はてなキーワード: 学力低下とは
ゆとり批判を非難している割に、ゆとりに対して否定的じゃないか。
しかし結果は周知の通り、利己主義社会、学力低下が起きた(教育から社会へ)。主体性を自己主張、わがままと履き違えてしまい、道徳の伸張(徳育)が不完全にしか行われなかったことに原因がある。
上の記述を裏付けるための調査を誰か行ったのだろうか。
ネット上でのゆとり叩きに使われる根拠は都市伝説の類だと思うのだが。
世代間のわがまま度を比較する方法があるなら、ぜひ教えてもらいたい。
教育基本法の第一条には【教育の目的】として「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」とある。この文面からわかることは、教育の目指すものは人格の完成であること、そしてかなり包括的なプロセスであることの2点だ。
人格の完成においては知識の伸張(知育)だけでは教育とはいえない。頭でっかちの人間をつくることは教育の目的ではなく、道徳の伸張(徳育)、身体の伸長(体育)を包括的に行うことが、教育の真の目的だ。それらを兼ね備えて始めて人格は完成する。彼らは必要な資質をもった理想的な「社会の形成者」となり、社会を理想の方向へと進めて行く。
すなわち、教育とは理想の社会と構成員を作り出すプロセスなのだ。そしてそのプロセスは社会から教育へ、教育から社会への順に、無限のループを繰り返す。「理想の人格者によって構成された社会こそが理想の社会だ」という考え方。これがその無限ループに与えられた、たった一つの命題である。
問題は、「理想の社会」と「理想の人格」が変化するということだ。そしてその変化と同時に、教育のプロセスもカウンターをもって方向転換(あるいは反転)する。以下にその例を挙げる。
1970 年代までの慢性的に教師不足な社会が「でもしか先生」をうみ(社会から教育へ)、その弊害として校内暴力が多発した(教育から社会へ)。指導能力の低い教師たちには、生徒の暴走を食い止めることは不可能だったからである。この時期は、生徒のそのパワーを身体の伸長(体育)に向ける方法が多くとられ、その中で道徳の伸張(徳育)、知識の伸張(知育)を行うというプロセスが行われていた(例:スクールウォーズ)。
その後1980 年代に入り、「荒れた学校」へのカウンターとして、もしくは均一で効率的な労働力を求める社会の要請で、管理教育が再徹底された(社会から教育へ)。その後、管理教育の弊害として、はみ出すことを嫌う没個性社会、管理教育に伴う知識の詰め込み、学歴偏重社会が形作られた(教育から社会へ)。知識の伸張(知育)に特化したこの教育は、道徳の伸張(徳育)、身体の伸長(体育)をないがしろにした。この時期、社会では小学生の体力低下や犯罪の低年齢化といった社会問題が話題となった。
それに対して、文部省(現文部科学省)がはなったカウンターが「ゆとり教育」である(社会から教育へ)。知識偏重を見直し、多様性、主体性をもつ豊かな人間性とたくましさ、すなわち「生きる力」を育むことを目的とした。しかし結果は周知の通り、利己主義社会、学力低下が起きた(教育から社会へ)。主体性を自己主張、わがままと履き違えてしまい、道徳の伸張(徳育)が不完全にしか行われなかったことに原因がある。しかし学力低下については、学力偏重教育を批判して方向転換したのだから、知識の低下を嘆くのはおかしい。もともとが社会の要請によって行われたものである。授業科目を減らせば学力が低下するのは至極当たり前の結果であって、単純に批判することは出来ない。
ゆとり教育の失敗は、知識の伸張(知育)を犠牲にはしたが、その対価となる道徳の伸張(徳育)、身体の伸長(体育)政策を徹底できなかったことだ。生徒達は週休2 日制によって、学校のなかで社会性を学ぶチャンスを毎週一日分捨ててきた。その結果得たものはなんだろうか。「見た目はいいが機能性は低い」まるで国会議員のような、まるで週休2日制のような人間だけであった。理想の人格者になるために足りないものは、道徳の伸張(徳育)、身体の伸長(体育)だったはすが、知識の伸張(知育)まで足りなくなってしまった。それゆえ現在は教育のための包括的なプロセスは不完全にしか機能していない。愛国心についての議論もよい。しかし、今やらなければならないことは、教育の目的の再確認と今現在足りないものについての議論なのだ。
教育方針が時代によって変わるのは仕方のないことなのかも知れない。それをここまで書いてきた。しかし、私にはどうしても許せないことがある。
私の妹はど真ん中の「ゆとり教育」世代である。彼女はたまにつぶやく。
「わたしゆとり世代やねん。あほばっかりの世代やねん。」
ただ普通に生きていただけなのに、社会からは「理想的な社会の形成者」たりえない、失敗した世代だとレッテルを貼られてしまった。そんな彼女の言葉に潜む絶望がわかるか?彼女が失ったプライド、ゆとり世代の劣等感をどうしてくれるのだ。
教育の目的は、知育・徳育・体育の伸張による人格の完成にあると最初に述べた。ゆとりは馬鹿だと蔑む奴等。彼ら彼女らの劣等感を煽り、踏みにじって笑う奴等に言いたい。ゆとり世代だって立派な「社会の形成者」だ。馬鹿にするな。困っている子がいれば助けてあげる。泣いている子がいれば慰めてあげる。そう習ったはずだ。彼らの絶望に気付けないお前たちこそ、「徳育の足りない不完全な社会の形成者」だ。
完璧な人間はいない。ゆとり世代は不完全かもしれない。しかし、それをあざ笑う奴等だって、所詮は不完全なのだ。「ゆとり世代」。キャッチーなキーワードのせいで浮き上がってしまった世代。彼らを見下すことなんて、本当に下らないことなのだと気付いてほしいと思う。
■公立中学生の塾費用、過去最高の年24万円(読売新聞 - 12月20日 21:04)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=367768&media_id=20
最近になって思ったことなんですけど。。。
今、どの子も塾やら予備校に通っているみたいですね。
あれ?けどさ、学力低下で嘆いてなかったっけ??
つまりさ、どっちなの??
??学力低下に困っているから、塾に通わせている
??塾に通ってはいるんだけど・・・バカだから。。。
そういえば、よく聞くんだけど、
「世の中、学歴じゃない!!」
うん、それは、わかるような気もする。
けどさけどさ、みんなさ、塾やら予備校行ってね??
怖い!!
みんな、表では笑顔で「学歴じゃないよねぇ??」って言ってるのに、
裏では出し抜こうと必死になっているとは!!
怖い!!
しかも、よりいい大学に入るために、
っていう理由はめったに聞かんぞ。
安西先生に憧れる、中学MVPみたいのがいてもいいじゃないか!!
