はてなキーワード: ネスカフェとは
自分的には「会議室で煮詰まってうんうん考えてる女の子、あたりはすっかり暗い。そこに同僚男性(※ただイケ)がコーヒーを両手に入ってきて、2人でほっこり。そこで『思いついた!』となって企画のアイデアを思いつく。翌日のプレゼン大成功!同僚男性と女の子『やっぱりネスカフェアンバサダーだね!』」みたいなのどうでしょう。
コーヒーを言い訳に、気になる子ともっと話したい!と相手男性が誘うケースも結構あると思うのだけど
或いは男に誘われたら舞い上がってついて行って当たり前と思っている飢えた喪女である疑惑。
CMの女の子にとっては、300円払ってカフェで飲むコーヒーと
30円のインスタントコーヒーの味を同じに感じているとしたら
「外は寒いのに」と言っているので、コーヒーの味が同じだと言っているのではなく外に出たくないのだと解釈するのが普通の状況。
300円のコーヒーなんて大して美味いもんでもなく、寒い中わざわざ出て行ってまで飲みたいものではないと考える人は大勢いるだろう。
ついでに
自分的には「会議室で煮詰まってうんうん考えてる女の子、あたりはすっかり暗い。そこに同僚男性(※ただイケ)がコーヒーを両手に入ってきて、2人でほっこり。そこで『思いついた!』となって企画のアイデアを思いつく。翌日のプレゼン大成功!同僚男性と女の子『やっぱりネスカフェアンバサダーだね!』」みたいなのどうでしょう。
元と比べると全く印象に残らないありがちCMになってる。
「外は寒いのに、オフィスの中で30円でおいしいカフェラテが飲めるんですよ」って言ってる子。
いろんな意味で辛すぎる。
コーヒーを言い訳に、気になる子ともっと話したい!と相手男性が誘うケースも結構あると思うのだけど
CMの女の子は彼と一緒に仲良くすることを拒否してオフィスにいたいって、
そんなんで彼氏できないよ。だめだよ。
社内がピリピリしてる、あるいは他の人の目を気にせず社外で打ち合わせしたい案件など
別の理由を言い訳にして社外に出たいシチュエーションは結構あるもの。
その空気を読めずに社内でコーヒーブレイクしようとする女の子が辛すぎる。
そんなんじゃ出世できないよ。
CMで使っているコーヒーの抽出器、なぜ30円でカフェラテが飲めるのかと調べていたら、
あれは泡立つように加工したクリープ(粉ミルク)的なものを入れてから、
泡立つように加工したインスタントコーヒーを足してるんで
あれただのインスタントコーヒーに粉ミルク入れたやつなんだよね…。
CMの女の子にとっては、300円払ってカフェで飲むコーヒーと
30円のインスタントコーヒーの味を同じに感じているとしたら
あるいは、味はさておき安さばかりを優先するコスパ至上主義女だと思われてしまう。
それもつらい! コーヒーオタクから見た時のこの女の子、バカにされてるんだろうなーと思うと辛い!
自分的には「会議室で煮詰まってうんうん考えてる女の子、あたりはすっかり暗い。そこに同僚男性(※ただイケ)がコーヒーを両手に入ってきて、2人でほっこり。そこで『思いついた!』となって企画のアイデアを思いつく。翌日のプレゼン大成功!同僚男性と女の子『やっぱりネスカフェアンバサダーだね!』」みたいなのどうでしょう。
http://anond.hatelabo.jp/20080909134141
増田的国語のお時間がやってまいりました。ドンドンぱふぱふー。
私人間だよとか 異性にも同性にもよく言われる。
でもなぁ、女の子としてみてるから多少底上げ評価してるのであって。
とかいうと、友達なくすから 言わないけど。
でもなぁ高く評価して欲しかったら、それなりの結果を出せや!
というのはクールすぎるのかなぁ?
男性で言えば、尊敬するところがないのに、尊敬を強要されるみたいな?
