はてなキーワード: 学力低下とは
確かに怠惰を奨励するような言説が世に跋扈していて、それに惑わされる若者がいることは認めよう。そういう人たちを批判すること自体は構わないと思う。しかし森毅をそこで非難するのは誤爆と言わざるを得ない。
そんなときに、森が著書の中で
「ええかげんでいいんや。大学では勉強なんてしなくていい。エリートは勝手に育つもんだ」
と主張していたのに、救われた気がした。
いったい森毅がどこでそんなことを言っていたのだろうか。
「こうあるべきだ、という型に囚われる必要はないし、『エリートたるものかくあるべき』という型に学生をはめるのも馬鹿らしい」
「人に言われたことやイデオロギーを何でもかんでも真に受けて生きるのは痛々しいし危ない」
というそれだけのことに尽きる。ただ、これらの命題は自家撞着と紙一重(「俺の言うことを聞くな」というのはパラドックスである)だから、あんな持って回ったような言い方になっている、それだけのことだ。
私はそれを当時理解できずに痛い学生生活を送ったからこそ、その言葉の正しさを今になって身に沁みて実感していると確信している。
私が大学生になるかならないかの頃には、「怠惰の奨励」とはちょうど逆の言説が流れていた。「分数ができない大学生」だの「東大生はバカになったか」だのその手の本だ。その手の本を読めば、
「日本の大学生は勉強しない、教養がない、東大生でも厳密な学問を理解できない、旧帝大生といえども外国の大学生に比べて圧倒的に劣っている」
というようなことばかりが書かれていた。
それを真に受けた私は、「教養」とやらを身につけ、「あるべき大学生の姿」に自分を近づけるために随分つまらないことをやってしまった。興味も何もないのに哲学書だの文学書だのを紐解いてみたり、あるいは勉強の過程において、興味の範囲をはるかに超えて厳密さのために厳密さを追究してみたり。全く無駄であったとは言わないが、著しく非効率だったことは間違いない。そんな衒学的な「教養」だの、必要最低限を越えた完璧主義的な「厳密さ」だの(ε-δ論法というレベルではなく、物理数学を勉強するためにまず数理論理学を勉強するような類、あるいは読み始めた本は最後まで一行たりとも漏らさず理解しなければ許さないとする類の)を、自分の興味から逸脱してまで追い求めても、苦痛なだけで身に付くことは乏しかった。今だから分かるが、私はもっと自分を信用して、自分の興味に忠実になるべきだったのだと思う。そうすれば、「教養」だの「厳密さ」だのは、必要になった時点でいくらでも身につけることができただろうからだ。「青春」をエンジョイすることを放棄して人よりも多くの勉強時間を使っていたのに、人より飛び抜けて優秀でもない自分に嫌気がさしつつ、どうしてよいか全然わからなかった。修士論文のための研究をやっていて最後の数ヶ月でようやく自分の過ちに気づいたとき、余りに自分が時間を無駄にしていたことに気づいて絶望的な気分になったものだった。
敢えて長く自分語りを続けてみたが、あなたと対極的な私の失敗談を読んであなたはどう思っただろうか。「お前の下らん失敗など知るか、そんなどうでもいい本を真に受けたお前が悪いんだろうが」。その通りである。私が馬鹿だったのである。人に馬鹿と言われたくないがために、「教養がない大学生」「学力低下の大学生」と言われたくないがために、自分を無意味にガチガチに縛ったために自分の学生生活を楽しくなくしてしまった私の単なる自爆である。しかし私の失敗とあなたの失敗の一体なにが違うのか。どこかで見聞きしたことから勝手に自分で組み上げてしまった自己規範に従った結果、自分の人生をスポイルしたという点で、あなたと私のやったことは全く同じだ。そして森毅が言っていたことの真意を全く読み取れていなかったのも全く同じだ。
「他山の石」という言葉をご存じと思う。私の自分語りが痛いと思われるならば、あなたの自分語りも同じぐらい痛いことを思い知るべきだ。そして人を恨むのではなく、逆に過度に自分を責めるのでもなく、ただ自分が失敗したという事実を受け入れるべきだ。運が悪かったのか、環境が悪かったのか、そういったことが原因であなたや私は正しい道が見えなかったのかもしれない。だが、そのことに不満を言っても誰も助けてくれないし、失われた時間は返ってこないのだ。ならばせめて、今後の時間を無駄にしないようにお互い努力しようではないか。
「現在高校1年以下で、学力が全国3分の1以上。一流はとても望めないが二流なら・・・」
そういうレベルの学力を持った人がもし居るなら、ぜひAO入試で一流大学を狙って欲しい。
高校2年のキミはもう遅い、AO入試は言うほど楽じゃない。
「就職試験と同じ」といえば増田の人たちはわかってくれるだろうか?