なぜ受験勉強必死だったんだよ・・・。
けどね、就活を考えると、ぶち当たるもんで。
ちなみに、某Cannonに入った学部時代のCと話したら
「うちは学歴じゃないよ」
へ??、最低限どこなの??
「ん??マーチかな」
それは学歴じゃねーの??
結局さ、学歴って大事なの?そーじゃないの??Dotch!?
まぁけど、利害が一致してるよね。
授業とか、受験テクニックとか。。。
受験テクニックって何????
うちも、もちろん利害の一致があったわけです。
親:
塾??高い!!学校いってるんだからそれでいいでしょ!!
僕:
うん、面倒だから別にいいや。お外さむいし。
予備校いっておいてもよかったのでは・・・といまさら思ったり。
そもそもゆとり教育がなんなのかって話しはWikipediaによくまとまっている。ゆとり乙とか言うやつは背景ぐらいつかんでるんだろうか。
1996年7月の第15期中央教育審議会第1次答申において、1970??80年代の団塊ジュニア世代頃の詰め込み教育、管理教育、受験戦争によって発生した校内暴力、いじめ、落ちこぼれ、勉強に追われる学生などにより、子供達の生活の現状にゆとりが無いことを指摘。その上でゆとりを持った教育環境においてゆとりのある教育活動が大切であり、仲間や教師と楽しく学びあいを行い、生きる力を身につけていくことが重要であると指摘した。この提言を受けて週5日制など「ゆとりの教育」が始まったとされている。具体的には週5日制に移行した2002年4月からいわゆる「ゆとり教育」が始まった。
そもそも校内暴力、いじめ、落ちこぼれ、勉強に追われる学生に対する対策として導入されたのがゆとり教育。その結果現在の教育現場はどうなったか。学級崩壊、加速するいじめ、ひろがる格差。電車に乗って遠くの塾に行き、必死で勉強をする小中学生。これが現実。
当然開始当初から学力低下への懸念はあった。勉強の時間が減るんだから、全体的に見てテストの点数が下がるのは当たり前だと思う。しかし、前述のような状況に対する非難ではなく、学力低下に対する非難をうけて方針転換する文科省はどうかしてると言わざるを得ない。非難する方もする方だが、される方もされる方だ。迷走する文科省のおかげでさらに現場は混乱するのだろう。
もうひとつ、今回各所で話題になっているPISAだが、文部科学省のページ((Home > 公表資料 > 統計情報 > PISA(OECD生徒の学習到達度調査)2003年調査))によるとこういうテスト。
【調査の内容】より一部抜粋
PISA調査では、義務教育修了段階の15歳児が持っている知識や技能を、実生活の様々な場面で直面する課題にどの程度活用できるかどうかを評価。
これって「楽しく学びあいを行い、生きる力を身につけて」いる学生ならきちんと答えられるはずではないだろうか。
ネット社会では「ゆとり」だから悪いと盲目的に非難される節があるが、何が悪かったのかを早急に考えるべきだ。もっと言うなら、ゆとり教育を受けたものを非難するぐらいなら、文科省のやりくちや、教師の怠慢のほうがよほど非難されるべきだ。
ゆとり教育がいろいろと取り沙汰されている昨今ですが。
別に学力なんて無くてもいいと思います。
重要なのは学習したいと思う気持ちです、探究心です、好奇心ですよ。
日本の教育は辞書の中身は教えてくれるけれど肝心の辞書の引き方は教えてくれない状態で放置されるので
たちが悪い、それでいて教える辞書の中身が減って学力低下と騒いでいる。
教科書に乗せるのは目次だけでいいと思います、その目次にそって教師が学習の方法を教えればいいですよ
教科書に1から10まで書くから「肝心の辞書の引き方は教えてくれない状態」になってしまうのです。
微分積分を教わって一生のうちそれを実践で応用して使う人間がどれほどいるでしょうか。
ほとんどの人はテストの紙に書いて終わりだと思いますよ。
もし、あなたの人生で微分積分を使う必要がある場面にでくわしたら参考書を見て
学習すればいいんですよ。
それでも分からなかったら、分かる人に聞けばいいんです。
20~49歳までの未婚者のうち、年収400万円未満の男性は83.9%
結婚を希望する女性の八割は年収400万円未満の男性と結婚するしかないのです。
「たった62人」の大富豪が全世界の半分の富を持つ〜あまりにも異常な世界の現実 ピケティ、クルーグマンも警告
衝撃! 貧乏な子どもがいくら勉強しても遊んでる金持ちの子より成績が悪いとの驚愕データが
【科学】米国で実証された「金持ちの子供は頭がいい」 ―年収300万円の家の子は、富裕層の子より大脳皮質が6%小さかった
家計収入によって脳の構造が変化して学業成績に影響することが明らかに
【海外】学費世界一(年1650万円)、大金持ちの子女が集うスイスの学校「Le Rosey」、その中身は?
結婚セミナー『男性の結婚適性収入は、月給36万、ボーナスで夏冬それぞれ月給の2〜3倍、70〜100万です。それ以下の男性はいわゆるワーキングプアと呼ばれる貧民層で、悲惨な結婚生活
Amazon.co.jp: 頭のでき―決めるのは遺伝か、環境か: リチャード E ニスベット, 水谷 淳: 本
Amazon.co.jp: 人間の測りまちがい 上―差別の科学史 (1) (河出文庫 ク 8-1): スティーヴン J.グールド, 鈴木 善次, 森脇 靖子: 本
灘中って1年の一学期で中学の1年の教科書全部終わり、二学期で2年、三学期で中学の勉強全部終わるの。中2からは高校の勉強。
進度の早い進学校(ID:3351171) - インターエデュ
高校履修の数1~数3は何年間で勉強していましたか? : 趣味・教育・教養 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
速報!東大合格者数ランキングと「塾歴社会」 | 学校・受験 | 東洋経済オンライン
家庭が裕福なほうが高学歴を得やすいという話をしているのだが?
