はてなキーワード: インナーチャイルドとは
28にもなると生きづらさを感じて生きてきたことそれ自体がアイデンティティに食い込んでて
私も28歳、自尊感情に欠ける女。職種ももしかしたら同じか?と思う。
自分の場合、一番これかもと思ったのは、インナーチャイルド 本当のあなたを取り戻す方法、という本。色々意見はあると思うが、そうじゃない人が理解できないのは仕方のない事。古い本だから、図書館にあるかも。
他にも読んだが、例えば小さな成功体験を積んで自信をつける、という方法もある。ただ私は物心をついた時から自分に自信がなかった(笑)ので、根本的な対策にならなかった。
大体、生きてりゃ成功体験なんていっぱいある。でも、幸せじゃないし生きづらい。傷ついたり、辛かったり、しぬーつらいーって時ほど、生きてるって感じがした。こういう感情があるから頑張れたので、まぁ悪いばっかりではないと思う。
でももう私ら28じゃん。お堅い職もゲットしたし、もうそろそろ自分を傷つける手を休めて、とは言わないが、緩めてもいい気がする。自分は生きづらくなってしまうのではなく、自ら生きづらくしているという事実に気付けたのは、大きかった。まだ自尊感情は欠けているが、幸せになっても良い、と気付くのが、第一歩かもしれない。
わかるよ。大人になると確かに幸福感が変わる。子供の頃目指していた大人になれていないし。
子供の幸福感の正体ってなにかな?自由に夢を描いたり、欲しいものが手に入ることなんじゃないかな?
だけど大人になると、根拠がない幸せには不安が芽生えてきてしまう。
これは、棚ボタの幸せに一喜一憂することのバカらしさを学んだからじゃないでしょうか?
“何のために”欲しい物を手に入れるのか、手に入れて何ができるのかを考えだした。それは決してネガティブではないと思います。
例えば、子供は「うんこ」とかのリアクションで笑える。ハラハラドキドキの、ワンパターンな映画でも素直に楽しめる。意味やテーマを咀嚼せず、反応しているだけだから。
でも大人になるにつれて(頭が良くなるにつれて)「うんこの何がおもしろいの?」「あの映画と同じテーマだよね」って気づきはじめる。裏側の意味を楽しむようになる。
ワンランク上がるって言い方は語弊を招くかもしれないけど、意味のないものに楽しさや幸せを見いだせなくなった。ただそれだけじゃないかな?
そして、それを受け入れてみるのはどうでしょう。
と言うのは、幸せになろうとするんじゃなくて
ってこと。
大人の幸せは「今の自分を肯定すること」だと思います。今の自分が未来に繋がってるから。今の自分にしっくりきてないのに、バラ色の未来を描くのは難しい。
あなたはそれがわかっているから、バラ色の未来が描けないでいる。頭がいいんだよ。根拠もなくハッピーな未来を夢見るのは、子供だからできること。
だけど不幸だとは思っていない。自己実現はともかく、ある程度の欲求は満ちている。
可もなく不可もなく幸せです。
とか、そこらへんの考え方の根本的な部分が知りたいのかもです。
「諦め」って言葉はネガティブに使われがちだけど、元来は「明らかにする」って意味だし、悟り。明らかなうえで受け入れる。
妥協は受け入れないで、擦り合わせること。
自分の場合は、暗→明のほうへ人生が180度変わる出来事があった。とは言っても、精神的な変化だから、きっかけらしいきっかけはないけど。
ただ、それ以前が底辺すぎたから平穏を手に入れて嬉しいと感じた。
「幸せって精神的なものなんだ」って気づくと同時に欲が消えた。煩悩が消えた感じ?冒頭の例のように、奥行きが必要になってしまった。
あ、欲がなくなったと言っても食欲と睡眠欲はあるよ。性欲はなくても困らない。
時々「鬱なのかな?」って心配にはなるけど、死のうとは思ってないから大丈夫なんだと思う。
で、気とかオーラとか占いとかスピリチュアルとか、なぜか周囲にそういう人たちが増えて、一般的にあやしいと思われている分野へ足を突っ込んだ。
最初は、あなたと同じで疑り深くて苦手でした。今でも信じてないです。
でも「なぜそう言えるのか?」を調べていくのは楽しい。いずれも元を辿ると西洋哲学や東洋思想にたどり着く。
すると、人が人であるがゆえの悩みは普遍的で、それを整理する方法も大昔から研究され尽くしていて、それなのに未だに人は悩み多き生き物なんだってわかった。
ハードは進化してるけどソフトはあまり進化していないって。だから生きてるんだなって思えました。考える葦なんです。
前者は「内なる子供」で、後者は「高次の自分」と訳されるけど、適当にアレンジして「子供性」と「大人性」で解釈するとわかりやすいかな?
