2007-12-04

完璧ウンコ

やぁみんな、元気?

今日僕は、15歳のころからずっと探し求めてたモノについに出会ったんだ。

あんまり嬉しかったから、ここでそれについて軽く報告させてもらうよ。

さて、僕がずっと探し求めてたモノ。それって一体なんだと思う?

勘のいい人なら題名を見た瞬間にピンと来ただろうね。

そう、それは完璧ウンコのことさ。

今日の午後の話だよ。

そうだね、あれは確かランチを食べた後だったから、1時かそのくらいだったと思う。

僕はいつも通りサンドイッチランチを食べて、

いつも通りその約30分後に便意を感じ、

いつも通り何食わぬ顔で学校トイレに駆け込んだ。

けど、そこで僕が対面したウンコは決して「いつも通り」なんて言葉じゃ片付けられないシロモノだったんだ。

完璧だったのさ。

何がって?

ウンコだよ。

ウンコがだよ。

あまりに完璧すぎたから僕、思わず半ケツでつぶやいちゃったよ。

「パーフェクト・・」ってね。

それは実際、ネスカフェメグ・ライアンもびっくりするくらいのパーフェクトっぷりだった。

その瞬間確かに僕は感じたんだ。

いつも見慣れた薄汚い灰色の密閉空間が、朝日が燦燦とさしこみカーテンが朝の爽やかな風に揺れる

あのリビングへと一瞬で様変わりするのを。

さて、あまりに興奮してたからかな、ここまで一息で書いちゃったんだけど、今読み返してみたら、

上の文章がいくらか読者のみんなに対して不親切だったかなという感が否めない。

というのも、みんなと「完璧ウンコ」という概念についてコンセンサスを築くことが出来ているのかどうか、

確認することを怠っていたからだ。

そこで以下では、みんなに僕がどれだけ興奮したかをもっとよくわかってもらうためにも、

僕がここで「完璧ウンコ」と呼ぶものが一体どのようなウンコを指すのかを簡単に説明しておきたいと思う。

完璧ウンコ

この概念を一番最初に提唱したのは、イタリア哲学者、フンバルトエーコだ。

みんなも名前くらいは聞いたことがあるだろう。

彼は記号論の分野で世界的な名声を得ているんだけど、同時に小説家としての顔も持っていて、

多くの人はむしろ彼を哲学者ではなく小説家として認識しているかもしれない。

処女作ウンコの名前」は世界24カ国で大ベストセラーになって(当然日本でもだ)、

ハリウッド映画化もされたし、なんと主演のショウン・コネリーはアカデミー賞までとってる。

そしてその彼が初めて「完璧ウンコ」について言及したのが、第2作「フーコーウンコ」だ。

彼はその中で、こう語っている。

「世の中には二種類のウンコしかない。すなわち、完璧ウンコとそれ以外のウンコだ。ここで私がいう完璧とは必ずしも形而上学的な意味ではなく、ただ単純に、ウンコがいかにウンコらしくあるかという意味での完全性のことを指す。(中略)そして、ウンコがこのように自同律的であるためにはいくつかの条件を満たしている必要がある。臭気、色艶、フォーマットコンテクスト、訴求力、含有物。これらがウンコ完璧であるための必要条件となることは言うまでもないだろう。だが実はこれらはあくまでも前提にすぎない。真に重要な条件はその先にある。そしてそれが限りなく実現不可能に近いために世の中のほとんどすべてのウンコ完璧となることができないのだ。その条件とは、『肛門にまったくその残骸を残さない』ということだ。そう、完璧ウンコとはそれだけで自己完結しているウンコのことを指すのである。」

(フンバルトエーコ 『フーコーウンコ』より)

ごめんよ、少し引用が長くなってしまったね。

全文引用するのが無理だったから、ちょっとわかりづらい文章になってしまってるかもしれない。

理解できなかった人のために、一応僕が簡単に補足説明しておこう。

エーコがここで言ってる「完璧ウンコ」っていうのは、まず第一に、ニオイも色艶も形もウンコらしくなきゃいけない。

普通の人は完璧ウンコって言ったら無味無臭で誰にも迷惑をかけない、そんなウンコのことを指すのかななんて

想像するだろうけど、エーコの主張はそれとはまったく違うものなんだ。

おもしろいよね。

ウンコ完璧であるためには、一目でそれとわかるような形であり、色艶であり、鼻から一息吸い込んだだけで

それがウンコであると理解できるようなニオイも持ってなきゃいけない。

エーコはこう言ってるんだ。

コンテクスト」っていうのは、果たしてそれがどのような場面でなされたウンコかっていうような意味だと思う。

エーコ曰く、完璧ウンコはある程度の緊張感が隣り合わせとなっている場面でなされなければならないらしい。

これについては、今回僕が中略した箇所で詳しく述べられてるんだけど、これを説明してたらあと1000文字は

くだらないだろうから、ここでは遠慮させてもらうよ。

「訴求力」っていうのは、ウンコがどれだけその行為者の心を動かすことが出来るかっていう意味だ。

実は彼、「完璧ウンコというものはその行為者がそれを食べてしまいたいと思わせるほどに魅力的でなくてはならない」

とまで言ってるんだけど、ちょっとこれは変態っぽいからさすがに省略したよ。

けど彼が言いたいこと、なんとなくわかるだろ?

もう見るからにウンコで、ニオイもウンコでしかないんだけど、なぜか、「おいしそうだな、ちょっとかじってみようかな」

と思わせるようなのが、完璧ウンコなんだ。

わかりづらかったら、納豆想像してくれればいいだろう。

あんなもの、外人にしたらウンコみたいなもんだからね。

「含有物」については説明する必要はないだろう。

ニンジンやコーンのことだ。

そして彼が言う、最終にして最大、最重要の条件が、肛門に一切残骸を残さないということ。

これはつまり、ウンコをしたあとにトイレットペーパーでお尻を拭いても、そこに何もつかないってことを意味している。

確かにウンコをしたはずなのに、菊門にはそれが存在していたような形跡がまったくない。

(余談だけど、昔の人はこれを「紙隠し」って呼んだらしい。そう、これが神隠しの語源さ。)

今まで一度でもウンコをしたことがある人なら、これがどんなに難しいことか、容易に想像がつくだろうと思う。

だからこそ、エーコはこんな本を書いてしまうほどに、完璧ウンコというものに魅了されたんだろうね。

さて、ずいぶん長くなってしまったね。

何はともあれ、僕がどれだけ興奮しているかはわかってもらえたんじゃないだろうか。

だって15歳のころからだよ?

15歳のころから、僕はずっと完璧ウンコ出会いたくて仕方なかったんだ。

ちなみに、僕が完璧ウンコ存在を知ったのは、東野幸治テレビ番組でそれについて喋っていたからだ。

彼には感謝しなくてはいけないね。

僕にこんな素晴らしい体験をさせてくれたんだから。

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