はてなキーワード: 浪人とは
他人に嫌がらせをするのが好きな人が2階に住んでいる。前は玄関共有の2世帯だったが、夫が無くなって上の人とは縁が切れたので、出で行くように家庭裁判所にまで持ち込んで言ったのだが、「年金暮らしの年寄りを追い出すか」とごねられて、玄関も分けてお互いに干渉しないということで調停が成立した。
最初のうちは、調停で決まったことでも無し崩しに出来ると思っていたらしく、何やかやと言ってきたが「調停内容が気に入らないのなら、申し立ててください。私は喜んで同居を続けてるわけじゃないです。厭味しか言わない人なんか、付き合いたくもありません」と突き放したら、ようやく何も言って来なくなった。
それはいいのだが。
別居を機会にポストも分けた。郵便屋さんに宛先別に分けてくれと頼んでいるわけではないので、上宛の郵便物もこちらのポストに入る。私は嫌がらせをする趣味はないので、こちらのポストに入っている上宛の物は上宛用のポストに入れ直している。
ところが、上のポストに入った、こちら宛の物は、こちらの郵便ポストに入ってこない。電気料金のお知らせが入って来なくなったので、おかしいなと思って、問い合わせたところ「新しいポストに入れてました。そのほうがいいと思って」と返事がきた。別所帯になったことを説明し、上のポストに入ってしまうと、私のところに来ないので、元のポストに入れておいてもらいたいと要望して、ようやく、電気料金のお知らせを見られるようになったのだ。
こちら宛の郵便物が入っていたら、こちらのポストに入れる。ただ、それだけのことが上の人は出来ない。やりたくない。そういう人だから、付き合いたくないのだが、「あなたの言うことには従えません」と意志表示をすれば、必ず嫌がらせの仕返しをされてきた。どんな強風でも飛ぶはずのないゴミ箱のふたが崖下に転がっていたり、これから食べるほうれん草に殺虫剤が撒かれていたり。
ここ2年ほど常時「あなたに従いません」とメッセージを発しているのだから、もう、そろそろ強烈な嫌がらせがやってくるのではないかとおびえている。
状況が変わって、私の立場のほうが強くなったのだから、それはない。と理性は考える。
自分の思い通りにならないとなると、命の恩人にでも厭味を言う人だったのだから、腹のうちに怒りを溜めているに違いないと感情は言う。
昨日、息子の大学受験の結果が出て、合格となった。今日、速達で合格通知が届くはずなのに、まだ来ない。
さっき、止むを得ない理由で、家を空けてしまったけれど、留守の間に合格通知が来て、上の人が受け取って捨ててしまったのではないだろうか。
こちらが、一番の痛手を受けるタイミングを見計らって、一番痛いことをする人だから、おびえている。
父親が死出の旅路に出ようとしているので不安がっている娘をいたぶったり、夫を亡くして呆然としている私に嬉々として高額なお墓のパンフレットを持ってきたり。
息子が浪人した末に勝ち取った合格通知を捨ててしまうくらいのこと、やりかねない。
私は基本的に人間嫌いで、あまり人づきあいが好きなほうではないし、簡単に人を信じるのはお人好しだと思ってきたけれど、上の人の存在を知ることによって、今まで出会った嫌な人など、まったく通常の人たちで、私のほうがかたくなだったのだと思い知らされた。
高校生になると、その子と同じ電車で何度か会って、ちょっとだけ挨拶を交わしたり、
帰り道に偶然会って、一緒に話しながら帰ったりした。
浪人して、都内の予備校に通ったら、偶然その子も同じ予備校に通っていた。
何度か話したけど、連絡先も交換しないまま、そのまま別れて大学生になった。
その後もコンビニや本屋で何度か見かけたけど、特に話しかけたりはしなかった。
成人式も同窓会も出席しなかったので、学生時代に彼女と会って話すことはなかった。
仕事に追われていたある日、mixiからメッセージが届いていた。その彼女からだった。
5年ぶりくらいに会うことになった。
地元で会っていろいろ話した。
男受けはいいだろうな、と思った。
なんとなく付き合う気にはなれなかった。
だからそれきり連絡もしなかった。
その次の年、地元の飲み会に誘われて行った。10人くらいの中に彼女もいた。
彼女は彼氏を作っていたみたいだけど、その前に会った時と違って
「コイツ、付き合う気がない」と、真顔で言われた。
それからまた2年後。
昨夜、客先での仕事の打ち合わせの帰りに都内の駅のエスカレーターでたまたま彼女とすれ違った。
彼氏を連れていた。こちらに気づいていたのか、彼女は自分から目をそらしていた。
自分は今のマンションに住んで4年になるけど、隣の人に会ったことがない。
偶然なのかどうなのか、今は何の接点もないはずなのに、
20年前に会った女の子と未だにどこかで引かれ合っているような、
こういう偶然はなぜか理由があって起きている気がする。
次、彼女に会うのは何年後だろう。
やっと国公立の前期が終了した……
巷にはこれから浪人生の成功体験記が溢れると思うから、少し早いけど、失敗談でも書いてみる。
ここでせっかくだし、オレのまとめでもしておこう。
中高一貫校に入学、もちろん例に漏れず勉強を全くしなくなる。高三の時は一応勉強をした気になる。
