初日の朝に見れば2日目の朝には間に合う
てめーらがそのお利口な頭と寛容な主義とやらで自国なり地域なりの人口が維持できるならいい
でも無理だろ?
自由も男女平等も政治的正しさも望むべくもない、そんな家庭や地域や国からマシなの拾って、
我々はリベラルだお前らとは違うとやっている、それこそバカの極みじゃないのか?
人口だけの問題じゃない、資源も生活も、バカにしているはずの彼らに依存している
大げさなことを言えば、彼らがいなければお前らだって生きていけない
せめてそういう現実に対する謙虚さというものは持たなければならないと思う
ひどいのになると、バカにするばかりでなく、親になる資格だの変なことを言い出す
同じことを保守や差別主義者が主張するのですらだいぶアレだが、
普段リベラルごっこやってる奴らまでもがそんなこと言うのは致命的にもほどがある
まさに天に唾する行為ではなかろうか
可愛がり(相撲協会)では?
「痴漢しよう」はなくね?
僕もアパートの3階に住んでたことがあって、何回か隣のおっさんが酔っ払ってうちのドア開けて入ってきましたよ。家にいるときは鍵かけてなかった。明るい酔っ払いのおっさんだった。
他人がいい加減にしろよ、と言って進めるための案を出したら、こんな案なんてくだらないと本気に潰しに来られたのを見て、いままでそこで困っていた相手に対して相手がバカだから自分はマネジメントしなくちゃ困っちゃう、とかプリプリ延々とやってたこと思うと本当にやらしいな、と思う。
食い詰めた庶民が娘を遊郭に売るなんていう事が当たり前に描写されているわけなんだが、
どちらか一つにしろと言うなら(6)です。
私の場合「好き」なら100%「したい」。でも「したい」からといって「好き」とは限らないので(6)は「してみたい」という方が近いかもしれません。
「好き」かどうかまだわからないけどとにかくこの人と「したい」。してみたら、またしたい。もっとしたい。そうこうしているうちにお互いが唯一の存在になっていく、というのが理想です。
実際今のパートナーとはそういう付き合い方をしてきました。
もちろん、してみたら、あっなんか違う、合わないからもういいやということもありました。そういう時は何となくお互いに分かります。