座学は一般入試と同じ~ちょっと下くらいだが、実験や研究室になると飛びぬける。
ちなみに慶応にAO入試が多いわけは、SFC(慶応大学 湘南藤沢キャンパス)がAO入試を9割近くとっているから。
ほかの学科は、他大学と変わらず3人程度しか取っていない。
■AO入試に必要なもの
提出するものは、願書、そして志望理由書。
試験は一般入試よりはるかに早く、10月あたりに集中している。
推薦より早く決まるので、学内で一番最初に合格とかも珍しくない。
1次試験でまず願書とともに志望理由書を郵送し
受かれば2次試験の面接やディスカッション、学力試験に参加できる。
ようするに志望理由書さえ通れば、ほぼ受かったと思っていい。
必要なことは
この季節は学園祭がある、そういった時を狙って行けばハードルは低い
それ以外にも、その教授が開いているイベントがあれば必ず参加し、著書を読むこと。
有名な大学なら、大手予備校にいけばある。一ヶ月だけでも入ってみよう
多少の金はかかるが、全体的に見れば一般入試より金がかからない。
・志望理由書の添削
「オレ毎日ネットで文章書きまくってるし、論文とか余裕」と思った人は必ず落ちる。
■志望理由書
よって、もっとも大事なもの。
400、800、2000文字で、大学によりけり。
中堅の大学は400文字が多い。
多いのはめんどくさいが、文字数が少ないほうが難しい。800だとありがたい。
AO入試を受けるにあたって、将来どうしても達成したいことが必要だ。
宇宙旅行、新型の医療装置、量子コンピュータ、メイドロボ、ガンダム、etc...
それを決めた、昔からそれを作りたいと思っていた、なら
・「私はなぜそれが必要だと思ったか」を17年間の人生と絡める
・「それを実現すればどう役に立つのか」を考える
・「なぜそれがその大学でなければならないのか」を言う
といった形式になる。
そしていきなりそれを書こうとしないで「なぜ?」を5回くりかえしてほしい。
たとえば
「宇宙旅行を実現したい→なぜ?→宇宙へ行ってみたい→なぜ?→わからない・・・」
では駄目で
「メイドロボを実現したい→なぜ?→汎用型人型ロボットが無いから→なぜ?→技術的に難しいから→
なぜ?→二足歩行が難しい→なぜ?→高性能、安価な姿勢制御装置が実現していない、よって貴大学の○○研究室で・・・」
とかそんな感じで繰り返すことによって、自分でも知らなかった「夢を実現するために必要なモノ」が見えてくる。
私は「なぜ宇宙へ行きたいのか」を一年中考えてて半鬱状態になった。
ちなみに、理系でありがちなのが、専門用語はなるべく使わないように
あくまで「誰が読んでもわかるような文章にする」こと。
学校によってまちまちだが、ボコボコにされることが多い。
某国立では「H8(小型のマイコン)にした制御プログラム全部書いて」と言われて
できなかったら「あれぇーキミが全部やったんじゃないのぉー?」とか。
帰りには決まって電車に飛び込みたくなるが、皆そんなもの。
本心で書いた文章でも危ないのだから、でっちあげた文章なんかは絶対バレる。
内容は一般入試より簡単で科目数が少ない。例えば数、理のみで問題文は英語で書いてある、とか。
■どうしても一流大学に受かりたいなら
慶応SFCで「動物に権利を与えたい」という内容で提出すれば受かる。
おわり。
あの記事にこの内容とはネタなのか
話が飛びすぎで何を言ってるんだお前は状態だ
この発想はなかったわと斜め上を見るべきか
何にせよまずは得点低下原因・学力低下原因について検討すべき事象を列挙してみてはどうか
ホッテントリから。
「仮説ドリブンアプローチ」や「納得解」のような実践型教育、「正解のない教育」は、教える側にかなりのスキルを求められるだろう。「指導要領」みたいなものに画一化するのもむずかしくなるから、まず文部科学省は嫌うだろう…(中略)…
従来型の学校教育をほとんど全部ひっくり返すような、ラディカルな改革が求められる。
……
まあ、今更感が強いけど、一般の人に教育に興味を持って貰えるのは一応有難い。
できればついでに「ゆとり教育」というのがどういう「学力」を目指した政策か、
そして、そこではどのような授業、どのような教育が実現されているか、
そういうことを、少しでも調べてから書いて貰えると、もっと有難い。
(現行指導要領の「生きる力」と、それを引き継ぐ新学習指導要領の基本的考え方について
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/idea/index.htm)
文部科学省が今やっきになってやろうとしているまさにその『ラディカルな改革』の方向性に対し、ありもしない「学力低下」のかけ声で国民が足をひっぱったりすることの無いよう、心からお願いする。
学力低下は教える側がゆとり教育をはじめたせい、子供(若者)はむしろ被害者
コピペレポートの蔓延は環境が揃ってしまったから(昔の若者ならインターネットがあってもコピペしなかったとでも?)