奇跡的に中堅私立にセンター利用でひっっかるが、事実上の全落ち。
そこは別に行きたくもなく出せと言われ出した学校なので浪人することにする。
浪人中は上位国立を目指してかなり真剣に勉強。しかしセンター大失敗。まともなに国公立には出せず、センター-30の
公立に出願。私立は上位には不合格、今年は中堅だけは受かった。後期は行くつもりのない地方駅弁。
たぶん中堅私立に行くだろう。でも個人的には納得して出した所だから、結果に悔いがあると言えばウソになるけれど、
去年のように行きたくないわけではない。
~これから浪人する君たちへ~
・予備校に通うなら、必ず友達を作ろう。いっしょに遊んだりする友達じゃなくて勉強の話ができる友達。
・予備校に通うなら、それなりのカッコをしよう。ジーンズに普通のシャツでOK。
オレは最初ジャージで通ってたら、最初に話しかけてくれた奴らに避けられるようになった。
で最後までそのまんま。友達できずorz
・現役時代は全く or 殆ど勉強しなかったけど、今年は予備校に通って真剣に勉強して旧帝か上位国立を
一年で目指そうというのは今年のオレの経験から言うと無理だと思う。
塾の紹介パンフとか見ればわかると思うけど、一年浪人してそういうところへ入学する奴は大抵が有名高校出身で、
去年の蓄えに浪人時代の勉強をプラスしてそういうところへ合格していく(例外はいるかもしれないけど)
それにもう一つは、予備校が授業を中心に行うところなので授業やテキストの質は高いのかもしれないけれど、
量がどうしてもこなせない。
毎日5時まで授業で、そっから今日の復習+先週の復習+英語の自習をしてたらすぐに9時になる。
本当にそういうところへ一年で生きたい人は宅浪するしかないんじゃないかな?
宅浪なんてムリだよ~なんて人は予備校に通って今の自分より2~3ランク上を目指すのが吉。
そうすれば現役時の1ランク上には滑り込めるはず。
実際オレがそうだしね。
・私立は過去問をやって合格ラインを超えたからといって安心してはいけない。
なぜなら、日本史世界史選択者には点数調整という大幅な減点が待っているから。
だから合格ラインが7割で過去問で8割なら落ちる可能性が高い。
実際、これで周囲の人間が何人も泣いてる。
・2chで参考書を調べてそれを買い揃えてやった気になるのは非常に危険
現役時代のオレがそうだった……orz
~予備校利用法~
この文章の内容自体が失敗談なので鵜呑みにしちゃダメだよ。
①毎日授業には必ず出て、終わったらその日の復習+先週の授業の復習
シス単のミニマルフレーズも暗記する。これに文法や英作で何度助けてもらったことか……
③土日は来週の分の授業をまとめて予習。これは①の先週の授業の復習の時間を確保するため。
先週の授業の復習を毎日やるには、これをやらないとできない。
④講師の言うことには基本従う
~なぜオレは失敗したのか?~
端的に言うと、自分レベルの人間が上位国立を目指すには勉強量が不足していたと思う。
去年は我流でやって失敗したので、勉強関係は全て塾にまかせていた。というか塾で課せられたこと以外はほとんど何もしなかった。
予備校の授業や教材は質は良かったのかもしれないが、やっぱり自分の学力を大幅に上げるには量をこなすのは必須だった。
けど予備校では、数学は一週間で12問くらいで、英語は1週間で多くて長文3本くらい。
でもこれは授業を行うという予備校のシステム上、仕方のないことだと思う。
だから個人的な結論で言うと、最初に書いたように、自分の現在のレベルと大きく離れた大学を目指すには宅浪って結論になる。
~浪人時代を通して~
確かに浪人して中堅私立しか合格できかったので周囲からは裏でかなりバカにされるだろう。
けれどオレは今年一年で今まで生きてきた以上のことを学んだと思う。
それを書こう。
こんなに集中して毎日勉強したのは初めて。いい経験になったと思う
現役時に妥協して何もしないで大学に行っていたらと思うと恐ろしい
・考え方が変わった
~最後に~
今年も来ましたよ前期試験。
浪人して結構がんばってきたつもりだけど、ここに来て急に失速。
なんだろう、駄目だったときの自分に対する言い訳でも作ろうとしているのだろうか。
明後日には、あ、日付過ぎたから明日には飛行機で北へと向かいます。
自分にとって大きな出来事となるであろうけど、悔いとか残るのかな・・・大丈夫かな・・・
まぁ一言で言うと、不安。
一浪でもう少しで国立入試控えてる者なんだが、アドバイスください。PC閉じて勉強しろってのは今は簡便してくれ。
現役時代より確実に頭が良くなったのは確信できるんだが、自分が目指してるランクに達してなくて
日東駒専しか今のところ受かってない。他の入試結果も9割ぐらいの確率で落ちてると思う。いや落ちてると過信できる。
去年と比べて世間からすれば毛が生えた程度にしか頭良くなってないと思われるだろうけど、昔の自分の現状からしてみるとかなりできるようになった。
今年浪人して何すればいいかとか、何しちゃいけないとか、自分の駄目な所とかたくさん気づいた。