単純に進度が速いのだ。
公立高校生が3年間一杯一杯で学習するまでの内容を、
多くの有名私立高校では2年の終わりか3年のはじめで終了させてしまう。
単純に早く終わるというだけでも、
ぎりぎりまで受験範囲の学習に追われるよりもアドバンテージはあるし、
さらに、その結果生まれたゆとりの時間を使って、
演習などの受験対策も行なってもらえる。
孟母三遷の教え(モウボサンセンノオシエ)とは - コトバンク
高校時代は「220人中200位」の劣等生 => ハーバード大学ケネディスクール => 東大教授
私は高校を卒業するまで一度も勉強した思い出がありません。
全然勉強をしないものですから、高校時代は大変な落ちこぼれで、同級生220人中200番台の成績でした。
私の高校時代の姿から、誰も私が東大教授になるとは思わなかったでしょう。
Amazon.co.jp: 逆境の中にこそ夢がある: 蒲島 郁夫: 本
Amazon.co.jp: 総理のコーラ 亡き父との乾杯: よこくめ 勝仁: 本
東大生の1割は貧乏家庭、教育格差に絶望はない - 本山勝寛ブログ: BOYS, BE HUNGRY!〜世界を愛する学び録
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/Puku_Pukuro/status/696873596522631168
https://twitter.com/ponkotufukurai/status/625626090904551424
https://twitter.com/BOHE_BABE/status/621645501163663360
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/twit_shirokuma/status/655008451211345921
https://twitter.com/iida_yasuyuki/status/529447178368856065
夕食は「おにぎりパーティー」 子どもの貧困6人に1人 - 選挙:朝日新聞デジタル
視点・論点 「貧困の連鎖を断ち切るために」 | 視点・論点 | 解説委員室:NHK
2012年には人口全体の16.1%の人々の所得が、この122万円という貧困基準を下回っていました。
1986年にこの調査が始まってから、最悪の数字です。
18歳未満の子どもで、貧困基準以下の世帯に暮らす割合は16.3%。
これも過去最悪でした。
16%というのは、約6人に1人、40人のクラスなら6.5人です。
衝撃! 貧乏な子どもがいくら勉強しても遊んでる金持ちの子より成績が悪いとの驚愕データが
【科学】米国で実証された「金持ちの子供は頭がいい」 ―年収300万円の家の子は、富裕層の子より大脳皮質が6%小さかった
ミニマリストが文化資本を捨て去るとき / ミニマリズムと貧困・格差・階層化の罠 - アーキペラゴを探して
ひそかに進む日本社会の「階層化」 | ビジネス | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
Amazon.co.jp: 学力と階層 (朝日文庫): 苅谷剛彦: 本
Amazon.co.jp: 階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ: 本: 苅谷 剛彦
ハマータウンの野郎ども 労働階級の文化が既存の社会体制を再生産
Amazon.co.jp: 貧困連鎖 拡大する格差とアンダークラスの出現: 橋本 健二: 本
NHK平均年収が約1780万円(サラリーマンの4倍)と報じられ問題視! ネットの声「よくまあ格差社会だ増税だと題した番組ができるよね」 | ロケットニュース24
子ども2人の教育費、平均で「年収の4割」 負担高まる:朝日新聞デジタル
年収に占める教育費、低年収世帯ほど負担重く 400万円未満では4割近くに
20~49歳までの未婚者のうち、年収400万円未満の男性は83.9%
結婚を希望する女性の八割は年収400万円未満の男性と結婚するしかないのです。
ビリギャルの「努力」と駅前トイレで寝泊まりするトリプルワークの女子高生の「努力」する前提すらない貧困
【話題】慶応大学に100%進学できる、慶応義塾ニューヨーク学院、初年度の入学金、学費、寮費込みで、年間4万5000ドル(約450万円)超
【海外】学費世界一(年1650万円)、大金持ちの子女が集うスイスの学校「Le Rosey」、その中身は?
東大生の家庭と一般家庭の年収をグラフで比較したら「教育はどれだけ課金したかで決まるソシャゲと同じ」ということが分かった
2007年の東京大学の学生調査によると、東京大学生の親の年収950万円以上の割合は52.3%を占めている
東大法学部生の親の平均年収1200万円 努力ではどうにもならない壁 どこで生まれるかで決まる人生
アジア系学生の入学制限で提訴された米名門大学 背景にある「人種枠」とは?
「ハーバード大学が増えすぎたアジア系だけ合格ラインを難しくしているのは人種差別?」海外の反応いろいろ
「大学前」で決まる超・学歴社会 | コリン・ジョイス | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
イギリスのエリート企業は新卒採用で「上流階級テスト」を実施する
Freshman Survey Part II: An Uncommon App | News | The Harvard Crimson
Amazon.co.jp: 学歴の値段 ~集金マシーン化した米大学の真実~ (字幕版)
可哀想という感情論だけで安易に手出しできないフィリピンの強烈な格差社会 : 市況かぶ全力2階建
家計収入によって脳の構造が変化して学業成績に影響することが明らかに
江戸時代の武士の子孫、今も日本社会で優位―米大学研究 - Japan Real Time - WSJ
日本の教育制度は、格差社会の上のほうにいる人に有利なように作り変えられつつある « 東大法卒41歳ママ日記
優秀な遺伝子も打ち負かし得る貧困―知能を左右するのは環境 - WSJ.com
Vol.011 社会階層の移動を決定するのは教育なのか? - 谷本真由美(@May_Roma)の「週刊めいろま」 - BLOGOS(ブロゴス)メルマガ
はてなブックマーク - 親の年収多いほど高い学力 文科省、初の全国調査:朝日新聞デジタル
はてなブックマーク - 「東大までの人」と「東大からの人」大切なのは「出身高校」というブランド | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]
AO入試に特化した予備校「AO義塾」に注目 東大推薦入試、合格者の6人に1人を輩出 : J-CASTニュース
@terrakei07 慶應義塾大学合格率83%のAO義塾へようこそ\(^o^)/ https://t.co/ylwm6zlXsW pic.twitter.com/2pcT7xoUuM— ぷくろう (@Puku_Pukuro) 2016, 2月 9
【悲報】東大初の推薦入試は合格者77名中13名がAO義塾の生徒で、早くも受験テクニックで攻略される | netgeek
【悲報】東大初の推薦入試は合格者77名中13名がAO義塾の生徒で、早くも受験テクニックで攻略される https://t.co/kGi9Hen1Jt 詳しい選抜過程はわからないけど、法学部の8人中7名が合格というのは科学オリンピックなどの実績を課していないことが大きかったのかな?— 山下ゆ (@yamashitayu) 2016, 2月 14
AO入試は学力だけでは測れない…つまりは出身中高の良し悪しや家庭・両親の文化資本で合否を決める入試.生まれと育ちが合否を大きく左右する制度って少なくとも俺はキライ。。。まだペーパー一発の方が逆転可能性があると思う— 飯田泰之 (@iida_yasuyuki) 2014, 11月 4
AOや推薦合格者の卒業後所得は低いというデータも!国公立大入試の「人物評価重視」は正しいか?
