2022-08-09

あんさんぶるスターズ立ち食いそば

仕事帰り、駅のホームに降り立つと、ガタガタと騒がしく走る反対車線の電車を横目に疲れた足取りを進める。やがて正面に見えるのはホーム雑然と建てられた小さな建物。『あんスタ』とだけ書かれたシンプル看板一瞥すると、横開きのドアをスライドさせて中に入る。入り口横に備えられている薄汚れた食券機で「ぶっかけひいあい」の食券を購入すると、カウンター向こうにいる店主へ無言で受け渡す。
注文品が出来るまでの少しの合間、半分閉じかけた瞼で店内を見渡すと、大方いつもいるような層ばかり。一人でなにかぶつぶつと呟いているくたびれたコートを着たらびおじ、イヤホンで何かの音楽を聴きながら涙を流している流星隊Pの女子大生、高いヒールをカツカツと不機嫌そうにならすOL風のUNDEAD担。
何かを考える気力もないまま立ち尽くしていると、ドン、とカウンターに丼が置かれる。その丼を手に取って、私も無気力有象無象の一人になることにする。
ただ木の板が壁から張り出しているだけの席へ着くと、備え付けの割り箸から無造作に一本選ぶ。たいした力も入れなかったため、割り箸は綺麗に割れなかった。
ささくれた木の棒を手に、ひいあい攻略を始めることとする。僕の行為を気に留める誰かもいない今、わざわざ食事挨拶をする必要もない。
箸で一つまみひいあいをすくい上げると、湯気が出ているわけでもないのに、なんとなく食べるときのくせでふうふうと息を吹きかけてしまう。そして口元へ運ぶと、ずるりと音を立てながらすすり上げる。
しょっぱい、と感じる。おいしいおいしくない以前に、味付けが濃くて判別できない。こんなもの、きっと家でゆったり家族団欒を楽しみながら口にするものではない。
ただ、座る席もないような立ち食いの店で、時間をかけずに食べるにはちょうどいい。疲れた心、疲れた体ではきっと舌も麻痺していて、繊細な味付けなんかされたところでどうせ今の僕には理解できないだろう。
僕は無心でひたすらひいあいを口に運んだ。



ーーあんさんぶるスターズを一言で表すと何? と友人から聞かれたとき、僕の脳裏によぎったのはありもしない立ち食いそば屋での記憶だった。
ありもしないという通り、実際には立ち食いそば屋なんて一度も入ったことがない。すべて妄想であるため、立ち食いそばの実情と大分食い違う点があるだろうことをご留意いただきたい。

そもそもどうして友人があんさんぶるスターズについて僕に聞いてきたかというと、僕があんスタに沼ってるからとか、推しいるからとか、そういう類の理由ではない。
しろその逆で、仲間内では「あんスタアンチ」で通っているためである

僕はことあるごとに「最近オタクが軟弱なのはあんスタのせい」と口にしている。
友人は、逆にあんスタ沼へ落ちている人と話す機会ができたから、僕のあんスタに対する意見も聞かせて欲しいという塩梅だった。
その質問に対して僕はこう答えた。

一言で表すならあんスタは立ち食いそば、と。

あんさんぶるスターズの味付けは濃い

僕があんさんぶるスターズを初プレイしたのはリリース当日だった。キャラクターデザインも美麗で見目が好みのキャラもいたため、プレイ前は期待を抱いていたように思う。
けれど実際にサービスが始まりプレイして感じた違和感


どいつもキャラが濃い

奇抜な口調、過剰な趣味人間味のない受け答え。
まあでも、多キャラものを通ってきた身としてはキャラが尖るのはよくあることだよなと思う。
そのときの僕は、まあ自分向けじゃないよな、程度に収めてプレイを止めた。

ただし、皆さんご存じの通りあんさんぶるスターズの勢いはすごいもので、周囲にあんスタ好きの人は多数いたし、積極的摂取しなくとも副流煙ストーリー理解できる程度には定期的に何かしらの情報が流れて来ていた。
また、同居人あんさんぶるスターズのとあるカプに沼ったことで、身近に触れることにもなった(当の同居人現在あんスタと袂を分けている)。
僕もmusicが始まった際は再びインスコしてALKALOIDにうつつを抜かしたりもした(今でもたまにカプ検索はする)。

