はてなキーワード: 「斉藤さん」とは
俺は田舎のしがない会社員。朝6時半、いつも通りにコンビニでコーヒーを買う。
レジにはいつもの店員さん――おじいさんで、無口だけど丁寧な接客をする人だ。名前は胸元のプレートに「斉藤」とある。たぶん60代くらい。
でもその日、妙なことに気がついた。
斉藤さんのレジで並んでいた俺の前のおばさんが、突然彼に話しかけた。
「お父さん、いつ帰ってくるの?」
斉藤さんは少し間を置いて、「さあ、わかりませんね」とだけ答えた。
俺はそのやり取りに違和感を覚えたけど、特に気にせず自分の番が来て会計を済ませた。いつも通りの挨拶を交わして店を出た。
次に店に行った時には若い店員がレジに立っていて、俺はふと気になり「あの、前にここで働いていた斉藤さんってどうされたんですか?」と聞いてみた。
店員は少し驚いた顔をして、「斉藤さん…?この店にはそんな人、いないですよ」と言った。
俺はあまりの不可解さに「いや、いつも朝ここでレジにいたおじいさんですよ」と繰り返したけど、店員は首を横に振るばかりだった。
不思議に思い、何度か別のタイミングで行ったけど、斉藤さんを見かけることは二度となかった。
後日、地元の人にそれとなく話をしてみたら、「ああ、斉藤さんなら10年前に亡くなってるよ」という返事が返ってきた。
俺はその話を聞いて、背筋が凍る思いがした。
いにしえのインターネットには「Twitterは感情の便所」って発言で軽く炎上した人が居たなぁ。なんておもう今日この頃です。
認知行動療法的には自分の胸の内を書き出したり、誰かに話したりすることで、感情に整理をつけることが出来ます。カウンセリングもこれを目的として、経験あるカウンセラーが、ひたすら聞きに回って、言い回しを変えたりたとえ話をしたりして、患者の心の中にあるモヤモヤをいかに吐き出すかをやってるわけです。
ところで自分はランダム通話アプリのヘビーユーザーで、夜な夜なランダムにマッチングした女性と会話することを楽しんでます。
まずランダム通話アプリが何ぞやという感じだと思うんですけど、要は「斉藤さん」です。
お互いに電話したい状況の時にアプリを立ち上げて、男女、年齢、大体の住所を基準にしてマッチングした相手と通話するというアプリ。2011年リリースの斉藤さんが最古参で、YouTuberのネタになったり、ティーンと暇つぶしになったり、ワンチャンエロ目的おじさんの狩場になったりとなかなかダイバージェンスなアプリなのですが、世のアプリメーカーの中には客層の向上に心を砕いてくださった開発者もいて、自分が利用しているアプリは、落ち着いた大人の相手とお互いに挨拶から始まってお話が出来る、そんないい空気があります。最近よくインスタの広告に出てくるアレですよ。
大人同士とはいえ、誰かと話したいというモチベーションの時には、さみしいとか、誰かに話を聞いてもらいという欲求がある程度あるかと思います。自分も、世の情勢やいろんな状況により、突然家族と会えない、連絡も取れない状況に陥ってしまって、随分と狼狽しました。そんな時に、このアプリで他人と会話をして、相手の愚痴を聞いたりして喜んでもらえると、承認を得られたような気持になりました。自分の不安定な状況が落ち着いても、相手と会話して、聞き役に回って、相手の女性が楽しんでくれるという状況にすっかり熱中して、今では毎日このアプリで遊ぶか、アプリで知り合ってLINEを交換した女性と長電話して寝ることが習慣になっています。たまに会いに行ける範囲の人と話が盛り上がったりすると、待ち合わせしてお茶して、いい思をしたことも何度かありました。
寝れないから電話したいとかテキストがダルいから電話がいいという女性は多くいるので電話のハードルは結構低い。ただし話題を女性からも振ってほしいとかヌルい事は一切考えずとにかくフル回転で話題を考えながらラジオのゲストばりに聞く聞く聞く。まともに話続いたら最後に「次は実際会おうよ」という流れにだいたいなる、生存バイアスだったらすまん。しかし深夜LINE通話して気が済んで翌朝ブロックというライトな使い方してる子も学生に多い、俺はこれを女側からのヤリモクだと思って唯一許せない。
そんな中にこの増田を見て思ったんですよね。
都合のいい男じゃん、って。
リアルヤリマンの人も、自分が便器でもいいから誰かに必要とされることで充足感を得てたのかなと思ったら、tinderやりたくなってきました。
セックス依存症は問題視されてセラピーとか有って、社会的に救済する取り組みがあると思うんですけど、愚痴聞き依存症を救ってくれるNPOとかないんですかね。
内容の当否は別にしてメールで抗議している人々の品格の無さに驚く。
20代
[性別] 男
[メッセージ]
センス無いわ。さっさと廃業したら?
