「美辞麗句」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 美辞麗句とは

2009-10-24

小鳩政権の「東アジア共同体」って、もはや時代遅れじゃありませんか?

注目の新語登場。「ASEAN+1」って何だ? 

****************************************

前にも書いたが、鳩山首相がNY国連総会出席のおり、到着してすぐに会ったのが胡錦涛主席だった。予定を一時間ちかくオーバーして、「東シナ海友愛の海に」とか、美辞麗句を並べた。

とりわけの注目は「東アジア共同体」である。

鳩山首相の説明を胡は「ふむふむ、聞いておるぞ」とひややか、その日、筆者は中国にいて中国報道ぶりを見ていたが、東アジア共同体論議は、すでに中国では「終わっている」という印象を抱いたのである。

おそらく中国日本の主導権を排斥し、独自のアイディアを抱いているに違いない、と踏んだ。

なにしろ2020年中国海軍空母二隻体制となれば、東シナ海南シナ海中国が支配し、いずれ半世紀もしないうちにハワイで東西を米中が分かち合う、と中国は本気で考えているのだから。

アジアの海は中国の海、そしてアジア中国通貨共同体へ。

やはりでてきた。

国際政治新語が登場したのだ。

人民日報10月22日)をご覧あれ。「温家宝首相は『東アジア首脳会議』へ出席」という見出しの下に、こう書いている。

東アジア諸国と協力基調を保ち、世界金融危機に積極的に対応している(中略)。今後の発展に道を開き、ASEAN(十ケ国)+1,ASEAN+3,および東アジアサミット。。。。。。。。」

ASEAN+1とは中国のことである。順位は次に「ASEAN+3(日中韓)」と来る。

衣の下の鎧が見えた。

ASEAN中国が主導し、域内の経済ヘゲモニー中国が握り、つぎに日本韓国も協力させようではないか。アジアは「中華共栄圏」としますよ、という宣言が、しずかに、なされているのである。

日本のいう東アジア共同体構想に、突如として中国が冷淡になった背景が、透き通るように見えてきた。

△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△

  「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 

     平成21年(2009年)10月23日(金曜日

         通巻2748号  (増ページ特大号)

2009-07-21

明日からまた仕事なわけだが

新卒研修中。

仕事といっても現在は営業でガチ飛び込みを2ヶ月ほどやってるだけ。

その前はやたらある部署をちょこちょこ見て回ってた。

相当普及してる商品だし、使う人を選ぶ商品だしとまぁ、とにかく売れない。

でも売れなくても先輩は馬鹿なんじゃないかっていうくらい優しい。

営業時間に「今日暑いからどっかでサボってればいいよ」とか言ってくるレベル

それにおっちゃんらは何を勘違いしてるのか、俺たち新卒グループを「幹部候補生」って呼んでくるわけ。

馬鹿な同期は勘違いしてるけど、大卒が全部「幹部候補生」だった時代じゃないんだよ…おっちゃん…。

飲みに行ったら長い話を聞かされる。

大体会社愚痴。うちの会社新入社員が見てもわかるくらい効率が悪いし、何かおかしい。

まぁ、ぬるくてやりやすいけど、その分給料も低い。

世間様はトップクラスに稼いでると思ってるけど、社員給料には反映されてない。

そんな会社を「上に行って変えてくれよ!」っておっちゃん達からはいつも言われる。

だから幹部候補生じゃないんだって…。

いい大学出てるだけで楽してのし上がれるほどいい会社じゃないんだよ。

東大京大なら別だけどさ。

まぁ、今月末までの営業研修だ。

上にはレポートなんてわけのわからんものを出さなきゃならないけど、

適当美辞麗句を並べておけばいい。

売れてないのが難点だけども。

あー。地球のみんな!オラに営業成績を分けてくれ!

2009-07-11

新彊ウィグル自治区に駐屯の特殊兵団は百万人に増えていた

王楽泉・書記はこれまでの更迭説を跳ね返し「血の弾圧」を中央から評価された。

中国共産党のやり方は世界常識の百八十度反対側にある。血の弾圧をすればするほど、出世するのだから。胡錦涛チベットで民衆の不満を血の粛清のぞみとんとん出世階段を駆け上った。王楽泉は中央委員である。

さて中国はウィグル自治区の騒擾における死者の数を増やした。184名。犠牲者民族構成は漢族犠牲が74%だって!(新彊ウィグル自治区の最新の人口構成は漢族が73%)。この数字は信憑性が薄い。まるで語呂合わせではないか。

世界ウィグル会議」(カディール女史が代表。ワシントン)は直ちに声明を発表し、「死者は最大3000名に達するだろう」。またNYタイムズは「漢族ギャング団が武器を手にしてウィグル人を襲撃した」事実を明記した(7月11日付け、ネット早版)。

ウアルカイシ(吾爾開希)は台北記者会見し、「天安門事件の死者を中国共産党は最初から最後まで作為した。今度も数千の犠牲がいるはずである」(『自由時報』)蘇貞昌(前台湾首相)も同紙に寄稿して「自由と人権を尊重する立場から、われわれはウィグル人を支援するべきではないか」と訴えた。

さて、今時ウィグルの騒擾で長らく謎とされてきた「新彊兵団」(新彊に駐屯する特殊軍隊)の謎の一端が明らかになった。正式名称は「新彊生産建設兵団」という。

石油ブームが漢族人口を激増させ、ウィグル人を石油とガス産業から排除

既報のように毛沢東時代に中国人民解放軍という事実上の「侵略部隊」は山東浙江省からの部隊が主力だった。後年、これに上海からの若者が追加され、1960年代には五十万人といわれた。

簡単に言えば革命後、余力を新彊とチベットに侵略軍として派遣し、将棋のコマのように使い捨て、生き残っても中原に帰還して貰っても困る。食い扶持が減る。だから現地に残留させ、「生産」とか「建設」とかの美辞麗句で飾り、実際は自活せよ、というわけだった。これが『新彊生産建設兵団』発足の経緯である。

『新彊兵団』は独自の養鶏場養豚場、農場をもち、自作自給の食糧による駐屯を続けてきたため独立部隊の性格もあった。この兵団のなかに党細胞と独自の行政、独特の自治、検察司法どころか銀行大学も持ち、企業経営も展開してきた。『行政』は中央組織をまねて「台湾弁事処」まである。

現有は十四個師団、保有する農場は100以上、建設企業が500以上で社会事情単位は3000もある。100万人と推定される構成員の89%が漢族だという。

同期間、住民の強制移動により中国各地から新彊に300万人が移住したため漢族人口比がまたまた増えた。ウィグル人の怨嗟の的となった王楽泉(新彊ウィグル自治区党書記)はソ連崩壊直後に新彊に入ったが、おりからの石油ブームで採掘、輸送ビジネスを展開し、一族郎党を山東省から率いてきた。石油ブームにより200万人の新規移住があり、漢族人口が増えていた。

もともと王は石油技術に明るく、また共産主義青年団(団派)出身のため、一時は胡錦涛との関係が緊密だったという説もある(NYタイムズ、7月11日)。しかし十六年という長きに亘る駐在は珍しく、赴任地が長ければ長いほどに利権の独占状態が進んでいることもまた事実であろう。

2009-07-07

THE END OF EVANGELION」の感想集 2

http://anond.hatelabo.jp/20090707100038 の続き

 弐拾六話では全ての人とあっさり和解でき、すんなり受け入れられた。
しかし世の中そんなに甘くないというか、実はそれこそが自己中心的世界
と言える。もっとリアルに描いてみよう、というのが26話ではないかと。

 何故なら「本質的に解り合うことのできない他者が存在する」というこ
と、他者を認識するとはそもそもそうしたことである筈だったから。庵野
氏の構図で言う幻想世界の内部において、シンジはどうしてもそのことを
容認できず、他者を理解できないまま、自分を理解するよう他者に縋り続
けた。補完計画が完成し、群体から単体に還元され、全てを包含レイに
抱擁された時点で、彼はやっとそのことに気付いた。
 ラストアスカを殺そうとしたのは、アスカが正に他者であることを、
彼が遂に知ってしまったから。でも結局殺せないし、前のようにエヴァの
胎内に逃げることもできない。そこは既に第弐拾六話の月面と同様に、後
戻りの聞かない場所、補完が導いた現実世界。・・・

 なんと、エヴァと融合し全てのヒトを包含した神が、人一人殺せず、孤
独に耐えかねて泣いているんです。
 私はここに最高のユーモアカタルシスを感じました。こんなに見事な
ラストは、これまで観たことも読んだことも恐らく無かったです。(^-^)
宮村優子さんのラジオ発言とか最近目にするようになった彼女の雑誌のコメント
を見ると、宮村さんは今回の劇場版をお気に召さなかったのかなとも思います。
自分でも「なかなかのモノが出来た、俺の選択って凄いぜ。フフン」と庵野監督
が思ってたのに、いざ、脚本を渡したら宮村嬢からの冷たい反応。それにショッ
クを受けてああいったラストにしたのかな(^^;?
無責任な憶測ですけど
 あのラストシーンは,シンジが選んだこの世界が決して「気持ちのいい世
界」ではないことを辛辣に描いていました。しかし同時に,そこには絶望だけ
でなく,わずかな希望もあることをも示していたと思います。


