はてなキーワード: 撮り方とは
ニートは2年前に脱却したが金が貯まるだけでなんにもない毎日だった。
しかし痩せて歯列矯正して整形してもまず普通に出会って恋愛なんて無理だと思う。
何年もひきこもっているうちに詐欺写メの撮り方やネットで魅力的な人格を演出するのには長けてきた。
というわけでネットで適当な孤独な童貞大学生ひっかけて恋愛するというのが現実的だろう。
とりあえず死ぬまでに一度でいいからラブラブSEXがしたいんです。できたらどうなってもいい。
(追記)
いない歴=年齢だけど絶対に風俗とかでは脱童したくない男の人っているじゃん。
お金はらったり出会い系つかえばセックスなんか簡単にできるけどそういう人たちってやっぱりプラトニックなものに重点おいてるでしょ。私もそんな感じ。
もとまか氏が、「この記事が1000ブクマ行ったらサブアカウント晒します」という記事を書かれた。
http://d.hatena.ne.jp/moto_maka/20110913/1315855543
http://megalodon.jp/2011-0913-1436-33/d.hatena.ne.jp/moto_maka/20110913/1315855543
何か誤解されているようなので、流れを書いておく。
まず、私がid:GRsgym に対してブコメ欄にて、以下のように書いた。
こういうBOTも紛らわしい。例えば、id:moto_maka が81記事。id:goryugoが98記事。id:appbankが631記事ある。
誰かが情報収集のために作ったのだと思うけれど、誰が?って感じがする。
次に、id:Doncaに対して書いた。
BOTは、ブクマ数から除外できないのかな。例えば、id:moto_maka が476記事ある。
先程取り上げたBOTと合わせて、この時点で2ブクマ。あと1つセルクマすれば新着に入るということ。当人が無関係だとしても、ノイズだ。
最後に、氏が今回書かれた記事に対して、以下のようにコメントした。
再度読んでもらえば分かるけれど、id:moto_maka をBOTなんて一言も述べてないです。たまたま例に挙げただけで。
私のブックマーク欄で、いずれも文面は変えていないので、お分かりになるかと思う。
http://b.hatena.ne.jp/bookmark-checker/
まず、id:moto_makaがスパムやBOTなどとは言っていない。
誰かが作った情報収集のBOTが、たまたまid:moto_makaのブログを巡回していたから、取り上げただけだ。
たまたま名指しで取り上げたので、お怒りになったのかと思うが、そもそもid:moto_makaを糾弾したわけではない。
単に「BOTが2ブクマしてくれたら、セルクマ1つで新着に載るよね。BOTはブクマ数から除外できないのかな」という旨を書いただけである。
むしろ、(誤解されたりする面で)id:moto_makaは被害者でもあるという意味にも取れるのでは?
そのようなわけで、記事の中で氏は、持論を展開されているが、そもそも出だしから勘違いされている気がする。
あと、氏の周りの方たちも、出来れば元の発言が誰に向けられているのかなど、前後関係を汲み取ってからブクマして欲しかった。
「支援」「応援」などの言葉がずらっと、ブコメに並ぶような気持ちは分からないでもないですけれどね。
ブクマ支援をされている、以下の方々これでOK?
支援のお蔭で、人気エントリー入りして、何だかなと思ったので。誤解が晴れれば、良いのですが。
あと、今回の件を記事で仲間と共にブクマして人気エントリー入りを目指されなくても、
同じ作品でも、訳し方は人によって全く違う。
それぞれに良い所があり、味がある。
その作品をより深く理解しようと思えば原書を読むのが一番だろうが、その言語への理解が浅ければ作品も深くは理解出来ない。
だから訳書を読む。
けれどそれは訳者の理解のフィルターを通した作品であり、だからこそ人によって違った訳が生まれる。
何人もの訳を読めば、理解は深まると思う。
撮影者が何処に美しさを感じたか。
それが、風景を忠実に写し取っていると思われがちな写真というものにも現れる。
現地へ赴けばどんな景色であるか、どういう風に美しいのか、あるいは美しくないのか、何も通さずに感じられるだろうが、そう何処にでも行ける訳ではない。
だから写真を見て楽しむ。
何枚も、何人もが撮った写真を見れば、そこがどんな場所なのか良く分かるだろう。
そんなことをふと思った。
祖母が時代劇を見てた。
「えらく古臭いの見てるなぁ」と言ったら
見るともなく横にいて、
「ううん。特別編だって。この原作はこの人(主演)のお父さんのなのよ。
それを、息子が演じてるの。
まあ、お父さん向けの話だから、古いわよねぇ…」と、薀蓄を教えられた。
時代劇に出る役者なんて、知らないし、
へえ、と聞き流してなんとなく新聞をチェックした。
たしかに、再放送とは書いてない。
でも、なぜか違和感を感じる。
出演者を見て、余計に変な気がして、画面を見てた。
「なあ、やっぱり変だよ。」
祖母は「ん?」という顔をしてしばらく黙ったが、
「ああ、そうだわ。このXXさん、もう死んじゃったもん…」
とつぶやいた。
祖母は一瞬、ちょっとがっかり、ビックリした顔をしたけど、
その後は「若いわねー」「このXXさんは、ホラ、あのドラマの何々役の人よ」と解説を続けてくれた。
役者って、すごいよな。
