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大河ドラマ、ロバート秋山の「演技力がヤバい」 役者オーラに絶賛の嵐
俳優の吉高由里子が主演を務める、大河ドラマ『光る君へ』(毎週日曜 後8:00 NHK総合ほか)の第3話「謎の男」が21日に放送され、藤原実資役のロバート秋山竜次が登場した。
秋山が演じる藤原実資は、藤原小野宮流の当主。有職故実(政治や儀式のしきたり)に詳しく学識がある。正義と筋道を重んじると同時に、プライドが高い頑固者でもある。道長にとっては尊敬しつつも煙たい存在。
第3話では、帝の容態は一向に回復しないまま時が過ぎ、実資が「重くはなっておらぬ。されどご回復の兆しもない。あのご様子はただのお疲れではない。どうあってもおかしい」と鋭く気づき、内侍所にて陪膳の女房たちの取り調べを行う。
そのほか、譲位を促され弱気になる天皇を励ます一方で、女房たちからの陰口に落ち込む姿も。視聴者からは「ロバート秋山さん、コントのキャラネタで鍛えた演技力と芝居がかった台詞回しが大変に平安貴族してる。これは配役の妙……」「もうすっかり大河俳優。役者オーラがムンムン」「ロバート秋山の演技力がヤバいわ、流石コント師」「ロバート秋山が演技してるだけで何か笑顔になっちゃう」などの声が寄せられている。
秋山さんやるやん
ワイもこの人は何か持ってると思ってたんよな
『プリンプリン物語』というNHKが生み出した古典的人形劇がある。
この『プリンプリン物語』。初めの二年間分のマスタービデオテープは現存していない。
1970年代当時、NHKであってすらビデオテープを上書きして使っていたからだ。
1000年代を生きた藤原道長の日記『御堂関白記』は、すべてではないが自筆原本が子孫の近衛家に伝えられた。古い時代の写本もある。
道長と同時代人、藤原実資(さねすけ)の日記『小右記』は原本は存在しないが、過去、様々な公家が重要性を感じ、書き継いでかなりの分量が現代に伝わる。
『御堂関白記』『小右記』は伝本の種類や、文字の異動などが網羅的に調査され、今では東京大学史料編纂所のウェブサイトで全文検索なんかができたりする。
刊行本である『大日本古記録』シリーズとリンクされていて、図書館とかに行かなくても道長や実資の記録にアクセスできる。
話を『プリンプリン物語』に戻そう。記録と言うものは簡単に失われる。
電子化が進んでもそうだ。今フロッピーのデータをすぐさま利用できるだろうか? 営業を止めたウェブサービスが(インターネットが生まれてたかだか十数年の間に)どれだけあっただろうか?
2000年代後半から、NHKは『プリンプリン物語』の失われた話をビデオで録画して今でも持っている人を探している。他にも捜索願が出ている有名番組があるようだ。
http://www.nhk.or.jp/archives/hiwa/boshu3.html
歴史上失われ、現在では伝わらない文章を逸文(いつぶん)という。諸本に引用された文章から、失われた本体を復元する作業を輯佚(しゅういつ)という。
1000年前の道長や実資の記録はもちろんだが、たかが数十年前の記録に対しても輯佚は行なわれうる。
そして重要なことは、実は私たちがデータの断片を持っている可能性がある点だ。
偉そうな言い方だけど、歴史を記録し後世に伝える機会が、もしかしたら私たちにもあるかもしれない。
こんな文章書いているからわかる通り私は歴史好きだ。でもこういう現代のやがて歴史になっていく部分を記録する、っていう営為も結構好きだ。
今の時代も1000年後には1000年前になってるわけだしね。
今から1000年前、教科書で習う藤原道長の時代にもそんなやつがやっぱりいた!
その名も、藤原顕光。
こいつはひどい。
道長の日記『御堂関白記』や、有職故実に通暁していて『小右記』という日記を残した公家藤原実資から馬鹿にされまくる。
曰く「こいつの儀式でのミスを書いていたら多すぎて筆の毛が無くなるわwwwwwwwwwwwwww」とか
曰く「こいつはアホ中のアホである」とか。
少なくとも日記を読む限り、諸卿から笑われる人物であったことは間違いないようだ。
藤原顕光と藤原道長とはいとこの関係だが、実は顕光の方が兄の家系に連なっている。
今から1000年前は、道長がさまざまな事情により世の牛耳を執った時代だったのだ。ここら辺はいろんな本に詳しい。
さて、本題。顕光は本当に無能だったのだろうか?
無能だ無能だ、と笑った側の日記しか残されていないのが問題である。
政権の当事者である道長は、正嫡となりうる顕光をはたして褒めるだろうか。
小野宮流という有職故実を守る立場にあった実資が、他流の顕光の挙動をはたして褒めるだろうか。
ここら辺は考えながら、顕光のことを考えねばならない。
さて現代にいったん話を戻そう。
仕事ができないやつって結構いるんだけど、割と楽しそうだ。というか上手いこと楽している。
もちろん人はそれを批判する人のだが、仕事しねえやつってのはなんだかのらりくらりそういうのをかわしながら日々生活している。
ある種タフさがある。上手いこと流しちゃうのだ。そして多少の陰口を言われたところで動じない。
仕事できない人の完成型は、ただ仕事をしない部分からのみ成り立つのではない。タフさがそこには必要だ。
1000年前に時は遡る。
顕光は散々バカにされながらも、右大臣から左大臣へ、大臣を20年ほど務めている。道長の全盛期にである。
顕光は道長や実資や、その他の貴族の揶揄を、あまり気にしなかったのではないだろうか、と想像する。
想像をたくましくし過ぎだが、実資なんかが意識している細かい儀礼なんて、どうでもいいと感じていたのではないかとすら思う。
1000年後の私たちのほとんどが実資の有職故実を全然気にしないのと同じようにね。
実は顕光は、私たちが習う教科書的、あるいは道長的な平安貴族の論理とはや離れたところで、平安ライフを満喫していたのではないか、と想像させられる。
「文系は永遠に作者の気持ちでも考えてろ」という煽りがあるので。文学系と歴史系ではこれほどまでに違います。
Q:『小右記』(藤原実資[957-1046]の日記。時代的には藤原道長[966-1028]と同世代で右大臣にまでなった)の長和三年(1014)二月七日の条には、「(鎮守府)将軍の(平)維良が馬二十匹、砂金、絹、布などを道長のところに贈り物として持ってきて、その贈り物を一目見ようと見物人が道に列を作った。田舎の狼ののような者が財貨の力でまた将軍になろうとは、悲しいことだ」という記述がある。このように書いた作者の気持ちと、そのように考える理由を答えなさい。
A:小右記の前後の部分には「受領(国司。今で言うところの県知事が近い)が贈り物をしてきた。感心なことだ」という記述が多くある。たとえば長和二年正月には「藤原経通が丹波守になった土産を送ってきた」などの記述があり、実資も地方官からの贈り物には決して否定的ではない。にもかかわらず問いのようなことを記述した気持ちは「惟良が道長には贈り物をしたのに自分のところには贈り物をしてこない、その態度が気にくわない」であると考えられる。