そりゃ先輩はとりあえず尊敬しておくけど、でも、尊敬できるところ見せて欲しいなぁ
みたいな?
そこんとこ皆どうなのさ?
これの解釈って事だけど、
>>私人間だよとか 異性にも同性にもよく言われる。
この一文をこう変えてやれば意味が通りやすくなる。
「私、人間だよ」とか、異性にも同性にもよく言われる。
こう読むなら、
私人間だよとか 異性にも同性にもよく言われる。
でもなぁ、女の子としてみてるから多少底上げ評価してるのであって。
冒頭のこの文章は、
元増田の周囲には、男性や女性としての価値のあるなしではなく、
「性別というスペックを抜きにした人間として(おそらく人格や能力面で)
自分を評価してほしい」と元増田に訴える人がよくいるという意味に取れる。
あとの文章は、
「そうは言うけど、お前さんたち男や女としての価値を除いたら無価値じゃん?」
と言っている。
あ、思ったんだけどもしかして元増田って、自分のコーヒーの嗜好が分かってない人?
コーヒーは苦みと酸味で傾向が分かれてるから、インスタントもそれに合わせて買わないとダメだよ。
しかも汎用だから、あんまり味の傾向がはっきりしてないっつーか、うまいと思えるインスタントではない。
http://www.ucc.co.jp/product_shop/product/instant.html
自分の周囲ではここらへんの114とかを買っている人が多いかな。
あと他にインスタントでは結構マシなブランドあったはずなんだが、メーカーが思い出せん…。
淹れ方も関係あるっぽいな。目から鱗。
以前のエントリーになるが、本文で、管理されていないレギュラーよりインスタントが美味いと語られブクマコメントでもインスタントがおいしいという意見が散見されたので、インスタントコーヒーを購入した。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/repon/20080318%231205840967
近所のスーパーにて、ネスカフェゴールドブレンドと、ネスカフェプレジデントとが抱き合わせ販売されていたので、購入。試飲。
お湯を完全に沸かす。ティースプーン2杯で140ccと書かれている。計量が曖昧であることにやや落胆しつつ、ティースプーンで2杯入れ、一呼吸おいたお湯をゆっくり注ぐ。香りを確認しながら混ぜる。
この時点でコーヒーの香気が漂ってくる。やはり近頃のインスタントは技術が向上して品質も高いのだと感心。
ところが、ところが、できあがったシロモノを口に入れた瞬間、その香気がどこかへ抜けてしまったようななんともいえない感覚が襲う。香りが弱すぎて、口腔から鼻腔への香りの広がりがほとんど感じられない。コーヒーの香りを愛する自分にとって、まるで気の抜けたコーラを飲まされたような気持ちになった。
そんなはずは無い、これはきっと廉価版のゴールドブレンドだからだと自分に言い聞かせプレジデントに挑む。プレジデントは店頭でもそれなりの値段がした。だからこそのお買い得感。だからこその購入決意。人類の英知と技術が詰まった製品であるはず、そう信じてプレジデントに挑戦。
……なんという脱力感。目の前にあるどうしょうもない物体200gをどうしようかと考えながら、レギューラコーヒーを淹れる。
家ではレギュラー、職場ではインスタント、という人は何故割り切れるのだろう。
缶コーヒーしか飲まないタクシーの運ちゃん、とかならまだ理解できる。日常飲んでいるものがそれだけなのであれば、比較もするまい。炭酸無しのコーラでもそれしか知らなければそういうものだと言えるだろう。飲むかどうかは別として。
しかし、しかしだ、もはや別な液体と言えるほどに圧倒的な差があるこれらの違いを感じていないというのか。家でコーラを飲みながら、職場では炭酸無しで我慢する?ありえない、そんなの絶対無理だ。
いれかたが悪かったのか、それとも買ったコーヒーが悪かったのか、もし指摘があるようなら歓迎だ。しかしそうでないなら、インスタントコーヒーなどというものは世の中から消え去ってほしいとすら思う。
やぁみんな、元気?
