人は自分が持っているものに重みをつけたがるけどよくよく考えたら自分自身では何もしていないなという話ってのでも書いたけど、
自分自身のことをタフだと思ってたけど考え方とか立ち回りが良いとかではなく
自分自身の仕事を選びは間違ってなかったなと思ったけど前半戦は
自分自身のことを親よりも長い付き合いの友人がいるからまともと思ってたが
単にやたら友人が辛抱強いだけであり
とりあえずいろいろとなんかすごいなって思いました
日記はネガティヴな気持ちの再生産にしかならないので書くの意味ある?って思ったけど
過去の日記読んですごく意味があるかもしれないなって思いました
本当に自分の周りの人たちは辛抱強いと思います。前世でいのちを救ったのかも知れない
そのくらいのレベルで辛抱強い
「力を持つ」=パワハラ
これは令和の常識になるべきだよね
あるコミュニティが自分の力に依存するという状況を作り出す行為そのものが持つハラスメント性の強さよ
見捨てられないようにしなければいけないというインセンティブによって相手の行動を支配している自覚のないパワハラ無自覚マッチョの多さと来たら
嫌われてはいけないというプレッシャーを与えることそのものがプレッシャーという形でハラスメントなんだよ
OK?復唱しよう
了解。つまり、インバウンドというのは消費者に居住地から遠く離れたところまで移動してもらって、そこで消費行動をしてもらわなければならない。
製品を消費者が自宅に取り寄せる、あるいは近くの店で購入するという消費行動を起こさせるよりも、インバウンドは本質的にかなり難易度の高いものなんだね。
努力した人間が桁違いの金を稼げるアメリカ並みの競争社会みたいなのを嫌うのが日本の大衆。
さりとて働かない人間が国からもらった金で幸せになるのも許せないのが日本の大衆。