自分自身は老いて、あるいは命をなくしても
見る人の記憶の中ではずっと若いままで、
しかも不自然さの欠片もなく存在していけるんだから。
http://anond.hatelabo.jp/20091006210805
「赤ちゃんが生まれるからデジカメ買い換えたい」「ペット撮りたいけどどっちかな?」「せっかくの旅行なら良いカメラが良い!」って人向け。
(「大カビネって中途半端じゃね」「富士のハニカムだとスミアってどう走るんだっけ」「あのレンズは色収差が絶妙」って人は対象外)
まず最初にどっちか決めましょう
カメラを撮る側が忘れがちなことに「周りへの威圧感」ってのがあります。
例えば、ちょっとオシャレな喫茶店でケーキの飾りが可愛いのを見つけた!撮ろう!と思ったときに、
友達と一緒なら「あ、見せて見せて!」となりがち。周りの人もブログにでも載せるのかなー増えたねー程度。
友達と一緒ならちょっと引き気味に「あ、カメラ凄いねそれ」となりがち。周りの人も「ああ増えたねああ言うのも……」程度。
おっきなレンズでしっかり構えて撮るのが綺麗な写真を撮るためのファーストステップです。
わいわい言いながら片手で適当にシャッターを切ると、ぶれててイマイチな写真に。
どっちが自分が良くいる場に相応しいでしょう。
友達と旅行に行くときにごっついカメラを首から提げてるとなんかオジサンみたい……とちょっと残念な気持ちになりかねないなら、コンデジにしましょう。
「俺は竹美(愛娘2歳)の笑顔を、最高の形で残したいんだ!」とい人はデジイチにしましょう。
そもそも孤高の人なら、デジイチにしましょう。新しい相棒は無口ですが、期待には応えます。
具体的に言うと、
どれくらい違うかというと……
このぐらい違います。
特に、デジイチは(コンデジのズームと違っていろんなサイズで撮ったりできるのが良いところの)レンズ交換の結果によっては、平気で2Lペットボトルなみの重さになったりします。
首から500mlペットボトルを2本ぶら下げた時を想像してみてください。
めげそうになったら、旅行に持って行くのはコンデジにした方が良いです。
普段ちょっと散歩に行った時に猫を撮ったり、せっかくの旅行ならちょっとは頑張る、と言う人はデジイチでも良いかも知れません。
「俺は(省略)」な人はデジイチを買え。
中古って選択肢も入れるならデジイチの方が状態が良くて綺麗に撮れるのが安く手に入ることだてあります。(例えばNikon D70sなら本体3万円ぐらい)
ただし、デジイチの特徴である「豊富なアクセサリー!」だとか「プロフェッショナルなレンズ群!」とかはお金がかかります。
デジカメはレンズが7割ぐらいです。つまりレンズは中古でも高いままです。
大抵はズームレンズ1本に、固定焦点レンズが2本もあれば満足できますが、だいたい一本3万円ぐらいします。
「せっかくデジイチ買ったんだし……」と財布の紐を緩めても良い人は、買っても良いかも知れません。
プリンターで普通の写真サイズで印刷したり、お店で印刷頼んでアルバム作ったりって人はコンデジでも良いかもしれません。
そのサイズだと、撮り方次第ではなんとでもなるからです。
どこにでも持って行けて、いろんな写真を撮って、選んでアルバムにして楽しむ。
コンデジでも充分に楽しめます。
フルハイビジョンに繋いでスライドショー鑑賞会したり、パソコンでじっくり見たりしたい!
と言う人はデジイチを買わないと後悔します。
(この辺が気になる人はツリーで催促すると死ぬほど詳しい話をみんなしてくれるぞたぶん)
目の前に撮りたい光景があって、撮るカメラがあって、周囲の状況があって、撮った後の選択があって、残し方があって、残す相手が居ます。
凄く高価なデジカメで愛娘の笑顔をとっても、パソコンが壊れてパーになったら意味がありません。
そう思うなら、カメラではなく印刷してアルバムを作る方に力を入れましょう。思い出は記録に出来ます。
旅行を楽しみたい!せっかくなら、記念に残るように写真も撮りたい!
後でみんなで旅行を振り返っておしゃべりしたい。
そう思うなら、同行者と楽しく旅行をすることをまず第一に考えましょう。記録と思い出は違います。
自分は何がしたいのかな?それを考えながら悩んでみてください。
じゃあ視点を変えて、「撮りたいもののためにはどんな性能が欲しいか」でも書いてみるか。
デジ一眼にはデジ一眼の良さが、コンデジにはコンデジの良さがある。道具は良い写真を補佐するけど、結局モノを言うのは自分の腕だ。
ただ、明確に目的があるなら、そのために最適な性能というものはある。全部を一台で賄うのは無理だ(デジ一眼はそれに近いことをやってるけど、代わりにレンズを何本も持つことになる)。目的を絞って、必要なら目的別に機種そのものを変えるのもひとつの手。
風景といっても様々だけど、一般的には「広い範囲を切り取る」ことになると思う。
観光地なんかで記念写真撮ろうとして、背景の収まりが悪くて苦労したことはないか?特に建物の前で撮ると、画面に入り切らなくて困る。離れればいいんだけど、そんなに距離を取れない場所だってあるわけで。
こういう時には広角レンズが欲しい。
レンズの倍率はmmで表されてる。ズームレンズなんかだと28-135mmとか、そんな風に。この数字が小さいほど広角に写る。普通のスナップ写真、例えば写るンですなんかは35mmあたり。28だとやや広角ぐらい、21ぐらいになると結構広角。14とかになるともうかなり広角。