離職率の高さは日本のシステム全体が終身雇用制度から変化した結果
メディアを見てすごい若者を見つけられないのはあなたのアンテナが低いせい
あなたの批判はまさしく元増田の指摘している「気持ち悪い批判」だと思うけど?
横増田からひとこと。
学力は戦前の庶民と比べれば相当上がっていると思うし、それでいいんじゃない。円周率は3じゃなくて3.14だとか騒いでたこともあったけど、そんなの五十歩百歩だよ。
レポートの丸写しなんて昔からよくある話じゃないかな。昔からネットがあったなら、そのころの若者(つまりいまの大人)もコピペに走ってたんじゃないかと。
離職率の高さは知らん。でもそれだって職場に問題があるのかもしれないよ。若者の問題じゃなくて。
最後については、今は趣味が細分化されているから、仮にすごい新人がいたとしても昔ほどちやほやされないんじゃない? そもそも「こいつはすごい」と思えないとしたらあんたの目が節穴、ってことでどうですか。
トラバ先間違えちゃったよ。正しくはこっち:http://anond.hatelabo.jp/20090225131148
小学校、中学校時代はゆとり教育のおかげで自主性を育てるやら伸ばすやらの名目で授業時間を減らされ学力低下。
高校受験は新制度(笑)のため前年度のデータやら傾向やらがまったく役に立たない手探りな状態での受験。
そして高校側での新制度に対応しきれず、不手際で不合格扱いや、再試験になってしまった人もそれなりにいたとニュースでは言っていた。
大学入試は少子化で全入が進んだが、オトナになりかける彼らの周りでは社会不安が叫ばれ未来は暗いという刷り込み。
そして専門学校生や短大生が卒業する来年度、100年に一度の金融危機と言われる不安定な社会に揺れ動く政治、そして就職難。
再来年度には大学生も卒業し始めるが景気が縮小のため就職難が加速すると言われたりもしている。
オトナに振り回されるのが子供の仕事とはいえ、さすがにこの63年前後に生まれた彼らはちょっと人生ハードモードなんじゃじゃないかと思えてくる。
今年新成人になられた63年度生まれの方々、お疲れ様です。
機種変更したとき残った古いヤツをとっておいてそれを担任に渡す。高校とかでそういう事例が実際に有る。
じゃあ、いちいち電源入れて動作確認とかするかね?「充電忘れたんで今は電源入らないっすー」って言えばどうしようもないんじゃね?あとでバレても「今使ってるのと間違えて持ってきました」と言えば罰するわけにもいかない。
一番確実なのは『使ってるのを見つけ次第没収、本人には返さないで必ず親を呼び出して返却』……とかなんだけど、まあキレる親もいるわけで(そりゃ仕事中にそんなことで呼び出されちゃー、いくら自分の側が悪くても、不満の一つも言いたくなるわな)消耗すんだわ。
だから、生徒が素直に携帯渡して問題解決するくらいなら最初から「電源OFFにしとけ」で良いハズなわけ。
まあ携帯持ってることで学力を云々する大人は馬鹿だと思うけどな。学力低下論に躍らされてる時点で、情報リテラシーが無いのは誰だっつー話。
赤信号で渡る子が増えると… →赤信号で渡らない子が肩身狭くなる →モラル崩壊ルートorいじめ増大ルート →日本終了
赤信号で渡る子が増えると… →運動できる奴が幅をきかせる時代に →頭で勝負する人間の非モテ化更に進行 →日本終了
赤信号で渡る子が増えると… →学校を批判するモンペ増加 →教師多忙化 →学力低下 →日本終了
赤信号で渡る子が増えると… →事故死者とか増えると将来同窓会やりづらい →「幼馴染と再会」ルート消滅 →日本終了
さらに
赤信号で渡る子が増えると… →事故が増え訴訟増大 →裁判員大忙し →経済不活性化 →日本終了
赤信号で渡る子が増えると… →円滑な交通が阻害され →輸送費等が増大し →物価は上昇 →日本終了
赤信号で渡る子が増えると… →交通事故が増え →保険需要が増し →外資保険に益々日本の資金が流出 →日本終了
赤信号で渡る子が増えると… →親の不安増大 →安全にかける予算の増大 →赤字国債増大 →日本終了
なるほど事実認識で違いがあるってのは分かったけど、まだまだ、?、ってところがある。
で、データを出してくれたけど、じゃあ、そのデータを踏まえて考えてみるね。
過去との比較ではそもそもデータがないと。高い、低いは言えないということね。