3人に1人以上が推薦AOの国公立大学医学部医学科 2015年度
「学歴」も「いい就職」も今後ますます入手困難になると思う | sociologistdiary
AO入試は学力だけでは測れない…つまりは出身中高の良し悪しや家庭・両親の文化資本で合否を決める入試.生まれと育ちが合否を大きく左右する制度
誰が医者になるのか : 医学部入試選抜システムと文化的再生産についての社会学的考察
Togetter - 「医学部入試の文化資本論 ~ 医学部の入学選考はいかにあるべきか」
オックスフォード大、公立高の才媛を拒否 ハーバード大は奨学生で歓迎
「大学前」で決まる超・学歴社会 | コリン・ジョイス | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
約800人の子どもの中で、低所得の貧困層の家庭で生まれたにもかかわらず高い収入を得るようになったのはわずか33人で、また、貧困層に生まれて大学の学位を得たのは28人に過ぎなかったそうです。
原告の男性は家計を助けるため、中学卒業とともに町工場へ就職しました。
60歳となった現在も トラック運転手として働いています。
一方で、本来B家にいるはずが、裕福なA家の長男として育てられた男性は対照的な人生を送ります。
自宅は庭に池がある豪邸。両親が教育熱心だったこともあり、大学進学時まで家庭教師がついていました。
訴状によると、男性は1953年、産湯の後、別の母親の元に戻された。
2歳で戸籍上の父を亡くし、工場で働きながら定時制高校に通った。その後は運送会社に勤務した。
一方、男性の生みの母親に渡された新生児は大学まで進学した。
男性の戸籍上の父親は55年に死去。生活保護を受け、兄2人とともに母親に女手一つで育てられながら中学を卒業し、町工場に就職した。
働きながら定時制の工業高校を卒業し、今はトラック運転手をしている。
一方、男性の実の両親(いずれも故人)は経済的にゆとりがあり、誤って引き取られた子も含めて、兄弟計4人はいずれも私立高校から大学に進学した。
親子関係不存在確認等請求控訴事件(東京高等裁判所判決平成22年9月6日判決)
遺伝か、環境か?「赤ちゃん取り違えの悲劇」から考える人間の能力
質の良い文化的財は、ただそこにあるだけで「全般化されたアロー効果」(ブルデュー)を発揮する。「アロー効果」とは、アメリカの計量経済学者ケネス・ジョゼフ・アローの言葉で、ブルデューはこれを以下のように解釈している。
「絵画、記念物、機械、製作物などの文化的財の全体が、そして特に、生まれた家庭の環境を構成している全ての文化的財が、ただそこに存在するだけで教育的効果を及ぼすという事実」。
単に裕福な家庭の子が進学で有利というだけでなく、
文化資本(上品で正統とされる文化や教養や習慣等)の保有率が高い学生ほど高学歴であることを統計的に証明した。
またその子供も親の文化資本を相続し、同じく高学歴になることも統計的に証明した。
彼はこれを文化的再生産と呼んだ。特権的文化の世代間継承と、学校がそれに果たす役割を解明。
社会構造が再生産され変化するメカニズムについて考察し、現象学的主観主義を発展させることも目指した。
これらの研究は、自己を他者から区別する「卓越化」が構造化される過程の分析から、
「客体化された資本」(家庭の中にある文化的なもの、本、楽器、美術・骨董品、蔵書等)、
「制度化された資本」(親の「学歴」、各種「教育資格」)、
「身体化された資本」(ハビトゥス;慣習行動を生み出す諸性向、「構え」「ふるまい」)
の3つの客体がある。
asahi.com:フランスの学歴インフレと格差社会―能力主義という幻想
労働者の父親をもつ男子では11%に留(とど)まっている。
国家貴族になる学生は、実は統計学的に両親の学歴資本、文化資本、経済資本、社会関係資本が高いことが挙げられる。
4歳までに、専門職家庭の子どもなら自分に対して発せられた言葉を5000万語、聞く。労働者家庭の子どもは3000万語、福祉家庭の子どもは1200万語だった。
就業人口の4割近くを占めるはずの生産労働者は美術館の観客全体の4%でしかなかった
東大生の親の年収 950万円以上が51.8% 教育格差は中学受験から始まる? 〈AERA〉-朝日新聞出版|dot.(ドット)
東大の「学生生活実態調査」(12年)によると、親の世帯年収が1050万円以上という学生が38%と4割近くを占める
東大法学部生の親の平均年収1200万円 努力ではどうにもならない壁 どこで生まれるかで決まる人生
全国で学力がトップレベルの高校生を、親の収入で4段階に分類してみたら、親の収入が一番多い方から順に、34%、27%、22%、17%だった ちなみに、この記事の「学力トップレベル」とはトップ4%。
4年生大学における貧困層の子弟の比率は29%から28%と僅かに減っている一方、富裕層の子弟の比率は55%から66%に大きく伸びている。
マレーは、世帯所得と学歴の平均が上位5%に入る居住地域を「スーパージップ」と名付け、詳細にその特徴を分析していく。
Amazon.co.jp: 階級「断絶」社会アメリカ: 新上流と新下流の出現: チャールズ・マレー, 橘明美: 本
ハマータウンの野郎ども 労働階級の文化が既存の社会体制を再生産
Amazon.co.jp: 学歴と格差・不平等―成熟する日本型学歴社会: 本: 吉川 徹
【話題】慶応大学に100%進学できる、慶応義塾ニューヨーク学院、初年度の入学金、学費、寮費込みで、年間4万5000ドル(約450万円)超
[フィンランド教育][ゆとり教育][詰め込み教育][つめこみ教育]
上層の出身階層で育った子弟は、その家庭環境からして教育を受けることをはじめとして、
仕事においても努力をする意欲を強く持つのに対して、
低い階層の子弟ではそれが弱くならざるをえない。
学校外での学習時間は、低い階層の子弟ほど少ない。
「落第しない程度の成績でよい」と考えている比率は、低い階層の子弟ほど高い。
私は短大のときの私と何か変わった訳でもないのに、扱いが変わる
[書評]私、おバカですが、何か? 偏差値40のかしこい生き方(深田萌絵): 極東ブログ
本当に食べていくだけで精一杯だったんです。そんな鼻つまみ者扱いが、
大学が決まっただけで「あ、早大生なんですね」って周囲は好意的に受け入れてくれるようになったんです。
決して「早稲田大学が日本一の大学です!」、「学歴がすべてです!」なんて思っているのではなく、
ある程度の大学にいるというだけで、社会的な信用度が大きくなり、
有名大学って入ってみるとお得な身分だなって、つくづく思います。
それまでの「え、○○短大卒なの?」って眉をひそめられていたのとは違う現実を突きつけられる。
社会って、不思議な世界で、私は短大のときの私と何か変わった訳でもないのに、大学の看板があるだけで扱いが変わるんですね。
「社会は、人々に機会を均等に与えるべきだ」という理念があるはずなのに、現実はまったく違います。
でも、大学の看板ひとつで、今まで得られなかった幸運やチャンスが巡ってくるなら、有名大学に行くのって悪くありません。
生まれた時代や、環境、性別から生まれる差は、自分の努力だけでは乗り越えられないものかもしれないけど、
受験は努力と運でなんとかなるから。
吉川徹の「学歴と格差・不平等」という本
1親が中卒の場合、子供が大卒であるのは13.9%
2親が高卒の場合、子供が大卒であるのは38.9%
3親が大卒の場合、子供が大卒であるのは66.4%
首都圏の高校では新入生の半分が学費を払えないために退学するところもあると報じていた。
asahi.com(朝日新聞社):地デジ受信機支給へ 生活保護107万世帯に - ビジネス
足立区の小中学校に通う児童生徒の成績は、いずれの教科でも東京都全体の平均点を下回り、都内23区中最低ラインだった
同区の生活保護所帯は1万1000所帯。
これは、東京23区の生活保護所帯の1割以上、日本全体の約1%だという。
家庭の生活苦は最終的に、子どもたちの学力低下に結びつく。
有名大学付属校ライフ、トータルでおいくら? お受験ブランド校・学費比較!