 希望アスカの手,シンジの涙。 
                  そして,『会いたい』という気持ち。
 ラストシーン絶望的。シンジはほんの少しだけ変わった。もうひとり、ほ
んの少しだけ変わったひとがいるみたい。でも、その「ほんの少し」への一歩
のなんて遠いこと。2人は、まだ変わっていないみたいに見える。だけど、絶
望は希望の裏返し。これからどうするか、それは、私たちに委ねられたのかも
しれない。
  ひとつだけ考えられるのは、シンジ物理世界に戻ろうと決意したのをアスカ
  も知っていて、そんなシンジとだったら一緒にいても良いかな、って思ったの
  かも知れない。
  でも、砂浜で再び自分の首を絞めてる彼を観て「ああ…やっぱり何も変わって
  ないんだな…」と思っちゃったとか。
 寂しいことを言ってしまえば、アスカにとって、自分のために泣いてくれた人
を身近で感じたのは初めての体験だったのかもしれません。初めてで慣れてない
から、「気持ち悪い」のかも。
庵野監督は最後までアスカの扱いに困ってしまったようですね。その苦悩がラス
トシーンにも出てしまったのでしょうか。「おまえがいるから滅茶苦茶になっち
ゃったんだ~!」ってね。でもその存在を消せない(笑)
 嫌悪も一つのコミュニケーション。心の壁は現実そのもの。
 そして、今までと同じ、自我と、人を代表とする非我との戦いがつづく。
 何度もそれを確認しながら、幸せにも不幸にもなれるラストだったと思います。

 ラストシーンアスカ。第1話のレイと同じ場所に包帯を巻き、首を絞められな
がらもシンジの頬をなでる。
 これって、つまりアスカの中の“母性”を表してるのかな、と思いました。綾波
レイは「母」のメタファーそのものと言っていいでしょう。そして、シンジの側に
横たわっているアスカレイと同じ姿であることは、彼女もやはりシンジを優しく
包み込む“母性”を内に秘めていることを意味しているように思えます。その後の、
シンジの頬に触れる行為も。

 しかし、彼女最後の言葉は「気持ち悪い」。シンジを拒絶する言葉です。これ
は“14歳の女の子”として、「私はあんたの母親になる気なんて、今のところ、
さらさら無いわよ」と言ってるんじゃないでしょうか。「あんたが何を求めてるの
か分かんないけど、受け止めてあげる気なんてないわよ。余裕もないしね」と。ま
あ、あのシンジ-自分を傷つけるかもしれない他人を殺すこともできないで、ただ
しゃくりあげている-を受け止めることなど、14歳の少女に過ぎない、もちろん
自身それなりに問題を抱えているアスカに、できるわけないでしょう。たとえ“母
性”を持っているにしても。むしろ、一方的に求める方が酷です。(さらに、相変
わらず求めるだけっていうのも、また問題だ)。

 しかし、将来的には彼らがどう成長し、変化するかは分かりません。そういう意
味では、もう多くの方が感想に書いてますが、「これから」を感じさせてくれるラ
ストシーンではありました。もう語られることのない物語の続きの中で、彼らは彼
らなりに成長していくのでしょう。
不快感(=気持ち悪い)」というのは、赤ん坊が最初に感じる感覚だということを聞いた
記憶があります(←記憶あやふや)。そうでなくとも、「気持ちがよくない」という感
覚は、まぁ、「夢」だとか「望んだ世界」ではなく、「現実」を示唆しているのかな、
とも深読みしましたが・・・深読みしすぎかな?
 シンジアスカは、それこそお互い誰でもよかったんだと思います。憎む相手も
愛する相手も。でも、自分を互いに真正面からぶつけ合った過去が、二人には出来
てしまった。互いに、相手に対する憎しみも、相手が欲しいという気持ちも、相手
を拒絶する言葉も告げてしまうほど、互いの気持ちを相手にぶつけた。そして、そ
の憎しみも欲求も、おそらく今後の彼ら自身の心を強く拘束していくでしょう。
 ラストシーンで、くびを絞め、瞳を動かし、頬をなぜ、涙を流し、気持ち悪いと
つぶやいた二人は、それこそ、愛よりも深い、憎しみもかなわない、たとえ離れて
も、ひととき忘れても、もう互いの心の一部そのものにまで結びついたように見え
ました。

 One more final:   I need you.
 
 もう一つの終局もすべてのおしまいではありません。英語のタイトルは『私はあ
なたが必要である』でした。
 そして、皆に等しく、同じ戦いが、始まり、続きます。
 でも生きてさえいれば、幸せになるチャンスはどこにだってあります。だって生
きてるんですから。

 愛よりも深く。
 夏の映画は誰も他人を受けいれられなかった二人が、とにかくも深く結びついて、
そこから再び、同じ戦いが始まる、終局であっても、何も解決していない、ラスト
でした。
シンジ内面に問いかける声も、もはや静かなレイの後ろ姿ではなく、アスカの
赤裸々な罵倒へと変化しました。「お願いですから、もう電話してこないで下さ
い。」「よりを戻すつもりは更々ないの。」「その、やっぱり、友達以上に思え
ないの。」「ハッキリ云って迷惑なの。」「これ以上付きまとわないで下さい。」
これらのセリフ作品の展開からは伺うことができない以上、庵野監督自身の人
生から引用してきたものと解釈されます(もちろん脚色を加えているでしょうけ
れど)。つまり、劇場版におけるアスカは、これまで庵野監督を傷つけてきた
「5人の女性」のような「他者」を象徴する役割を与えられるようになったのだ
というのが僕の理解です。
 そうすれば、ラストシンジアスカの首を絞めかけたり、アスカがその後で
「気持ち悪い」と言ったりする寒々しい展開も、すんなりと納得できるのです。
現実の他者は、お互い決して期待通りの反応をしてくれない存在ですから。
 オタク依存を打破するために作ったアニメが、逆にオタク依存の代表になっ
 てしまった苦い皮肉。昨日某アニメショップで見かけた会話。

 「これ買えば」(とシンジ君が表紙のアニメディアニュータイプを指さす少女)
 「えーいゃぁー」(と汚いものでも見るかのように嫌悪する少女B)

 彼女らの心の中にはカヲル君しかいないらしい。作品全体のテーマを見ようとせ
 ず、自分のお気に入りのパーツを使って幻想エヴァを作り上げて固執する。虚
 構からも逃げ続けている。自分以外のエヴァはいらないのだ。そして、そのこと
 を指摘されると過剰に反応し激怒する。「ぱふ」の一部読者はひどいものだ。無
 論、綾波アスカの一部ファンにも言える。
 そういう意味で、庵野さんが「気持ち悪い」と言わざるを得なかったのは良く分
 かる。だから実写を入れてこれでもかこれでもかというぐらいに観客に語りかけ
 た。でもそれは届かない。最も病んでいる人間、庵野さんが最も一言言いたい人
 間は嫌悪する現実ファンタジーに変えて消し去ってしまうのだ。
シンジくんの首締めはちょっと??な気もしましたが
アスカシンジの頬を撫でて「気持ち悪い」は、
頬を撫でるシーン拒否、否定の感情からではなかったと思ったので
集合体としての生命の海から浮上して「こ」の世界の「ここ」にいる
「こ」の自分を認識し他の存在シンジ認識し
「気持ち悪い」ことも沢山あるけど「ここ」に自分と他人が存在
することを知覚認識して噛みしめていると感じました。

いやぁすっかりアスカが主役でしたね。
ここまでアスカ映画になってくれるとは
嬉しい誤算でしたってのはアスカ者の偏見でしょうが。

      とでも思わなきゃやってらんないよなぁ。
かくして、シンちゃんはアスカちゃんのドレイとなり、
一生、幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。
                                                       <終劇>
       自分は性的嫌悪感からくる言葉だと思ってるんですけどネ。
       DEATHの新作カットの「ミサトやバカシンジの使ったお
       湯なんて~」の頃には、もうシンジ君が自分の事を性的対象
       して見てる事に気づいていたのでは?このぐらいのお年頃の
       と女性ってそういうのたまらなく嫌だと思うのですがどうで
       しょう?
シンジアスカを殺そうとするが思い止まる。アスカに優しい言葉を期待する
"ファン=シンジ"だが"虚構=アスカ"は"気持ち悪い"と突き放す。

そういうことか?ヒゲメガネよ。
それと映画アスカシンジを否定したのは
(自分の勝手解釈ですが・・)
「シンジアスカの事を、好きで求めているのではないのを、
アスカは気付いていた。なので、コーヒーメーカーに激突させ、
最後に’気持ち悪い’とまで言った」
好きで求めていない、というのは、恋愛感情のみ、でなく、
シンジは弱い自分を何とか持ちこたえさせる拠り所に「強く
見えるアスカ」にすがっていたふうに見えたからです。
アスカにしてみればそんなおかんのような役、あまり嬉しく
ない気が・・・。
 また、最後の台詞「気持チワルイ・・・」ですが、ラストシーンでのアスカ
の様子を見てみると、腕と頭部と目に包帯およびガーゼが当てられており、
これは第壱話においてストレッチャーに乗せられてシンジ君の前に初登場
した綾波レイそっくりの状態で、加えてあの目線から察するに、アスカの
中には、彼女自身の魂や人格に加えて、レイの魂が入り込んでいるのだと
私は感じました。

