五輪にも堂々と使われていた。
イデオンって見たことないんだけど、「スペースランナウェイイデオーン・イーデオーンー」だけわかる
ヒロシのひとりキャンプのすすめにて、この曲は「すぎやまこういち」氏によって作曲されたと知る
イデオン、全く見たことがないかと言うとちょっと違って、総集編の映画?を見たことある。だからイデオンソードとかイデーの力が発動するのとか知ってる
ほんで頭おかしい話だなー。というか、なんか霊体みたいなのがいっぱい漂ってるあたりはガンダムだなーって感じがした
学生の頃、みんなで集まって夜中に古いアニメを鑑賞してる時にコレを見て、酒も入ってるから「なんだこりゃー」ってなったなあ。話の筋とかサッパリ覚えてないしわけ分からんかった
でも