はてなキーワード: 駿府城とは
警備の厳しい駿府城に入り込み、家康の家来たちにも捕まえられなかった肉人。この不思議な生き物の正体は、妖怪「ぬっぺふほふ」といわれています。江戸時代の浮世絵師・鳥山石燕が描いた「画図百鬼夜行」にも登場する妖怪です。
これか。
66歳にして16人目の子どもである市姫(いちひめ)をもうけたけど質問ある?
顔はノッブほど精悍じゃないけど家臣や女中たちからは好かれてたよ
瀬名姫はツンツンしてたけどワイに会うときは晴れ着を用意するとかかわいげがあったな
今でいうツンデレじゃな
近頃ときたら気軽に女にされたり、転生させられたりするから困る
まさに幻のようなもんよな
ノッブ殿も転生されたのか!ご壮健そうで何よりでござる。
ジョブスどのは親友でござるからiPhone50くらいまでは知っておる。
そそのかしてはおらぬが、雪斎殿が導いてくれたのじゃよ。
100歳まで生きたというのはそういうことじゃな。
駿府城公園に入ってきた謎のぶよぶよした生き物の記録があるらしいけどそれがなんだったのか知りたいです。
肉人か?
あれは今でいう宇宙人じゃ。
たまたま駿府城に教養のある細川どのが来訪してての、「あれは中国の封じゃ」とゆったもんだから気味が悪いから追い払わせたぞ。
幽才どのがおらぬかったら静岡おでんにして食ってたかもしれんのう。
実は影武者?
それは創作じゃな。わしは影武者はもちろんおったが、あまり必要ではなかった。
わしが鯛の天ぷらで病に臥せった3か月のテキパキとした引継ぎを見ても、影武者にできるレベルの実務ではないことはわかるじゃろ?
武田信玄とやりあったときにうんこもらしたはすだけど、そのときの馬の様子を聞きたい
うんち漏らし達の聖地である増田に投稿したわけど、大先輩としてどんな気持ち?
実際の所、うんこ漏らしたの?漏らしてないの?
せ、戦国武将ならだれでも味噌玉を腰に巻いてたんだからねっ!(震え声)
馬はぶひひーんってゆってたゾ
てかお前らうんち好きすぎ
まあ三河武士が「知行などいりませんから徳川家のために!」という武士の鑑じゃったからのう。
豊臣ヒッデが気前よく大名に知行を与えまくって(例:加賀百万石)自爆したからのう。
大名はせいぜい50万石以下におさえて、天領(直轄地)は500万石になった。
三河は京都に近いが、駿府のほうが江戸と京都どっちにも移動しやすかったからの。
駿府でも三河の麦飯と八丁味噌をわざわざ取り寄せて食しておったぞ。
白米好きな侍女たちは半ばあきれておったがの。
66歳にして16人目の子どもである市姫(いちひめ)をもうけたときは、
「なんじゃ、ワシもまだまだ現役じゃん!」って自信がついたぞ!
静岡おでんを食いたくなったら久能山のほうに行くときもあるが、基本はそのときの気分次第じゃな。
うむ。民政家でゆうと二宮尊徳、藩政でゆうと上杉鷹山。幕政だと吉宗じゃな。
やつらは立派に儂の考えを理解して実行していたぞ。こっちに来たときは大いにほめてつかわした。
手紙とかでおじさん構文とか使うの?
わしはそれほど筆まめではなかったのじゃ。
ノッブ殿や信玄どのは教養があったから文章がうまかったようじゃの。
どちらかというと部下に任せることが多かった。
とくにラブレター系は苦手じゃった。
じゃから側室を口説くときは経験豊富な人妻をメインに攻めたぞ。
とりあえず鯛の天ぷらでもどうぞ
天ぷらの食べ過ぎに気をつけてね
結局天ぷらは何食うたん?
そなたらの気遣い痛み入る。
大坂の陣のあとの鷹狩で、シェフに「うまい天ぷらの具はあるか」って聞いたら鯛がうまいってことで、しばらくハマってしまったのじゃ。
油がよくなかったのかもしれんな。
良い質問じゃな。関ケ原が終わってもまだまだ不安定だったのじゃ。
あのときにキッヨとクロを島津征伐に送ってたら、寝返ったかもしれんからの。
井伊直政がうまくとりなしてくれて事なきを得たぞ。
寵愛していたナッオが関ケ原の鉄砲傷で亡くなったのは悲しかったのう。
衆道は以降きっぱりやめたぞ。
八味地黄丸じゃな。けっこう今の時代でも売ってるようじゃぞ。
66歳でもバリバリ現役じゃ!
大政奉還どう思う?