けれど人間関係と一緒で、一緒にいる時間が長くなればなるほど嫌いな側面というのは見えてくるもので、嫌な部分が過剰に見えてくると耐えられなくなってくるものだ。
やがてただの一ジャンルから嫌悪対象へとあんスタを昇格させた僕は、自分あんスタを受け入れられない理由を求めて考察するようになった。

実際に以前よりあんスタに触れてみて、考察してみて分かったことは、濃いのはキャラクターだけではないということだった。

ストーリーは大味で、基本的に繊細さはない
まずそもそも、改めて考えてみるとどうしてみんなアイドルを目指しているのかが分からないストーリー上で明かされない。さらに、アイドル活動らしいことをストーリー中でほとんどしていない
ライブステージが始まったかと思えば、急に時空が歪んだのかと思うくらいステージ上でめちゃくちゃ喋ってる

女性向けゲームといえばキャラクター同士の人間関係も重視されるかと思うが、その人間関係においてもカレーケーキを乗っけたみたいな料理提供される
あんスタ制作人はどうもカップリングを乱立させるのが好きなようで、いたるところで男同士を絡ませて地雷持ちカプ厨の息の根を止めていく
新しく形成された二人の関係精巧に描かれていればまだいいものの、実験を楽しむマッドサイエンティストみたいな気分でシナリオ提供されるため、キャラクターを元あるグループと別ユニット所属させるなど、ファン不安にさせることに余念がない。

また、新しく激重感情が交わされる人間関係が構築される場合基本的他の人間関係をすべて無視した上で行われるため、一人の人間が人によって仮面を使い分けているというよりは、パラレルワールド二重人格様相を呈する。

まりあんさんぶるスターズは細かな調味料の調整によってストーリーが作られているのではなく、砂糖唐辛子と塩を混ぜ合わせて作った味付けの濃いコンテンツ、だと僕は認識している。

けれどその大味のコンテンツが、流行しているのも事実だ。

あんさんぶるスターズは戯曲である

視点から見るとクソみたいなコンテンツだったとしても、見る人によってその価値は変わってくる。

例えば、あんさんぶるスターズを舞台上で演出される戯曲だと解釈する。<br<br>>ストーリーが大味なのも、会話がやたら長いのも、キャラクター設定が繊細でないのも、すべて舞台から観客に届けるための演出である

細かな仕草で伝えても見えない観客もいるかもしれないし、細々した心理描写を入れるのは舞台には適さないため必然と会話は多くなる。俳優藤原竜也は演技が過剰でそれがネットミーム化することもあるが、あの演技は舞台で育ったからに他ならない。

我々は舞台上の彼らのやり取りを鑑賞しているのだ、と考えれば過剰な演出おかしくはない。

時代に適した形態ではある

ではどうして戯曲的な大味コンテンツ流行しているかという問題になってくる。

結論から言うと、あんさんぶるスターズは今の時代に適した形態提供されているからこそ、人の心を捉えているといえる。

時間がなくても楽しめる

今の時代、世の中にアニメゲームをはじめとしたサブカルチャーコンテンツなんていくらでも溢れていて、一つのコンテンツに多大な時間集中力意識を割けないと考えている人は多い。
他にも、ストレス社会と言われる現代ジャンルに沼っていたとしても私生活問題時間が取れないこともある。

そもそも立ち食いそばの味付けが濃い理由は、立ち食いそばは舌の上に食材がのっている時間が短く、一瞬でも満足感を得られるようにするためだ、と記憶している。
あんスタも同様に、味付けが濃いので舌の上にのっている時間が短くても満足感が得られる