そのバランスを意識しなきゃいけない時期に差し掛かっているのかもしれませんね。
二十歳になったら成人式やって法的に大人になるけど、本当に大人になる瞬間は、経験によって人それぞれにバラバラで、
あなたが今置かれている状態は通過儀礼ではないかと思います。自分は20~24歳までモラトリアムになって、24の時に脱皮した。
大人性というのは、いつも自分を律したり、自分に指図している自分。
一方の子供性は、ありのままでいようとする自分そのもの。子供は「快・不快」に敏感。
ハイヤーセルフは、自分をあるべき姿へと導いている。だけどインナーチャイルドが時々「私って幸せなの?」と問いかけてくる。
心をないがしろにして自分を律しすぎている時には「素直に泣いてもいいよ」って子供が出てきていて、
ウダウダが長く続けば「あんた、ヤバイんじゃないの?」って大人が出てくる。
ややスピった考えを言いますが、
と考えてみてはいかがでしょう?律している自分も必要だし、駄々っ子の自分も必要。
「よくわからないけど、幸せじゃない。おかしいな」って感じている。今、そういう状態だよね?
今は心の中にいる子供がグズグズしている。そう考えると、啓発より癒やしかなぁと思います。
自分だって考えたら自分を上手く癒せないけど、自分の子供だって考えたら少し優しくなれませんか?
子供だと思ったら「泣くな、元気出せ」って言えないでしょ?
「無邪気に幸せを感じていた子供の自分」を否定しちゃうと辛いです。
それはそれ、仕切り直しの気持ちで「子供の頃はこうだったけど、今の自分はこう」って考える。
今が充たされないと、未来は見えないです。
あちこちのサイトを見るとわかると思いますが、インナーチャイルドとかハイヤーセルフが出てくるサイトには
天使やら偉大なるマスターやら、神秘的に説明されていて、知性面から捉えると「あやしい」ですw
でも、
これも持論だけど、啓発って「気づき」を得ることだから、人に教えてもらうもんじゃないと思います。
啓発本は「こうしたらイケてる奴になれるぜ」ってやつだから、すでに前向きな意志が持てて、契機づけたい時にのみ有効。
「教えやがれ!この野郎」って思える時に読むのがおすすめで、やる気が落ちている時にはあまり意味がない。
啓発本には啓蒙的なものが多すぎるし、意識だけやたら高くなっても、肉体がついていかないと使えないです。
スピ用語を使わずに伝えるにはどうしたらいいかな?と思っているうちに、長文になっちゃいました。
上手くまとめられていないと思うので、わかりにくいところはまた質問ください。参考になれば幸いです。
最近、やらなきゃいけないことがまるで捗らない。
http://members.jcom.home.ne.jp/fosawa/column/yaranakya.htm
一通りまとめてみた。
・やらなきゃ病のプロセス
1.日常で、やろうと思ったことが発生する。
2.正常な人:計画を立てるだけ。
やらなきゃ病の人:無意識的にすぐさま、"やらなきゃ:計画し実行する"に変換する。
やらなきゃ病の人は、不安な心が強いため、安心したい気持ちも強い。
よって、不安を解消するために、"やらなきゃ"という意識が生まれる。
そこで、無意識的にすぐさま、"やらなきゃ"に変換する。
(計画を立てる理由は、無計画でいるよりも間違いが少なく、無難に事を遂行できるだろうと思うから。)
4.インナーチャイルドは、これを強制されたと感じる。
(インナーチャイルド:不安の塊として大人の心に潜む、子供の時の意識)
5.強制に対し、インナーチャイルドは強い力で抵抗しようとする。
この抵抗力がやらなきゃ病を起こす。
6.インナーチャイルドの抵抗により、何もできない
・原因
インナーチャイルドの中身は、子どもの頃から溜め込んできた大きな不安感と、一方的な強制を我慢してきた怒りなどの感情
悪いのは、"やらなきゃ"を遂行する大人と、それに抵抗するインナーチャイルド。
インナーチャイルドはなぜ、抵抗するのか?