広い範囲を無理矢理収める分、広角レンズは端が歪む。球の表面に写真を貼り付けたような、そんな風に直線が曲がる。だから正確な形は把握できなくなるんだけど、これはこれで味わい深い。歪みの面白さを利用して、わざと広角を使うことだってある。
広角の極端になったものが魚眼レンズ。全周魚眼にもなるとレンズ面から180度、つまり真横まで全部写る。
魚眼となると普段使いには不便だし、ほぼ一眼一択になっちゃうけど、単に「広い範囲を写したい」だけなら実はレンズに拘る必要もない。撮影画像を繋げてパノラマを作ってしまえばいいのだ。写真加工ソフトがあれば自力で作れるし、最近では写真を自動で繋いでパノラマにしてくれるソフトまである。またカメラ側にもスウィングパノラマなんて名前で、「前の画像の端に合わせて次の1枚を撮る→終わったらカメラが自動で合成」なんて機能もあったりする。やろうと思えば360度ぐるりと見回す画像が作れたりして面白い。
さて、なにも風景のすべてが広範囲というわけでもない。時には近付けない距離のものを大きく撮りたいこともある。そういう時は勿論、望遠レンズだ。
望遠は大雑把に言えば「画面の一部を切り取る効果」だ。Photoshopなんかで写真を切り取り処理したことはないか?不要な部分が消えて写真の中心が変われば、印象は随分変わる。望遠は、それを撮影段階でやっているようなものだ。そう考えれば、これはまあなくてもやって行ける。でも切り取った分だけ画素数は減るから。大きくかつ微細な画像を使いたいなら、やっぱり望遠が便利。
望遠には他にも用途があるんだけど、それは後述。
雑貨や植物、昆虫のようなサイズの小さい静物を大きく撮るには、普通マクロを使う。大雑把に言えば、カメラに凄く近いところにピントを合わせるレンズだ。コンデジでもリコーやソニーなんかはマクロに強くて、レンズ前1cmまで近付くことができる。最近の薄型機には「スーパーマクロ」とか「拡大鏡モード」などと呼ばれる機能を備えたものがあって、この辺になると接写どころか10倍ルーペ並みの解像力を持つ。布の繊維一本が確認できるレベル。
勿論一眼レフにもマクロレンズはあるし、大型のコンデジなら外付けのコンバージョンレンズでマクロを使えるものもある。
ただ、この手のマクロはカメラと撮影者が対象に超接近するので、被写体に影が落ち易いという欠点がある。そんな時は望遠を使って離れた場所から撮影するのもいい。要は細部を大きく撮れればいいわけで、意外に望遠で1mぐらいから撮った方が綺麗に見えることもあるものだ。
このふたつは割と似てる。動きが早いこと、近寄れないこと。だから撮り方も割と近い。基本はズームと高速シャッター。
シャッタースピードを早くするのはブレを抑えるためだ。動きが早いから一瞬で撮影しないと手足とかブレてなんだか判らない。また望遠で狙うということはカメラの僅かな動きでも視点が大きく動くということだから、手ブレが強くなる。それを抑えるためにも高速シャッターは重要。
シャッタースピード優先モードがあって設定した速さで撮影できる機種が欲しい。
人物や花なんかは日常的にかなり撮影頻度の高い被写体だけど、綺麗に撮るのって結構難しい。なんだかパっとしなくてガッカリした経験も多いだろう。
実は、撮影にはコツがある。被写体以外をなるべくボカして撮るのだ。
低価格なカメラは単焦点のものが多い。写るンですなんか典型的だけど、80cm〜無限遠にピントが合うようになっている。こういうので撮ると、被写体にも背景にもバッチリピントが合うので、被写体が背景に沈んでしまう。
これを絞りを開放して望遠側で撮ると、前景や背景が大きくボケて被写体近辺だけにピントが合うので主題だけが浮かび上がって効果的。
これをやるには、それなりに強い望遠レンズと絞り開放可能な設定、あとなるべく大きなCCDが必要になる。この点ではやっぱり一眼レフが強いけど、一部の超望遠系コンデジでも勿論可能だ。
なお被写体が小さい場合、例えば料理写真なんかの場合もボカシは有効で、雑誌なんかで美味しそうな料理写真を見ると結構一部にだけピントが合ってて前後が大きくボケてるものがある。これは望遠よりマクロの出番。拡大鏡モードで奥行きを強調する感じにケーキの写真なんか撮るとかなり美味しそうに見える。蛇足ながら料理は逆光気味に斜め奥方向から光を当てるのが基本。手前に影が出すぎないように白い紙なんか立てて柔らかく反射させると更にいい。
日常の風景って意外にフォトジェニックで、普段見慣れた場所でも時間や天気、向きが変わると新鮮味を増す。そういうのは普段から撮るつもりで見ていないと仲々気付かない。そのためには普段からカメラを持ち歩くのが一番いい。
最近はケータイのカメラがかなりパワーアップしてるから、それである程度賄える部分もある。それならそれでいい。でも撮影までにあんまり時間がかかったり、画質が気に入らないようだったら薄型コンデジでも用意した方が幸せになれると思う。沈胴ズーム式(電源入れるとレンズがニューっと出てくる)じゃなくて屈曲光学式{レンズが飛び出さない望遠。ズーム部分が横向きに入ってて、プリズムで反射させて向きを変えてる)だと起動も早いからチャンスを逃さない。
余談ながら、実はこの部分ではiPhone最強。撮る→その場で加工→そのままアップロードして公開、まで一台でできてかなり幸せ。画質はチープだけど割り切ればそんなに気にならない。
公式掲示板に書く内容じゃないし、
原作読んでないけど奥さんのキャラは漫画だから許されるキャラって気がする