今日僕は、15歳のころからずっと探し求めてたモノについに出会ったんだ。
あんまり嬉しかったから、ここでそれについて軽く報告させてもらうよ。
さて、僕がずっと探し求めてたモノ。それって一体なんだと思う?
勘のいい人なら題名を見た瞬間にピンと来ただろうね。
今日の午後の話だよ。
そうだね、あれは確かランチを食べた後だったから、1時かそのくらいだったと思う。
いつも通りその約30分後に便意を感じ、
けど、そこで僕が対面したウンコは決して「いつも通り」なんて言葉じゃ片付けられないシロモノだったんだ。
完璧だったのさ。
何がって?
ウンコだよ。
ウンコがだよ。
あまりに完璧すぎたから僕、思わず半ケツでつぶやいちゃったよ。
「パーフェクト・・」ってね。
それは実際、ネスカフェのメグ・ライアンもびっくりするくらいのパーフェクトっぷりだった。
その瞬間確かに僕は感じたんだ。
いつも見慣れた薄汚い灰色の密閉空間が、朝日が燦燦とさしこみカーテンが朝の爽やかな風に揺れる
あのリビングへと一瞬で様変わりするのを。
さて、あまりに興奮してたからかな、ここまで一息で書いちゃったんだけど、今読み返してみたら、
上の文章がいくらか読者のみんなに対して不親切だったかなという感が否めない。
というのも、みんなと「完璧なウンコ」という概念についてコンセンサスを築くことが出来ているのかどうか、
確認することを怠っていたからだ。
そこで以下では、みんなに僕がどれだけ興奮したかをもっとよくわかってもらうためにも、
僕がここで「完璧なウンコ」と呼ぶものが一体どのようなウンコを指すのかを簡単に説明しておきたいと思う。
この概念を一番最初に提唱したのは、イタリアの哲学者、フンバルト・エーコだ。
みんなも名前くらいは聞いたことがあるだろう。
彼は記号論の分野で世界的な名声を得ているんだけど、同時に小説家としての顔も持っていて、
多くの人はむしろ彼を哲学者ではなく小説家として認識しているかもしれない。
処女作「ウンコの名前」は世界24カ国で大ベストセラーになって(当然日本でもだ)、
ハリウッドで映画化もされたし、なんと主演のショウン・コネリーはアカデミー賞までとってる。
そしてその彼が初めて「完璧なウンコ」について言及したのが、第2作「フーコーのウンコ」だ。
彼はその中で、こう語っている。
「世の中には二種類のウンコしかない。すなわち、完璧なウンコとそれ以外のウンコだ。ここで私がいう完璧とは必ずしも形而上学的な意味ではなく、ただ単純に、ウンコがいかにウンコらしくあるかという意味での完全性のことを指す。(中略)そして、ウンコがこのように自同律的であるためにはいくつかの条件を満たしている必要がある。臭気、色艶、フォーマット、コンテクスト、訴求力、含有物。これらがウンコが完璧であるための必要条件となることは言うまでもないだろう。だが実はこれらはあくまでも前提にすぎない。真に重要な条件はその先にある。そしてそれが限りなく実現不可能に近いために世の中のほとんどすべてのウンコは完璧となることができないのだ。その条件とは、『肛門にまったくその残骸を残さない』ということだ。そう、完璧なウンコとはそれだけで自己完結しているウンコのことを指すのである。」
ごめんよ、少し引用が長くなってしまったね。
全文引用するのが無理だったから、ちょっとわかりづらい文章になってしまってるかもしれない。
理解できなかった人のために、一応僕が簡単に補足説明しておこう。
エーコがここで言ってる「完璧なウンコ」っていうのは、まず第一に、ニオイも色艶も形もウンコらしくなきゃいけない。
普通の人は完璧なウンコって言ったら無味無臭で誰にも迷惑をかけない、そんなウンコのことを指すのかななんて
想像するだろうけど、エーコの主張はそれとはまったく違うものなんだ。
おもしろいよね。
ウンコが完璧であるためには、一目でそれとわかるような形であり、色艶であり、鼻から一息吸い込んだだけで
それがウンコであると理解できるようなニオイも持ってなきゃいけない。
エーコはこう言ってるんだ。
「コンテクスト」っていうのは、果たしてそれがどのような場面でなされたウンコかっていうような意味だと思う。
エーコ曰く、完璧なウンコはある程度の緊張感が隣り合わせとなっている場面でなされなければならないらしい。
これについては、今回僕が中略した箇所で詳しく述べられてるんだけど、これを説明してたらあと1000文字は
くだらないだろうから、ここでは遠慮させてもらうよ。
「訴求力」っていうのは、ウンコがどれだけその行為者の心を動かすことが出来るかっていう意味だ。
実は彼、「完璧なウンコというものはその行為者がそれを食べてしまいたいと思わせるほどに魅力的でなくてはならない」
とまで言ってるんだけど、ちょっとこれは変態っぽいからさすがに省略したよ。
けど彼が言いたいこと、なんとなくわかるだろ?