→大きな不安と、一方的な強制を我慢してきた怒りが、抵抗の原動力となっているから。
・根本的解決策(インナーチャイルドの抵抗と、不安を無くすために)
自分癒しを進めてそれらの感情(大きな不安と、一方的な強制を我慢してきた怒り)を充分に開放する。
そのためには根気強く過去の記憶を辿りながら、時間をかけてゆっくりと過去の自分を解放する。
大人の自分も不安が少なくなるため、"やらなきゃ"という意識は減少する。
日々の生活の中で、できるだけ計画を立てないように心がけて暮らしてみる
(計画したものは、いついかなるときでも自分の意志でその計画を変更したり却下したりしていいはず)
やることの中に何らかの楽しみのようなものを見出すように工夫しておく
(やろうと思ったことをたとえやらなきゃに変換してしまったとしても、)
(何かやりたくて仕方がないと思えるようなことがあると、インナーチャイルドは抵抗の力を緩めてくれる)
はぁ?なにこの宗教
子供だって喜怒哀楽はあって当然。しっかり経験してないと人間として困る。不安と怒りに耐えられない、辛抱弱い大人になる。
不安と怒りなんて、人生始まってから死ぬまであるし、大人だって感じてる。子供の時だけを特別扱いすんな。
仮に子供の時って区切るなら、それはいつなんですか?そこで区切るって決めた根拠は何ですか?
1.日常で、やろうと思ったことが発生する。
2.やりたいこと:何も考えず始めてる。終わったことすら意識しない。特に飯とか。
やりたくないこと:やらなきゃと思って、計画し実行しようとする。
3.やろうと思えば思うほど、なぜか出来ない。
時間に余裕があったり、誰にも何も言われないため。
4.とはいえ、実行する。次第に期限が迫り、強制力が強くなるため。
5.ギリギリやり遂げる。
結局のところ、やらなきゃならないけどやりたくない、というだけだった。
…こんなこと考えながら、何も片付かないまま時間は過ぎていくのであった。
俺も先輩として書けるかな。
少なくとももう母からのネグレクト、兄からの精神的、身体的虐待の過去を持ちだしてわーわー言う必要はなくなった。
自分がACに気付けたのは良かった。ACであると自覚し、過去を振り返り、死にそうになりながらも自分の生き方、あり方を模索して、現在に至ってる。
でもACは生涯ついてまわるものではない、というかそうあるべきものではない。
自分がACであるということに固執すると、それを逃げ口上にして、免罪符にして傲慢に振る舞いたくなることがある。そうなると悪循環だ。
辛い気持ち、死ぬほどの絶望感にさいなまれるのは分かる。
他の人は家族の話題で盛り上がると一刻も早くその場から消えたくなるだろう。
昔の写真も、母子手帳もない… 語りたくない、語れない幼少期…
でも、ACであると自覚している限り、そうした免罪符・逃げ口上を使い続ける。AC的視点で自分を捉え続ける。
早く捨てるべきだ。
ACの人のblogの主旨の多くは「ACなんだけど、ちゃんと生きてる… ちゃんと生きていこう…」と言ったもの。
違うんだ。ACは早く捨て去るべきなんだ。
捨て去れないから困ってるという気持ちも分かる。俺にそのための技術的なノウハウがあるわけではないからそこはフォロー出来ない。申し訳ないけど。
でも、一言いうなら、まず泣きまくるんだよ。そして自分を慰めてあげる。その上で自分を満足させてあげる。インナーチャイルドに出会おうとしたこと、意識の奥を垣間見れたことは+になった。
バカにしないでやるべきだと思う。
あとは徹底的に過去を分析する。感受性がなくても、虚無感に襲われててもそれは出来る。
紙に書いたり、パソコンに書いたりすれば、その記録は消さないから無駄にはならないよ。
最後になるけど、俺はサバイバーって呼称が好き。 一生懸命に生きようとする強い気持ちが宿されているから。
でもう一つ。 今辛い人は克服したって俺みたいな人間の言うことは話半分で聞いておいたほうがいい。