だからもう一度浪人したい。もう一度機会を作って自分を試したい。だけど、自分を応援してくれていた周囲はどう思うんだろうか。
周囲に対してどう説明したらいいんだろうか。正直に「成績が上がらなかったからもう一年やる」って言っても
もう一度俺を応援してくれるんだろうか…。一年で期待に応えられなかった俺に…。
http://anond.hatelabo.jp/20100217113611
ちなみに俺は工学部です。
合格発表は見に行ったほうがいい。
色々にぎわっているし色々な勧誘を受けることが出来ます。
勧誘UZEEEってなるかもしれませんが、何でも経験です。
百舌鳥梅町(大学の西側)、土師町(大学の裏側)あたりが良いでしょうか。
大体4万~です。
最寄り駅は地下鉄なかもず、南海中百舌鳥、南海高野線白鷺がありますが、
天下の御堂筋線の前では他は歯が立ちません。地下鉄なかもず一択です。
深井周辺は勧めしません。
田舎から出てきた友達の話だが、自転車で15分というのはめちゃくちゃ近く感じるらしい。
実際には結構遠いです。
そして深井駅は南海の泉北高速鉄道線というほぼ使えない沿線なので実質最寄り駅はないのと同じだと考えましょう。
でふれ(学内での遊び)とかふれフェス(泊り込みの遊び)には参加したほうが良いでしょう。
同じ学科の新入生とも知り合えるので定員の少ない工学部は早めに知り合い作っときましょう。
入学オリエンテーションで、次の4つのいずれかに強制入会させられます。
まぁやめるのは簡単です。行かなければ勝手にやめることが出来ます。
出会い求めていきましょう。
ただめんどくさいと感じたら、活動が本格化する前にフェードアウトしましょう。
理系はほぼみんな出席しています。
テニスは3つくらいあります。
OPUとスマッシュは普通にやってる。ラムールは出会い系って聞いた。
今食堂の増設工事をしていますがそれで緩和されるかは微妙です。
2・3コマがあるなら300円のほっかるさん弁当を買うのもありです。
工学部はいつでも共通の話題で盛り上がることが出来ます。
前期は阪大受けたとか、京大受けたとか、センター90%だったとか。
浪人率がかなり高いです。
現役で来る奴は大体まぐれ合格です。
大学の難易度と講義のレベルは比例しないし、就職時の学歴格差も、
東大、難関国立大、早慶上智、関関同立&明青立法中、他の国立大、
その他。くらいの分け方。
でも、大学選びはものすごく大事。
学歴そのものや教育が大事なんじゃなくて、そこで出会う人が大事。
・自力でやりたい仕事につける自信がある
・年齢や性別を問わずに友達を作れる
・どんな仲間内でもリーダーシップを取れる
これらに当てはまらない人、つまりは自発的に人脈を作る自信が
無い人は、少しでもいい大学に行っておいた方がいい。
人生は100%、知り合う人で決まる。
類は友を呼ぶというのはまったく本当で、大学の違いで、
知り合う人のレベルは如実に差が現れる。
こんな記事増田にはいっぱいあるんだろうなーと思ったけど結局は自己満足なので書く。
滑り止めにって思ってた学校も落ちた。
gouhi.comって「残念ながら〜」しか出ないのかなって思うくらい全部落ちた。
それで俺が今迷ってるのは、バイトしながらでもあともう1年がんばってみるか、3月入試で残ってる下位層の大学に出願するか。
親は「私たちはお前が浪人する覚悟はできてる」って言ってるし、俺もその覚悟は出来てたつもり。
だけどいざその「全部落ち」っていう立場に立つと、その覚悟はどこかへ消えてしまった。
クイズ番組に出てる芸能人が「ここに立つとなんか答えらんないんだよね〜」って言ってるみたいな感じ。
確かに、いい大学に行ったからって何だ、って思ったけど、就職活動してる人が「やっぱり何だかんだいっても学歴だよね」って言ってるのも知ってたから、浪人っていう選択肢があった。
1年頑張ったからって第一志望に行けるっていう保証はないけど。
でも頭のどっかで「大学がすべてじゃない。人間その生き方が問題だ」なんて言葉も思い出して、下位層の大学に行って人一倍頑張ってやろうかなって思ったけど、
それはやっぱりどっかで甘えてるのかなーとも思う。浪人1年頑張れない奴が大学行って人一倍頑張れるわけがない。
俺これからどうなっちゃうんだろう
はっきりいって需要あるかどうかはわからんが、MARCH(KKDR)と地方国立大学どっちを取るかで悩んでるような田舎の県立高校の奴にはこれを見てほしい。
タイトルとナンバリングはhttp://anond.hatelabo.jp/20100217113611を参考にした。
①住居
とにかく安い。俺が見たなかでいちばん安い物件は、大学まで徒歩3分で1DKが28000円。
俺は後期入学で他の人に比べたら物件選びが相当遅かったほうなんだが、大学までチャリで5分、7畳の1Kで29000円の物件に住むことができた。
基本的に電車なぞ使うことはないから、住みたいところは自分で決めればいい。
大学から3~4kmも離れれば、3万で1DKとかは余裕で見つかる。
②留年の心配
留年することはまずない。
ハメをはずして遊んでるやつなんてめっっっったにいないから、そいつらについていかない限りはぼっちでも留年することはまずない。