 いわば、アスカとしてはトラウマを刺激するモノとして忌み嫌っていた
レイの魂が自分の内面において(シンジへの想い故に)融合しつつある
ことについて現在のところ「ケンカカレー」(歳バレ?)の状態にある、
ということで「気持チワルイ・・・」という言葉に繋がったのだと私は考えた
のですが、みなさんはどう思いますか。
あのラストシーンは実はハッピーエンドである。
あの砂浜のシーンは補完直後のシーンではない。
実はその前にシンジアスカを見つけ、傷の手当をし、ミサトの墓を作ると
いう一連のシーンがあったのである。
しかしアスカは何も話さない、何も反応しない病室アスカの状態に戻ってし
まっていた。(偽りの復活)
そんなアスカを不憫におもったシンジは思い余った挙げ句、彼女の首に手を
のばす。
しかしその時、今まで何も反応しなかったアスカの腕が動き、シンジの頬を
撫ぜる。
嬉しさのあまり、涙を落とすシンジ。
更にアスカは言う。
「(あんたバカー、何泣いているのよ)気持ち悪い(わねえ)」

そうあのシーンは「クララが歩いた」パターン感動的なラストシーンなの
である。
しかし観客の期待を裏切る事ばかりを要求された監督は素直に感動的なシー
ンを作る事ができずにあのような解りにくい形にしてしまったのである。
だが安心したまえ、ビデオ・LD収録時には完全版として失われたカット台詞が収録され、誰の目にもハッピーエンドである事が解るに違いない。
(笑)
シンジ監督アスカ・観客に置き換えると、あのラストシーンは
また違った見方が出来ますね。
現実から遊離してしまっている観客を不憫に思った監督真心アスカが無反応だったら悲惨ですね。
それより、もし「気持ちいい」と言われたらどーする(笑)
 シンジ・観客、 アスカ監督ではどうでしょうか?

 シンジ「わーん。こんなEVAはいらないよぉ~。
     謎もあまり解明されてないし~
     そこで気絶してないで、もう一回EVA作り直してよ~」
 アスカ「(まだやれっての?)気持ち悪い....」
1:呼吸困難になった為の気持ち悪い
  えー、シンちゃんに首をギュッとね!(爆)された惣流ちゃんですけど意識
  の無い状態で首を思いっきり絞められては血のめぐりも悪くなり気分が悪く
  なったという、低血圧で良く立ち眩みしてる女の子意見がありました(苦笑)
2:あのセリフみやむーちゃんのアドリブ説
  庵野監督に捧げるアドリブ説(黒い説ですわねぇ(苦笑))という人若干名
3:怪我のために気分が悪い説
  右手の謎の治療跡で判ると思いますが怪我してる場合気分が悪くなるもんです
  (経験者談)
4:2日目説
  ・・・・・・(^^;)・・・・・・
5:観劇してる人へのメッセージ説
  ・・・・・・
 「きもちわるい」。
 他人の体温が気持ち悪いことって、ないですか?
 でも、その嫌悪感を、人は「愛情」で中和させる。
 けれどそれは「無理をしている」のかもしれない。
 本当は、人なんて、生まれてこない方が良かったのかもしれない。

 だけれど、生きている。
 それでも、生きている。
 生きていなければならない。
 
 決して理解できない「他人」の隣で、それでも「一人ではなく」生きている。
 エヴァみたいな「黙示録もの」のラストって、和解・融合、善悪何れかによ
る統一、純粋な荒廃、・・・みたいな一元的な世界の出現で終わるのが相場じゃ
ないですか。これは魅力的だけど、弱点があります。つまり、解り難いんです。
 具体的にどんな世界になるのかが想像できない。私達の周りにあるのは、一
元的把握が通用しない、それこそ「他者」が存在する世界です。争いの無い平
和な世界、とあっさり書くことはできるけれども、そこがどんなところなのか、
人或いは人々が何を考えて生きるのか、よく考えると理解できない。
 放映版の受け入れ難さって、ラストのそういう典型的ユートピアが、観る側
の想像力を麻痺させたせいがあると思うんですよね。

 映画版は、そうした典型から脱したところが凄いと思います。シンジとゼー
レの意思に従って、一元的な新世界を一度は成就しておきながら、シンジの成
長というモチーフを重ねて「その先」を開いてしまった。この点に限れば、黙
示録を越えちゃってますよね。そうして出来上がった「他者の居る新世界」に
は、シンジがその成長の代償として手に入れた、純粋で人間的な憎悪や悩みや
悲しみがあり、観る側として非常に素直に感応できる。これがユーモアやカタ
ルシスでなくて何であろうかと。そしてまたそうした世界を、アスカの最後の
台詞一つで完成したところがまた見事なんですよね。
インパクトのある、出来るだけ短い、どうとでもとれる演出、ということで
ああなったんではないでしょうか。鏡のように、見たいものが見える、見た
くないものが見える、うがった人にはうがった見方が見えるラストシーンだ
と感じてます。
最後にアスカが包帯をしている意味は、
「アスカ自身が女になった」
「シンジにとってアスカが女になった」
という二つの意味を同時に持っていると思います。
「気持ちわる」という言葉には、リアリティを持たす効果と、
触れあいによって「産むことが可能な存在となった」=妊娠イメージを出す効果、
それに、存在が個に分かれていることの実感(喜びも悲しみも)が
表現されていたように捉えられました。
 最後のシーンについてはアダムとイブというよりアジア系神話 洪水で生き残った
兄妹の話(日本のイザナギイザナミの話でもこういう始まりのものもあります)
の方を連想しました。

 アスカの気持ち悪いのセリフですが考えによっては色々とれるセリフですね。
私はシンジと一線を引くセリフと取りました。
(ここから他人としてスタートとして2人の関係はどうなるかという・・・)
この最後はFANが自分たちで考える宿題だと思えました
最後のアスカも女っぷりがよかった!きっと、あれがアスカのやさしさじゃないの
かな?と思った。急にわかったようなアスカになったら余計かなしいもん。
とっても、ハッピーエンドだったと思います。映画みたあと結構すがすがしかった。

気持ち悪い,はよかった。絶望とそれでも幻想を構築しなくてはならないという
意志が感じられ・・・るか? 絶望だけか? 慰めてもらいたいのか?
立派に完結していたと私は感じましたし、救いもあったと思います。
ラストセリフは、生々しい接触も含めてアスカシンジを受け入れ始める、
という言葉ではないのか、と思うのですが。
少なくとも、突き放されて終わったとは感じませんでした。
私、あのシーンは本編に絡まないと思ってます。
庵野のファンに対する愚痴だと思ってます。
ファンによって傷つき首を絞められた「エヴァ」から、
おおよそ倒錯しているファンの一番多いアスカの声で、
ファンに対して文句を言ったんだと思います。 
創世記によればエデンの園では人も含めてすべての生き物は裸で(つまり自分自身
をすべて晒して)いても恥ずかしいとは考えなかった。ところがアダムエヴァが
禁断の知恵の木の実を食べた途端に裸でいることに気づいて恥ずかしくなり、身体
を覆って隠した。このことが神の怒りに触れ、2人はエデンを追放された。
・・・ラストシーンの2人はやはり楽園を追われたアダムエヴァなのですね。
自分の殻(ATフィールド?)を壊すことができなかった(あるいは自分の殻に閉じ
こもって出ることができなかった)シンジアスカだけは結局補完されることなく、
荒廃した世界に取り残された・・。それでもアスカシンジを拒絶するかもしれな
い・・と。
この映画を、人間の内面の描写をメインとして考えると、まさしく、私の好きな
ジャンルに入るんですよね。いっかい、救っておいて、最後にもう一回、落とし
ちゃうっていう。(笑)でも、最後は、あれでよかったと思います。だって、簡
単にシンジが、他人を認め、世界も、そんなシンジを喜んで、迎え入れるで終わ
ってたら(テレビの終わり方かな?これは。)、面白さ半減だと思います。そこ
で、アスカに気持ち悪いといわれて、自分の選んだ世界の厳しさというものを示
して、終わった方が、なんか、心に重ーくのこるじゃないですか!(だから、
ONE MORE FINAL なんだとおもいます。)

  補完中にシンジアスカと、ものすごい勢いで傷つけあいます。
彼は最後には彼女の首に、手をかけるのです。
そこまで他人というのは自分にとって厄介なものなんです。
理解不能ですからね。

  それでも、シンジは「融合」ではなく「他者との並存」を選びました。

  「共生」だとか「相互理解」とか美辞麗句に彩られた根拠なんて、
これっぽっちも示されないのに。
根拠があるのだとしたら、寂しさゆえの「I need you」くらいなものです。
単体になってしまったら永遠に孤独ですからね。
(この辺、あまり自信無いな。二回目を見たほうがいいかな?)