時代の流れじゃの。詳しくは晴天をつくの大河ドラマで北大路さんの演技で察してくれ。
儂は基本的に軍略も政治も信玄公と同じことをやったが、ワシは20年長生きしたから、
武田家の御親類衆VS勝頼どの側近、の対立構図にならなかった。
わしが早世してたら同じことになってたかもしれんのう。信康もおらんかったしな。
西田敏行の年表とは、日本史に燦然と輝く西田敏行の業績である。
1180 西田敏行、父と共に源頼朝の挙兵に加わり、山木館を襲撃
1561 西田敏行、武田信玄に啄木鳥戦法を献策するも謙信に見抜かれ討ち死に
1600 西田敏行、真田昌幸に進軍を阻まれ西田敏行の叱責を受ける
1605 西田敏行、西田敏行に将軍職を譲り、後に駿府城に移る
1614 西田敏行が西田敏行を「関ヶ原には遅すぎ、大坂には早すぎる!たわけうつけ間抜けーッ!」と怒鳴り付ける
1745 西田敏行、徳川家重に将軍職を譲り、江戸城西の丸に移る
1861 西田敏行、愛加那との間に西田敏行を授かる(ナレーション:西田敏行)
1867 西田敏行、西田敏行に命じられて江戸薩摩藩邸を本拠として江戸市内を混乱させ、薩摩藩邸焼討事件を起こさせる(ナレーション:西田敏行)
1868 薩摩藩の西田敏行らと長州藩の西田敏行らが協力して幕府を倒す(ナレーション:西田敏行)
1877 西南の役で、長州閥西田敏行総指揮の官軍に西田敏行軍は鎮圧され、城山で自刃(ナレーション:西田敏行)
1904 西田敏行、日銀副総裁として日露戦争の戦費を調達する
1904 西田敏行、京都市長に就任し、父である西田敏行のことを、部下に語りだす
https://togetter.com/li/976233
https://dic.nicovideo.jp/a/%E8%A5%BF%E7%94%B0%E6%95%8F%E8%A1%8C%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8
小田原征伐において、秀吉が沼津城に進軍の際、案内役の家康家臣の伊奈忠次が舟橋を架けた。しかし秀吉は、側近の三成の言に従い、用心して渡ろうとしなかった。そこで長政が手勢を率いて先に渡り、舟橋の安全性を証明したという(大道寺友山の『異本落穂集』より)。
同じく小田原征伐の際、秀吉は、家康の居城の駿府城に宿泊する予定であった。しかし同じく三成が「駿河大納言殿(家康)は北条左京(北条氏直)の岳父であり、内応している疑いがございます」と述べた。すると長吉は「大納言殿はそのようなことをされる御方ではない。そんな偽りを信じてはいけませぬ」と秀吉に直言した。秀吉は長吉の言葉を容れて駿府城に入城し、家康から手厚いもてなしを受けたという(『異本落穂集』より)。
秀吉が文禄の役で自ら朝鮮に渡ると言い出した際、三成は「直ちに殿下(秀吉)のための舟を造ります」と述べたが、長吉は「殿下は昔と随分変わられましたな。きっと古狐が殿下にとりついたのでしょう」と述べた。秀吉は激怒して刀を抜いたが、長政は平然と「私の首など何十回刎ねても、天下にどれほどのことがありましょう。そもそも朝鮮出兵により、朝鮮8道・日本60余州が困窮の極みとなり、親、兄弟、夫、子を失い、嘆き哀しむ声に満ちております。ここで殿下が(大軍を率いて)渡海すれば、領国は荒野となり、盗賊が蔓延り、世は乱れましょう。故に、御自らの御渡海はお辞めください」と諫言したという(『常山紀談』)。
石田三成について研究している白川亨は、関ヶ原の戦いの前の長政謹慎事件は、長政や前田利長を三成らの反家康派から分離させようとした家康の陰謀、挑発であるという説を提唱している。長政の嫡子・幸長は三成と犬猿の仲だったため、長政は両者の間で苦悩していたという。
甲州八珍果を定め、甲斐国で果物栽培を奨励したという説があるが、正確なところは明らかになっていない[8]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E9%87%8E%E6%B0%8F#%E6%AD%B4%E4%BB%A3%E5%BD%93%E4%B8%BB
名臣だなあ
妖怪?それとも宇宙人?徳川家康が遭遇しかけた「肉人」の正体とは?
妖怪?それとも宇宙人?徳川家康が遭遇しかけた「肉人」の正体とは?