慶応
16年間
1700万円
下記大学の2年生であること。
幼稚舎出身の著名人
子供を幼稚舎に通わせた著名人
幼稚舎教育の大きな特色に、「6年間担任持ち上がり制」があります。
入学から卒業までクラス替えがなく、基本的には担任も替わりません。
担任は児童一人一人の成長と発達を6年という長い目で見守り、理解していきます。
つまり児童にとっては幼稚舎の6年間、担任は1人だけ。
「幼稚舎の歌」
福澤の 大先生の
お開きなさった 慶應義塾
社会学理論・研究ノート-大昔の偉い人は何を考えたのかー : ブルデューの文化的再生産論
大学以上の高等教育機関への進学者において、
東京大学入学者の70%以上が上層ノンマニュアルの子弟 - shift-jis
専門・管理職としてくくられる
上層ノンマニュアル(医師、弁護士、大学教授などの専門職や、大企業、官公庁の管理職、および中小企業の経営者など)と呼ばれる階層の出身者の割合が、
すでに1970年代から一貫して、ほとんど大きな変化もなく、高い値を示していることである。
この20年間に、公立高校から東京大学に入る者の割合は、70%から50%へと大きく変化した。
かわって、私立高校の出身者は、30%から50%へと大幅な増加を示す。
しかしたとえ、どのような高校を経由してこようとも、もともとの出身階層の構成比率自体にはこの間ほとんど変化が生じなかったということである。
・・・東大入学者は、私立高校の出身者の寡占状態を生み出すずっと以前から、すでに特定の社会階層出身者の寡占状態となっていたのである。
成績と父親の職業(中学2年生)
成績と家庭の年収(単位:万円)(中学2年生)
成績と母親の学歴(中学2年生)
家庭の所得が高いほど、また親の学歴が高いほど、子どもの成績がいい
東大入学を有利にしているのは、「上層ノンマニュアル」の財力だけではない。
先の調査で示した20年間に、公立高校から東大へ入学する者の割合は70%から50%に減少した。
一方、私立高校の出身者は30%から50%へと増加した。
つまり、東大入学者の出身校が教育費の安い公立から高い私立へと移行しても、保護者の職業構成は全く変わっていないのだ。
これは、財力以上の文化力、すなわち、眼に見えない「階層」が、そこに存在していたことを示している。
苅谷氏によれば、「家庭の所得が高いほど、また親の学歴が高いほど、子どもの成績がいい」という事実は、学者の間では一種の「常識」だったという。
しかし、そうした事実は、高度成長が始まる直前の1950年代後半から90年代後半まで、まるで存在しないかのように無視され続けてきた。
東京大学の学生の親の年収は、どこの大学の親の年収よりも高く
東大は
早稲田や慶応より
お金持ちが多く、
お父さんが社長とかの子供が多く
東大入学者の保護者の職業構成を、「東京大学生活実態調査」に基づき、20年にわたって調べたデータが紹介されている。
医師、弁護士、大学教授などの専門職や、大企業・官公庁の管理職、および中小企業の経営者などの
「上層ノンマニュアル」が約7割を占めている。
苅谷氏は『大衆教育社会のゆくえ』の中で、「SSM調査(社会階層と社会移動全国調査)」において、
尾嶋史章氏が1990年にいわゆる一流大学(旧帝大、東工大、一橋大、神戸大、東京外大、大阪外大、早稲田大、慶應大)の親の職業を調査し、
上層ノンマニュアル(医師、弁護士、大学教授などの専門職や、大企業、官公庁の管理職、および中小企業の経営者など)の出身者がどれくらいか分析した調査結果を紹介し、次のように分析している。
戦後生まれの若い世代である第三コーホート(四六~五五年生まれ)と第四コーホート(五六~六五年生まれ)の比較である。
入学者からすれば、第三コーホートの多数は、いまだ私立の六年生一貫校が隆盛をきわめる以前の、公立高校優位の時代に入った世代といえる。
(中略)この世代と、私立高校が有力になっていく次の世代とを比べると上層ノンマニュアルの親をもつ割合は、ともに七五%とまったく差がない。
つまり、東大だけではなく、それより範囲を広げた「有力大学」への入学チャンスをみても、私立高校が有力になる以前から特定の階層の出身者が入学者の四分の三を占めるという「寡占」状態が存在していたのである。
(450万未満が10.1%、450万以上~750万未満が18.2%、
750万以上~950万未満が15.2%、
950万以上~1050万未満が22.6%、
1050万以上~1250万未満が12.8%、
1250万以上~1550万未満が10.6%、
1550万以上が10.6%)また、
平均年収では1014万円となる。
注4)飛びぬけて年収が多い層があるため中央値はもう少し低いと思われるが、それでも
同じ年の1世帯ごとの平均年収が589万円
注5)であることを考えれば、倍近い格差がある。
【東大生≒富裕層】中高一貫私立出身が半数以上、親の年収高水準 東大の学生実態調査★2
東京大学の学生のうち、中高一貫私立校の出身者が初めて半数を超えたことが、同大が実施した
2002年の学生生活実態調査で分かった。親の平均年収は相変わらず1000万円以上の高い水準だった。
調査を担当した市川伸一教育学研究科教授は「公立高校出身の学生も大勢おり、
中高一貫私立校に行かなければ東大に入れないというわけではない。親の年収にもばらつきがある」と 概観しているが、
「(親の年収が高いことが東大入学に)何らかの形で有利に働くことはあると思う」と 分析した。
格差云々よくわからんけど、学力的に難しい大学にはやっぱり金持ちな家の..
