はてなキーワード: アテンション・エコノミーとは
①生成AIの影響で真偽が判断つかない情報や、無意味・無内容な情報が、加速度的にSNSなどに溢れかえる
➁もはや、オープンなSNSやインターネットはスカム情報で溢れかえりナンセンスで役に立たないものになる
➂オンライン/オフライン問わずニッチでフェイス2フェイスなコミュニケーションが流行
④ニッチなコミュニティを横断するミニコミ的媒体の需要が復活する
「意味のある情報」が人の手に戻ってくる時代と考えると、インターネットがより身近になる、人間中心的テクノロジーになる契機なのかもしれないよね。もはや、「ただの情報」がスカム化して意味をなさなくなり、「人とのつながり」みたいなコンテクストが重要になる。
この話はなにも生成AIを話題に出すまでもなく、そもそもインターネット広告モデルの持つ情報流通の脆弱性の話なんだけどね。
つまり、インターネットはすべてをフリーにした。そういったアナーキーな価値観で草の根的に生まれた世界だった(cf.自由ソフトウェア運動)。だけど、それじゃビジネスは成り立たない。
そこで、インターネットがたどってきた道はこうだ。
アナーキストたちは採算度外視で(そもそもそういう商業主義を否定するんだからそりゃそうだ)市場を壊していく。「無料でアクセスできる」情報には誰も金を払いながらない。だって、値段をつけて売られてるものが、ネットならタダではいるから。
そのため、商業主義者たちは考えた。「つまり、エンドユーザーには無料で届けなければ太刀打ちできない。なら、エンドユーザーを商品にして、toBにエンドユーザーを売ればいいんだ」。これが今日まで続く、インターネットで主流の「広告モデル」によるコンテンツ生産だ。
しかし、インターネットの「広告モデル」は、これまでのメディアのそれと大きく異なる。なぜならば、トラフィックのすべてが事細かに分析の対象となり、しかもそれがリアルタイムで見えてしまうから。つまり、ウェブコンテンツは「この特定ページのこの部分にこのくらいの時間滞留する。だから、ここに広告を置けば見えやすい」ということが分かってしまう。
これは大問題だ。クリエイティブっていうのは、コミュニケーションっていうのはそういうもんじゃない。数字や言葉に現れない絶妙な采配。そこにしかクリエイティブは宿らない。なのに、それが許されなくなってしまった。
そうなるともう、アテンション・エコノミーの問題につながる。さらに注目を、さらに注目を、そんなことをしているうちに「何に注目したらいいか」をゆっくりと捉える時間がなくなり、「安易な刺激」に逃げるようになる。
「タイパ」という言葉が最近は話題らしいが、あんなものは嘘っぱちだ。「安易な刺激」のイテレーション周期をいくら速めたところで、そこに「意味」はない。TikTokを2時間見る時間があれば、映画館に行ったり、コンサートに行ったりして、「意味のある体験」をしたほうがよっぽどパフォーマンスはいいはずだ。
そして、「タイパ」という言葉の流行、さらに「生成AIによる情報のスカム化」は、いわばこの「無意味な加速」の極限であり、ピーク状態である。つまり、このバブルはあっという間に弾ける。徐々にその加速が無意味であることに気が付き始める。(cf.寝そべり族、Doomer、だめライフ)
だからこれからは、「ミニコミの時代」だ。自分たちの時間を大切に、自分たちの価値を大切に、自分たちのいのちの使い方を大切に決められるオルタナティブなライフが求められる。そうした血の通ったネットワークが求められる。そこに必要なのは、内部の結束と、外部への発信としての「ミニコミ」なんだとおもう。
https://www.asahi.com/articles/ASRD44G95RD4UPQJ00D.html
旧:「自分こそ正しい」というバトル そのツールになった「エビデンス」
新:「速く」「分かりやすく」で単純化する社会 覆う不寛容と遠のく対話
なお、新の方では、小見出し「「エビデンス」は重要なのに……」が削られている。
https://twitter.com/yukikonosu/status/1732985727229804696
>私はエビデンスを否定も攻撃もしてないどころか「最重要だ」と真っ先に言っているんですよ。新聞の主張(?)に利用されるのはごめん被りたいですね。紙版と違うセンセーショナルな見出しを付けてネット読者を「釣る」のは、私がインタビュー中最も疑問視した悪しきアテンション・エコノミーですし!
内田先生の被害者の呪い (内田樹の研究室)を読んでid:hashigotanを即連想した自分の村民度が鬱。
とはいえ、id:hashigotanを事例として据えると、ダンコーガイのエントリ404 Blog Not Found:被害者メソッドがうまく行くための三つの条件には、被害者ポジションを確保して「俺の苦しみがわかるか!?※」と吠え続けること、それよって人々の関心を引きつけることそのものが報酬となっているケースが欠けてることだと即わかってお得ではある。で、引きつけることに成功したとしてもそのうち飽きられるから、要求はますますエスカレートし(償われてしまうと困るから)、「俺の(ry」叫びはますます過激な、粗野なものになっていき、結局のところ「償いを受けた」という実感なしに対象がフリップする毎に悪質さを増して行く、と。
もし、性犯罪常習者があらゆるリスクを冒しても性犯罪に執着するように(cf.手鏡)、被害者メソッドを振り回すことに淫している者にとりつかれたら、通常の謝罪や償いをしてもまともに通りはしないわけで、チャンスがあれば被害者/加害者ポジションをひっくり返してマウントポジションを取る(cf.池内ひろ美脅迫事件)、飽きてよそにいくまで耐える、絡まれた側が撤退する、くらいの対応しかないのが怖い。
しかも、ただ淡々と他者を害する気など毛頭なく日常を綴っていたらば、ある日襲われたりするのがさらに怖い。
そう簡単に切り替えできない人間関係の中にこのタイプがいたら、さらにさらに怖い。
ところでid:hashigotanの件に話を戻すと、彼女あるいは彼の被ブクマ、被言及は、今までの諸々の騒動に対して明らかに減ってきている。
自分のマークを残さなくなった人たちは、「単に飽きた」とか「言及することでアカウント汚したくない(この増田)」とか色々理由はあるとは思うが、もしかしたら、コメントを残すことで彼女/彼の援助者となってしまうことを回避するために、読みはしても残さないメソッドが広がっているのかも。倫理としてのディスアテンション・エコノミーが発生しているというか。
空気読まずにモロに言及しちゃってごめん。
※「お前らにはわからない俺の苦しみ」なんだから、わかるかと言われても、わかりようがない。ここが「被害者ポジション」の話法の要諦。