はてなキーワード: 朝鮮総督とは
原敬「旧帝国大学を設置して日本全国で高等教育を受けれるようにしました」
後藤新平「関東大震災からの帝都復興。初代満鉄総裁。水道水安全にもしました。あと台湾民政局長やって現地人の文化を大事にして親日派ができる土壌作りました。ついでに郵便ポスト赤くしろって言ったのも俺」
斎藤実「昭和天皇に平和と反戦教えました。朝鮮総督になって文治政治に変えさせて白人植民地学者に「我らと違う」と言わしめて植民地時代にもいいことしたと言える土壌作りました」
岸信介「CIAのスパイです。満州時代、酷いことウッキウキでしてきました」
松岡洋祐「日米諒解案が気に入らなかったので独断で書き直して米国に送ったらハルノート返ってきました。独断で国連脱退しました。独断で日ソ不可侵条約結びました。ヒトラーに心酔して三国同盟推進してナチスと手を組みました」
安倍「最長の総理になりました。お喋り好きで仲間には好かれてます」
好きな方選べ
第一条 学徒ハ尽忠以テ国運ヲ雙肩ニ担ヒ戦時ニ緊切ナル要務ニ挺身シ平素鍛錬セル教育ノ成果ヲ遺憾ナク発揮スルト共ニ智能ノ錬磨ニ力ムルヲ以テ本分トスベシ
第二条 教職員ハ率先垂範学徒ト共ニ戦時ニ緊切ナル要務ヲ挺身シ倶学倶進以テ学徒ノ薫化啓導ノ任ヲ全ウスベシ
第三条 食糧増産、軍需生産、防空防衛、重要研究等戦時ニ緊切ナル要務ニ挺身セシムルト共ニ戦時ニ緊要ナル教育訓練ヲ行フ為学校毎ニ教職員及学徒ヲ以テ学徒隊ヲ組織シ地域毎ニ学徒隊ヲ以テ其ノ連合体ヲ組織スルモノトシ二以上ノ学徒隊ノ一部又ハ全部ガ同一ノ職場ニ於テ挺身スルトキハ文部大臣ノ定ムル場合ヲ除クノ外其ノ職場毎ニ教職員及学徒ヲ以テ学徒隊ヲ組織シ又ハ学徒隊ヲ以テ其ノ連合体ヲ組織スルモノトス
学徒隊及其ノ連合体ノ組織編制、教育訓練、指導監督其ノ他学徒隊及其ノ連合体ニ関シ必要ナル事項ハ文部大臣之ヲ定ム
第四条 戦局ノ推移ニ即応スル学校教育ノ運営ノ為特ニ必要アルトキハ文部大臣ハ其ノ定ムル所ニ依リ教科目及授業時数ニ付特例ヲ設ケ其ノ他学校教育ノ実施ニ関シ特別ノ措置ヲ為スコトヲ得
第五条 戦時ニ際シ特ニ必要アルトキハ学徒ニシテ徴集、召集等ノ事由ニ因リ軍人(陸海軍ノ学生生徒ヲ含ム)ト為リ、戦時ニ緊切ナル要務ニ挺身シテ死亡シ若ハ傷痍ヲ受ケ又ハ戦時ニ緊要ナル専攻学科ヲ修ムルモノハ文部大臣ノ定ムル所ニ依リ正規ノ期間在学セズ又ハ正規ノ試験ヲ受ケザル場合ト雖モ之ヲ卒業(之ニ準ズルモノヲ含ム)セシムルコトヲ得
第六条 本令中文部大臣トアルハ朝鮮ニ在リテハ朝鮮総督、台湾ニ在リテハ台湾総督、関東州及満洲国ニ在リテハ満洲国駐箚特命全権大使、南洋群島ニ在リテハ南洋庁長官トス
附則
・東条英機
近衛内閣で陸相を務め、東条内閣では首相、陸相、内相を兼任。米国に宣戦布告したが、サイパン島陥落の責任を取って辞任した。
陸軍軍人。関東軍参謀として満州事変を起こす。近衛・平沼内閣では陸相を務め、大戦中はシナ派遣軍総参謀長に就任した。
陸軍大将。満州国建国、華北分離工作において中心的役割を果たした。
・松井石根
陸軍軍人。東条内閣で陸軍次官を務めた。ビルマの戦いでは総司令官でありながら、無断で戦線放棄し、日本軍を大混乱に陥らせたにも関わらず大将に昇進した。三奸四愚の一人とされた東條の側近。
・武藤章
陸軍中将。東條の腰巾着として日米開戦の中心的役割を果たした。
・広田弘毅
文官。岡田内閣で外相を務め、広田三原則を決定し、華北分離工作を黙認した。二・二六事件後首相となり、軍部大臣現役武官制を復活した。近衛内閣では外相を務め、日中開戦を黙認した。
・小磯国昭
陸軍大将。米内内閣での拓相ほか、朝鮮総督を務めた。東條の辞任後首相に就任し、戦争を継続した。
・荒木貞夫
陸軍大将。犬養、斉藤内閣で陸相を務めた。皇道派の代表格であったため、二・二六事件後予備役送りになった。近衛・平沼内閣では文相を務め、軍国主義教育を推進した。
陸軍大将。シナ駐屯軍司令官として梅津・何応欽協定を中国に要求した。陸軍次官、関東軍司令官を務めた。ミズーリ号での降伏文書に調印した。
・南次郎
陸軍大将。若槻内閣の陸相として満州事変を起こした。関東軍総司令官や朝鮮総督を務め、内鮮一体化を推進した。
・畑俊六
陸軍大将。阿部・米内内閣で陸相を務めたが、辞職して米内内閣を打倒し、近衛内閣を誕生させた。シナ派遣軍総司令を務めた。
・大島浩