格差云々よくわからんけど、学力的に難しい大学にはやっぱり金持ちな家の子が多いのは最近感じるようになった。
今、ボクは大学生でそこそこ入るのが難しいような大学に入れたと思ってる。これは個人的な感覚だけど。
夫の学歴が高卒で、妻の学歴が大卒、結婚の同類婚指数は0.19
階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ : 苅谷 剛彦 : 本 : Amazon
裕福でないと大学にいけないという幻想 - odz buffer
http://anond.hatelabo.jp/20110816094649
http://anond.hatelabo.jp/20130603101503
http://anond.hatelabo.jp/20120111092149
http://anond.hatelabo.jp/20130809115823
http://anond.hatelabo.jp/20131014005616
http://anond.hatelabo.jp/20131210194724
http://anond.hatelabo.jp/20140510001625
http://anond.hatelabo.jp/20140704205502
http://anond.hatelabo.jp/20091204003809
だって「授業内容削減」しても「教える時間まで削減」したら「ゆとり」なんて発生しねーべ。
教える時間削減して余った時間が「ゆとり」ではないの?詰め込みで勉強ばかりしててはだめだからという理由で削減されたような気がするんだけど。
あなたが教える立場だと思って考えてくださいね。
教える内容が10で今まで10時間で教えてました、と。
時間は10のままで教える内容を8に減らしました、と。
いやでも2時間余りますね? これなら「ゆとり」が生まれます。
では教える内容を8にしました、と。
教える時間も8しかありません、と。
で、何時間余りますか?
え、家に帰って2の時間が余るでしょ、って?
増田さんのおうちではそうかもしれない。でも日本全国のほかの家庭ではどうでしょう?
そもそも学校で「ゆとり」の時間が必要だとされ「総合学習」に期待されたのは、従来家庭で行われていた教育部分を地域や家庭に任せておける状況でなくなったこと……具体的には、「同年代多人数との交流による社会性の獲得」「好奇心を持って学んだり考えたりする態度」「責任を持って子供の様子を見守る大人の存在」なんかが地域にも家庭にもほとんど期待できなくなってきたということがあげられます。それに加えて、遅刻しない、たち歩かない、人の話を聞く、こぼさずご飯を食べる、などの「しつけ」に類する『学ぶ基本』もまた、家庭から学校に期待されるようになってきました。
つまりより正確に言えば
「教える内容を8にしましたが、あらたに教える内容が2求められるようになりました。
全体の時間も8に減らしましたが、新しい2の内容をやるために2の時間が奪われます。
さて何時間余るでしょう?」
が正解ですね。
「ゆとり教育プログラム」と「週休二日制」を同時に行うことが致命的な失敗だったと、と書いた意味が分かってもらえましたか。
ところで、
もちろん教員が週休二日にしたかったってのもあるだろうけど。
(1)そもそも教員が希望したりはしていない。
(2)週休二日実施前と後を比べて「楽になった」教員よりも「余裕がなくなった」と感じている教員は多い。(統計など参照されたし)
(3)むしろ授業時間の削減の流れの中、総合学習や教科改変、学力低下論、そして保護者への対応に振り回され勘弁して欲しいというのが現場の声
そしてもっとも大きなポイントとして
(4)「週休二日にしたい」というのが「教員の要請」で決まったのなら、上記のような声が全然政策に反映されない理由が全く分からない。
という点が上げられます。そもそも組織率2割、ストも打てない組合の意見で国が方針を左右するなんてあり得ないでしょ。
というわけで、私はその意見には賛成しません。
よく行くコンビニにいる高校生バイトがさ、カレーとかオムライスのコンビニ弁当を袋に縦に詰めるのね、他に買った飲食物と一緒に。縦に入れたらこぼれるから困るんだよね。
だから買い物の度に言うわけ。「弁当は別の袋に入れてもらえませんか?」って。もう弁当買う度にいちいち言うの。言わないと縦に詰められるから。こないだちょっと機嫌の悪いときについ言っちゃったよ。「あのさ、コンビニ弁当を買ったことないの?カレー弁当を縦に詰められたら中身がこぼれるってこと知らない?」
この話は今から10年くらい前の話ね。あのバイトは当時高校生だったから、今頃は得意気に今の高校生に向かって「ゆとりオワタw」「学力低下w」とか言っているんだろうな。
「学力低下」とか「ゆとり」とか、そういうフレーズは自分の気に入らない連中に対して使われるものなんですよ。自分がバカであることは関係ないです。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=219917&media_id=2
日記見ると朝鮮人ばりにファビョっているのがいて笑えるな。あと「日本製品は粗悪品」と昔は評判だったという歴史を知識としてすら知らない学力低下もいるし。
サムスン、ヒュンダイは日本のブランド? 世界的なブランドがどの国のものか、米国の多くの大学生が勘違いしている実態が、米調査会社のアンケートで明らかとなった。
それによると韓国の電子機器メーカー、サムスン電子の「サムスン」は57.8%、自動車大手の現代自動車など「現代(ヒュンダイ)」は55.7%の学生が日本のブランドと思い込んでいた。フィンランドの通信機器「ノキア」、米通信機器「モトローラ」も日本製との答えが一番多かった。トヨタ自動車の高級車ブランド「レクサス」は37.3%が日本製と答えたが、米国製と答えたのも33.7%あった。
どの国の製品が良質かとの問いには、日本と答えたのが81.8%で最多、次いで米国(78.5%)ドイツ(77.1%)だった。調査したアンダーソン・アナリティクスは「どの国のブランドなのか知識がないか、単に米国か日本、ドイツのものだと考える傾向がある」と分析している。
調査は06年後半、約1000人の大学生を対象に実施した。(共同)
むしろ僕個人の愚痴なわけだけれども、まずはこの記事を読んでから。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/956179.html
広島県が「人権教育」で知られるなんて知らなかったものだから、広島県福山市在住の高校三年生の僕は上記の内容をより詳しく読みたくて、櫻井よしこ氏の「日本の危機」を購入したんですよ。
「人権教育の柱は、”差別・選別をしない”です。結果として先生はいつも生徒と同じ目の高さにいなければいけない。ですから、普通にあるような授業の始め方”起立、礼”さえもありません。”はい、静かにして” ”席について”と何となく始まり”ここまで”と何となく終わるんです。