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徳川家康といえば健康オタクとしても知られています。いくらでも贅沢できる地位にいながら、基本は粗食を中心としていた家康の生活。そんな家康が不思議な生き物と遭遇しかけたのは、駿府城にいたときのこと。
慶長14年、家康が在城していた駿府城内にて、不思議な生き物が発見されました。その姿は子どもほどの大きさで、肉の塊というか肉人ともいえる生き物だったのです。
指のない手で空を指し続ける異様な姿を前にして、家来たちは混乱しました。どうすればいいのかわからず、結局 家康に指示を仰ぐと、「どこか遠くに追いやれ」との命令が。
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家来たちはその肉人を捕まえようとしますが、素早くて捕まえられません。そのため、追いやるようにして山へ追い込みます。
後日、この話を聞いた知識人がいうには、「それは中国の古書『白沢図』に記載されている『封(ほう)』という仙薬だ」とのこと。かなり貴重であり、食せば多力になると語ります。知っている者がいれば家康公に差し上げられたのに、もったいないと口惜しがったそう。
妖怪?それとも宇宙人?徳川家康が遭遇しかけた「肉人」の正体とは?
ですが、家康からしたらいくら健康オタクでも、そんな薄気味の悪いものは欲しくなかったのではないでしょうか。このエピソードは、江戸時代の随筆「一宵話」に記されています。実際に肉人がいたかどうかは定かではありませんが、なんらかの不可解な現象は起こったと考えられます。■肉人の正体は妖怪?それとも宇宙人?
警備の厳しい駿府城に入り込み、家康の家来たちにも捕まえられなかった肉人。この不思議な生き物の正体は、妖怪「ぬっぺふほふ」といわれています。江戸時代の浮世絵師・鳥山石燕が描いた「画図百鬼夜行」にも登場する妖怪です。
妖怪?それとも宇宙人?徳川家康が遭遇しかけた「肉人」の正体とは?
また、幕府の公式記録である「徳川実記」には、肉人と遭遇した日に雲が発光したと記されているそうです。肉人は空を指していたという一宵話のエピソードと、徳川実記に記された発光する雲をUFOだと考えると、もしかして肉人は宇宙人だったのかもというオカルトな展開も想像してしまいます。
ただし、浮浪者が紛れ込んだだけの可能性も考えられます。だとしても、警備が万全だった駿府城に入り込んで捕まえられなかったというも不思議な話ですね。
最初に評価を述べておくと、100点満点なら70点は与えられる出来だ。
『信長の野望』および『三國志』のファンは、新作に対してだいたい脊髄反射的に酷評をつけるものだが、でも近年のシリーズはどれもそんなに悪くないと思うぞ。
本作の最大の特徴は、しばらく採用されてきた空き地に施設を立てていく箱庭内政ではなく、
「商圏」への進出や投資、「農地」への支援などを指示するだけの、より抽象的な内政システムを採用している点にある。
最初は「やることが少なすぎる」と思ったが、続けてみると意外に奥がある。
というのも、本作ではこれまで以上に内政・外交・軍事とが密接にリンクしているからだ。
いわゆる技術ツリーである「方策」の種類も豊富で、どれを習得するかを考えるのはとても楽しい。
(時間をかければほとんど全ての方策を習得できるのは明確な難点だが)
とはいえ、街づくりを進めるのが楽しいというプレイヤーには、どうしても物足りなく感じられるだろうし、
個々の武将へ指示を出すわけではないので、プレイを通してなかなか武将の顔が見えてこないのも残念である。
軍事面は本当によく出来ている。
兵糧の消費が早いので無理な行軍はできないし、足軽を多く雇えばあっというまに資金が枯渇するので、
軍事行動を起こす前から兵を招集しはじめ、終わればすぐさま解散する、といった史実に近い運用になる。
外交も重要で、いざ戦が起きればどちらの味方であるかを表明し、時には兵士を貸したりすることになるので、
どの大名同士と仲良くするのか、あるいは敵対するのか、常に意識せざるを得ないようになっている。
「決戦」も、創造PKをベースにしたリアルタイムの合戦となっていて、特に「作戦」によって戦い方に変化が付くのが良い。
囮部隊で敵軍を引きつける、単独で本陣に切り込む、伏兵で相手を包み込む、といった戦術をお手軽に実現できるのは嬉しいところ。
兵数の削り合いというよりは士気の削り合いになっているのもリアリティがある。
(決戦をスキップできない点について批判を見かけるが、本作は決戦がメインディッシュなのでここをスキップして他に何を楽しむんだと思う。でも退却は欲しい。)
『大志』の売りとして一番に挙げられている敵AIもなかなか上手い。
桶狭間後の今川に徳川で宣戦布告したら、後乗りで今川に宣戦布告した武田がハイエナのように駿府城を取っていったのは笑ってしまった。
おそらく評価が分かれるのが内政に関してで、面倒くさい箱庭よりも簡略化されたこちらのほうが好きだというプレイヤーも多いだろうが、
個人的には、やはり内政でも個々の武将を活躍させたいと思ってしまう。
PKではそのあたりが強化されてくるだろうと期待したい。