陸軍中将。ドイツ大使館付き武官として日独防共協定の締結、駐独大使として日独伊三国同盟の締結に貢献した。
・鈴木貞一
陸軍中将。近衛・東条内閣で企画院総裁、内閣経済顧問などを務め、戦時経済確立に貢献した。三奸四愚の一人。
・佐藤賢了
陸軍中将。東条内閣では陸軍省軍務局長を務めた。三奸四愚の一人。
陸軍大佐。急進派将校を集めて秘密結社「桜会」を結成、三月事件・十月事件を企画するも失敗。
・平沼騏一郎
山本内閣で法相を務めた。右翼結社国本社を結成。近衛の後を継いで首相に就任したが、独ソ不可侵条約が結ばれると辞職した。
・木戸幸一
近衛内閣の文相、厚相、平沼内閣の内相を務めた。天皇の側近として東條を首相に推薦したが、戦局が不利になると、和平工作に奔走した。
・賀屋興宣
・星野直樹
満州国国務院総務長官、近衛内閣の企画院総裁を務めた。東条内閣では内閣書記官長として東條を支えた。
・白鳥敏夫
・東郷茂徳
東条内閣で外相、拓相を務め、太平洋戦争回避に尽力。鈴木内閣では外相、大東亜相を務め、終戦に尽くした。にも関わらず日米開戦の責任者とされた。
・重光葵
・永野修身
海軍大将。広田内閣で海相を務め、その後、連合艦隊司令長官、軍令部総長を歴任し、戦時中に元帥に就任した。裁判中に急性肺炎で死去した。
・松岡洋右
ジュネーブの国連会議に全権大使として出席し、国連から脱退した。近衛内閣では外相を務め、日独伊三国同盟、日ソ不可侵条約を締結した。裁判中に結核で死去した。
・大川周明
学者。満州事変、二・二六事件、五・一五事件などに連座したほか、「日本二千六百年史」「近世欧羅巴植民史」などを執筆し、軍国主義を主張した。裁判中梅毒による精神異常のため免訴された。
・本庄繁
陸軍大将。関東軍司令官として満州事変を承認。戦後戦犯に指名されたが自決した。
・石原莞爾
陸軍軍人。関東軍参謀として満州事変を起こした。日米開戦に反対し、東条英機と対立したため予備役に編入された。東條との対立、重病のため起訴を免れた。
・近衛文麿
第一次内閣では日中戦争が勃発、近衛声明を発表した。第二次内閣では日独伊三国同盟を締結。戦犯に指名されたが、服毒自殺した。
日本の裁判所が認めた事実認定や、日本の国会が出した解釈や、日本の会社が支払った中国の徴用工への和解金について無知な人が多すぎるので、まとめました。
労働力の不足を補うため、昭和19年に朝鮮総督が、朝鮮在住の朝鮮人に労働を命じました。正当な理由がなくこれを拒絶すると懲役刑を科される、国家による強制的な労働です。その後の日本国内の裁判で「徴用に応じなければ家族が逮捕される」と脅迫されたことや、「寮は有刺鉄線で囲まれ12 畳の部屋に12 人が収容された」「食事は粗末で量も少なく休日も月1、2 回しか与えられなかった」「こん棒で腰部を20 回殴打された」などの事実も認められており、その当時の基準に照らしても安全配慮義務に反する不法な労働と日本の裁判所で認定されています。
日本は連合国とサンフランシスコ平和条約を結び国際社会に復帰しましたが、韓国は「日本と戦争をしていない」という理由でサンフランシスコ平和条約に入りませんでした。
その後、日韓請求権協定が結ばれ、「両締約国及びその国民の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決された」と定められ、特に、「被徴用韓国人の未収金、補償金及びその他請求権の弁済請求」は「日韓請求権協定によって完全かつ最終的に解決された」とされました。
ただし、これは、日本政府は「外交保護権を相互に放棄したものであって個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではない」という公式解釈をしています。つまり、韓国内の日本国民の資産を韓国人から取り戻したかったら、ご自由にどうぞ、でも、日本政府は手伝わないよ、という意味です。
このわかりづらい解釈には理由があります。もっと自然な、「朝鮮人の日本人への請求権を韓国政府が放棄し、朝鮮にあった日本人の資産の請求権を日本政府が放棄した」という解釈にしてしまうと、韓国内の日本人資産の放棄に対して、日本政府が賠償責任を負うことになってしまうからです。
(慰安婦に関してはまた別の話があるのですが、本題でないので触れません。)