僕が小学五??六年生の頃だから、五・六年前になるのかな。僕の通っていた小学校では、「起立、礼」の廃止はありませんでした。
ただ、特筆すべきは給食のとき。
小学校の給食では、日直やら当番やらが「いただきます」の音頭を取るのはどこの小学校でもあることだと思うのですが……
僕の学年、いや、学級ではその「いただきます」の合掌を担任が意図的にやめなさいと言うのです。
先生の言い分は、宗教的に「いただきます」で手を合わせることが出来ない人だっているでしょう?と、いうもの。
他にも何か言っていたような気がするけど、思い出せない。
では、どうやって食事開始の音頭をとるのか。
1.日直が教卓の前に立ち、教室を見回す。
3.皆に給食がいきわたっている事を確認する。
4.「では食べてください」と言う。
僕の学級ではこれが日常だったのです。
---+---+---
「公立学校の学力低下で、県内外の私学や国立大学付属校への進学を志望する親や子供も多いのです。ところが人権教育絶対の教師は、これが気に入らない。先生は”なぜ私学か” ”なぜ県外か”と苛めるのです。
私の娘も、六年生の時、クラスで一人だけ私学を志望し、先生だけでなく、クラス会や児童からも責められ、一週間食事もできない程になりました」
そういえば僕の担任教諭も飛びぬけた子が嫌いだったなーと思う。
井の中の蛙だけれども、僕は小学生の頃、学習塾に通いクラスの中で一、二を争う成績を修めていたんです。
それでもって県下では最高レベルの中学校、広島大学附属福山中学への進学を志していました。
小学五・六年生と言えば、反抗したいお年頃。
僕も例外ならず、他の生徒とつるんで教師に迷惑をかけていたわけです。
で、僕の担任教諭は、「僕」が教師に迷惑をかける理由を、「僕が国立大附属を志望しているから、塾通いでストレスが溜まるから」と言い切ったのです。
その当時の僕でもさすがにおかしいと思いました。
他にも私学や国立大附属を志していたクラスメイトはいましたが、僕だけに矛先を向けたのです。
その事が理由かどうかは知りませんが、僕が給食を残そうとすると、担任教諭はそれを阻止し、「食べるまで離さない」と言い、昼休憩の間僕をずっとイスに縛りつけたり(残している生徒は他にもいたが)、放課後僕だけを教室に残し、「どうしてこんなことをするの?(どうして私達に迷惑をかけるの?)」と被害者面で聞いてきたり。
---+---+---
そういえば、僕が小学六年生の頃の日本の首相は森喜朗でしたっけ。
音楽室に六年生だけを集めて、六年生の担任教師二人とプラスアルファの教師が、僕らにこんな質問を投げかけた。
「一番大切なものって何だと思う?」
さぁ、みなさんも一緒に考えて見てください。
「森首相?」
クラスの誰かが言った、しかし答えはNO。
「天皇?」
…教師達の提示した答えは「自分自身」。
その当時アホだった僕は「なるほどー」と思ったりした。
---+---+---
これはどこの地域でもあることだろうけど、学校行事・式典で国家を歌わない。
小学校卒業間近となったある日、教師達は口々に「歌いたくないなら歌うな」と言ったり、「私達(教師)は歌う事を強制されている」と被害者ぶった口調で言ったり。
卒業式では、「国家を斉唱します」→「起立してください」→「国家斉唱」という流れだったから、歌おうという人は立たねばならなかった。
歌うために起立した人には当然冷たい視線が送られたわけですけども。
それ以前に、「歌いたくなければ立たなくていい」と教師に言われていたので、立つ生徒は皆無に等しかったのを覚えています。
---+---+---
長々と書いてきたわけですが、他県の教育の現場はどうなのでしょうか。
案外広島県と変わらなかったりして。
私は、この4月から高3になる高校生だ。1989年生まれ。ゆとり世代ど真ん中である。尤も、ゆとり教育がそれ以前の教育とどのように異なり、またそもそもそれが何であるのかを正確に把握していない。ご存知の方がいたら教えてもらいたいぐらいだ。
結論から、始めよう。これからの文章は、一般論のように書かれるが、私の個人的な印象であり同世代の学生一般に適応できるものではないことをここで断っておく。
馬鹿だ。博識にして日本中の人が、知っている。どうして、それを知っているのかという疑問を拭えない(学力低下を肌身で感じる機会のある人間とはどのような人種なのだろう?)が、私もそれを実感する。私は、小中と国立の学校に通っていた。折に触れて、私の同級生達が如何に知識に欠け思考力を持たないかを実感してきた。子供というものは知識を、思考力を持たないものであり、それを得るために教育をうける。全くだ。さて、うろ覚えだが次のような話が聞いた事がある。
小学校の理科の授業でアリを観察させ、そのスケッチを描かせた。すると児童たちは、4本しか足のないアリや体が2つにわかれているアリ、大きな羽をもつアリ、さらにはリボンをつけ2足歩行するアリを描いた。
理科の授業がある時点で小学校3年生以上であることは確実だ。これはどういうことであろう?アリの体の構造に関する知識の欠如だろうか?否、スケッチという行為はつまり観察する技能に他ならない。始めて見るものを見ても正確なスケッチを行う能力が求められる。((頼むからここで「自分が小さい頃は、外で遊んでアリを観察していた」なんて間抜けなことを言わないでもらいたい。教育に全ての責任を押しつけた議論を行うつもりだし、また「誰もがやるべきこと」が行われていない以上それを補うのが教育の目的である。))何を見るのか、見るとはどういうことか、それを教えるのが最も基礎的で根本的なものであり、教育で最初に教えられるべきものなのだ。小学校に行き教育を初めてうける子供は、建前上何一つ知らない。何一つ知らない子供に、ものの見方を、考えるという技能を、算数という概念を、社会の存在を教えるのが本当の基礎教育であろう。さて、私はそれを受けた事がない。「のびのびと個性をのばす」教育の弊害だ。プールで溺れている生徒に「立ち泳ぎ上手だね」と言う教師の冗句に端的に表されている。
例えば、2chを見てもらおうか。あるいははてなブックマークのコメントでも良いだろう。「ゆとり世代」に対し半ば冗談で軽蔑し、見下すような発言が多く見られる。マスメディアは学力診断の結果を古いものと比べて、学力低下を嘆く。知識人は、ゆとり世代が社会の中核を担うようになると日本に未来はないという。多かれ少なかれ潜在的にゆとり世代は自身の受けた教育にコンプレックスを抱いている。
さて、教育とは受動的なものだ。ゆとり世代は好き好んでゆとり教育を受けたのではない。ゆとり世代は「大人達が勝手に決めた『ゆとり教育』を受けた自分たちは、それを理由に馬鹿にされ、また『ゆとり世代のせいで日本に未来はない』などと騒がれる」と認識している。自分たちは悪くないのに、あんな言われようだ。
失敗したゆとり教育は、ゆとり世代の破壊的な無能さで以て表現され、大騒ぎされる。頭が壊れたゆとりが日本の総レベルダウンを巻き起こしているらしい。さて、ゆとりにできる抵抗あるいは復讐とは何であろうか?