基本的にみんなまじめっ子ばかりだからね。
ただ、気をつけてほしいことがある。
都会の大学とは違って、クソ本気で勉強しているっていう人がいない。
地方国立大学には「第一志望落ちてここにきた。この大学マジクズww大学めんどくせえww」みたいな人間がウジャウジャいる。
そういった劣等感を感じたり挫折を味わった人間の塊だ。地方国立大学っていうのは。
だから、弁護士や公認会計士になろうとして猛勉強してるやつなんかほぼいない。
つまり、勉強における刺激はかなり小さいから、しっかり勉強しようと思ってるやつは都会に行け、ってことだ。
独学なんてギャグだから。都会でひとりでも一生懸命な人間をみつけたほうがいい。
就職は、地銀・地方新聞社クラスならマジで余裕だ。普通に大学生活おくってたら楽勝。
ただ、上を目指そうっていう気持ちがあるなら、こんなところには来るな。都会に行け。
でも上は目指すことはかなり難しい。
普通でないモチベーションを持ち続けられる自分と、自分と同じようにモチベーションを持ち続けられる友人を最低一人はみつけなければならないからな。
大学入って色々頑張りたいって思ってるんなら、地方国立大学には来ないほうがいい。絶望する。
③上下のつながり
宗教はいるが、左翼はいない。いて共産党信者だ。熱烈なやつはいない。
だから、そんなにサークル選びは心配する必要はない。
ただ、サークルは大きく大学生活をを左右するから、2~3個くらいはかけもちしておいたほうがいいんでないかと思う。
学年上がるにつれてサークルは入りづらくなるからな。
つながりはないよりあったほうがいい。ぼっちは避けろ。
④個人的な意見
MARCH(KKDR)と地方国立大学なら、絶対にMARCH(KKDR)にいくことをおススメする!
のんびりしたいんなら別だが、少しでも刺激を求めるんなら、都会のほうがいい。
少なくとも俺は、刺激がほしい人間だったから、ここにきて後悔した。
勉強もロクにせず惰性で4年間送るのは自分も苦しいが、なにより親不孝だ。
親を思って授業料の安い地方国立大学にいこうと思ってるのかもしれないが、奨学金もらって必死でバイトしながら都会の大学に通うほうが断然親孝行だ。
田舎の親子にありがちなのが「国立大学は学費も安くて最高」という考え方なんだけど、もうそんな神話は通用しない。
浪人してでも都会の私立行け。
⑤最後に
俺自身、地方国立大学が全く楽しくなかったわけではないが、むちゃくちゃ物足りなかった!
30人くらいいるサークルの部長とかもやったりして、他人からみたら充実した大学生活だったかもしれないけど、俺はもっと刺激がほしかった。
MARCHには受かってただけに、ここにきたことをすげえ後悔したよ。
やっぱ学生時代くらいは都会ですごすべきじゃないかと思うね!
いま大学4年生。第一志望ではないにしろ、このご時世ありがたいことに行きたかった業界の会社に内定を頂いています。
周りを見ると、精神的に体調を崩して留年している人もちらちら見かけるのですが、何とか卒論をお情けで通してもらって、無事に卒業することが決定しました。
しかし、なんとか周りの人たちの助けで卒業できたものの、周りにはちらほら留年している人も見かけます。
半ば留年することを自分で選んだような人もいますが、精神的に体調を崩してしまっている人も少なくありません。
思えば、大学っていうのは不思議な空間です。一浪・二浪ぐらいまでならたくさんいますし、研究室配属前に留年する人も結構な数です。
また、落とした単位は別の科目で補ったり、次の年に一から取り直すこともできます。いくら失敗しても、ちょっとぐらい休憩して体勢を立て直してもなんの不利益もなくやり直せる場所。
僕自身は運良く浪人も留年もなくここまできましたが、そんな根性があるわけでもなく、人の助けで生きてきた人生です。
そう考えると、今更ながら就職するのが怖くなってきました。本当にしんどくなったときにでも、逃げ道のない環境なんじゃないかと感じています。
私は一度自分の懐に入れたものに対しては、非常に忍耐力のある性格をしていると思う。きれいな言い方をすると「見捨てない」のだけど、ぶっちゃければ「切り捨てる勇気がない」ということだ。
とりわけ維持や遂行に手間のかかるものほど、切り捨てることに対して抵抗がある。mixiアプリで言えば「みんなの農園」であり、人付き合いで言えば困ったちゃんの友人。人生で言えば無謀な中学受験や美大受験、新卒で入ってしまったブラック会社、イラストレーターになる夢と、切り捨てられなかったものを挙げていくと枚挙に暇が無い。すると、
「あいつと付き合うの辞めなよ」
「そんなに嫌なら辞めれば」
みたいなことを友人や両親から日常的に言われるわけですね。私はこれに対して「でも…」「でも…」を連呼します。不幸に酔っているわけではなく、耐えに耐えてきた時間を負けた状態で精算するのは損なような気がするからです。つまり利益を得るまで辞められない。
