未だにWiiが今世代機の勝ち組でPS3は失敗したとか言い張ってる連中いるし、スレッドによってはそれが常識みたいになってる所もある。
アニメーション業界はディスクの売り上げに依存するような構造からほぼ脱却しつつあるので、仮に1000枚しか売れなくても赤黒とんとん、なんて世界がまもなく到来しそうな感じだったりする。
もっともネット配信やらディスク以外の関連グッズの売り上げなんてものの大半は部外には公開されない情報なので、当分の間はディスクの販売枚数をネタにした煽り合いは続くんだろう。
とにもかくにも、アニメを純粋に楽しみたい人間がやるべきは、そういう煽り合いの場にはなるべく関わらないようにする事だけだ。
そんなにしたいのなら、行きずりのイイ(と思う)男と寝てみればいいじゃない。
もちろんきちんと避妊して。
あとですっきりしない気持ちになるかも知れないけど、それでいいと思う。
好奇心を実践に結びつけて初めて経験になるというもの。どーせ最初は痛い。
性欲じゃないなんて前置きしてるけど、
処女であるあなたはそもそもまだ性欲の何たるかを全て知ってるとも言えない。
関心があるなら冒険するべきだと私は思う。
貞操とは人としての正しい道を守ること。
東北は議論の範囲外の所で詰められた辺り、脇が甘いしダメダメだな。
いさおるってはてなーかよ。
まぁ、文句ではないが、当事者を盾にとって自分の主張押し通そうとしてる意味ではクズだろう、粘着でもあるがなww
こいつの気持ち悪さはこれと同じ。
「ぼくに否定的な意見を書いた人を、ぼくを守るという名目でいじめるのはやめて下さい(ω)」風にいうなら、
「ぼくの苦しい選択の末に達した価値観にを、ぼく(のような弱者)を守るという名目でなじるのはやめて下さい(ω)」に相当する行為を働いてるところ。
を見て思ったんだけど、そもそも包茎って何で存在するんだろうな?
包茎じゃまともにセックスできない、すなわち子孫を残せないってことだろ?
現代人は「包茎」っていう知識があるから、仮性でも手で剥くことで何とかなるけど、
野生生物や猿はそんなこと知らないだろう?
つまり、包茎って時点でその個体は次の世代を残せない、強力な淘汰圧になるはずなのに、
なんで現代においても淘汰されることなく残っているんだ?
自分の頭の中で考えた案はこんな感じ。
案1.実はごく一部の真正包茎等を除き、ほとんどの包茎はセックスして子供を残すことが可能。
案2.実は野生生物や猿も手で剥くことに相当する行為を行っており、包茎でもセックスして子供を残してきた。
案3.実は包茎は遺伝によってではなく、環境によって生じるもの。包茎による淘汰は行われ続けており、包茎になってしまった個体はその時点で子孫を残せずに、絶えた。今生きている我々は先祖代々、包茎から逃れてきた個体の末裔。
誰か詳しい人、正解プリーズ。
だったら、辞めろ。今すぐに。
作新学院が部員が強盗したからって国体辞退して、代わりに仙台育英が選ばれて、「強盗が辞退して代わりに根性焼きが上がってくるってどういうこと」とかほざいてる連中がいるけど、そもそも仙台育英の野球部員が根性焼きしたって事実はないよね。仙台市のどこかの高校であったっていうだけで。
あなたが現役自衛官なら、ソレ言っちゃダメっしょ。黙って出動するのがお仕事なんだから。
昨今の法改正でますます立場の危うい泡沫派遣社員だし、ちょっと前にはどん底のメンヘル、数ヶ月生活保護のお世話にもなったし、
今は寛解して社会復帰したけれど、一生精神科医に通院し続けることが確定してる。
おそらく、今までの人生で何度も味わった身を焦がすような様々な熱狂に飛び込むようなことはもう出来ない。
釣堀の傍で、人々が大魚を吊り上げるのを眺めやる人生。
私がご相伴に預かるのは、他人が見れば撒き餌の取りこぼしのような事柄かもしれない。
でも人生が楽しくて仕方ない。
仕事や趣味、なんてどこか一つじゃなくて、この人生全体が楽しくて仕方ない。
精神病む前…というか病んでることを自覚する前は、ものすごく小心で、周りに迷惑掛けないように掛けないようにって気を使ってた。
もともと頭も顔も体も出来のよい人間ではないとは思ってたから、そのように見えないように取り繕いながら、内心はいつも縮こまってた。
でも発症して、病名が確定して、これから再発症を防ぎながら生きていくためにいろいろ考えてった末に、
自分がどうやっても社会や家族に対して掛けてしまう迷惑の下限、みたいなものについて覚悟ができたというか、
諦めがついたというか、しかたないんだなぁ。という踏ん切りがついた。
そしたら、人生が楽しくなってきた。
今まで、土を踏みしめるとき踏み潰してしまうかもしれない虫のことにまで気を回してたのが、
突然、(それが柵の中であろうと)思うようにスキップしていいんだって気づいたみたいな心境だった。
ごく限られた範囲でも、自由に走り回れる場所、というのを認識できたのは初めてだった。
相変わらず、私は自分の症状を日々観察して、定期的に専門家に意見を仰いで、危うい橋を渡ってたり日常の制限は多い。
けど、逆に言えば手が伸びる範囲の幸せは思う存分味わえる。
自分が望むことに注力できる。
もともとそれほど強くは望んでいなかったいわゆる「幸せ」を、世の中がそうだからという理由で追い求めなくてもよい、というのはすごく自由だ。
本当は世の中のすべての人が、そうであるべきなんだろう。
義務や責任で幸せを選ぶんじゃなくて、選び取ったそれを、ただ自ら望んで得た、得られた、それだけでそれは幸せなんだと言えるのが、本当の自由なんだと思う。
社会的には不自由といわれる身になって初めて自由になれたのはなんだかとても皮肉なことだ。
とにかく私は幸せだ。
両親は自分がこのような人生を送ることを手放しには喜んでないだろうけれど、
このような人生でなければ私はきっと自分が幸せだと思って生きる時間がもっと少ないまま終わってしまう人間だったと思う。
そんな気持ちをこめて、誕生日に両親と初めて外で酒を飲んできた。
父は還暦を過ぎてからすっかり酒に弱くなって絡んできて鬱陶しいし、母は年を考えたら驚異的なザルっぷりで見てるこっちが不安になった。
今好きな人居ないからそういう人が現れるまで守らなきゃいけないっていうことはわかってるけど「セックス」を一回してみたいんだよ!
というか見てるだけじゃなくてしてみたい!ちんこ触ってみたい!穴が空くほど眺めたい!
でも好きな人いないから行きずりの変なおっさんに処女あげちゃうのもよくないってわかってる!そもそもそんな勇気ない!でも好きな人(ry
最近こんなことばっかり考えてる。