努力もせず、能力も持たず、ただひたすら権利だけを要求する下級庶民が、特権階級の特権を悉く剥奪しようと画策し、「平等」の基準を給与や時間に、水準を下級に合わせようとしている。給料が高い医者や議員は、給料が高すぎると文句を付けて下げさせ、機会を狙っては訴訟を起こして賠償金をふんだくる。企業からの収賄や天下りは、自分達には縁が無いからと一方的に否定し、禁止させている。
確かに、特権階級の特権は「ずるい」様に見える部分も少なくない。が、それはその階級まで登り詰めた努力の賜物である。給料の高さもそうだ。これを全て禁止し、給料も下げてしまったら、誰が苦労してまでその地位に就こうとするだろうか。
「平等」の基準は難しい。努力に見合った対価を得る状態が平等なのか、全員が同じ対価を得る状態が平等なのか。男女平等も同じ。マラソンで走る距離は女の方が少ないことに不平等を訴える奴はいないが、労働量が少ないのに合わせて給料が少ないことに不平等を訴える奴は多い。
つまり、責任を果たさない権利の過剰要求の横行である。
そして、今の日本は、特権階級から特権を剥奪し、全ての人間が得る対価を平等にしようとする方向に動いている。言わば、社会主義化である。
だから子供達も、努力しなくても生活に困らないし、努力しても得るものが少ない現実を目の前にして、努力を放棄している。学力低下は教員の質の低下でもゆとり教育が原因でもない。そもそもの子供達の意識の低下、そしてその原因となっている社会の質の低下が原因である。社会主義がなぜ失敗したかというのは、中学レベルの社会科で習っているはずなのに、それを理解している人間が少なすぎる。
努力をして、普通の人にはなれない地位にいる人には、それに見合った、少しくらいずるく見えるような利権があって然るべきだ。それが欲しいならば、自分もその地位に就けばいい。そういった、執念にも似た努力が、日本の高度経済成長を生んだはずだ。
諦めて僻むだけの無能な社会のゴミ共が、特権階級の特権を剥奪して、自分達と同じレベルに落とそうと必死になっている。それが更なる社会の崩壊へ繋がることなど気にも留めない。自分の気が晴れればそれだけでいいらしい。
生きる権利は誰にでもあるが、生きている価値は誰にでもあるわけではない。社会全体にとってマイナスな個体は、生きている価値などない。
みなさんは、「無断リンク禁止」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか。
これは、見かけはリンク禁止のようだけれども、実は、リンク禁止になっているとはとても言えないもののことで、「似非アクセス制御」や「サイバーノーガード」などとも呼ばれます。
『そんなものがどこにあるんだ』とお思いの方も、例として、「最高裁が電話してというので」や、「うちは警察へリンクさせてもらっている」や、「文書で申し出よ」などのフレーズを挙げれば、『ああ、そういうもののことか』と納得されるかもしれません。それとも、かえって、『え?』と驚かれるでしょうか。
例えば、皆さんもよくご存知のように、『リンク許諾制はトラブル回避にいい』と一部で信じられ、ひところは大手官公庁もこぞってリンクポリシーを掲げるほどのブームになりました。無断リンク禁止ポリシーがよく書かれたのは、もちろん、リンク許諾制のトラブル回避効果に裏づけがあると信じた人が多かったからでしょう。新聞社や日弁連などでも書かれましたから、それを疑えという方が無理な話かもしれません。
しかし、実は、リンク許諾制がトラブル回避に良いという根拠は、ほぼない、といってよいのです。あのブームは、まったくの空騒ぎでした。最高裁判所までが、なぜ、その空騒ぎに乗ってしまったのか。きちんと検証しておく必要があります。
いまは、都道府県警察本部で人気が出てきているようです。しかし、実のところ、リンク許諾制を主張したところで、せいぜいお守り程度の効果しか期待できません。
いま、このような、無断リンク禁止のようで禁止ではない、「ニセリンクポリシー」が蔓延しています。
こういった「ニセリンクポリシー」のなかに、公正中立性や悪質業者に関わるものがあります。その話をしたいと思います。
よく知られている例の一つは、『無断リンク禁止にしないと、悪質業者に信用を悪用される』といういわゆる栃木岡山県警説です。しかし、この説に、信頼しうる根拠はないのです。その意味で、これもまた「ニセリンクポリシー」です。
もちろん、どんなにインターネットの普及が進んでもそれなりの初心利用者がいますから、悪質業者の言いなりに影響されることはあるでしょう。しかし、それだけなら、名前の無断使用や紙のチラシなどでも同じです。ハイパーリンクのあるなしとはまったく別の話なのです。
ところが、この説は、広報業務関係者に広く受け入れられています。全国各地で、広報現場によるポリシーのコピペが行われているようです。
もちろん、気味の悪い業者がうちと関係があるかのようなことを書くので困っているという広報担当者は多いでしょうし、広報室長もそういうのを何とかしたいと思っているのでしょう。
そういうみなさんにとって、「無断リンク禁止」が一見、福音に思えたことは分かりますが、効果のないものに飛びついても、仕方がありません。
そもそも、信用の悪用を何とかしたいというのは、リンクの問題ではなく、表現の問題だったはずです。うちと関係があるかのように書かれて困ると考えるなら、やめるようにきちんと主張するべきでしょう。表現を変えさせる根拠をリンクに求めようとしてはいけません。
もう一つ、今度は、リンクにまつわる奇妙な説を紹介しましょう。
リンク先をトップページにすると、きれいなウェブページになり、個別のページにリンクすると、きれいなウェブページにならないというのです。
ページというのはHTMLのことですから、これは、リンク先のURLがページの良し悪しに影響を与えるという主張です。しかし、もちろん、そんな馬鹿なことはありません。
この説が、いくつもの大手企業や地方公共団体で、利用規約に使われていることが問題になっています。ページデザインを改善しない自らの怠慢を正当化するのに、格好の材料と思われたようです。
しかし、本当にそうでしょうか。
この説は、たくさんの問題をはらんでいます。
まず第一に、明らかに科学的に誤っています。理科離れや学力低下が言われる今、道徳だからといって、ここまで非科学的な話を、事実であるかのように言っていいはずがありません。
しかし、それ以上に問題なのは、ページが汚くなる原因を、リンク元の責任に求めようとしていることです。
ウェブページは、ハイパーテキストの手段ですから、その使い方は、あくまでも、ページを作る人間が自分の頭で考えなくてはならないはずです。トップページ以外へのリンクはどんな状況下でも駄目なのか。それを考えてみれば、この話のおかしさは分かるはずです。
栃木岡山県警説が他者の表現を制限する根拠をリンクに求めるものだったのと同様、ここでは、ページデザインの崩れの原因をリンク元に求めようとしています。それは他人に対して多くを求め過ぎです。
ページデザインの維持も信用の確保も、リンクされる側が自分の頭で考えなくてはならないことであって、リンク許諾制でお茶を濁せるものではないはずです。