じゃあ、昨今言われている学力低下とはなんなのか。調べてみたら、案外、高学歴の子が簡単な問題も解けないことがあったと。
もちろん、高学歴の子でも簡単な問題を解けない程度の学力というのは問題だけども、あんがいずっとそんなもんだったのかもしれんよ、ということですね。
国際的に見ても、これもまた単純比較は難しいけれど、決して日本は低い水準ではないということ。
以上を前提として踏まえておきましょう。
では学力低下の何が問題なのか。
つまり過去における水準で良いとするのであれば、教育予算を拡充する必然は弱い。環境の変化によって、過去と同程度の水準を維持するためには、より負担が求められるようになったというのであればその要因が何なのかは明らかにする必要があるけれど、たぶん、お相手の増田さんはそういうことは言っていなくて、絶対水準での向上を言っているのね、これは学力だけではなくて。
正直、学力の話だと思っていたからこういう話になったけど、そうではなかったのね。
で、シミッタレと言うけど、私はあなたのいうそれらクリティカルな問題が特に優先順位が高い問題とは思っていない。
問題かそうじゃないかと問われれば問題だと思うよ。
改善した方がいいかそうではないかと言われれば改善した方がいいと思うよ。
けれどもそのためにはやっぱりカネがかかる話であって、日本が税制や社会制度を抜本的に改革して福祉国家路線に移行するっていうならともかく(ある程度、そうした方がいいと思うけど)、国際水準で見て極端に低水準にあるのでないならば教育改革をする優先順位は低い。
私はまさしくシミッタレていて、まず出来ればカネをかけたくないってのが最初に来ているわけ。
なぜならそのカネは高齢化社会に備えたり、社会保障を拡充したり、医療制度を守るために使わないければいけないカネだから。
カネをかければ確かに教育環境は向上するでしょう。でも社会ってのは教育だけでなりたっているわけではないのでね。
今でさえオーバードクターが余っているのに、高等教育修了者を増やす必要もないと思うし、まして国際水準で一定の成果を挙げているなら、教育の外部も含めた社会の視点でいうならば、そこに力を注ぐ必要は小さいよね。
増田さんが上げておられた問題のうち、かつてはそれほどなくて、今は増えている問題、モンスターペアレンツとそれを生み出す構造とか、教育費高騰の問題とかには、対処する必要があると思う。
それはたぶん教育業界だけでは対処できなくて、民法からいじらなくてはいけない、そういう問題かも知れないけど、ちょっと話がずれるし大きくなりすぎるからやめておくね。
少人数学級にしても、私はある一定の成果が望めるならば、少人数学級にこだわる必要はないと思う。あくまで基準は、一定の成果がだせるかどうかであって、80点で充分なら100点とるのは無駄だもの。
80点とるのに80円、100点とるのに100円かかるなら、80円で済ませたほうがいいってのが私の見方。20円節約できるし、その20円は他のことに使うべきお金だから。
子どもをじゃんじゃん塾に通わせたり家庭教師つけたりしてる高級住宅地の小学校と、親共働き学歴低め低所得者層向けアパートの建ち並ぶ地区の小学校では、前者に厚く後者に薄く予算配分すべきということですね。つまり公的予算を使って家庭の塾代など教育支出を更に煽るべきである、と。
でもって前者の学校の教師は良い教師で後者の学校の教師は悪い教師なのですね。後者の学校から逃げ出して前者の学校に行く教師は良い教師とみなされて、後者の学校にとどまり教育し続ける教師はダメ教師とレッテルを貼られるわけですね。
そして、試験の結果はじゃんじゃん公表して、後者の学校の子どもに「お前らは馬鹿だ」と言うのが高い教育効果をあげるというわけですね。
逆に何の評価も無く教育って物の達成度を調べる手法は無いって主張するなら
試験結果の悪かった大阪で、低いからこそ教師をもっと増やして手厚い教育をするべきと主張するのでなく低学力だからもっと教育予算を削るべきと主張するわけですね。
……
いや、あなたが変だと言いたいわけではありません。あなたが橋下さん本人なら別だけど。
あなたの言ってることは橋下さんと同じことなんですから。
ただ、あえてここはあなたに真剣に聞いてみたいんです。
あなた実際自分の言ってることのおかしさが本当に分からないんですか?