もう見るからにウンコで、ニオイもウンコでしかないんだけど、なぜか、「おいしそうだな、ちょっとかじってみようかな」
「含有物」については説明する必要はないだろう。
ニンジンやコーンのことだ。
そして彼が言う、最終にして最大、最重要の条件が、肛門に一切残骸を残さないということ。
これはつまり、ウンコをしたあとにトイレットペーパーでお尻を拭いても、そこに何もつかないってことを意味している。
確かにウンコをしたはずなのに、菊門にはそれが存在していたような形跡がまったくない。
(余談だけど、昔の人はこれを「紙隠し」って呼んだらしい。そう、これが神隠しの語源さ。)
今まで一度でもウンコをしたことがある人なら、これがどんなに難しいことか、容易に想像がつくだろうと思う。
だからこそ、エーコはこんな本を書いてしまうほどに、完璧なウンコというものに魅了されたんだろうね。
さて、ずいぶん長くなってしまったね。
何はともあれ、僕がどれだけ興奮しているかはわかってもらえたんじゃないだろうか。
だって15歳のころからだよ?
15歳のころから、僕はずっと完璧なウンコに出会いたくて仕方なかったんだ。
ちなみに、僕が完璧なウンコの存在を知ったのは、東野幸治がテレビ番組でそれについて喋っていたからだ。
彼には感謝しなくてはいけないね。
僕にこんな素晴らしい体験をさせてくれたんだから。
ある日、私は『街』を1日中歩き回ってみた。
風が吹くだけで崩れるような砂の城をせっせと作っている人がいた。
隣にはその砂の城の素晴らしさを真剣に説いている人たちがいた。
体中に要点だけをまとめた紙を貼り付け、相手の目を見ず、
その紙を見ながら口げんかをしている人たちがいた。
最初は押していたのに旗色が悪くなると、
反論するための紙を探している姿は滑稽だった。
本屋に入った。
批判しか書いていないストレスの溜まる本ばかりが置いてあった。
批判的な内容が書かれていないのは、アニメ系の雑誌くらいのものだった。
歩き疲れたのでカフェに入った。
おしゃれなデザイナーズチェア、凝りに凝った照明、小奇麗なスタッフ。
いかにもカフェといったラウンジ系の音楽の中で、出てきたコーヒーは、ネスカフェだった。
映画館に入った。
「当館では続編は流しません」という張り紙を横目に、久しぶりに「ターミネーター2」を楽しんだ。
再び『街』に出る。
時はすでに夕刻を告げようとしていた。
路上で暴行を受けている人がいた。
誰もが見て見ぬふりをして通りすぎていく。
暴行を受けている人の傍らには、火がついたばかりのタバコがあった。
中央通りを歩く。
この『街』にはやたらと広告が多い。
広告のために『街』があるのか、
『街』のために広告があるのかがわからなくなる。
しかし、あれだけの数を目にしたにもかかわらず
覚えることのできた商品名は1つもなかった。