あんなバグ満載ゲームであるみん農ですら全面開拓するまできっと辞められない。難解な性格のせいで周囲から疎遠にされまくっている友人と、未だに友情を育んでいるのは私ぐらいでしょう。当然受験は合格するまで浪人したし、会社には慣れてしまった。全く売れていないけどレーターの端くれにもなった。忍耐は既に私の血肉となっていて、己の身に降りかかる理不尽に対して、スルーすることばかり覚えてしまったのです。もうね、抵抗するのも面倒くさい。
前置きが長くなった。えーとそのつまり、来月結婚するんですよね。婚約者は、度を超えたナルで、私に対して時間を割くことを極端に嫌がる人です。私のことはマスコットかなんかだと思ってるでしょう。付き合い出した瞬間から「あいつだけは辞めとけ、お前が幸せになれない」と周囲から忠告を頂くような関係でした。もちろん私は彼の前向きな性格や仕事に対する姿勢を尊敬しているし好きなので幸せなのですが…思えば、これは愛なのではなく単なる意地なのではないでしょうか。暴力こそ振るわれてないけど、私がスルーしなければ両手両足では足りないほど別れるフラグがありましたから。
今、私が結婚したいと思っている気持ちに自信が持てません。古来から吐くほど繰り返されてきたマリッジブルーの一種だと自覚はしているのですが、信じられないのが彼ではなく自分の性格だというあたりがやりきれない。切り捨てる勇気がないばっかりに、彼とのおだやかな老後というゴールを勝ち取るまで辞められないだけじゃないの。それで結婚なんかして大丈夫なの。そんな声がぐるぐる巡って不安に押しつぶされそうだ。理不尽と戦うことを怠けたツケをこんな人生の岐路で支払わされることになるとは思わなかった。
たぶん、人生で日記という物を書くのが初めてだ。改稿変だし、チラシの裏だが書く。
一昨年の高校最後の夏休みの初めに人生で初めての受験をする事を決意した。親からは驚かれた。
その時まで自発的に勉強した事もなかったし、高校も面接だけのところを選んだし。
中学高校のクラスでも最下位に近い実力であり、何より勉強が嫌いだった。
いざ「受験勉強」というのを取り込もうと思っても何をしていいかわからなかった。
今思えば当然だった。今まで勉強という事に対して真面目に取り組んだ事がなかったからだ。
中学レベルの知識すら自分にはなかった。副詞・形容詞・形容動詞の意味すらわからなかった。
それでも参考書を買い漁り、それに書いてある内容の熟読を試み、シャーペンを走らせた。
そんな馬鹿な俺でも必死にやったお陰か、クラスの定期テストで上から2番目になれた。
友人達には驚かれたし、先生に勉強の事で始めて褒められた。自分でもよくやったと思ったし嬉しかった。
そんな幻想に浸っていた私の優越感は全統模試によって吹き飛ばされた。ほとんど解けなかった。
学校単位で受けていたので学年の中では上位だったが、全国レベルでみると標準の下の下。驚愕した。
それでも勉強に対して諦めきれず、去年のセンターに挑むも惨敗。
私大も幾つか受けたが結局地元の俗に言うボーダーフリーの大学にしか受からなかった。
号泣した。自分はこんなものだったのかと。あれだけやってこの結果かと。やっぱり俺はどこまでいっても馬鹿だと。
諦めきれなかった。だから私は両親の同意を得て浪人をして、国立を目指す事を決意した。
その時決めた。この一年間は一人で生きていこう、友達を作るのはやめよう、受験一本でやっていこう、と。
夏休みぐらいまで自分を必死に追い込み勉強した。予備校で何度も周囲に声をかけられたが見向きもしなかった。
だけど不思議とやる気はあった。自分はまだ可能性がある。まだやれる。この頃はパソコンや漫画などに目も向けずひたすらに勉強を続けた。
先に大学に進学していった友人達、先輩や後輩も皆応援してくれた。お守りもたくさん貰った。とても嬉しかったしやる気もあがった。
そして夏休み終わりの記述模試。結果は去年に比べて毛が生えた程度。この頃から自分に対して失望し始めた。
勉強もし続けたがやる気がどんどん失せていった。毎日通っていた予備校の自習室も徐々に行かなくなっていった。
鍵付きのタンスに封印していたパソコンを起動させて、暇をつぶす事も増えてきた。
冬も間近に迫った最後の模試の結果を見て、完全にやる気がなくなった。目の前が真っ暗になった。
その時に思った。そうか、自分には勉強は向いてないのかもしれない、と。
徐々に行かなくなった予備校はほとんど行かなくなり、家で現実逃避する日がいくらか続いた。
センター間近だというのに、周りの受験生は必死だというのに、皆が遠くで応援してくれているのに、
やる気が沸いてこない。何もしたくない。死にたい。もう生きたくない。そんな事を思ってた。
結果は惨敗。しかし、この日を境に再び勉強をし始めた。何故だかわからないけどやらなきゃいけないんだと思った。
運のいいことに、センター利用で出していた日東駒専レベルの私立(去年落ちた)が何故かA判定が出ていた。
そして今に至る。昨日それより少し上のランクの入試を受けてきたがたぶん落ちてる。そしてこれからも入試が続く。
国立も足切りが無く、二次比率の高い所に出したので可能性はまだある。E判定だけど。
俺はもうどうしたらいいんだよ。
自分の望むものは、周りの環境さえ整えれば、自分が何もしなくても
そもそも最初に受かった大学での1年間の生活の何が不満だったんだ?