教育に競争原理はなじまない、教育にはもっとお金をかけるべきだという主張の意義が本当に分からないんですか?
そこを説明して貰えたら初めて、うるさいくらい「学力低下」を言いOECD学力調査の結果をヒステリックに報道するこの国で、同じOECDの調査で「対GDP比で見れば日本は教育に世界一金を出さない国」と言われ、文部科学省の教員増員計画を蹴って40年前に定められた「発展途上国的クラス生徒数」(=平均約30人はOECD諸国最低レベル。ほとんどの国の平均は約20人。データは下のリンク参照)を頑なに守り続け、人件費のみならず先進国の多くが教育予算を日々増額している流れの中であえて全体としての教育予算を減額し続け、そんな状況の中で真面目な顔で「学力向上のためにどうしたら……」「そうだ、祖国と郷土を愛する心が足りないのでは!」とか言う人々が教育政策を決めているという現状がどうして起こるのか分かる気がするので。
中学教科書において必修とされていた二次方程式の解の公式を、作家である自分が「二次方程式を解かなくても生きてこられた」「二次方程式などは社会へ出て何の役にも立たないので、このようなものは追放すべきだ」と言った(この後、夫の三浦朱門(後の文化庁長官)が教育課程審議会で削除を主張し、現行中学課程で「二次方程式の解の公式」は必修の事項ではなくなった)。
すげえwwwwww
たった一人のキチガイが国力どんだけ低下させたんだwwwwww
昔、マンション不況になったとき、ローン返済に「ゆとり償還」という制度があったのね。最初の数年間はローンの支払いを安く押さえるかわり、その期間(ゆとり償還期間)終了後は少し高い額を返済する、という。それなんて朝三暮四ですか?
例:http://www.h4.dion.ne.jp/~tamasabu/houseyutorishoukan.html
その人のゆとり償還は10年。この人の場合は、10年間は、
通常の支払いを約半額にしているのだそうです。
………
そんなの払えるわけないだろうJK。つーかそれゆとりとか言って実質負債増やしただけだろう。鬼か。
まあこれあんまりひどいと思ったのか、始まってしばらくたたないうちに(平成12年度)廃止されたんだが、実は「ゆとり教育」にもそれと同じペテンが採用されてるんだよね。
ゆとり教育と聞くと「授業内容3割減」とかそういうことを聞いた人は多いと思うけど、ゆとり教育を実施する際に、その減らした3割分の知識は高校と大学で習えばいいじゃん大げさだなあ、という論法が罷り通っていた、というのを知らない人は結構多い。図示すると下の(4)の部分。
(1)最近の小中生には思考力がないよ
↓
(2)知識偏重でゆとりが無いからだよ
↓
(3)小中の授業内容減らしてゆとりを作るよ
↓
自分は進学校高校教員だけど、多分大学の先生は上の構図を分かってない。少なくとも肌身で実感してない。なんでそんなことが言えるかというと、生徒に課す入試を見れば、上の事情を考慮してるように思えることがほとんど無いから。特に良い意味でも悪い意味でも京大とかはそう。例外は教育大で、こちらはむしろ積極的に教育界の空気読んで、入試のレベルだけでなくスタイルや問う力に関してもかなり変化させはじめている。まあ一番その辺の空気読んでるのはおそらく各都道府県の教育委員会(文科省から直轄して指導を受ける立場)なので『高校入試』の変化が一番大きいとは思うけど。
だから、高校では全然授業時間が足りない。下からは7割の知識で送られてるのに上からは10割の知識を要求される、オマケに週休二日で授業時間減……って馬鹿じゃないの?やむなく土曜日に補習授業したりしてるよ。意味無え。
2年前に各都道府県の進学校でいわゆる『未履修問題』が起こって大騒ぎになったけど、あの問題だって表面的に片づけるんじゃなくて、本当はもっと原因を掘り下げて考えるべきだったんだよ。「なんで土曜講習までやって授業時間が足りないんだぜ?」ってね。誰にでも良いから聞けば分かることなのに、まともにそこを論じてるマスコミはほとんど無かった。ホント終わってる。