平和条約のあとでも宙に浮いていた個人の請求権ですが、連合軍元捕虜への損害賠償を求める米国最高裁の判決で、「サンフランシスコ平和条約第14条によって、戦争の遂行中に日本国およびその国民が取った行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権は放棄されている」という判決が2003年に確定し、話が動き出しました。
2007年には、日本の最高裁が、「サンフランシスコ平和条約の当事者以外の国や地域との間で戦後処理をするにあたっても、(...)条約の枠組みに従う」という判断を示し、サンフランシスコ平和条約に含まれない韓国、中国、フィリピン等の国民からの訴訟も、原告敗訴が決定づけられることになりました。
ただし、最高裁判決には「個別具体的な請求権について債務者側において任意の自発的な対応をすることは妨げられない」と述べ、「被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった一方、上告人(被告企業)は中国人労働者らを強制労働に従事させて相応の利益を受けるなどの諸般の事情にかんがみると、上告人を含む関係者において、本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待される」という「付言」が付きました。
それを受け、西松建設と中国人当事者らの間で、2億5000万円を支払い、補償や未判明者の調査、記念碑の建立、慰霊のための費用などに充てるという和解が成立しました。
旧三菱重工業に対する訴訟で、韓国大法院は、朝鮮人徴用は戦争にかかわるものではなくて、植民地支配にかかわるものだから、サンフランシスコ平和条約とか日韓請求権協定とかとは関係なく、韓国人の請求権は残る、と判示しました。サンフランシスコ平和条約から日本の最高裁判決に至る流れをひっくり返すものになります。
この判決が確定した以上、先日の損害賠償を命じる判決は必然でした。
法律の話で言えば、日本および日本企業に請求権が生じる、というのは疑わしいとは思いますが、一部の日本メディアがいうように韓国の司法はおかしい、とまでは思いません。韓国で徴用し日本で過酷な労働をさせたという事例に対して、日本の最高裁が独占的な管轄権を持つ、というのは自明ではないし、個人請求権がサンフランシスコ平和条約の枠組みに従う、というのもそもそも07年まで不確定だったわけで、議論の余地はあるところだと思います。ただ、韓国の主張は、植民地支配に関して請求権が残っていて、元植民地側の裁判で請求ができるという話なので、これを認めると植民地支配していた欧米諸国がすごく困ります。慰安婦みたいに国際的な広がりを持つことなく、国際法的には日本が勝つのだろうな、と予想しています。あと、請求権協定に定められている仲裁手続きを韓国側が拒絶している、というのはかなり韓国に不利な事実だと思います。
条約の解釈を超えた道義の話で言うと、徴用工に関して日本の様々な裁判所が繰り返し不法行為を認めているのが印象的です(例:01年東京地裁、01年京都地裁、03年東京高裁、96年富山地裁、98年山口地裁、01年大阪地裁、02年大阪高裁、07年名古屋高裁、05年東京高裁、02年福岡地裁、04年福岡高裁、02年広島地裁、04年広島高裁、09年最高裁)。最高裁については先ほど述べましたが、それ以外にも多数の裁判官が自発的な救済を推奨しています。基金などを作って、アジア中の徴用工に対して日本が自発的に補償すべきものなのかもしれません。ですが、和解・癒し財団のたどった運命を見ると、現在の日本と韓国に道義と信義誠実に基づいた基金が作れるとは思いません。韓国はかなりアレだけど、日本側の情報発信も、日本の裁判所の事実認定に比べると、だいぶ偏っているように思います。次の世代が今の世代より賢いことに期待するしかないのかなと個人的には思います。
「歴史的事実を真摯に受け止め、犠牲になった中国人労働者についての問題を解決するよう努力していくべき」(宮崎地裁07 年3 月26 日)
「被害の救済に向け自発的な関係者による適切な救済が期待される」(前橋地裁07 年8 月29 日)
「任意の被害救済が図られることが望ましく、これに向けた関係者の真摯な努力が強く期待される」(仙台高裁09 年11 月20 日)