大学生活の楽しみは、大学が全部与えてくれるものだとでも思ってるのか?
予備校に行けば、大学合格までの道筋を与えてくれると思ってるのか?
もう一度浪人すれば、あと1年間は勉強するふりをしながらダラダラ過ごせる
執行猶予が与えられると思ってるのか?
お前自身が本気で変わりたいと思って行動しない限り、どこに行ったって成功しねえよ。
仮に東大に入ったって、引きこもりニートになる奴なんてたくさんいる。
とりあえず、2浪2留の後に、その年の人気10位内の企業の花形部署に入社して、
二年で辞めて、その後三年間引きこもりニートをした後に、起業して成功した俺が
言うんだから、ちょっとは言うこと聞け。
答案を出すだけで単位が取れる超カンタンな講義の試験日なのに、現実逃避して、
大学近くのゲーセンのメダルコーナーで一人で延々と遊び続けていて、
結局試験を受けずに留年した俺みたいな奴でも、その後成功してるんだよ。
とりあえず親が金持ってるなら、今年どんなクソ大学でもいいから入れ。
後期日程とか色々あるから、今からでも何とかなるだろ。
そうすりゃ4年くらいの執行猶予が付く。
その4年で色んなことを試して、色んな人に会って、好きなことを探せ。
で、怠け者なんだから、もう好きなこと以外するな。
好きなことだけして食って行くにはどうすりゃいいか、死ぬ気で考えろ。
出来るだけ多くの人に会って相談しろ。
そうすりゃ、何とかなるよ。良かったな。
なぜ今の30代は「助けて」と言えないのだろうか
ttp://d.hatena.ne.jp/Imamura/20091111/help
今の30代が生まれたのは、1970年から1979年です。親は高度経済成長を支えた世代であり、がんばるほど明日が豊かになるという実感を持って生きてきました。ローンを組んで家を建て、将来の昇給をあてにできた世代です。
一方その子供たち、今30代を迎えている人々は、1990年ごろのバブル崩壊を10代で迎えています。このタイミングはなかなか絶妙でした。不景気になり始めたころ高校や大学に通い、いよいよ社会に出ようという90年代後半には不景気が本格化していました。
「就職氷河期」は1994年の流行語大賞で、この年に就職活動をしている大学生は(浪人してなければ)1971年生まれ、いま38歳です。
親は高度経済成長世代、先輩はバブル世代で、不景気な社会でのロールモデルにはなりません。今の30代は、すっかり不景気になった社会へ出てきた最初の世代になりました。景気がよい時代に社会に足場を築いておくことができず、といって社会へ出る前から不景気を前提にした準備もできなかった世代です。
そしてそのまま、年を取るのに合わせ、その場その場で生き方を探っていくことになりました。
自分が生まれた年の、親の年齢を計算してみるとびっくりします。30代で家を建てて子供(つまり自分)もいるのがふつうですが、今の30代ならば成功した人でないと家を建てるなど無理でしょう。
でも当時の子供の多くは漠然と、努力次第で自分も大きくなったら父親のようにサラリーマンとして会社勤めをし、終身雇用に支えられながら、30代になったら郊外の新築に住むことができると考えていたのではないかと思います。少なくとも自分はそうでした。
このような、将来像と現実とのギャップが最も大きい世代が、今の30代なのだろうという考えに至りました。
だからこそ、あるべき姿になれていないことを自分の責任と感じてしまう傾向が強く、安易に「助けて」と言うことに抵抗が強いのではないかと考えています。
今となっては15を過ぎればただの人(この表現が当てはまるほどの秀才でもなかったが)
中学受験を失敗したこともあって(勉強は父親の独りよがりな勉強方法。実力よりも数段上のところばかりを受験)
地元の公立中時代はまあそれ相応に勉強し、100%ではないけれどもそれなりの結果も出した。
高校受験。
これもまた100%満足の行く結果ではなかったけれども、『進学したい』高校には合格していた。
公立高校の受験日と一番『進学したい』高校の事前登校日が重なっていた。
公立は、、、申訳ないがまったく行く気がないところだったが、
手を変え品を変え『公立以外のところにいってもやっていけるはずがない』ことを散々言われ続けた。
今となっては金銭的な部分で諦めさそうというのがあったのかもしれない。
(でも一応『国立』には受かっていたのだからそれでも良かったじゃないかと思う→目立つことをやらせたくなかった→自分の常識価値観外のことをトライさせたくなかったとも受取れる)
一番『進学したい』のは国立だった。やいのやいの言われて嫌になってきたが、私立も合格していたのでまだそちらに進めるだろうという甘えた願望があり渋々公立高校受験。白紙で答案を出そうかと思ったが、さすがにそれはできず真面目に回答。まだ内申書重視の時代だったので当然合格。