まあそんなわけで、京大工学部の教授が『ゆとりの学力低下』云々宣ってることについて疑問を呈している下のブログの意見には大きく賛成。大学生が一番頭良いな。ほんと。
京大の工学部の専門科目の試験に出される問題っていうのは、その分野の基礎を取り扱ったものばっかり。これがわからなきゃモグリ、みたいな。
まあ、大学受験でいえばセンター試験みたいなもの。しかも毎年傾向が一緒。内容を理解するために高いIQや学力が必要なわけじゃない。
むしろボトルネックとなるのは、教材が充実していないこと。
ほとんどの授業は教官が自己流で教えていく。教科書に沿って授業を進めていくなんてのは非常に珍しい。
だから、試験勉強をする時に、体系的に学習するための資料を用意できるかどうかが肝となる。
てなわけで、以下に思いついた理由を並べてみた。
まあそんなわけで、来年になればまた例年の水準に戻るんじゃないかな。
http://anond.hatelabo.jp/20080824041507
これを見て思った。
「あぁ。人々が必要としている教育っていうのは、技術であり、手法なんだ。」と。
現実生活で役に立つ、How to や ライフハック(笑)なんだな、と。
基本を知りたい。目標を持ちたい。達成感がないとやってけない。・・・
アホかと。
目標が教師によって設定されて、お前らは悔しくないのかと。
自分で目標くらい立てろ、と。
あれか。
すがるものが無いと不安か?
ぬいぐるみ抱っこして無いと寝れないのか?
元来目標なんてのは、自分で立てて、自分で達成するものなんだよ。
宿題は教師によって設定されたものだ。
それを終わらせてもまったく意味がない。当然のことだ。
たとえば社会科。
みんなも行った、町探検。
俺が設定した目標はこれ。
3. 小単元の目標と評価規準
学校のまわりの様子に関心を持ち、地形や土地利用の様子などについて、自分から進んでフィールドワークによる観察や調査をし、白地図に記入したり、絵地図や地図に表現したりすることを通して、地形や土地利用の様子には場所によって違いがあることや、主な地図記号を理解し、地域による特色があることを地形や交通などの条件から結びつける。
4. 本時の学習指導
(1) 目標
・学校のまわりの様子を地図記号で表そうとする《社会的事象への関心・意欲・態度》
・地図記号への理解を深め、適切な記号を用いて地図へ表す《観察・資料活用の技能、表現》
これだけ。
誰だって達成できる。そんな目標を元に授業を作ってるんだ。
というのは嘘で、指導案上には実は技術を教える場面がいっぱいある。
それは、「児童からの問いかけがあった場合」だ。
これが厄介。
子どもたちは十人十色。何が質問されるかわかったもんじゃない。
たとえば、地図記号の由来。
実は、この授業をするにあたって全部調べてある。
ただ1キロにも満たない町探検をするのに、放課後デジカメ片手に100枚くらい写真を撮り、電柱の位置まで把握してある。
そういう下準備があるからこそ、子どもたちに「自由にやらせる」ことができるんだ。
どういった事態にも対処できる。どういう発問も拾い上げて答えを「教える必要があれば」教え、全体に周知することも欠かさない。
児童:「こんな葉っぱの木があって…。」
教師:「あぁ、あのお店の近くね。」
こういうの。
そういう児童と教師の双方向の作用があって、授業って言うのは成立すると思うんだよね。
少なくとも学校では。
「自由に描いてごらん」という教師の指導の裏には、どんなことでも対応できるという裏づけがある。
だから子どもたちはそれに疑いを持たず、本当に思ったとおり描いてほしい。
たぶん上は例示も悪かったので言いたいことが伝わってこないと思うから、以下に小話を。
テニス教室で、日本では指導者が「フォームが崩れているからこうした方がいい」という。
アメリカでは、「そのフォームだとこの点はメリットだが、こっちはデメリットになる。どうする?」という。
この違い。
みんなが求めているのは上かね。
だけれども、教育界は下を目指している。
そして、みんなが大好きなマスコミは、「学力低下」の指標として下の教育方法によって身につくPISAの学力調査を元に叩いている。
どっちがいいんだ?
ほら、目標は自分で立てようよ。