今となっては15を過ぎればただの人(この表現が当てはまるほどの秀才でもなかったが)
中学受験を失敗したこともあって(勉強は父親の独りよがりな勉強方法。実力よりも数段上のところばかりを受験)
地元の公立中時代はまあそれ相応に勉強し、100%ではないけれどもそれなりの結果も出した。
高校受験。
これもまた100%満足の行く結果ではなかったけれども、『進学したい』高校には合格していた。
公立高校の受験日と一番『進学したい』高校の事前登校日が重なっていた。
公立は、、、申訳ないがまったく行く気がないところだったが、
手を変え品を変え『公立以外のところにいってもやっていけるはずがない』ことを散々言われ続けた。
今となっては金銭的な部分で諦めさそうというのがあったのかもしれない。
(でも一応『国立』には受かっていたのだからそれでも良かったじゃないかと思う→目立つことをやらせたくなかった→自分の常識価値観外のことをトライさせたくなかったとも受取れる)
一番『進学したい』のは国立だった。やいのやいの言われて嫌になってきたが、私立も合格していたのでまだそちらに進めるだろうという甘えた願望があり渋々公立高校受験。白紙で答案を出そうかと思ったが、さすがにそれはできず真面目に回答。まだ内申書重視の時代だったので当然合格。
後になって言い出したことだが、『公立には受かる可能せいもすれすれ。そんな奴がほかの高校に憂かった?やっていけるはずがない』という嗜好回路を両親が持っていたことを今でもおぼえている。
ここからも『公立』に行かせる攻勢が強くなった。
最終的に進学先を決めざるを得なくなった日。
もうほとんどあきらめていたと思う。どうでもよくなっていたのを今でも覚えている。
夜の8時ごろから翌日の午前12時30分まで『私立に行ってもやっていけない。無理しなくていいじゃないか』と洗脳されるがごとく語り続けられた。『私個人に覇気がないから公立に行く選択肢しかない』というのも受験終了後、この日に至るまで毎日のように語りつづけられた。今でも覚えている。翌日になった午前12時ごろから雨が降り始めた。雨音が鳴り響き始めていた。
その音に気がついたのかもう疲れきっていたのかはわからないが、
『もういいかな』
『もうお父さん達に任せてくれないかな』
と父親。実質この時点で話は決まったも同然だった。
涙が溢れてきた。
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30分が経ち、再度『任せてくれないかな』『もういいか公立で』
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涙ながらにうなづいた。うなづくやいなや『そうかそうか、それでいい、、、』と父親。
発した言葉までは詳細には覚えていないけれども、ニュアンス・意図していることろ時系列は今でも覚えている。
何故って?
いまだに大学浪人をしたことをとやかく言われるから、思い出してしまうのです。
高校入学後、開き直ってと人はいうかもしれない。
ええ、そのとおりだと思います。
後悔してますよ、そりゃ。
人から夢や希望や信頼を奪われた気持ちがわかる人に言われるなら納得しますがね。
15の春に自己責任を求める。
悲しいことじゃありませんか?
下衆に与えて良いのは不快感だけだ。