後になって言い出したことだが、『公立には受かる可能せいもすれすれ。そんな奴がほかの高校に憂かった?やっていけるはずがない』という嗜好回路を両親が持っていたことを今でもおぼえている。
ここからも『公立』に行かせる攻勢が強くなった。
最終的に進学先を決めざるを得なくなった日。
もうほとんどあきらめていたと思う。どうでもよくなっていたのを今でも覚えている。
夜の8時ごろから翌日の午前12時30分まで『私立に行ってもやっていけない。無理しなくていいじゃないか』と洗脳されるがごとく語り続けられた。『私個人に覇気がないから公立に行く選択肢しかない』というのも受験終了後、この日に至るまで毎日のように語りつづけられた。今でも覚えている。翌日になった午前12時ごろから雨が降り始めた。雨音が鳴り響き始めていた。
その音に気がついたのかもう疲れきっていたのかはわからないが、
『もういいかな』
『もうお父さん達に任せてくれないかな』
と父親。実質この時点で話は決まったも同然だった。
涙が溢れてきた。
・
・
・
30分が経ち、再度『任せてくれないかな』『もういいか公立で』
・
・
・
涙ながらにうなづいた。うなづくやいなや『そうかそうか、それでいい、、、』と父親。
発した言葉までは詳細には覚えていないけれども、ニュアンス・意図していることろ時系列は今でも覚えている。
何故って?
いまだに大学浪人をしたことをとやかく言われるから、思い出してしまうのです。
高校入学後、開き直ってと人はいうかもしれない。
ええ、そのとおりだと思います。
後悔してますよ、そりゃ。
人から夢や希望や信頼を奪われた気持ちがわかる人に言われるなら納得しますがね。
15の春に自己責任を求める。
悲しいことじゃありませんか?
そういう感情は大学生の時までは持っていたなぁ。
苦痛に感じない程度のお勉強で国立大学に推薦入学出来たから、浪人するような人が全然わからなかった。
社会に出て、自分の飲み代が出せるようになって初めてストレートじゃない人との付き合いが発生した。
でもそれも上から下までいるんだよね。
話してて面白いなーと思ったら色々な経験を経た上に漫画家(結構売れてる)に落ち着いていた人だったり、年の半分はタイに住んでて日本での収入源は音楽の人だったり、占い師だったり。
当然ストレートの人もいるけど、慶応卒エリートサラリーマンだったり東大卒普通サラリーマンだったり、こっちも上から下まで色々。
面白さや人間性なんかで序列をつけると、確かに非ストレート層が下の大部分を占めてる。
中間層はストレートばかり。
最上流層は半々かな。
個人的には、非ストレートを避けることで本当に面白い人々の半数と出会える機会を失うのは勿体無いと思う。
中学:日本はバブル最絶頂期。テレビに映る大学生や社会人の世界はそれはそれは華やか。俺もいつかあんな風に遊ぶんだ、と思いつつ田舎の市立中学に通う。高校受験に必要(内申書云々)という理由で、やりたくもない運動部で日々を無為に過ごす。
高校:地元の県立高校に進学。どうやら絶好調だった日本経済に陰りが見えてきたらしい。一応進学校だが田舎なのでのんびりしている奴が多い。適当に勉強しつつ、適当に部活に精を出す。部活が義務でなくなる(大学受験には内申書は関係ないらしい)と不思議と部活で汗を流すのが楽しくなる。そういえば、中学高校と女に縁がない。童貞。
大学:親がブルーカラーで家計に余裕もないので、浪人せずに入学できるところを選んだ。一度、東京に出てみたくて、地元の国立ではなくて東京の私立にした。その選択を許してくれた両親に感謝。世間では、阪神大震災、オウム事件と暗い雰囲気が漂い始めた。Windows95が発売されたが一度も触ることがなかった。大学に入学するとすぐに彼女ができた。非コミュの俺になんという奇跡。大学ではなんかめちゃくちゃ勉強をした。
就活:日本経済どん底。山一証券、拓銀が破綻した。金融恐慌の一歩手前。MARCHの就職先なんてロクなもんじゃなかった。同級生たちも皆が微妙な企業に就職していった。俺たちは後にロスジェネ世代と呼ばれるようになる。俺はといえばイマイチ無名な外資に滑り込む。大学で勉強に励んでいたのが役に立ったらしい。
社会人1年目:最初の配属先の上司はリア充全快のコミュ力抜群の人だった。が、人を育てたり指導するのが下手な人だった。おかげで、なかなか仕事を覚えられずに苦労した。このころの人事評価は同期の中でも最下位を争っていたのではないかと思う。現実逃避のために、先輩たちに連れられて毎日飲んでばかりいたような記憶がある。この最初の上司のことは、後に反面教師として意識するようになった。
ネットで現実逃避:仕事でイマイチ不完全燃焼だったころ、PCを買った。Pen2、64MBメモリ、6GBHDD。テレホタイムにアナログモデムで接続し朝までLoopitでチャット。翌日は寝不足で仕事に力が入らない。東芝事件が起こり、2ちゃんねるを発見する。ますますネットにはまった。