深く味を吟味するには向いていないが、短時間で楽しめるアトラクションではあるといえる。

②すべて追う必要がない

あんスタは基本的に、一人のキャラクターが他のキャラクターとフラグを建てているときに、他のフラグをすべて忘失する傾向にある。
例えば、真白友也は氷鷹北斗の前にいるとき日々樹渉の存在が消えるし、逆に日々樹渉の前にいるとき氷鷹北斗存在消失する。瀬名泉において、月永レオと遊木真をそれぞれ相手にしているときも同様である

逆に捉えれば、例えば特定カップリングを追っているだけであれば、他のキャラクターとの関係性を一切履修する必要がないのだ。

その分他のコンテンツ時間をさけるし、キャラ理解を深めるために地雷カプへ突入する必要がない(公式PV爆撃で地雷を踏むことはあるが)。

二次創作自由

あんスタくんは公式が常に二次創作してるようなものなので、よく燃える。それゆえに、ファン二次創作するにあたって公式以上に悪目立ちすることはあまりない

また、キャラクター性は特に味付けが濃いため、二次創作する上で多少の改変が行われても紛れて悟られづらい

要するに、公式キャラクターに見た目や口調が相似していれば全部そのキャラクターっぽくなる、という二次創作における最大の強みを持っている。

ただしnot for me

極論、つまりあんさんぶるスターズは今の世間に向いたコンテンツではあっても、僕向きではないという話である

以前、僕は運営会社を同じくするエリオスライジンヒーローズに片足突っ込んでいたこともあるのだけれど、ジャンルを離れた理由「設定が雑」「運営が信じられない」「キャラが守られていない」だった。

まり詳細に書くと長くなるので割愛すると、つまり自分が求めている作品には、世界観がしっかりしていて噛めば噛むほど味が出るようなキャラクターやシナリオ必須である認識している。
カップリング前提で見ているのではなく、そのキャラクターや仲間、背景を知りたいと思うしさまざまな関係性によってその「推し」が形作られていく過程吟味したいと思う。

自分オタク志向的に、あんスタは合っていない、と感じた。

ただ、not for meなだけなら、ここまであんスタアンチに近い発言を繰り返すこともなかった。

すべてあんスタのせい

あんさんぶるスターズは確かに現代に適した形態コンテンツ提供されているだろう。一瞬舌に乗っただけでアトラクションが楽しめる大味なあんスタというジャンルは、簡単に「オタクしてる」感が味わえる。

ただしそれは同時に、味音痴」を作り上げる結果になっているのだ、と僕は主張したい。

あんスタは一大ジャンルなわけで、あんスタを通ってきた人は非常に多い。
ただしあんスタに慣れてしまった人にとって、作品キャラクターを吟味するという行為推しを推すために必要行為ではない。濃い味付けに慣れきってしまって、自分から味わいに行くことはしない。味わわなくても楽しめるし、そもそもよく噛んでも良い味がしないという学習をしてしまっている。むしろ二次創作においてはセルフで醬油やわさびを足して自分好みに都合よく改変しても、元がカレーケーキを乗っけてるようなものなので違和感を覚えない。

周囲を観測したり、色々なジャンル渡り歩いていると、明らかに味音痴オタクが増えてきたと感じる。繊細な味付けがからないため、その作品キャラクターに対して食レポができない。二次創作しても、キャラクターの見た目や名前や特徴的な口調だけが一緒の何かになりさがってしまっている。

ジャンルキャラ乖離が激しい・キャラ解釈がない人の過去ジャンルを見てあんさんぶるスターズがあったとき、何とも言えない気持ちになる。
そんな周囲の状況を見ていると、僕はどうしても「すべてあんスタのせい」と言いたくなってしまのだ。

作品推し方、作品との接し方というのは人それぞれだと思う。こうしろ強制するつもりはない。時代の移り変わりであり、この流れを受け入れるべきなのかもしれない。

ただ、一オタクとして小言を許してもらえるのなら、たまにはその作品あなたなりに深く味わってみてほしいと思う。
そしてその料理がなにで構成されているのか、自分なりに考察してあなた解釈を深めて欲しい。他人と同じ解釈にならなくて良い、正解なんてない。人の数だけ解釈があり性癖がある。

大多数のオタク味音痴にならないで欲しいと、強く願う。

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