「ひとりの人間としては、救済しなければならない事件だと思う。心情的には勝たせたいと思っているが、最高裁の判決がある場合には従わざるを得ない。本件のような戦争被害は、裁判以外の方法で解決できたらと思う」(長野地裁06年3月10日)
「被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった一方、被告企業は中国人労働者らを強制労働に従事させて相応の利益を受けるなどの諸般の事情にかんがみると、上告人を含む関係者において、本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待される」(最高裁07 年4 月27日)
50年前に定められた日韓基本条約に反するから、韓国大法院の判決はおかしい、という簡単な話ではありません。時系列で流れを整理します。
労働力の不足を補うため、昭和19年に朝鮮総督が、朝鮮在住の朝鮮人に労働を命じました。正当な理由がなくこれを拒絶すると懲役刑を科される、国家による強制的な労働です。その後の日本国内の裁判で「徴用に応じなければ家族が逮捕される」と脅迫されたことや、「寮は有刺鉄線で囲まれ12 畳の部屋に12 人が収容された」「食事は粗末で量も少なく休日も月1、2 回しか与えられなかった」「こん棒で腰部を20 回殴打された」などの事実も認められており、その当時の基準に照らしても安全配慮義務に反する不法な労働と日本の裁判所で認定されています。
日本は連合国とサンフランシスコ平和条約を結び国際社会に復帰しましたが、韓国は「日本と戦争をしていない」という理由でサンフランシスコ平和条約に入りませんでした。
その後、日韓請求権協定が結ばれ、「両締約国及びその国民の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決された」と定められ、特に、「被徴用韓国人の未収金、補償金及びその他請求権の弁済請求」は「日韓請求権協定によって完全かつ最終的に解決された」とされました。
ただし、これは、日本政府は「外交保護権を相互に放棄したものであって個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではない」という公式解釈をしています。つまり、韓国内の日本国民の資産を韓国人から取り戻したかったら、ご自由にどうぞ、でも、日本政府は手伝わないよ、という意味です。
このわかりづらい解釈には理由があります。もっと自然な、「朝鮮人の日本人への請求権を韓国政府が放棄し、朝鮮にあった日本人の資産の請求権を日本政府が放棄した」という解釈にしてしまうと、韓国内の日本人資産の放棄に対して、日本政府が賠償責任を負うことになってしまうからです。
(慰安婦に関してはまた別の話があるのですが、本題でないので触れません。)
平和条約のあとでも宙に浮いていた個人の請求権ですが、連合軍元捕虜への損害賠償を求める米国最高裁の判決で、「サンフランシスコ平和条約第14条によって、戦争の遂行中に日本国およびその国民が取った行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権は放棄されている」という判決が2003年に確定し、話が動き出しました。
2007年には、日本の最高裁が、「サンフランシスコ平和条約の当事者以外の国や地域との間で戦後処理をするにあたっても、(...)条約の枠組みに従う」という判断を示し、サンフランシスコ平和条約に含まれない韓国、中国、フィリピン等の国民からの訴訟も、原告敗訴が決定づけられることになりました。
ただし、最高裁判決には「個別具体的な請求権について債務者側において任意の自発的な対応をすることは妨げられない」と述べ、「被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった一方、上告人(被告企業)は中国人労働者らを強制労働に従事させて相応の利益を受けるなどの諸般の事情にかんがみると、上告人を含む関係者において、本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待される」という「付言」が付きました。
