はてなキーワード: 墓石とは
公明党という先駆者が居る上、統一教会は若者世代が就職率・初任給アップと言う形で果実を享受している「アベノミクス」を陰で支えていたような存在であるため、むしろ肯定的にとらえられている。
ちなみに若者世代は驚くほど創価学会に対しても拒否感がない。信者でもないのに「創価学会を批判する人うざい。直接被害食らったわけでもないのなら黙っててほしい」という19歳の人を見たこともある。
少なくとも近年はほぼ話を聞かない。1年3億円と言われても、あのジャパンライフの1/700。課金ガチャの被害の方がよっぽど大きい。課金ガチャを肯定的にとらえている世代なので統一教会のお布施を否定する理由がない。そもそもお布施が問題だったらキリスト教の礼拝もNGという考え
確かに15年前までは問題があったかもしれない(「あった」という断定ではない)が、近年は聞かない。仏壇や墓石買うのと同じくらいでしかないと捉えられている
左翼政党みたいに「売国」のレベルまでは達していない。日本の主権を奪おうともしていないしそこまで問題ではない。立憲民主党や社会党や共産党の方がよっぽどこの視点では問題がある
彼らは統一教会に対してシュプレヒコールを上げている30代後半以上の世代を冷たい目で見ている。報道も「もう飽きた」である。
どうすればよいのかわからない。
有名なヲタクコールに「私が生まれてきた理由」みたいな言葉が入ってたのを思い出した。
最初こそ馬鹿にしていた。私が生まれてきたのは私が生きる為だ。それを他人に委ねるなんて馬鹿じゃないのかって多少苛立ってもいた。
去年の2月、その人に出会った時。真っ先に「生まれてきた理由!」だと思った。漫画的表現で言えば桜が散っていたし集中線も引かれていたと思う。
その人の声を聞くだけで心臓が高鳴って、その人が笑うだけでなんだか嬉しくなりもした。
幸せだった。
その丁度1ヶ月後の事。
その人は歌を発表した。それもとんでもないクオリティで。
芯の通った力強い歌声のはずなのに、その芯は僅か1mmにも満たないんじゃないかってぐらい細くてその周りで霧を纏っているような歌声だった。
それでも確かにその芯は存在感を放っていて、でも掴もうとすればするほど前後不覚になった。
正直死にそうだった。
私が恋したこの人は、可愛いだけじゃなくカッコ良いのか。どこまで私を惑わせれば気が済むんだ!とFF0アカウントで暴れた事もあったような気がする。
その時からもう、その人以外見れなくなっていた。
夢中だった。
時は過ぎ、つい3ヶ月ぐらい前の事。その人と仲の良い3人組でまた歌が投稿された。
歌だけではなく、今度はダンスも付いてきた。
私は先入観が酷い方で、少し捻った見方をしてしまいそうだった。この人に合うのはもっと夕暮れのような歌だろう!とか、俗な言い方をすれば"エモ"な歌だろう!と。
私は馬鹿だった。
1番初めに歌を聴いたあの時のような、素敵過ぎて冷や汗が出て、指が震え画面スレスレまで前のめりになるような感動。
でも私が心を奪われたあの歌達とは一風変わって、今度は物凄く楽しそうに歌っていた。
不思議なダンスもノリノリでへんてこな動きも、妙ちきりんなのに可愛さ余るその全てを愛おしく思った。
3人でくるくるお互いを追いかけるように回る振り付けの時、楽しさのあまり「えへへっ」と笑っていたその人は、私がそれまで見てきた2年間1番楽しそうだった。
聞き終わったあと、不思議と涙が出ていた。
紛れもなく愛だった。
今までで1番大きな発表。
人間は興奮し過ぎるとつい記憶を無くしてしまう生き物らしい。どこかで聞いた。
卒業するそうだった。
別名義での活動に重きを置くようだった。
私はその別名義も知っていた。
私にはわからない。
別名義のその人は本当にその人なのだろうか。
私は見た目も好きだったけれど、声も話し方も笑い方も、かなり天然な所や意外とズバズバ言う所、ゲームが上手くなくてでも頑張り屋さんで、あぁ。
好きだ。好きだ。
過去形なんかじゃない。好きだ。
好きだ。
なのに、どうして名義が変わるだけで私はこんなにも苦しんでいるのだろうか。
見た目だけが好きだったんじゃない。
わかってる。わかってはいるんだ。
その人が居なくなっても追い続ける事は出来る。
しかも今度は会える形で。
寧ろ喜べばいいぐらいじゃないか!
それなのにどうして、こんなに胸に虚無感が存在しているのか。
虚無感でいっぱいになった胸がキシキシと痛むのか。
結局の所、私はその人を本当の意味で好きだったのでは無かったのだろう、と気付いたのは今朝だった。
泣きながら目が覚めた。
その人のツイートを見て、時が過ぎれば全て消え去り、もう会えないのだと実感した朝だった。
ガラスの割れる音が遠くで聞こえて、何か割れたんだと探しに行こうとした。
前に進もうと地に足をつけた時、強烈な痛みが走った。
ガラス片が大きなまま散らばって、その周りには熱湯が滴る。
持っていたマグカップを落としていたようだった。
自分の中で色んな物がぐちゃぐちゃに壊れていた。
まだ何も整理出来ていない。
今こうやって書いているのさえ、今何を書いたかわかっていない。サラサラと記憶が砂になって消えていくような感覚だ。
こうして書いて、何がしたいのかもわからない。
こんなもの、誰も見ないでくれ。
何にもならない。何にも。
やはり、私はこの人が好きだ。
少し、落ち着いてきた。
この歌、好きだったんだよなぁ。
出会えて良かったな。
うん。
私が好きになったこの人にもう新しいものは増えない。それどころか全てが消え去りその人がここに確かに居た痕跡がほぼ全て、失くなる。
寂しいけれど、お別れを言わなければならない。
書いてた意味がやっとわかった。
メリッサ・キンレンカがここに確かに居たのだと、記したかった。
ここは私なりの、あの人と私の想いの墓石だ。
ここに全て置いていく。
ありがとう、愛している。
私の全てだったその人へ。
ここに全て置いていく。
そして私はこの人生に幕を閉じる。
タイトルのとおりだけど、うちの墓を閉じることにした。ひいじいさんだかそれくらい前の人から5~6人のお骨が納められている。
自分の代で、それ以降この墓を管理できる人間はいない。親と相談の上で、どうせいずれ放棄されるくらいならいまのうちに、と。
ある程度調べていたけれど、墓を閉じるのってかなり面倒な手続きが必要な上、それなりに費用もかかるのな。
改葬の手続きをして、お骨をまとめて、合祀墓に移す。そういう手続とか、移転先の霊場にある程度費用がかかるのはまあ仕方ない。
しかし、墓石の撤去に15万も20万もかかるとは思わなかった。専門業者いわく、産業廃棄物になるので個人では勝手に捨てられないらしい。
いちおう、墓を閉じるにあたって魂を抜くとかの読経をしてもらうことにした。必要ないかもしれないが、親族一同の気持ちの整理のため。
それが終わると、墓はただの石の塊なんじゃないのか。実際廃棄物って言われてるし。