  目の覚めた彼は、隣で寝ているアスカの首を、再び絞めにかかります。
そりゃ、あたりまえです。
自らの選択とはいえ、自分を苦しめる元凶が、
現実に厳然と、そこにいるわけですから。
ほっとくと、こっちが殺されるかもしれませんし。
「他人がいる」─────本当に深刻です。この問題は。

  なぜか生きていたアスカが、そんなシンジの頬に手をやって、
彼に「他者のいいところ」をちょっち認識させます。
苦しみとともに、ヨロコビもまた確実にあるのです。
シンジの手から、力が抜けて、その後のアスカの一言で
「終わらない夏の物語」の幕が引けます。
 アスカの「キモチワルイ」発言は、相当ショックだったのですが、
彼女らしい発言だなとも思います。少なくとも、病院のベッドで
息だけしてる状態で生きている彼女より、ずっといいです。
 「詩編 The End of Evangelion」では、アスカの言葉は、
「あんたなんかに殺されてやるもんですか」が入っていますが・・。
 現実は、そうそう、都合のいいようにはならないんだという事に
通じている気もします。
私が思ったのは、アスカはショックで植物人間状態がある程度つづいており、
(目がサカナだった)シンジはいっそ楽にしてあげようとしたと見えたのです
が。包帯をきれいに巻いてあるところを見るとシンジが悩むに十分な時間はあ
ったのでしょう。(だからエントリープラグから気が付いたらあの場面、てい
う訳ではない。)そしたらもう動かないはずのアスカの手が動いたので、嬉し
くて涙が出た。ついでに「気持ち悪い」という正常なアスカがはくセリフが出
て、アスカが完全復活したという、無条件ハッピーエンドだと迷いもなく思っ
たのですが。
あの最後のアスカ首しめられシ-ンですが、そのあと
のアスカセリフが最後の最後に観客を現実に引き戻すオチ
みたいにかんじました。首しめ、まえふり?みたいな(笑)

 TVシリーズを見る限り、アスカシンジに対して14歳の少女らしい「嫌いだ
けど好き」という心理を抱いているようです(まぁ25話で助けられなかったこと
がしばらくもめる原因にはなるでしょうが)。それゆえに、シンジ腑抜けさに我
慢がならないのでしょうか。ただ、その心理とは別にエヴァパイロットとしての
ライバル意識も強烈ですから、非常に言動もわかりづらくなるのでしょう。

 シンジの方は、ミサトさんレイアスカもいいという宙ぶらりん状態ですが、
考えてみれば男ならたいていは心理的二股、三股は当たり前です。しかし、この中
で本当に可能性があるのはアスカだけなのですから(ミサトは年上過ぎ、レイは・
・・実の所は母、ユイですから)、将来的になんとか努力するでしょう。そのため
に現世に戻ったのですから。

 で、最初のコミュニケーションが首締めと「気持ちわるい」。一種ダークな感じ
もしますが、「他人とのコミュニケーションが最初からうまくいってたまるか」と
いうことであれば、先がどうなるかは・・・
 しかし、あのラスト必然とはいえ悲しい物がありましたね。
アダムにとってイブとは所詮他人であり、殺意を抱く対象であ
り、自分を傷つける存在なわけですから。
しかし、やはり最後はきついです。安易な現実礼賛はもっと嫌ですけれども
あそこにはやはり意地の悪さは感ぜずにはいられません。
少数派なのかもしれませんが、肯定否定はともかく「私の趣味としては嫌だ」
というのだけは間違いないです。こんな人もいるということで、一応、存在
を認めていただけるとありがたいです。
やはり、あれは監督からのメッセージと取るべきではないかと。
月に斜線が入っているように、もうこの「エヴァ」は終ったんだ、
もう人の作品に自分の考えに目くじら立てて攻めるのはやめてくれ、
見る側と自分は「他人」なんだ、そこまで立ち入らないでくれ、攻めないでくれ、
こっちにしたら「気持ち悪い」んだ、
エヴァ庵野の首を絞めるのはもうやめてくれ・・・
そういう事だと私は感じました。いつまでも他人に依存されると気持ち悪いって
事だと・・・そういう意味の、監督の「エヴァは終ったんだ!」という宣言
ではないだろうか。
私はあのラストシーンは
「自分に棘があることも、相手が針を持つことも、
全てを承知した上で敢えて一歩前に進む事が出来るようになった
シンジ君」に成長した、と言う風に考えています。

「気持ち悪う。」の台詞に関しては、あそこから人類の新しい
時代が始まる的な雰囲気(オーケストラが聞こえてきそうな、
とでも申しましょうか。)の中で、劇の中の世界ではこれは
現実なんだ、と言う目的で入れたのではないでしょうか。
(日常性を出したと言った方がいいかもしれません。)
まあ、いわゆるハリウッド的な大円団では無いよ。ってとこですか。
私はいい出来だったと思ってます。
 アスカは「気持ち悪い」よりもその前に差し出した手の方が重要だと思います。
敗北の象徴である同じ右手だというのがヒントでしょう。
 シンジが心象世界ラストシーンアスカを求めて首を締める
シーンはレイプメタファーじゃないかという意見がありました。
確かにそう解釈するとあのラストも非常に理解しやすくなるんで
すよね。
そしてラスト台詞ですが、私はシンジだけでなく、世界の全て(自分も)
に対して感じたメッセージだと感じました。生きていくには気持ち悪い世
界だけど、やっぱり死ぬのは嫌だ、と。そもそもアスカシンジを好きだ
とは思ってなかったのでショックではありませんでしたが、手も触れず、
目も動かさなくてあの台詞だったら、やっぱつらかったかな(^^;)。ともかく、
我が儘を貫き通した監督に拍手!
やっぱシンジアスカの首を絞めたのは、ATフィールドの象徴で
しょうな。人は生まれながらにして、他人を拒絶すると


  

2009-06-19

俺を取り巻く開発現場は「残念」!? 増田さんに聞く

http://anond.hatelabo.jp/20090618012903

こちらの元増田です。

はてなのお作法みたいなものがよく分からないけど、

トラバコメに対する返信をこんな感じで書いていいものか。

各記事にトラバ返ししたほうがいいのかな…。

http://anond.hatelabo.jp/20090618014439

こういうのはだいたいが運なんだろうな。

次の仕事が面白いかどうかなんかは入ってみないとわからないことあるだろうな。

やっぱり運なんですかねー。

同じ会社で別の現場に行ってる人なんかは、

一次受けだったりモダンフレームワーク駆使してたりで

楽しそうな人もいるんですよね。

自分も前の現場で知り合った人に退職することを知らせたときに

(社交辞令かもしれませんが)うちに来ないか、と誘われたりもしたんですが、

「そこで役に立てなかったら自分だけじゃなく引っ張ってくれた彼の顔も立たない」っていう不安

強かったんですよね。

その人は僕の現場での仕事っぷりをそれなりに評価してくれてたようでありがたかったんですが、

逆に誰も僕を知らないところでどこまでやれるかを試したい気持ちも少なからずあったのかも。

http://anond.hatelabo.jp/20090618020443

運なのはまったく同意。

そうであるならどんどん次にいくしかない。

自分で道を切り開くしかないってことも分かってるつもりなんですが、

あんまジョブホッパーみたいなことをやっていて、飽きっぽい根なし草みたいに思われても

まずいかな、とも思ったりしています。

できれば腰を据えて開発に専念できる会社に身を置きたいと思っているので…。

数か月前に経験したばかりの転職活動は、楽しくもなかなか体力・精神力の要るものだったし。

でも、踏ん切りをつけるなら早めのほうがいいですよね。

http://anond.hatelabo.jp/20090618023021

増田に必要なのは「メールにそう書いてあったからそうなのだろう」という決め方の反省をすること。

今から自分が働こうって会社が、どんな業務をしているのか調べた?

確かに「メールに書いてあったんだから」的な考えはお花畑だったと反省すべきだと思います…。

今の会社は立ちあげて3年目くらいのベンチャーで、

外に出してる情報は景気良さげなものばかりなもんで…

Javaで高水準の案件が!」みたいな。

自分が参画してるのは同じ会社からは独りで出ているので、

美辞麗句並べてた社長も僕がどんなことやってるのか把握してなさげです。

実際(そこに参画していない僕が勝手想像すると)魅力的な案件に携わってる人もいるようなので、

やはり運に依るところも大きいんですかね。

http://anond.hatelabo.jp/20090618190513

はてなにいて、IT戦士たちの生き様をみてると、

IT戦士すげえなあって思う。

やっぱりIT業界の人から見ても、

あれって上澄みなの?