それを受け、西松建設と中国人当事者らの間で、2億5000万円を支払い、補償や未判明者の調査、記念碑の建立、慰霊のための費用などに充てるという和解が成立しました。
旧三菱重工業に対する訴訟で、韓国大法院は、朝鮮人徴用は戦争にかかわるものではなくて、植民地支配にかかわるものだから、サンフランシスコ平和条約とか日韓請求権協定とかとは関係なく、韓国人の請求権は残る、と判示しました。サンフランシスコ平和条約から日本の最高裁判決に至る流れをひっくり返すものになります。
この判決が確定した以上、先日の損害賠償を命じる判決は必然でした。
法律の話で言えば、日本および日本企業に請求権が生じる、というのは疑わしいとは思いますが、一部の日本メディアがいうように韓国の司法はおかしい、とまでは思いません。韓国で徴用し日本で過酷な労働をさせたという事例に対して、日本の最高裁が独占的な管轄権を持つ、というのは自明ではないし、個人請求権がサンフランシスコ平和条約の枠組みに従う、というのもそもそも07年まで不確定だったわけで、議論の余地はあるところだと思います。ただ、韓国の主張は、植民地支配に関して請求権が残っていて、元植民地側の裁判で請求ができるという話なので、これを認めると植民地支配していた欧米諸国がすごく困ります。慰安婦みたいに国際的な広がりを持つことなく、国際法的には日本が勝つのだろうな、と予想しています。
道義の話で言うと、徴用工に関して日本の様々な裁判所が繰り返し不法行為を認めているのが印象的です(例:01年東京地裁、01年京都地裁、03年東京高裁、96年富山地裁、98年山口地裁、01年大阪地裁、02年大阪高裁、07年名古屋高裁、05年東京高裁、02年福岡地裁、04年福岡高裁、02年広島地裁、04年広島高裁、09年最高裁)。最高裁については先ほど述べましたが、それ以外にも多数の裁判官が自発的な救済を推奨しており、おそらく基金などを作って、アジア中の徴用工に対して日本が自発的に補償すべきものなのであろうな、と個人的には思います。基金を作るのがスムーズに進んでくれたら、と思います。
「歴史的事実を真摯に受け止め、犠牲になった中国人労働者についての問題を解決するよう努力していくべき」(宮崎地裁07 年3 月26 日)
「被害の救済に向け自発的な関係者による適切な救済が期待される」(前橋地裁07 年8 月29 日)
「任意の被害救済が図られることが望ましく、これに向けた関係者の真摯な努力が強く期待される」(仙台高裁09 年11 月20 日)
「ひとりの人間としては、救済しなければならない事件だと思う。心情的には勝たせたいと思っているが、最高裁の判決がある場合には従わざるを得ない。本件のような戦争被害は、裁判以外の方法で解決できたらと思う」(長野地裁06年3月10日)
「被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった一方、被告企業は中国人労働者らを強制労働に従事させて相応の利益を受けるなどの諸般の事情にかんがみると、上告人を含む関係者において、本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待される」(最高裁07 年4 月27日)
なにか問題でも?
(1)外国の医学校を卒業し、又は外国で医師免許を得た者であって、厚生労働大臣が適当と認定したもの 詳細はこちらへ
(2)旧中等学校令(昭和18年勅令第36号)による中等学校の卒業者又は旧専門学校入学者検定規程(大正13年文部省令第22号)により専門学校入学の資格を有するものとして検定された者以上の程度を入学資格とする修業年限3年以上の医学の教習を目的とする学校(医師法第11条第1号及び第43条の規定による大学及び専門学校を除く。)を卒業した者
(3)昭和20年8月15日以前に、朝鮮総督、台湾総督、樺太庁長官、南洋庁長官若しくは満洲国駐剳(さつ)特命全権大使の医師免許を受け、又は領事官の医業免許を受けた日本国民
(4)昭和20年8月15日以前に、朝鮮総督の行った医師試験の第1部試験に合格し、又は満洲国の行った医師考試の第1部考試に及格した者
(5)沖縄の復帰に伴う厚生省関係法令の適用の特別措置等に関する政令(昭和47年政令第108号)第17条第1項の規定により医師法の規定による医師免許を受けたものとみなされる者であって、厚生労働大臣が認定したもの