この人が提示しているURLはおそらく、「痛いニュース」だろう。
しかし普段の「痛ニュー」は、モンスターペアレントやクレーマーなどを侮蔑すべきDQN行為と認定するような編集方針があると思う。
これは「痛いニュース」を見て、他人のDQNな行為に呆れるような人でも一歩違えば自分がDQNクレーマーになってしまうということを示しているのではないだろうか。
もう一つ。
J-CASTニュース : 読売記事で「会社員」ブログ炎上 「炎上して当然」発言が引き金
21世紀の今になってイソップ童話なみの教訓話が実話で見られるとは思わなかったが、それはともかく
この騒ぎで、「会社員」がブログに書いた過去の記事が次々に非難の対象になった。07年7月26日のブログ記事で、マクドナルドでドライブスルーの車が邪魔になって駐車場に入れないと店のスタッフを恫喝し、看板を何度も蹴り上げていたことが分かった。また、08年2月17日の記事では、自転車同士がぶつかりそうになり、高齢者男性が転んだにもかかわらず、そのまま逃げたことを告白していた。
「会社員」は、読売の記事で、「(自らのブログで)相手の名前や住所をさらしたこともある」とされていた。ところが、2ちゃんやまとめサイトに自分の個人情報がさらされた。すると、3月1日のブログ記事で、「私の発言がハンドというペナルティだとしても、個人情報をネット上にばら撒くのはルール違反です。レッドカードです」と訴えた。
この会社員は他人が行った不用意発言や不道徳な行為は「炎上して当然」だとしながら、自分が同じような理由で炎上した場合は大目に見てくれという。
こうした事例は今の日本社会の道徳意識が非常に端的に表れている例なんじゃないかと個人的に思っている。
産経新聞の企画「溶けゆく日本人」に出てくるようなワガママな人間を目にすれば誰だって気分が悪くなる。しかし、そういうワガママに不快感を抱く人が沢山いるのは間違いないのに、かといって日本社会のモラル全体が向上したという話は聞かない。
これを考える鍵が上に挙げたクレーマーや炎上ブログの例にあるように思える。
要するに他人の言動が自分にとって不快か否かだけが重要なのではないか。ミーイズムを憎悪するミーイズムとも言えるのかもしれない。「お前たちは私が不快にならないように振舞え」というふうに。
(個人的な経験から言っても、他人のモラルに厳しい人が自分にも厳しいモラリストだった試しがなかった)
また、少し前に「斉藤さん」平均視聴率15%超 「カッコイイ」10代支持という記事があった。
こうした茶の間の反響に、担当の西憲彦プロデューサーは「ティーンが見るとは思わなかった。日本人はまだまだ正義感が強いと思った」
などというが、これも実際に正義感が強いのかどうかはわからない。
単に自分の気に入らない人間を叩いてスッキリしているだけかもしれないからだ。
現実では「斉藤さん」みたいな存在を「せっかく秩序だった社会ができているのに、それを破壊するわがままなDQN」というふうに扱っているというのは、いかにもありそうだ。