いちおうIT業界の末席を汚す身としても、すっげぇ上澄みにみえてしまいます。

僕もブログ技術的なエントリ書いてはてブで「これはすごい」タグつけられたいお!

http://anond.hatelabo.jp/20090618191639

はてなに住んでるスーパーエンジニア達は上澄みだろ」

と思っている俺みたいな三下から見ても

「こいつらクズだろ」

って連中が平然と業務でコード描いてたりはする。

あるあるあるあるwwww

だから、自分立ち位置がすごく不安定なものに感じてしまいます。

現場で活躍するためにスーパーエンジニアエントリを参考に腕を磨くぜ!と思っていても、

現場レベルが逆の意味でものすごい…。

http://anond.hatelabo.jp/20090618215310

俺もヘビーなコーディングばっかだった現場から転職して、

あくびが出るような単純なCOBOLプログラムばっか書くような所に来てしまった……。

しかも、コーディングしてる時間なんてほんの少しで、ずっと設計テストばっかり。

まあ残業もなくなったし割と収入も増えて極楽なんだけどね。

残業がなくなってないこと以外、よく似た環境です。

「内職する」「ツール作成に血道をあげる」

仕事でのプログラミングは諦めてオープンソース開発に走る」

参考にさせていただきます

内職はちょろちょろやってるんですけどねー。

いかんせん、数行のソース修正に対してコーディング以外にやることが多すぎる…。

Eclipseよりサクラエディタより、Excel読み書きしてる時間が多いです…。

飲み会の席で「○○君は技術力あって凄い助かる!」としか言われないような人間になれるぞ!

まあそれでも突き進むのが真のプログラマーだな。

真のプログラマー道、突き進みたいと思います。

オレは ようやく のぼりはじめた ばかりだからな

この はてしなく遠い プログラマー坂をよ…

さて、明日もjsplogic:equalタグを埋め込む仕事が始まるお!

現場リーダーが、既存のソースがそうなってるからなるべく合わせろって!

こんな愚痴エントリコメントいただきありがとうございました。

次は明るい話題を提供できるよう頑張りたい所存です。

2009-06-18

http://anond.hatelabo.jp/20090618012903

美辞麗句に誘われて入社してみたら、実態が違っていました」ってところか。

増田に必要なのは「メールにそう書いてあったからそうなのだろう」という決め方の反省をすること。

今から自分が働こうって会社が、どんな業務をしているのか調べた?

2008-11-24

http://anond.hatelabo.jp/20081124194232

俺は公教育はもっと多様化すべきだと思っている教育自由化論者なので、受験対策に比重を傾けまくった学校というのも、選択肢の一つとしてそういうものがあるという限りにおいてはアリだと思うけどね。

ただ、ここでの議論がその最もたるものだけど、世の中が「口先でいくら美辞麗句を並べたって、結局は東大早慶に入れてエリートコースを歩ませるのが安全確実じゃん」みたいな単純な価値観に一元化されてる状況は一番マズい。公教育が担保すべき水準はそういったものである、てな言明に至っては何を言わんや、って感じ。皆が皆、ある種の教育を受ければ「エリート」とやらになれるという言説は、そもそも言葉定義を考えればその自己矛盾は明らかだと思うんだが。

皆が皆「エリート」になれない以上、社会価値観の多様化に対応した教育環境の整備こそが急務なのに、実際には非常に視野狭窄聖杯競争に全ての人間を駆り立てて、そこから零れ落ちる大多数の人間になお、その価値観の元で競争することが正しいかのように思わせその子に受け継がせる、異様な環境を作り上げつつある状況に危機感を感じないのだろうか。

2008-10-20

http://anond.hatelabo.jp/20081018212017

「結局、パパは僕たちのこと捨てたんだよね??」「だよね??」

「僕たちにかかるはずだったお金は、あの女につぎ込んじゃったんだよね??」「だよね??」

「僕たちと遊ぶはずだった時間は、あの女に全部すいとられちゃったんだよね??」「だよね??」

美辞麗句で飾り立てた不倫言い訳を書くぐらいなら、このぐらいは想像してほしいなあ。やっぱり不倫する人間は人にあらず。

2008-08-02

http://anond.hatelabo.jp/20080801194749

トラバありがとう

現在フルタイムっつうか、何て言うんだろ。長時間パートってところかな。食品小売業…平たく言えばスーパーで月に145時間くらい働いて、社会保険とか引かれて手取りが9万か10万くらい。社員の代行業務とかもあって、クレームお客様からの電話のお問い合わせにも答えなきゃいけないし、担当している部門の予算組んだり他のパートさんのシフト組んだり、週ごとに送り込まれてくる商品の陳列計画(売場全体のレイアウトエクセルで作って、商品配置図に見立て商品を出す人に指示する)とか、原価売価を鑑みながらその都度売場を作るための発注業務とかやってる。あと、新人さんの業務指導とか、一日ごとの作業指示とかもやってる。結構細かい性格なんで、納得するまでやっちゃうんだけど、そうじゃないとすぐに仕事現場が乱雑になるからね。男手は俺一人だし、周りはみんなおばさんばかりだし。残業とかもやっちゃダメって言われているけど、やらざるを得ない状態だね。

派遣か…俺が住んでいる地域の派遣と言えば、孫請け工場での製造(期間は3ヶ月で更新なし)とか、ホテルの清掃とか調理補助みたいな仕事ばかりだな…。時給800円くらい。電車が走っていないから、送迎バスとか自家用車通勤するんだよ。それはさすがに今と変わらないんで、思い切って60kmくらい離れた県庁所在地にある派遣会社(全国的にも割と有名なところ)でいろいろと相談したら、派遣はもちろん紹介予定派遣や、割とまともな感じの正社員案件なんかも紹介してもらって、「あれ?俺みたいなうんこでもこんなに仕事を紹介してもらえるの?」って感じで驚いてしまった。「やる気がありそうだし、真面目にきちんと働こうとしている意欲を感じる」とか、煽てるための美辞麗句かもしれんがこんな事まで言ってもらえたのは生まれて初めてで、おしっこチビってしまいそうだった。ハロワで応募した企業とかには面接でボロクソに言われたりしたのにね。そんなわけで、今幾つかの派遣会社に登録している。もう少ししたら、自分からどんどん行動するつもりです。地元から出る足がかりを作る意味でも大事だし。

というわけで、やってみますよ。目標は今年中です。

2008-07-27

非モテであるために

あれはいつごろのことだったかな。たしか、大学二年の……夏、そう、ちょうどこんな季節じゃなかったか。

あのころ

僕は純正非モテで、学校も苦労して入ったけどすごく面白くなくて、サークルもなんかうすっぺらいやつらだな、ぐらいしか感じなくて、ひどくやさぐれていた。

丁度、ゼミ選択が来年にあったから、いろいろ調べてみたりとかしてるうちに、文系ポスドク現実なんかもちょっとずつ理解して、研究の夢が凄まじい音を立てながら雪崩落ちたのもひとつの原因だったのかもしれない。

とにかく、僕はそんな状態で、ひとり部屋にひきこもって、ずっと安売りのアクエリアスなんかを飲んでた。

カーテンはずっと閉じたまま。部屋にともる明かりはPCディスプレイだけ。そんな生活だった。

そんな僕が、あのときはてブホッテントリに上がっていたこのエントリを見たのは単なる偶然だったのかもしれない。

いつものようにOperaスピードダイアルに登録してあったニコニコ動画を見る前に、ちょっとチェックして、僕は、衝撃を受けたんだ。

そこにはまさに僕がいた。

このリスト

  1. 「だって俺だけベリーハード設定なんだもん。残機も回復アイテムもないし敵は鬼のように強いし、やってられないよ」
  2. 「女と付き合う(結婚する)ことでかかるコストはこんだけ、対して見返りはこんだけ。割に合わなすぎる!」
  3. 恋愛至上主義社会に組み込まれたが最後、俺たちは搾取され捨てられるだけなんだ。そんな社会に参加したくない」
  4. 「でもイケメンじゃないし」「でも結局イケメンじゃないから相手にされないし」
  5. 「俺のことなんかほっといてくれ」
  6. 「結局○○ですね、わかります
  7. 「○○や△△の良さが判らないような人種なんて・・・」
  8. 「女は信用できねえ!」
  9. 「女は怖い生き物だ、嘘つきだし○○だし△△だし□□だし・・・」
  10. スイーツ(笑)

http://anond.hatelabo.jp/20080726155322

は、完全に僕の口癖だった。

ひとつ付け加えるとするならば(このために僕は特定されてしまうかもしれないけれど)僕は「恋愛は性欲と友情の合力で、馬鹿どもはそれを勝手勘違いして、崇拝しているにすぎない」って思ってたところだろう。

それにしても、これは、ひどく衝撃だった。

自分の気持ちが暴かれた気がしたんだ。そして、僕は、この試験期間と残りの夏休みを有意義に使う算段を建て始めた。

僕がとった戦略を、ちょっと説明してみたいと思う。

基本は単純だった。

  • 常に笑顔を維持する(誰に対しても)。
  • コミュニケーション意図的に図る。
    • できれば笑わせる。
  • 相手が女子の場合は徹底的にほめる。
    • ぶさいくとかそんなことは問題にしない:風評が大事なんだ。
  • 否定の語句を口に出さない。
  • なるたけ自己を主張しない。
    • 相手に話させれば勝ち。それだけでひとはきもちいい。

これだけ。

ああ、あと、適当に服には気をつかった。

成人式のために買っていたスーツを着て、僕は適当に買った雑誌を参考に、高い服を買いまくった。

ポロシャツで\15,000ぐらいしたのはほんとうに辛かった。

それで、Built to spillやSpoonCDが何枚買えるんだ。

そして、具体的な戦略に話を進めていこうと思う。

基本の戦略を守ったところで、コミュニケーションを行う相手が見つからなければ話にならないから、僕は、当時の環境を悪用する手段をとった。

試験期間を有意義に使う

試験期間は、基本的にひとりぼっちである非モテにとって苦痛の期間だった。

エレベータで一緒になったときに(僕の大学は山の中腹にあって、エレベータなどの移動手段なしには移動が辛い)、リア充とおぼしき男たちが、「試験期間なんて友人の量の差だよなー」なんてことを言ってたけれど、実際そうだと思う。

