そりゃそうだ。
プライドのために仕事するんじゃん、男なんて。単に「生活のため」以上の仕事は。
プライドのない奴は、生活のため以上の仕事はしない。する理由ないもん。
増田が「素敵な人」を「やる気があって仕事できる人」と定義している限り、矛盾が解決しない。
「適度に力の抜けた、一緒にいて肩の凝らない人」とかが「素敵な人」であると再定義すべき。
…で、ここからが本題。
「生と未来の生存:積極的生」="希望" 生きたい人・長期の生存を(健康など有効性も含め)望む人には希望がある
「死と結果の致死:消極的生」="絶望" 生きたくない人・生の終わりを望む(結果的な致死も含め)には絶望がある
これらを定義として沿いましょう。また死に至る絶望に大小は無い事も。
今までの内容も含めこれで登場する人物像は(実際に死んで存在しない人、存在しそうだけど登場しなかった端役を省くと)
・希望を持ち生きている人
・絶望しているが死への抑制(恐怖)があり現状死に至ってない人
この二種類だけです。
今回読ませて頂いた前半部分の長生きと希望の説明なんかは前提と出た答えが完全にループしています。
個人的な意見ですが、答えに至るどんなに複雑な内容や強い信念が省略されているとしても、
生や死や他者はそんな単純な概念にはならないでしょう。世の中に登場する二種類の人間は"他人"と"あなた"でしょうか。
あなたの考えがただスカスカなものでしかない他人の存在。それは答えに何の変化もないノイズかもしれません。
>回答者の場合「長生きは望まない-1 死にまつわる恐怖+1 (+○-△×□÷◇) =0 」
あなたの生を止める気も死を止める気もありません。
希望でも絶望でもなく、何の意味も持たないノイズという"違い"について書いてきました。
お付き合いありがとうございました。
一度距離を置いてその彼を考えさせてあげたほうがいいよ。
って本当におもってるならね。
その時になって初めて空気のありがたみがわかる。
または彼を恨めばいいよ。
じゃあみなきゃいいじゃん。なんでみるの?
丸投げなんてとんでもない。
恋人がのってくれない話題で盛り上がり、恋人は興味がない遊びを一緒に楽しみ。
私に依存するのも良くないので、時には叱り、突き放して。
そうして数年間頑張ってきました。
相手も私を必要として、傍にいてほしい存在と思ってくれています。
ただ、抱きしめる対象ではないということです。
まず自ら与えよ。
だから、精一杯気持ちを注ぎました。
好きな人がなるべく幸せでいられるよう、私なりに全力を尽くしました。
相手が幸せなだけでは生きていけない、私だって幸せになりたい…。
でも、自分がやれることを放り出して、自分の幸せを探していいのか。
相手の幸せを自分の幸せと思えない限り、どれだけ繰り返したって無意味なんじゃないのか。
「相手が幸せでいる。ただそれだけでいい。」
そんな境地にたどり着けない人は、どう生きたらいいんでしょうか?
少年向けに限定してもラノベの月間刊行点数は70~80点くらいは行く。
少女向けや周辺領域を含めれば100点は越えるだろうな。
でもまあ漫画だって月に出るコミックスは100点くらい軽く越えてるだろ?
ラノベが特別多いわけじゃないよ。
1日2時間で2冊ずつ読むんだったら年間600冊は余裕があるな。
出費については600円*600冊だとしても年間360000円。
そこまでハマってる趣味にしては大した出費じゃない。
アンサイクロペディアに釣られる奴だったら2chにもいるだろう。
「最近知り合った子に告白されたんだ。ただのキスとかでも、その子とだと…なんかイイんだよ。
こんなの初めてでさー。相手次第で全然違うもんなんだな。」
お前とのキスはつまんねーんだよ、言わせんな恥ずかしい。
ついったーなら、アンサイクロペディアに釣られた人がいたくらいだから、フォロられ数が多い人が貼ったらすぐ釣れるよ。
最近のラノベは携帯小説レベルっぽいからな。凄い勢いで読めるんだろう。
http://www.hobbyjapan.co.jp/hjbunko/lineup1107.php#novel110703
ただマンガも大半は似たようなもんだし、べつにいばれることじゃないと思うよ。
すげぇ釣り針だらけだな。
伝聞形式でラノベをdisりつつ、漫画が好きと言ったその口で「だが金は払わん」と言い、最後に自虐を入れて自己防衛。
でも、なにかが足りない気がする。
あと何があると完璧だろう?
「最近知り合った子と一緒にいる時よりも、私と一緒にいる時の方がずっとずっと幸せだと彼が思うように頑張ってみよう」とは考えないの?
今までテレビを見ていて、腹立たしさを覚えたことは殆ど無かった。
ただ先日放送された、TBS 「 紳助社長のプロデュース大作戦! 」を見て少し腹がたった。
内容を大雑把に書くと、『渡る世間は鬼ばかり』のメンバーが宮古島の民宿に駆けつけ、祭りを開く的な内容でした。
民宿の備品や環境設備などを、地元のショッピングモールや建設会社で購入や施工のお願いをするのですが
はっきり言って半ば脅迫のような値切り交渉と、当たり前のように無理難題を押し付ける施工依頼。
というようにしか受け止められず、見ていて気分の良いものではありませんでした。
もしかしたら、裏ではしっかり正規料金が払われているのかもしれませんが、
上記のような演出は、経済的に苦しいと思われる沖縄県で行なっていいものでしょうか。
正直なところ、ワンマン社長が自分の古い考えとセンスを宮古島の民宿に押し付け、地元の店舗さんや業者さんも巻き込み、無理やり美談に着地させるやり方に納得がいきません。
チラシの裏にでも書けばいいことかもしれませんが、視聴したみなさんはどう感じたでしょうか。
とにかく、菅を批判する声には具体性が欠けている。
復興基本法が成立するのに100日以上かかっているのは遅い具体的な例だし、そのくせ節電大臣・ボランティア大臣は震災2日後に決定は人気とりの具体的な例だし、鳩山に辞めると匂わせといて内閣不信任を回避したのなんてペテンの具体的な例だし。
あの、好きってどういうことですか?
一緒にいると楽しくて嬉しくて、手が触れたりするとどきどきして死にそうになる相手がいるとします。
相手が喜んでくれると私も嬉しいので、色んなことをしてあげたくなると思うんです。
たぶんこれが「好き」ってことなんだと思うんですよ。相手に幸せでいてほしい、って気持ちが。
たとえば、その人の相談事に、親身になって乗ったりもするでしょう。
「最近知り合った子に告白されたんだ。ただのキスとかでも、その子とだと…なんかイイんだよ。
こんなの初めてでさー。相手次第で全然違うもんなんだな。」
よくわかりますよ、その気持ち。
それがたった二週間前の話ですもんね。比べれば違いもくっきりですよね。
ここで冒頭に戻るんですけど。
私は相手の幸せのために、「最近知り合った子」との仲を応援すべきだと思うんです。
そうできなかったら、私は相手のことを好きじゃないんでしょうか?