女は性を高く売ろうしていると考えれば全て繋がる
市販の風邪薬は、ただの対症療法でしかなくて、ウイルスそれ自体を倒す作用があるわけじゃないやん?
それを有り難く頂いた後に母親が「そのお金を預かっておくから2年後のスーツ買う時に使おう」という提案をしてきたので
「いやいや、もう子供じゃないんだから、20超えてるんやぞ、スーツ買うときには働いているんだからこんくらいの金はすぐ出せるわ」
などと言って死守したのだが、何気なく口に出したこの論は真理を突いているのでは?と気付いた。
子供の頃、お年玉や入学祝いなどでお金を頂いたとき我が親は「ランドセルに使うから」「学生服買うために使うから」と言った理由でお金を回収していった。
当時の私はそういうものなのだなと考え、残念には思いながらお金を渡していたが、今思えば非常に勿体ないチャンスを逃していたのだと思う。
「身の丈にあったお金の使い方をしなさい」
しかし、それが重要になるのは、身の丈が極端に変わらない大人になってからだ。
親戚から貰えるお金は、往々にしてその年代には少々大きい額になることがある、だが10代の少年少女が使うお金の額はたった数年で一桁ずつ上がっていくため、数年後には有り難みのない額になってしまう。
言い換えれば、数少ない「身の丈を超えた、しかし数年後には身の丈に合うお金を使う経験」を得られることができるローリスクハイリターンなチャンスなのだ。
ローリスクというのは、「親が不要なお金を渡すことはない」という立場を取れることである。
「あまり会わない親戚から、祝い事の時だけ貰えるお金」ということを子供が認識していれば、身の丈を超えたお金を日常的に使えるものだと思うことは少ないだろう。
ハイリターンというのは、各々具体的な例を考えれば理解してもらえると思う。
自分は小学生の頃にカラオケやボウリングなどのレジャースポットを知っていれば、中学・高校生の時は物怖じせずに遊びに行けただろうなと思うし、中学・高校生の頃から服や化粧品を買うことができていれば、大学生大人になった今もう少し身嗜みに苦労することはなかったと思う。
ここで言いたいのは、分不相応という言葉も子供の頃なら悪いことではなく、大人になろうと背伸びをして初めて背が伸びていくのである、ということだ。
もし将来自分が結婚できて子供が産まれ、お祝い事でお金をもらった時には一緒にお金の使い方を考えたい。
まぁ自分が無理でも兄は恋人もいるしそのうち結婚して子供できると思うのでその時は甥っ子姪っ子に良い経験をさせてやりたいものだ。
いつ死んでもよいなとは思っていたが、
もともと死にたがりではあるけれど、人に迷惑をかけてまで死にたいかといえば、そうじゃないなって。
必死にコロナにかからないように対策してる自分に気づいて、かかって死ねたら本望なんじゃない?って今日思ったんだ。
そのせいでかかる人がでてくるのはいやだし、死んでは欲しくないよなって。
コロナは「死ぬかもしれない」じゃなくて「殺すかもしれない」って思ってる。
人は殺したくないので、家に引きこもってる。
死にたくないわけじゃない、むしろ死んでしまいたいと思いながら。
ただ、この先3カ月後には給料が無さそうだから、きっと死に方をまた探してるんだろうな自分。
ぼんやりしていたら、
岡村はセックスワーカーの女性を一人の人間としてではなく、「自分の性の消費の対象」として明確に見ていることがハッキリしたから。
7人だか8人子どももいる橋下のほうがまとも
一緒にたべよ
まだやっとんのかこのからみ
岡村の発言のポイントは「経済的困窮によって女性がセックスワーカーになることを、性を消費する側の男性として歓迎する」というところだろ。
そしてこの問題点に気付かずに無意識に発言しているという事は、
岡村はセックスワーカーの女性を一人の人間としてではなく、「自分の性の消費の対象」として明確に見ていることがハッキリしたから。