なぜひとりぼっちだと辛いのか、というと、ノートコピーがもらえないからだ。

試験過去問なんかも、友人のネットワークを介して回る。

きちんと出席なんてしてない上友人もいない非モテには、そういう意味で辛いのだ。

だけど、僕はこれを悪用しようと思った。

ようは、試験前に、30分ぐらい早く行ってすわり、ぼくは勉強ができそうな人(できれば女子)におもむろに話しかけるんだ。

そして、基本の戦略を守りながら、「前回のノートないんだ」「貸してくれない?」って依頼する。

ノートも借りれて、女子とのコネクションも作れる。割と良い案だったと思う。

何回かは失敗したけれど、六割以上では快く貸してくれることが判明した。

僕はそんなにかっこいい外見をしていたわけじゃなかったからこのぐらいだったのかもしれない。

が、何人かの女子も「試験情報共有しない?」みたいな提案にも乗ってくれて、そのあと友人として連絡をとってる人も少なからずいる。

あと、けっこう男のほうが拒否る。

とりあえず。

ここで、コミュニケーションというものは、そんなに難しいものではなかったことが判明した。

というのも、僕はもともと関西人で、無理やりハイテンション状態を維持すれば、土曜の昼に小学校から直帰して毎日食い入るように見つめていた吉本新喜劇リズムコミュニケーションをとることができたから。

女の子を笑わせることすら、修練を積んだら出来るようになったし、自分がこの娘の笑顔を作ったんだ、と考えて、少し誇らしい気分にもなったりした。

ほんとうに楽しかった。今でもそう思う。

メール電話はちゃんと返す

これは結構重要なことだった。

初めの試験の話で、何人か連絡を取る友人ができた。

何人かの女子は、これを自分が怠ったために連絡が遠くなった。後悔した。

作業に熱中している際に邪魔されるのは非常にうっとおしいことだ。だが、それで、相手が「つながっている感」を感じてくれるなら、そんなに悪いものではないかな、と思った。

当時は女子にだけ、この戦略を僕は適応した。だが、あとで気づいたが、男子にもこの考えは蔓延していたのだった。

メールは十分以内」どこかでそんなものを読んだように思うが、一度男の先輩に普通はそうだろ、なんでお前は・・・なんて、切れられたことがあった。

ふざけるなこの馬鹿、と思ったが、笑顔を守った。

サークルに顔を出す

これも、後々考えればわりと重要なことだったように思う。

回生、ということもあったので、サークルによく出席しているのは、三回や四回の先輩が多かった。

そこで、僕はできるかぎりコミュニケーションをとることを意識した。

そうすると、もともと捨てるものも無かった僕は、何かに愛着を抱き、それを守るためにキモチワルい行動をすることもなかったので(たとえば、特定の女子にたいする愛着とか)、わりと気に入られることができるようになった。

二ヶ月程度はかかったように思うが、それだけの見入りはあった。

合コンとか飲み会とかにも呼ばれるようになり、先輩の顔を立てて適当にちょこちょこ動いていると、また声がかかるようになった。

また、その合コンから、初めての彼女が僕にも出来ることとなる。

当時考えた戦略というのは、こんなところだったと思う。

今羅列してみれば、まったく練られていない、そして何がしたいのかも見当たらない、と、ダメな点は多々出てくるが、それは当時の若さに罪をかぶせ、不問に付そう。それに、それでも十分に効果はあったから。

友人、というコネクションが出来れば、非コミュの鎧はすぐに剥ぐことができた――そんなことすら、考えないでよくなるんだから。

そして、人生初の彼女というものも、それを起点にできることになる。

それからは早かった。

大学在学中に、いくつもの女性と閨を共にした。そのうちの何割かには振られたが、そのうちの何割かは振った。

就活は穴場だった。可愛い子がいっぱいいて、内定が決まっても受け続け、友人みんなで可愛い子がいるところの情報を回しあった。

こいつだけは大事にしたい、俺が幸せにしてやりたい、と思った女性に振られたときは悲しかったし、

逆に自分がそう思われていてうっとおしくなって振ったこともあった。

だけれども。

今、自分に何が残ったのか、と考えると、どうにも胸が痛い。

僕は何も残してはこなかった。彼女達にも、何も残してはやれなかった。

また、彼女達が、僕に作ってくれたものも無かった。

マフラーは6本。指輪は無数。ジッポーは3つ。セーターを編んでくれた裁縫が大好きな子もいた(そしてマフラーの半分は彼女の手によるものだ)。

だけど、僕の心の奥底に何かを作ってくれた娘は、結局誰もいなかった。

その理由は、彼女たちとのコミュニケーションが、とても上辺だけに終始したためだ。

僕は、やはり愛というものが、性欲と友情の合力であり、その生物学的に正当な劣情を、美化するために名付けられたものだという直感を拭い去ることはできなかった。

ポップ・ソングは今でも恋愛を歌っている。

それを僕達が聞く時、僕達はいったい何を思い浮かべる?

――歌手か? 俳優か? アニメーションか?

私は、自分自身の思い出じゃないかと思う。そして、その思い出は、否応なく美辞麗句デコレーションされている。

その時感じた感情は「レンアイ」に昇華され、まるで崇高だったもののように扱われる。

僕が出会った女の子達は、皆心のどこかでそういう慰めを得ていた。

だからこそ、終ぞ彼女達の中では、僕という像は、僕ではなかったように思う。

彼女達は、僕というレンズを通して、違う像を心の中に結んでいたのだ。

レミオメロン劣化コピーであり、くるりボーカル劣化コピーであり、ジャニーズ劣化コピーであり、TMレボリューション劣化コピーであり、そういう僕を通して、彼女達の理想像である幻想を。

非モテを語るあなたたちは気づくべきだ。

自分自身が作り出した、その鎧があなたの動きを緩慢たらしめていることの無意味さに。

非モテを批判するあなたたちは気づくべきだ。

自分自身の、その見えない鎧――レンアイという言葉で、または、空気を(読む|読まない)という言葉で、あいまいさを作り出し、そのあいまいさの中で自分自身を安住させていることの空虚さに。

そろそろ夜明けが近づいてきた。

願わくば、あの、昔のホッテントリエントリから長々とはてな匿名ダイアリーで続き、otsuneid:fromdusktildawnによってかき回され、ダンコーガイとココロンの参入を許し、はしごたんやハーブマイスター2008年増田論客としてデビュー)の人生をひっかきまわし、id:jkondoid:naoyaの不和までを生み出し決別させ、2012年現在に至るまで終りなく争われたあの……不利益な議論が終りを告げ、

非モテ軍とスイーツ軍の和議が、この美しい夜明けのようにもたらされんことを願って、私はここに筆を置こうと思う。

2008-04-03

http://anond.hatelabo.jp/20080403171818

>企業の「社会貢献」「やりがい」「お客様笑顔」みたいな理念なんてどうでもいい。こうした美辞麗句に沿ってエントリーシートを書くと気が滅入る。組合があって残業代が出て有給休暇をとれる会社就職したいだけ。好きなゲームをしてニコニコ動画を見ながら酒を飲んで暮らしたいだけ。

会社はいつもそう言うから、これは慣れるしかないと思う。右から左へ受け流すのが一番。

口ではそう言っても、実際にまともに「社会貢献」「やりがい」「お客様笑顔」なんてことを考えてる人はそうそういない

>電子工学科で回路やコンピュータの科目を履修した。授業に出てわけもわからず板書を写してテスト前に丸暗記して単位を取ってきた。何もわかっていないし何もできない。

一部すごくできる人を除いて、他のみんなもそんな感じだと思うよ。俺もそうだけど。

就職活動ができない。

やりたいことがない。

企業の「社会貢献」「やりがい」「お客様笑顔」みたいな理念なんてどうでもいい。こうした美辞麗句に沿ってエントリーシートを書くと気が滅入る。組合があって残業代が出て有給休暇をとれる会社就職したいだけ。好きなゲームをしてニコニコ動画を見ながら酒を飲んで暮らしたいだけ。