部署異動:異動先のボスは体育会系で面倒見がよかった。細かいところまで指導はしてくれないけど、仕事を丸投げして任せ切ること、部下のモチベーションを高めること、組織を動かすことがうまい人だった。ここでの数年間は貴重だった。次々とふってくる重い仕事をこなすうちに仕事が楽しくなり自信もついてきた。気が付いたら人事評価も同期の中でトップの方までのぼっていた。世間ではネットベンチャーブーム。IPOブームが盛り上がっている。そして、日韓W杯が開催されるよりもずいぶん前にネットバブルがはじけた。失われた10年という言葉が流行っていた。このころ付き合っていた彼女と結婚。
転職:より広い裁量と成長機会を求めてベンチャーに転職。ストックオプションで一攫千金という下心も。社長とは微妙にウマが合わなかったが、毎年2ケタ成長する売上、どんどん大きくなる組織、ビジネスのダイナミズムを間近で感じられる環境に満足していた。とにかくひたすらに働いた。毎晩タクシー帰り、休日も出勤した。会社はいつの間にかIPOを果たしたがストックオプションは大した財産にはならなかった。ライブドアの堀江さんが時の人となり第二次ネットバブルが盛り上がっていた。小泉竹中路線で景況感は良かったような気がする。このころ部下の女の子(といっても同い年)に手を出してお互いにラリラリ状態。今考えると社内でもバレていたかもしれない。不倫が妻にばれてプライベートはプチ修羅場。部下の子は会社を辞めた。何をしてもこの罪を償うことはできないと思う。この後、真人間になり部下達の育成に力を注いだ。最初の上司が反面教師だった。このころの部下たちは今でも俺を慕ってくれている(と信じたい。)
退職:社長と意見が合わないことが我慢できなくなり退職することにした。全てのリスクを背負って世間と向き合っているのは彼なのだから、あの会社は彼のやりたいように運営すればいい。意見が合わない以上、引くのは俺だ。ていうか、俺の存在なんか社外では全く無名、社内でも歯車の一つに過ぎない。この後、今に至るまでこの社長は俺にとって反面教師として心の中で大きなウェイトを占めている。株は最後まで大した財産にはならなかったがコツコツためてきた貯金があるので節約すれば夫婦2人で2年くらいは暮らせそうだった。次の仕事のあてもないままに会社を辞めてしまった。なんかアメリカでサブプライムローンというのが問題になっているらしい。評論家がサブプライムローンの残高は少ないので世界経済に与える影響は限定的とか言ってる。
フリーランス:もともと非コミュで友人知人が少なく、人脈と言えるようなものもなかったが、何人か仕事を回してくれる人がいた。1案件いくら、という感じで個人事業主として仕事をこなしながらお金を稼いだ。報酬は、仕事を回してくれる人がピンハネ済みだが、こんな俺に声をかけてくれることにとても感謝していた。そして毎回、全力で仕事をこなしていき、仕事をくれる人の期待に応えようとがんばった。リーマンブラザーズが破綻したらしい。年越派遣村のニュースには共感も反感も感じなかった。年が明けて所得税を計算すると、サラリーマン時代に比べ収入(額面)は倍近く、税金は倍どころじゃない。事業税って何?住民税が2つあるの?国民健康保険高すぎ。上場企業の正社員という安定的な地位を捨てたのだから、将来への備えは自分で何とかしなければならない。麻生総理を攻撃するマスゴミとピントのずれた正義を振りまく鳩山邦夫に、日本はもう駄目かもねとかオヤジくさいことを考えるようになっていた。ていうか俺もう33か、立派なオジサンだし将来への希望も見いだせなくなってきた。
再就職:昔、一度誘ってくれた中小企業の社長がまた誘ってくれた。商売上手なところ、コンプラ意識が強いところ、人の感情に配慮しながら上手に組織を動かせるところが、前のベンチャーの社長とは正反対な人なので、ほとんど迷わなかった。ほぼ即断で、その人のお世話になることにした。その会社は個人事業主的なメンタリティの人が多く、商売に対して貪欲な人が多い。世間の常識を疑い果敢にビジネスチャンスを切り開こうとする。一方で吹けば飛ぶような存在なので自分たちを一瞬で破滅させかねないコンプラリスクには皆敏感でグレーなことには手を出さない。こんなに前向きに清々しい気分で働ける職場は初めてだ。こんな環境をもたらしてくれた社長に感謝。ここに居続けるためには俺も商売人にならなくては。民主党が政権を取った。来年の納税額は3百万円を超えそうだが、子供がいない我が家には何の恩恵も無さそうだ。自民党政権のままで緩慢な衰退を迎えるよりは、民主党が急激に破滅させた方が日本の立ち直りは早いかもしれないと思う今日この頃。
年の瀬にこの20年余を思い出しながら書いてみた。