表紙見る限りでは絵柄もかわいいみたいだし
原作者自身が作品に登場する場合、大抵自分の事は卑下して描くのがセオリーというか
実際読んでる方もその方が読みやすいんだろうけど
それを映像化した時に、観る側は作者視点じゃなく第三者の視点になるので(撮り方によるけど)
あのキャラのままだとちょっとイラっとする
あと実写なのでそのままやるとデフォルメし過ぎというのもある
ドラマ的リアリティで考えるとあの奥さんはやや無神経過ぎるんじゃないか
と思った
※追記
もうちょっと奥さんに感情移入できればよかったと思う
凄く凄く好きでたまらなくてこの人が私をどう思ってようが私はこの人を超好き!な人は別として、
大抵の人と話してるといつも頭の中で他のことを考えている。他のことっていうのは例えば経過時間とか。
人に旅行の写真を見せられても、「あ、この風景素敵だね、撮り方が綺麗!」って適当に気に入った写真を示して「うーんこの中じゃ一番これがすきだなー」ってまた適当な写真を示して、「あ、でもこれも気に入ったかも」って最後の写真を示してそれで終わりでいーだろ、って頭の中で考えてる。それで一枚一枚に関するエピソード聞き出してつっこんで、つっこんででてきた事柄にさらにつっこんで○○分持たせよーって考えながら話をしている。
一行目の該当者に関しては、話せるだけで嬉しかったりするので、そんなこと考えてる余裕がない。相手の話を一生懸命聞いて、自分のこともたくさん話して、時間を図ったりする余裕なんかない。
だけど大抵の人に関しては、手持ちの写真で30分、近況で一時間、仕事と恋愛で一時間、って
計算しながら話している。こういえば喜んでくれるし、こういえば食いついてくるだろうって。
相手は「話を聞いてくれて有難う!」って喜んでくれてたりもするので、私は話せる壁みたいなもんかねと
思ったりもする。聞いてる時は表情豊かにオーバーに聞いてるけど、帰り道は「はい今日の情報交換、終わり」って冷静に帰ってる。なんか誠実さに欠けるけど、皆こんなもんかね。
撮影テクニックの問題もある。
暗いところで、中途半端な光を正面やや下から当てているから、幽霊が暗闇から出てきたような不気味な写真になっている。暗いところで、懐中電灯を首の下からあてたら、不気味に見えるでしょう。あれと同じで、光の角度/明るさが、より写真を不気味にしている。
1.バックがある程度、明るいところで撮影すること。(ただし、後ろから強い光があたると、逆行になってしまうので、ある程度の明るいところであればよい)。フラッシュは使わずに、周囲の明るさだけでシャッターを切れるような場所で写真をとること。フラッシュだと、写真がやや不気味になってしまう場合が多い。
2.照明の位置を工夫して何度か撮り直すと、だいぶイメージが変わるはず。下から光を当てるのはダメ。
3.正面やや上ぐらいから当てる。あるいは、側面やや上ぐらいから当てる。正面から光をあてる場合は、眼鏡をはずしたほうが吉。眼鏡をそのままにするならば、照明は側面からあたるようにする。正面から強い光をあてて、眼鏡をかけていると、眼鏡に光が反射してしまい、眼の表情が見えなくなり、不気味な印象になる。
だいたいこんなところです。
写真の撮り方をもう少し工夫してみてください。とりあえず、テクニックがないならフラッシュは止めたほうがよい。
あとは、他の人も言っている通り、笑顔で。
http://anond.hatelabo.jp/20081228014905 の続きです。
<インタビュー>
シェーンヘル(以下シ):どうしてカンパニー松尾と称するようになったのですか?
松尾(以下松):中学時代にさかのぼるんですが、自分の「会社」を始めたんです。社員はぼくひとり、ジュースや手作り弁当をクラスメイトや友人に売ってました。毎朝、20個の弁当をかかえて登校したものです。で、みんなが僕をカンパニーと呼ぶようになったと。これがぼくのペンネームになり、映像のキャリアを通して使ってます。
シ:まず最初に、ハメ撮りの歴史について少々語ってもらえますか?
松:ハメ撮りスタイルの作品は、80年代初期からありました。ハメ撮りということば自体が使われるようになったのは、88年か89年だと思います。昔はAVの小さな一角を占めるだけでしたが、それから大きくなりました。
松:はい、そうです。働きだしたのが1988年、22才の時です。
シ:そのとき、V&Rプランニングはすでに大きな会社だったのですか?
松:いや、とても小さかったです。ぼくは4人目の社員で、会社自体もまだ2年目でした。
松:はい、そうです。
シ:V&Rは最初からドキュメンタリースタイルのAVに力をいれていたのですか?
松:はい。安達はテレビ出身で海外映像の輸入エージェントとして働いていました。モンティ・パイソンとかそうですね。でも彼はおもに死体ものとかのキワモノにもっぱら興味があったようです。それが彼の嗜好だったんですね。
彼は撮影については知りませんでした。自分で会社を始めて、自分でこうあるべきだと思うやり方で彼はドキュメンタリーを作ったのです。会社自体はキワモノですが、安達は非常に真剣な作品を作ろうとしました。
シ:V&Rの意味は?
松:ビジュアルアンドリテイルです。バイオレンスアンドレイプじゃないですよ、皆さんの思うところとは違って(笑)。
シ:V&Rでは最初は助手、そして1989年に自分の作品を制作し始めます。最初の作品はどんなでした?すでにハメ撮りでしたか?
松:いえ、ハメ撮りは1991年からです。その前はドラマ仕立てでした。
シ:後期の林由美香があなたをハメ撮りに導いたという記事を読んだのですが…
松:いや、直接ではないです。林由美香とは1989年からやってました。正直にいうと、ぼくは彼女が好きだったのです。一緒にパリ・ロンドンに旅行して、ビデオを撮ったこともあります。僕の作品である、「硬式ペナス(1990年)」は彼女への愛を宣言したものです。その作品で、彼女はスターになりました(原注:林はその後すぐに松尾と別れ、他の出演作品の監督と関係を深めることになる)。彼女との作品では、自分で男優はしませんでした。でもそれは非常に不自然に思えました。彼女のおかげで、ハメ撮りが一番自然な撮影方法だと感じられるようになったのです。つまり、そのやり方だといい作品をじかに作れるし、ハメ撮りだと女の子に近づく、彼女自身がオープンになれる、本当の気持ちを見せられるといったことや僕自身の女の子に対する気持ちを表現できるのがあります。僕にとって重要なのは、女の子と緊密な関係をきずく、女の子が好ましく思えるってことです。でなきゃ、いい作品は作れません。
松:ええ。彼女は素人としてこの仕事を始めました。彼女のデビュー作はぼくが撮りました。1991年のことで、ハメ撮りが僕の撮り方の主流になってました。「私を女優にして下さい」ですね。次のシリーズものが「熟れたボイン」です。ぼくの作品で素人から有名女優になった最初の女の子です(原注:松尾自身もこの共同作業により今日知られるようになった有名監督になった)。
シ:V&Rで活躍する一方、マンガ「職業・AV監督」の原作も手がけられています。
松:はい、これ実話です。井浦秀夫が絵をかいてます。1997年から98年の作品で、全5巻で秋田書店から出ています。ぼくの仕事、ぼくの作品に関わる女の子たち、V&Rの人々、安達かおる…まあそのころのこと、すべてですね。
松:中堅どころといった感じです。AV市場では大きな会社はいっぱいあります。でもV&Rはその中には入らないですね。大会社のビデオはあんまり興味ないです。その点、小さいところの方がいい作品をだすかな。V&Rは間違いなく、変態を極めた会社のひとつです。
シ:V&Rが制作した「ジャンク」シリーズにも関わってますよね?こうしたデス・ドキュメンタリーは南米で撮影されたものですか?
(原注:「ジャンク」の原題は「faces of death」。もともとコナン・ド・シレールが1979年から90年にかけて制作した4本のアメリカ作品。V&Rが引き継ぎ、ジャンクのタイトルでデス・ドキュメンタリーを制作し続けた。同様のケースはドイツでも見られる)
(訳注: http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/worst/mondo/junk.html が興味深い)"
松:1989年頃のものですね。V&RはAVだけでなく、デスビデオを海外で撮影してました。カメラマンのイシカワ・タケシが両性具有者にただならぬ関心を抱いていたのです。そのためにブラジルのタブロイド新聞と連絡をとっていて、ブラジルに詳しくなりました。向こうが言うには「デスビデオを撮るならブラジルにこなきゃ」と。で、安達、イシカワ、そしてぼくがブラジルに行って、2週間ほど彼らと行動を共にしました。
新聞のカメラマンは、警察無線を傍受していて、事件が起こるや、すぐに現場に直行しました。ブラジルの警察は動きが遅く、たいていカメラマンが先に到着しました。日本だと死の現場はいつも警察が人目につかないよう隠しますが、ブラジルだとそんなことはないです。ぜんぶオープンですね。
松:両方です。何もかも。殺人はとても多かったです。撮影には何の支障もきたしませんでした。愉快なもんじゃないけど、ぼくができるのはそれしかなかったし、使命感みたいなものも…たぶん、ふつうはそういうのって撮れないと思うんですよ。たまたま機会にめぐまれて、現場に行ったと。でもぼくはだんぜん、AVがいいです。デスビデオとセックスビデオには共通点があります。どちらもひどく当たり前のことで人間の根源にかかわるのに誰もが隠そうとする。ぼくらは封を開けて、それが見えるようにしてるんです。
シ:ジャンクはシリーズものです。どのエピソードを担当しましたか?
松:6番です。
シ:どこで撮影しましたか?
松:リオデジャネイロです。リオはぼくの好きな街ですけど、別に死体を撮ったからってわけじゃないです。リオは美しいところで、ほんとうに輝かしいものから暗い側面まで、すべてがあります。丘の上のキリスト像からファベーラと呼ばれるスラム、美しい町並み、そして白い砂浜まで。美しい娘からギャング、ホームレス、麻薬の売人、そして殺人犯。すべてがそこにあって、生きている、街に存在するのです。パワフルな場所です。美しく、そして同時に恐ろしくもあります。一回しか行きませんでしたが、今でも魅力的です。
シ:リオでハメ撮りは?
松:いや、まったく。アメリカやヨーロッパでは何本か撮りましたが、ほんとうにしたいようにはできませんでした。もちろん、言葉が大きな理由です。ハメ撮りの現場に通訳は連れて行けませんから(笑)。でも言葉の違いより文化の違いの方が大きかったと思います。ハメ撮りでは、女の子の内側に行ってみたいのです。何を考え、どう生活し、夢、そして現実はどうなのかと。生命の中に隠されている汚れた、感情的なものを取り出したい。外国でできるのはセックスを撮ることだけ。それじゃ十分じゃないし、ぼくは満足できない。セックスシーンを撮るだけなら、俳優を呼んで女の子とやらせればいい。ぼくなんてお呼びじゃないです。ハメ撮りだったら、なぜ彼女はこれしてあれするのか、動機、考え、そうしたことを詳しく理解できます。ぼくは女の子の個性を描写したい。欧米の娘とだと、ちょっと無理です。セックスが好きかもしれない、オープンかもしれない、でも日本の娘たちとのようには近づけない。ほんとうの性格がわからない。つまり、ぼくは彼女たちとビデオを撮れない、ってことです。
シ:他のアジア諸国だと?
松:アメリカやヨーロッパはポルノに関して長い歴史があります。スクリーンにセックスが映しだされることについてオープンです。でもアジアはかなり遅れています。厳しい規範があり、ポルノ産業において多くを語ることが難しいです。日本はずっと先を行ってますね。
シ:V&Rにはいつまでいましたか?
松:2004年までです。それからハマジム、現在の会社を仲間と始めました。
松:浜田写真事務所、略してハマジムです。みんなそう言うし、領収書も短い名前の方が便利です。今ではもっと短くなって、「HMJM」です。もともとカメラマンの浜田さんが由来です。彼はぼくらのなかで最年長、みんな尊敬しています。彼がボスです。
シ:現在、何人が働いていますか?
松:7人です。
松:たとえば、「広瀬舞、海老原しのぶ」(2004年)、あ、ふたりの女優の名前から題名つけたんですけど(訳注:ハメドリズム01?)、200万円前後ですね、DVDジャケ込みで。「アテネマラトン」(2004年)はオリンピックのときにギリシャで撮影しました。300万円ほどでした。基本的には一本、200から300万円です。
シ:「オークション01」「オークション02」(2004年)のような純ハメ撮り作品だと、旅費がばかにならないと思いますが?全国を旅して撮りましたね。
松:実際、そっちの方が安いんです。スタジオ撮影は高い。スタジオ代だけでも100万かかります。それだけあれば、ほんといろんなところに行けますからね。
シ:基本的に、彼女たちの住んでいる町、実際の生活環境で会ってますね?
松:ええ、基本的にそうしたくて。
シ:あなたは常に、親密で個人的な彼女たちの肖像を切り取っています。彼女たちの本当のやり方をつかんでます。ビデオの中で彼女たちは、ビデオ出演の動機も含めて大いに語っています。ところで、彼女たちが作品に出演する動機、これはどうお考えですか?
松:女の子それぞれというのはもちろんですが、お金が主な理由だと思います。でもハメ撮り一編に登場しても大した金にはなりません。一回会うのが5万円、つまり彼女たちがぼくに電話するのは他の理由があるにちがいない。好奇心だったり、非日常に惹かれたり、もしくは日常のストレスから抜け出したかったのかも。そして単純にセックスに興味があったというのもあります。でもほとんどの場合、彼女たちはほんとうにくつろいで、作品に出ることを楽しんでいます。ところで、あなたはドイツ人だとおっしゃられましたよね。笑い話なんですけど、実際にAVをドイツで撮ろうとしたことがあったんです。2年前に女の子ひとり連れてベルリンに行きました。ぼくのプランは、アウトバーンを時速300キロで飛ばしながら女の子にしゃぶらせるというものでした。日本は速度制限が厳しいというのもあってこの計画には非常に興奮しました。これは全男子の夢だぞ、車をかっ飛ばしながらセックスをするなんて。女の子はいるし、おしゃぶりしてくれると。ポルシェを借りてアウトバーンに出ました。最初の誤算は300キロ出なかったことです。260キロくらいまででした。で、女の子が車酔いしちゃったんです。なんにもできませんでした。ドライブだけで終わりました。
シ:でも撮ったんですよね?
松:ええ、全部収めました。衛星放送向けAVの一編になりました。
シ:これからの予定は?
松:ぼくはAVが好きで、今やっていることをこれからも続けたい。テレビや映画には興味がないし、AVを作りたい。大会社に所属したくもないし、ハマジムを大会社にする気もない。ビジネスのことは考えたくない。ただ自分の好きなことをやっていたいです。
http://keiesworks.blog122.fc2.com/blog-entry-255.html
http://72.14.235.132/search?q=cache:http://keiesworks.blog122.fc2.com/blog-entry-255.html&hl=ja
以下、わかりやすく翻訳しても長くて読みにくいのは変わらないので自分の読み取った結論を3行で書くと。
まあ、2ちゃんねるアニメ板界隈ではそれほど新しい主張ではないな、と翻訳しおわってから思ったけど。
では。
まあ、原作至上主義って言ってもいろいろ視点はあるよね。
「原作至上主義」って、これらの問題が混ざり合って出来てるよね。一応仕事だからこんな話があるのは知っていたけど、正直気にしだしたのは、noir_kかくかたりき改めnoir_kはこう言ったのエントリに煽られたから。日だまりスケッチ×365とかかんなぎとかに関して「原作とアニメのあいだ」とも呼ぶべきものが問題にされていて興味深かった。世の中わかった気がした偉い人が「統計学的な分析」とか「メディアが違うことを無視した分析」してるけど、この人は誰だかわからない、ってことは別にしてとても興味深いよ。
自分なりにまとめると、id:noir_kが「原作至上主義」について言ってることは、
ていうことだよ。
なので、この人の言いたいことはともかくとして、自分もその流れで「原作至上主義」について考えてみるよ。
「批評」って、見る側がするものだと思われがちだけど、作る側もするんだよね。作る側の批評というのは、過去のアニメ作品とかアニメ以外の作品について、「批判」することなんだけどね。ガンダム・エヴァンゲリオンはもちろん、アニメ以外のテレビ番組とか、ネットとか映画作品とかゲームとかコミックとか小説新聞美術作品とか、そのへんを「批判」するってこと。
みんなわかるとおり、今アニメを作る側の「批評」ってこんな感じだよね。
また、この辺が「新房昭之」「山本寛」あたりから始まる、ってのもみんなわかると思う。
まあこのへん「批評的な営み」って言うのかな、これ、
という流れを「忠実に反映」してると思うよ。
ちなみに、引用のうち、実写映画の技法、特に画面の構図とか物語の構成とか色合いとか撮り方編集の仕方に関する演出とか、に関するものは、それ出来るところが先にやったもん勝ち、っていう実情があるよ。
今はメディアミックスの時代だから、アニメ作る側も、原作とアニメを同じものとして作ることが求められている。でも原作とアニメって、片方は印刷したもの、片方は画面で音がついて動くものとして別のものなんだから違うものとして考えようよ、ってid:noir_kが「原作至上主義」に対して言ってることってなかなか良い意見だと思うんだ。
これらは仕掛けとして考えれば同じもので、見る側作る側はこの仕掛けを通じて共犯関係になる。そして「原作とアニメが同じものとして作られるものだという空気」が、これらが、なにかを考えて作られたものだな、とみんなに思わせる目印になっている。この目印を越えて、今のアニメの演出が進むことで、アニメを作る側も見る側も、新しい批評が出来るとわたしは思うよ。
こう書くと、ストーリーって重要な要素を忘れているのではないか、と言う人もいると思う。ただ、ストーリーって編集という演出の産物なんだよね。で、ストーリーは「ある内容」を「どう語るか」にあるわけだけだけど、「ある内容」ってもともと5から20個くらいのパターンしかないから、そこを評価しても仕方がない。「どう語るか」は批評の対象になるかも知れない。ニューヨークの9.11テロを題材にした物語は無数にあるけど、それをどの視点からどのように語るかということが重要だということ。うっとうしく社会学で語ると、これが「批評空間」世代と「東浩紀━宇野常寛・ゼロ年」世代の差異だということ。後者はおもいきり戦略的に「物語論」へと反動的に回帰しているように思われるし。言い換えると、「表現論」派と「物語論」派がいるよね、ということ。
世代が新しくなってるから、「表現論」派の肩身がきわめて狭くなるのは当たり前だよね。現に、自分は「コードギアス 反逆のルルーシュ」が「表現論」的な演出を自粛した作品だと思っているし、そのあらわれとして「物語論」派から支持を集めることに成功してるし。そして、このアニメは2008年を代表しうるアニメだからね。
アニメって、他のジャンルと比べても忘れられる度合いが例外的なほどに高いように思う。半年前のアニメさえ鮮明に思い出せないことの方が多い。これは何故だと思う?
それは、異常なまでに「物語」と「登場人物」(声優とか声優の演技のしかたも含めて)が似ていて、なんか同じものの繰り返しになっているから。
アニメ以外の、コミックとかゲームはよく知らないんだけど、コミックを例に取ってみようか。まあコミックも簡単なパターンで作られているようにみえる。でも、「美術と小説に関して明らかに規範的なテクニックを持っているのにもかかわらず、下手くそな画で馬鹿げた物語を語っている」漫画家が確かに存在しているのね。おまけに、存在しているのみならず人数も多い。
けれども今の時代、経済構造の都合でアニメ業界はそれができない。「原作のないオリジナル作品が作れない」っていう意味ではなく、「オリジナルなものが抑圧される」という意味で。俗っぽい例えだけど、「優れた直木賞」は受け入れられても「中途半端な芥川賞」は抑圧されるということなんだよね。だから、ほとんどの作品が忘れられていくのは当然の事態なの。(より正確に言うのなら、「直木賞」と「芥川賞」の差もなくなっているし、アニメの歴史の問題というより、今アニメを作る人が信念を持って「特化」しようとすると、淘汰されるということかな。でも「特化」なんて言えるようになったのが90年代に入ってからのことなので、奇妙なねじれがあるようにみえるんだよね。この「ねじれ」を作家主義が引き受けたこと、そしてインターネット社会が同時的に誕生したこと、これが、「アニメーションの歴史におけるヌーヴェルヴァーグ」〈山本寛の談〉と呼ばれる事態なのかな、とわたしは考えるよ。)
現代のメディアミックス時代における、アニメ作る側の「原作至上主義」、インターネット社会におけるアニメ見る側の「原作至上主義」。
相対主義を標榜するほどナイーブでもないので私見を述べると、どっちも間違ってる。
アニメ作る側がいくら「原作」を「模倣」しようが、メタフィクション・パロディ・引用・自己言及、そして実写の早い者勝ち引用ゲームからは抜けられない。アニメ見る側がいくら「原作とアニメはこんなに似てる」と言おうが、根本的にそれは異なるものだから。根本的に違うものなので、いくら似てると言っても意味がない。それとも、類似点を言っていればヘーゲルの時代に戻れるとでも思っているのかしら。
ヘーゲルは小説のことを「市民社会のブルジョワ的な叙事詩」と定義した。要するにアニメの場合、「表現論」派に対して、世界の全体像の提示を旨とする「物語」派が復権するということは、奇しくもヘーゲルへの回帰をも意味するということ。言い換えればこれが「市民社会」論・「公共性」論・「安定的な社会秩序」を懐かしむことにつながると言うこと。でも、懐かしがって出来た物語は「秩序の混乱・解体→回復」という説話の構造でしかないし、その物語は「売れる=消費される」社会の現状維持的な肯定。果たして、それでよいの?
ひっそりと深夜に放送されるアニメを作るのも見るのもまっぴらごめん、と言う態度は適切だし、ましていい大人、常識的な社会人が、という話なら正しい振る舞いでもある。
ただ、昔の人が反語的に言うような、アニメがステータスシンボル(「オタクのしるし」とか)以上の存在価値を持ち得ないという議論は、あまりにも不毛で、杜撰で、素人じみている。富野由悠季まで戦略なしに不意に言うのを聞くと、断固として反論する必要があると最近思っている。そして逆に、圧倒的な「アニメ≒コミック」表現に関する戦略性(プレゼンテーションと歴史的な文脈づくり)で欧米諸国を震撼させた村上隆のような現代美術家に対しても、最近では諸手を挙げて肯定することは出来なくなっている。
富野のペシミズムと、ペシミズムの盗用により現代美術世界で名だたる作家となった村上隆。
なんにせよ、この2人が、行き詰まっている現状でぎりぎりの戦略をとっていることは胸を打つ。この固有名詞が、アニメにやってくる。決して2人とも現状を抜け出すことには成功していない。2人ともテクニックはあるけれど、状況を突破するほどの何かを示してはいない。
でも、新房はテーマとの暴力的な遭遇(西尾威信の小説のアニメ化)によって現状を何とかしようとしており、山本はアニメ作りと同時に言論活動を展開することで、自己弁明しながらも新しさを模索しているようかのようにみえる。
そして、まちがってもそれらは、『ef -a tale of melodies.』(※監督:大沼心、監修:新房昭之)や『かんなぎ』のような作品で実現されているとは思えない。両者で見るべき点は、妥協および「過度な演出によるスペクタルで視聴者の恐怖心を煽ること」以外にないのではないか。
けれども、「過度な演出によるスペクタルで視聴者の恐怖心を煽る」というとき、その恐怖心こそが、富野や村上には見いだせないものであって。
くだらないテーマの指摘とか、原作とアニメが違うだとか、ありふれた技法を指摘するだとか、歴史的にあれと似ているとか、そんな指摘は新房や山本が恥じらいながらも表現しようとしているものにまるで追いついていないのよ。
是枝の「誰も知らない」と青山真治の「ユリイカ」は、当時としてはあまりに時代を狙ってるセンセーショナルな感じがしたけど、今思うとその場限りでない問題をきちんと提示してたんだな。
さっきwikipediaで調べたら、主演男優賞しかカンヌではとってないらしい。タランティーノが柳楽優弥の表情にやられてしまったせいだとはいうのだけど、結局は是枝の撮り方がうまかった。役的に彼は表情を捉えられやすいポジションではあるけど、あの作品はお話としては悲しいというかビミョーなはなしなのに、映像にするととってもきれいっていう、撮り手のやりきれないディレンマに意義があると思うんだよな。あの現場はうちの近所だったから具体的にわかるんだが、あの桜をあんなに印象的に撮るなんてすごい。(しかも近場にもっと桜の名所っぽい公園があるのに、都道沿いの街路樹を大写しにするなんて。)
ちなみにあの姉妹が遊んでる公園は、2,3年前の大雨で浸水してしまった。都内なのにね。
ユリイカもそういうディレンマをもってると思う。だからこそ3時間もあるのだと。
ビミョーな気持ちにさせられるけど、美しすぎて何度も見たくなる。だからこそ泣けるのだな。
そういえば、北野のHANABIもそうか。「アキレスと亀」はたぶん、北野の中では営業よりも賞取りにかけてる映画だろうし、期待していいのかな。期待したいなあ。興行成績なんて悪くってもいいじゃん。どうせDVD化して、著作権保持期間で子供たちに富が行き渡るんだろうし。それがくやしいなら、ファンド作って、NPVを先に回収してもいいしさ。そういうロングタームで見れば、マニア層に指示され続ける作品は必ずしも商業ベースに乗らないわけじゃない。著作権ってのを認めれば。
欲しい機能が良く分からないので、想像しながら書いてみる。
僕もむちゃくちゃ詳しいわけじゃないから、間違ってるとこがあったらえろいひと訂正よろしくね。
1.とにかく撮りたい。
構図とか色々考えて撮ってみるだけでも楽しいよ。
ただ、一枚一枚撮るのに時間がかかっちゃうのが難点だね。
2.気軽にパシャパシャ撮りたい。
これは少なくともコンデジが必要だね。
散歩とかサイクリングしながら面白いものをパシャパシャするのは楽しいよ。
安いのでもいいと思うよ。
3.遠くのものを撮りたい。
ズーム機能が付いているものを買おう。
10倍ズームくらいあると、電信柱の上のカラスをそこそこ大きく写せるかな。
4.接近して撮りたい。
接近して料理とか小物とか撮りたい場合は、仕様の撮影距離範囲とか撮影距離とかいうとこを見てみてね。
大抵○○cm??∞って書いてると思うんだけど、○○cmが小さい数字のほうがより近くで撮れるよ。
5cmくらいまでよれれば十分だと思うけど、1cmとかいうのもあるよ。
5.画質だろJK。
デジイチを買おうね。
撮影に可能なことはほとんど何でもできるように作られているよ。
ただ、何でもできるようになるにはテクニックがいるのと何より交換レンズを数万??かけていくつか購入しないといけないよ。
分かってると思うけれど、一眼レフはカメラとレンズが別売りだからね。
セットのやつは「レンズキット」っていうのがあるよ。知ってたらごめんね。
カメラのこともレンズのことも調べるのが面倒なときはこれを買うといいかもね。
そうそう。無理して高いのを買わなくてもいいよ。エントリー機で十分。
実はレンズとカメラがセットで3万円台??で買えるので探してみるのもいいかも。
6.画質も欲しくて撮影もこだわりたいけど重いのもヤダ。
我侭だね。でもそういうもんだよね。
デジイチにはちょっと画質は劣るけど、そう人向けのモデルもあるよ。誰かが言ってたネオ一眼とかもそうだね。
他にも有名なのでリコーのGR DIGITAL IIとシグマのDP1という機種があって、画質がいいということになってるよ。
あ、でもこの2つには「光学ズーム」が付いていないからね。遠くのものはアップで撮れないよ。
それでね、画質ね。
「画質」がいいって曖昧な表現だから比較が難しいんだ。ただ、「画素数」は無視してもいいと思うよ。
カメラ屋さんで写真にしてもらうにしても600万画素あればいいと思うよ。
それより仕様の「CCD」(あるいはCMOS)のサイズをみてみようね。
1/○○って書いてるよね。それが撮像素子(アナログカメラのフィルムに当たる部分)のサイズなんだ。
○○が「小さい」ほうが撮像素子のサイズが「大きい」んだよ。
そして、大きいほうが描写が豊かで画質が良いとされている(超簡単にいうとね)。
次にこだわりの撮影だけど、これは仕様の撮影モードみたいな欄をみてみようね。
「キャンドルモード」「美肌モード」とかそういうのは無視していいかな。
「シャッター速度優先モード」「絞り優先モード」「マニュアルモード」が付いているカメラがいいよ。
カメラとか写真の仕組みをほんのちょろっと勉強するだけで、好みの撮り方ができるよ。
被写体深度が浅い写真が撮りたいな、とかね。分からなかったら無視していいよ。
こんな感じかな。