できることがない。

電子工学科で回路やコンピュータの科目を履修した。授業に出てわけもわからず板書を写してテスト前に丸暗記して単位を取ってきた。何もわかっていないし何もできない。

2008-03-19

[][][][][]多量の思想を少量の言葉に収める。

読書について ショウペンハウエル

精神を備えた人々は、より具体的な表現をえらぶ。」p.65

「いったい人は何か真実ものを伝達しなければならない際に、曖昧な語り方に努めるであろうか」p.72

「少量の思想を伝達するために多量の言葉使用するのは、一般に、凡庸の印と見て間違いない。

これに対して、頭脳の卓抜さを示す印は、多量の思想を少量の言葉に収めることである。」p.74

「真理はそのままでもっとも美しく、簡潔に表現されていればいるほど、その与える感銘はいよいよ深い。」p.74

言葉芸術でも不要な一切の美辞麗句無用敷衍表現過剰を警戒し、純粋無垢文体や話法に努めなければならない。」p.75

「真の意味での、簡潔な文体、充実した高雅な文体は、ただ豊かな思想、内容あふれるばかりの思想から自然生まれる。」p.105


人の時間には限りがある。

独り善がり

[B! 論文] 東大で学んだ卒論の書き方★論文の書き方

2008-01-17

こういうのも「嫌儲」というのだろうか

http://d.hatena.ne.jp/umikaji/20080116/1200498028

なんというか素朴な疑問なんだけれども、

権利者団体が自らの経済的利益の為に活動することって悪いことなんだろうか。

“権利者団体”というより、“利権団体”ですね

と述べているが、利権団体だって少なくとも法律的に悪いことはしていない。

もしかしたら、エントリ主は利権団体のくせに文化を守るとかぬかしているのが気に食わないのかもしれない。

でも、対外的に自らを美辞麗句で飾り立てることはどんな団体だってやってることだ。

なんというか、要は無料コピーという消費者のいわば既得権益が奪われそうになっているから、

みんな反対しているようにみえる。だったら、同じ穴のムジナだと思う。

お金払いたくないから批判しているだけだもの。なんかというか青臭い感じ。

2008-01-10

美辞麗句が好きな経営者の方に

経営者だから従業員がついていくわけじゃないんです。

経営者の言動だから従業員が信用するわけじゃないんです。

行動が大事なんです。

父親の背中を見て子供が育つように

経営者の行動を見て、従業員言葉を信じるのです。

2007-10-31

テレビ屋と広告屋に告ぐ、アニメ業界を滅ぼせ

http://anond.hatelabo.jp/20071030225659

増田です。

日経って、思いの外多くのブクマコメを頂いた事に驚いています。

いくつか御返事をば。

b:id:FTTH 駄目だ駄目だ駄目だこの増田は駄目だ。「アニメ業界はもう滅ぼせ」ってタイトルなら普通外山テンプレだろ常考。 / 趣旨には同意しなくもないw

b:id:bunoum スクラップアンドスクラップがなくてほんとガッカリだよ

b:id:mojaru 外山さん降臨かと思ったらそんな事はなかった…

申し訳ないです。

このタイトルで書き始めた時はもちろんそれを念頭においてはいたのですが、リアル世界でこういうことやるとことごとく滑るんですね。

で、書き始めたのを読み直したら長い割につまらないので切りました。

有志の立候補があると嬉しいです。

b:id:caprin 高尚であるかどうかの前にあなたは『トップ』や『時かけ』を見て心揺さぶられるようなことは無かったの!? その業界で頑張っている人がいる以上、門外漢が軽々しく「潰せ」と言えるような話ではない。

個人の感傷と、産業としての可能性は別です。

ですから、「業界を潰せ」とは書きましたが、「文化としてのアニメを潰せ」とは書いていません。

ご了承下さい。

b:id:tokoroten999 市場規模を語る時に必ず豆腐業界って出てくるのな。でも豆腐と違ってアニメは腐らないよ。(数十年に渡ってコスト回収が可能)あと豆腐業界(というか食品業界)も袋小路加減は一緒。

しかし、その袋小路に入っている豆腐業界より規模が小さいというのは、豆腐以上にアニメが必要とされていないという事でしょう。

回収が可能である事と、実際に回収できる事はイコールではありません。

将来の回収可能性にかけて墓穴を掘った事業の例など、山のようにあるでしょう。

b:id:moyasi45 バブル期と比べて衰退というのはもう止めないか?

それはおかしいでしょう。

アニメは「今が」バブルなのですから。

日本経済バブル期にさえ落ちなかったほどの金がアニメ業界に落ちていて、しかも回収できないというのが問題なわけですから。

b:id:rlight ゲーム業界みたいに新たな顧客層を開拓することが必要なのかな

アニメ業界の一番の先輩方がもう老齢なのですから、そうした方々がプロデュースに関わって、中高年に見てもらうためのアニメ

つくる動きがあってもいいと思うのですね。

アニヲタはやけに嫌いますが、アニメ特撮パチンコタイアップなど、入口としては最適でしょうし。

北朝鮮云々の反論は聞く耳を持ちません、念のため)

b:id:kanose 撤退するところは出てくるだろうから、いずれ適性になると思うけどなあ。それよりも手描きアニメにおいては、海外に外注できない部分(キャラデザやコンテなど)のスタッフ育成ができるかどうかが気になる

押井守にしても、『一発貫太くん』や『ゼンダマン』の演出をしながら腕を磨いて今の世界を作ったわけですから、

作る場さえ残っていればどうにかなるのではないでしょうか。

キャラデザは、ケータリングでもなんとかなるかもしれません。

b:id:mgkiller 釣りとしては論拠が浅いなあ。駄目だからなくせばって言うだけなら阿呆でも言えるわけで。20点

釣りじゃなくマジで言ってるとしたら何点でしょう。

石炭産業だって公営競馬だって、ダメな上に復活の兆しもないから切り捨てたわけで、

アニメも多分無理だから滅ぼせと言う事で。

だいたい、アニメに限らず日本人にはテレビ映像表現に関する限り乞食根性が染みついてるわけで、

テレビ番組に関する金払いがいいなら、アメリカみたいにPPVがもっと広がるわけですよ。

しかし、PPVは勿論の事、WOWOWスカパーケーブルテレビも、決して日本人ライフスタイルにおいて一般的な存在になってない。

そんな状況において、いわんやアニメテレビを経由しないビジネスなど、という話ですよ。

b:id:exhalatio 他人から評価されなくても好きだから続けているみたいな人を全否定するいいエントリーでした。ごちそうさまでした。

語るに落ちたとはこのことでしょうか。

アニヲタはやたら搾取搾取というけれど、好きだから続けているだけで採算も取れないような産業に企業が金を投じているなら、

金を搾取してるのはどっちだよという話です。

好きで続けてるなら、バイトで食い扶持稼いでニコニコ自作アニメを投下すれば済む話です。

さて、ここからが本題。

事態がこうなった原因は、おもちゃ屋とマンガ屋の宣伝に徹していればいいものを、何を考えたかそれ以外のものを作り始めて、

ほんの一握りの、人の心を掴むのに長けた天才が成功したもんで、これ幸いと背広を着たお偉方から金を搾取できると調子に乗った

アニメ業界側にあるのだろうけれど、考えてみたら、アニメなんかガキとキモヲタの慰み物だと思って愛着のかけらもないくせに、

あるいは「だからこそ」と言うべきか、アニメを博打の駒として弄び大金をドブに捨ててきたテレビ屋と広告屋にも責任の一端は

あるんでしょうね。

まともな大人なら、アニメ作るのに金出せなんて言われたら、

「いい大人が何をテレビまんがなんか作っとるんじゃボケェ。

 てめえらみたいな阿呆宮崎勤を量産しとるんじゃ」

くらいのことは言って追い返せばいい物を、業界内の山師が口八丁手八丁で誑かし、岡田斗司夫あたりが語るアニメ文化論に

ホイホイ乗せられて、勝ち目のない博打に目の色変えて突入して、挙げ句の果てには政府までがそこに乗っかってくる。

正気の沙汰じゃないでしょこんなの。

それでこれから先発展する見込みがあればいいけど、今でさえ零細な上に今後先細りするのは目に見えているわけで

少子化人口減だから当然ですよね)、どうしようもないでしょ。

テレビ広告屋の方々にはいちいちお伺いするまでもないでしょうけど、別にアニメなんか好きでもなんでもないんでしょう。

だったら、こんな儲けも出ず将来性もない事業には、 冷徹にビジネスとしての判断を下してとっとと見切りつけて下さい。

広告屋スポンサーを探さずテレビ屋が放送しなければ、新しいビジネスモデルを実現できる能力のあるところ以外は

早晩滅びて、適正な業界規模にスリム化できますから。

あなた方がさんざアニメ業界を甘やかした挙げ句、いよいよにっちもさっちも行かなくなれば切り捨てるのは分かってるんですから、

「文化を守る」とかいう美辞麗句に騙されず、実行力も経済力も皆無なくせに口だけは五月蠅くネットの中だけでオダを上げる

キモヲタなどにかまうことなく、一刻も早くアニメ業界から手を引いて下さい。

謹んでお願い申し上げます。

==ちょっと追記==

肝心な事を書き忘れていた。

結局、そうすることで何を達成したいかと言えば、

「真夜中に一人でアニメ見ながらブヒブヒ言ってるキモヲタアニメからの排除」

ということです。おもちゃ屋の宣伝アニメという制限の中で作る側も工夫を凝らし、見る側も目を養ってきたのだから、

キモヲタに媚びてデータベースから萌えパーツを集めたようなアニメ作りへの資金の流入を絶ち、一度仕事を減らして

業界リストラするというのが本旨です。

2007-10-29

何故メディアボトルネックになった過ちを繰り返すのか

http://anond.hatelabo.jp/20071029041856

ニコニコ動画屁理屈はともかくクローズドで身元も怪しい「基本的に日本語」というローカライズでのアドバンテージしかないローカルサービスだ。内容としても不快な閲覧制限と無意味バンドルサービスの付帯したオルタナティブサービスである。

