環境活動家グレタちゃんって、ヨットでニューヨークまで行ったみたいなんだけど、帰りはヨットの人が飛行機で帰っちゃったからって同志じゃなかったのかよ?行きのヨットの中、何日も何話すんだよ。環境の意識高い系の話しとかヨットのクルーの人マジうんざりじゃない?
嵐ですら数千万なのに億なわけ無い
Dが2個もあるのにビタミンD取れないの
5000兆円
ディズニーの作品、マレフィセントやアナ雪なんかは、「同性の恋愛や、姉妹愛こそが至高」っていうメッセージが込められてるわけだ。
それだけならまだいいんだ。日本の漫画やアニメだって、そういうシーンは沢山あるし、だからと言って漫画やアニメを見た人が、ラディカルな思想に染まることはない。
でもおかしいのは、「異性愛」を敵に置いて、徹底的に嫌悪しているところ。
いや、こういう作品を見て喜ぶのって、「異常者の母親」つまり毒親でしょって思う。
この毒親ってのは結構な社会問題だと思っていて、奴らの頭の中はマレフィセントみたいなファンタジー妄想でいっぱいなんだよ。
「親子愛こそが優先されるべきで、異性愛は糞」みたいな。
この作品が一部の趣向に向けたならまだしも、世間はこれを「正しくて素晴らしい価値観」として許容しているわけでしょ?その捉え方はおかしいと思うのよ。
エドゲイン、加藤智大の母親ってのは、徹底的に異性愛を嫌悪してたんだよね。エドゲインの母親は男が嫌いで、自分の子供に対し性器に唾を吐かせたりさせてた。
結果的にエドゲインはその性癖の行き場を無くして、他者の死や母親、女になることに対して性的価値を見出してしまったわけだよ。
加藤智大も女と仲良くならないよう邪魔をして教育し、結果的に人本来の衝動が全て学歴や自身のコンプレックスに向かってしまった。
何が言いたいかっていうと、「大多数の思想を否定することを社会的に正しくするな」ってこと。
俺はヒーロー映画は好きだが、暴力で他人をねじ伏せる事を社会的に正しいと思っている世界には住みたくない。
ああいう映画は、同性愛が好きな人や毒親的なフェチを持つ少数派の為の映画であるべきであって、あれが正しいとなる社会は、社会が犯罪者の母親としての性質を持つのと同義だ。
自分が19の時に母親より5歳年上のおっさんかおばはんがあなたに一目惚れをし、結婚したいと思い、ガンガンアプローチしてきたらと考えたら、おっさんかおばはんが異常なのは解るだろ。