基本は次世代インフラを標榜するGoogle傘下のオープンYoutubeであり、同様の条件を持つグローバルな競合サービスである。Youtubeが偉いのではない、公のゴールとヒラに競合する業界の構造が正しいのだ。彼らの競合ポイントはすでに在る十分な帯域に対して画質、利便性、価格(コスト)においてより効率的なサービスを提供できるかどうかにある。

一方でニコニコ動画はいかに囲い込むかという従来そのままの視点しかない。グローバルサービスがインフラを構築する事で薄い利益を広範囲に回収して社会進化することを目標としているのに対し、ニコニコ子供じみた「みんな仲良く」といった世間知らずながら学級会日本人メンタリティに沿ったダミーポリシーを掲げつつ、次世代メディアでのイニシアチブをどう確保しアクセスを囲い込むかにご執心なことは印象的なまでに対照的である。

従来のテレビ局支配の問題は限定された帯域と規制既得権化していたボトルネックによりもたらされた。ニコニコ動画は傍目にはYoutubeのような次世代インフラへの移行に伴う痛みの様に見せかけているが実際はユーザー責任押し付けつつ他人のコンテンツただ乗りしてテレビに変わって自分がボトルネックになろうとしているだけである。

なぜまた同じ過ちを繰り返すのか。

同じ美辞麗句でもせめて言う人間を見るべきだろう。

2007-10-18

http://anond.hatelabo.jp/20071018225447

タクシー代わりの何が悪いのか?税金払ってるんだぜ。

呼べば救急車が来る、そのシステムを俺が望んだわけではない。

大衆を手なずけ、税金を取るために編み出されたにすぎない。

そうじゃない、って主張するなら、この国全員の同意書があるのか?

俺はそれが悪いっていってんじゃない。

だが美辞麗句で飾るな、倫理を持ち込むな。

2007-10-01

本当の自分とかそういう戯言の話

そういえばちょっと前三宮の駅前で20半ばくらいのお姉さんに「サークルアンケートに協力いただけませんか」なんていわれてうっかり頷いたら、どうも設問が妖しくて、道端で書き書きしながらお姉さんと交わす言葉も結構微妙な感じで焦ったことがある。人類未来についてどう思いますか。知らんわ!みたいな。渡されたパンフを見ると真実愛本当の自分尊敬し合える仲間、という背筋が痒くなるような美辞麗句が並んでる。「世の中には絶対私にしかできないことがあると思うんですよ」ってお姉さんは熱く語ってくれたんけど、「私はそうは思いません」としか言えなかった。「自分自身なんて探すものじゃないでしょう」と言ったらお姉さんは能面みたいな目をして口だけで笑ってた。お姉さんはもう三年もそのサークルにいるそうだ。三年も探して見つからないならもう諦めればいいのに、と私は思った。そして勝手に20代半ばくらいに見える彼女はきっとフリーターなのだろう、とか、多分現状に満足していないからこそ、本当の自分だなんて幻想を追い求めているんだろう、と考えてしまって変に寂しくなった。根拠もなく彼女を哀れんでる自分にぞっとした。お姉さんはすぐそばに集会所があるからお茶でもしないかと誘ってくれたけど、私は時間がないのでと断った。傲慢で醜い考えであることを自覚しながらも、ああいう風に自分を誤魔化している人を見ているのは辛い。

2007-08-27

アフィリエイトリンク5分類

1.手当たり次第型

売れそうな商品、新しい商品のアフィリンクを手当たり次第に貼るタイプ。アフィ収入に異常な執着心を持っており、とにかく沢山のアフィリンクを貼ればいいと思っている。サイト訪問者の印象は言うまでもなく最悪である。

2.自己陶酔セレクション型

自分のセンスで選んだ商品のアフィリンクを貼るタイプ。本人は自分のセレクションに酔いしれているのだが、商品に関するコメントは全くないか取って付けたような場合が多く、サイト訪問者の共感は得にくい。

3.ついでに紹介型

記事の末尾などに関連商品のアフィリンクを貼るタイプサイト訪問者からは謙虚な印象を持たれることが多い。しかし、上記の1や2と併用しているがゆえに謙虚さが台無しになっている場合が少なからず見受けられる。

4.提灯レビュー

レビューを装ってアフィリンクを貼るタイプレビューの体裁をとってはいるが商品を買ってもらうことしか頭にないため、美辞麗句を並べ立てて欠点を隠蔽する傾向がある。「オススメできない」などと言いながら、ちゃっかりアフィリンクを貼っている場合もこのタイプに該当する。

5.正統派レビュー

商品をレビューしてアフィリンクを貼るタイプ。上記の4と違ってこちらは欠点にもしっかりと言及する。商品に満足できなかった場合はアフィリンクを貼らないという潔い行動を取ることもある。アフィリンクとして最も望ましい形であるが、最も少ないのが実情である。

2007-05-30

これが恋愛なのだろうか

イメージしてたのと全然違う。

この人とずっと一緒にいたいと思ったり、守りたいと思ったり、そういうのが全くない。

あるのはお互いのグロテスクな肉欲のみ。

付き合いだす前、俺は彼女のことがとても眩しく見え、

初めてのデートの日、言葉にできない高揚感があったはずだ。

あったのだろう、とは思い出せる。しかし、あの時の感覚は戻ってこない。

彼女に対する情熱はたった一回の射精によって霧となって消えうせた。

今はただ、性欲によって動かされているだけだ。

彼女に対する美辞麗句セックスを盛り上げるための、飾りでしかない。

これはもう恋愛じゃないじゃないか。人間よ、もうよせ。こんなことは。

2007-03-14

http://anond.hatelabo.jp/20070314171729

あと、モテというキーワードブクマにありましたが、

もてるっていうのは=やらせてくれそうっていう意味ですよね?

みんないろいろ美辞麗句を並べたり、武勇伝を聞かせたり、

お金を使ったりしてくどいてくれましたが、要はやらせろってことなんですよね?

確かにもてます、困りません。だけど30にもなるとさすがに陰りが見えてきました。

自分の女としての価値がどんどん落ちて、

若さや外見は価値のひとつに過ぎません、それ以外の価値も当然あります。

 だけど若さと美しさは今日本の社会女性に求められている確実なひとつの価値です。

 そこは誤魔化すべきでない気がする。)

これから先誰にも相手にされなくなると思うと、

今どっちを選ぶかが自分のこの先の人生決めちゃうんだなあとしみじみ思います。怖い。

それにどういうわけか私は男を見る目がなくて、

そのときある選択肢で最も最悪なものを選びがちな傾向があるんですよねえ。

釣りとか言っている人がどうとは言いませんが、

常に事実小説映画を上回っていると私は思います。

だけどもうこんな波乱万丈の人生には飽き飽きなんです。

それでも絶望してもうどうでもいいとはいえなくて、

私はただ普通に生きたいです。

できれば旦那さんや子供幸せにできるような生き方をこれからはしたいです。

もう自分のために生きるのは辛いから。

2007-03-01

学園祭

諸君。

わたしは学園を愛している……。

その愛する学園は、浅薄にも程がある経営判断によって、経営統合という事態を免れざるを得ない状況となり果てた!

少子化の加速、思想の変遷、社会情勢の変化等、本校を取り巻く環境が悪化したことも加味されて然るべきだが、懐古主義という、我々の未来を阻む保守的な教育現場の自堕落思想が産んだ、自己崩壊であることを、合併校が表わしているではないか?

体制は、我々にその責任の一端を課そうとしている!

己の怠惰思想と所業を棚に上げ、既得権益を学校の存続という美辞麗句にとし、我々を欺くことで、学園祭を中止にしようと企んでいる!

我々が望むものは何だ!?

謝罪ではない……妥協ではない!

………………学園祭

そう、学園祭あぁ!

かつての偉い人はこう言いました。「書を捨て、街に出よう」!

また或る人は言いました。「ホラホラ、これが僕の骨だ」。

そして或る少年は激しい戦いの後、こう言いました。「僕には、まだ帰れる場所があるんだ……」と。

我々が望むものはおいしい食事でも、成金たちが出す小銭商売の服でもない。

学園祭なのだっ!!!

最高にキラキラワクワクする学園祭を渇望しているのだ!!

学園祭を、21世紀最大の学園祭大学園祭を!!

一秒前では想像もできない、創造性とイノベーションに富んだ、大学園祭を!!

聖櫻学園高校生徒全員の一大全学園祭共闘集団連合となり、あらゆる妨害、謀略に対峙しようではないかっ!?

我々生徒会は、学園祭中止という体制側の一方的且つ横暴な要求に対し、断固として、確固として、徹底的に闘うことをここに宣言するっ!!







一揆だ! 一揆だ! 一揆だ! 一揆だーっ!!

うぉぉぉぉぉ! 打ち壊しだぁぁぁぁ!!

2007-01-04

fucking beautiful japan

美辞麗句にfuckingとか付けたくなる中二病にかかっています

いまの世の中、美辞麗句に素直に反応する人間が望まれているんだろうね

どこかのサナトリウムに行きたいね

長野あたり?

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん