カミングアウトなんて言葉が自分には合ってないくらい、そもそもクローゼットもなくて、親、友達、職場も自分がゲイだって知ってて、彼氏も紹介しまくってて、
幸いにも、強い差別も劣等感もゲイであることに関して与えられないで、アラサーまで生きてきたけど、
生きづらくない、なんてこともなく、結局生きづらい。
オープンなだけであって、クィア的でない、積極的な権利獲得家なわけじゃない。というかオープンってなんだ。隠す意識もほとんどなく来ちゃったよ。
だから「LGBT」界隈で浮く。自分もマイノリティとしての思いみたいのはあるんだけど、「LGBT」のテーマとあんまり重なっていなかった。
ホント批判とかじゃなくて、もう、なんか自分はぬるま湯で甘ったれて恵まれててすんません、ってなる。話せなくなる。
権利とかもちろん保証されたいし(彼氏と同棲してから将来の不安とか考えるようになった)、遺族年金の裁判も気になるし、
でもこういうのってマジョリティ的政治参加な気がして、葛藤する。んなのどっちでも正しいのに、オープンで恵まれてる自分が葛藤してるのとかクローゼットの中だ。クローゼットあったわ。
いや、彼氏に話すけど。いや、でも夫に妻に政治の話をするのか? いや政治の話ではないし。なにこれ。社会通念との軋轢? いやマイノリティ社会に溶け込めないマイノリティ?
というか恵まれてるのか?
……恵まれているのかって考えると、恵まれてるんだよな。生きてるし。自殺する人、多いからつらい。
恵まれてたら、恵まれない状況になるまで健康に生きるしかないのか。
法律が変わるのはいつも悪いことが起きてからだから、本当に真面目に政治のいい国の国籍を取る方が現実的なんじゃないか、とか考えちゃうのいやだ。
この前、フェイスブックで結婚ラッシュ見てて、けっ!って思って、自分も結婚指輪買ってプロポーズしたぜって投稿したら(実際去年同棲中の彼氏にした)、
いやそんなにユーザーいたの? 普段のいいねって2、3件じゃん!って突っ込みたくなるくらい桁が二つ違ういいねとかがついて、俺そんな友達いた?ってなった。
なんか、こういういいねが1万集まったら、内縁関係認めまーすとか、保険は無理だけど年金は認めるよとか、遺産関係以外のお金は簡単に認めらんなくてねぇ、戸籍上の表記くらいはさせましょとかしてくれればいいのに。
あー、政治的。
逆に、じゃあノンケ友達に女子友達に、話せるかって、いや話した所で……ってなる。話すけど。
そういえば昔、高校の同窓会で公務員になった同級生に、みんな(性的少数者)がまとまれば法律はすぐ動かせるでしょ?とか言ってきたけど、
いや、もうホント誰かまとめてよ、ってなる。
いや確かにクローズは社会的障壁だと思う。でもなんかそうかな? 別に言いたくないことを言わされる必要ないし。
なんで秘密にするのかって話になると、体裁とか学校とか思春期とか教育とか価値観とか親とか、色々言われるし、全部しっくり来るし。
それ聞いちゃうと、よくもまぁ自分は全部かいくぐってきたなって思うし。
ずっとクローズでもいいじゃん。って本当に思うから本当に会う人に言ってるんだけど、
オープンのお前に言われたくねぇ、みたいになるから、結局そもそもオープンのお前に言われたくねぇって面と言ってくれる関係の人としか話してないな。
そう考えると、別にオープンなわけじゃなくて、生きやすい人間関係の方へ流れていってるのか。
嫌なやつからは逃げてる。ということは、やっぱり自分もマイノリティ性ある?
いや、嫌なやつとか普通に他の人と変わらない率でいるよ。戦う時もあれば、逃げる時もあった。
贅沢なのかな。贅沢なんだろうな。
オープンだと、ゲイとか初めて会ったとか言われんの。バカなの?
いたかもしれないけど、って添える人、ありがとう。精神的波風立てないの大事。
でも、オープンとしては、そもそもオープンに話したいわけで、別に取り立てて自分がゲイであることが重要でないわけで、
と上からで言ってみても、そもそも、さらっと流せる人だと思えた時点でしか言ってないわ。ちんちくりんだわ。
中学ん時はめっちゃ喧嘩したな。喧嘩しといてよかったな。キモいとかいうやつにブチギレてたな。
なんでゲイであることに自信あるんだろうと考えても、別にないし、自尊心も大してないし、鬱になったことだって普通にあるし、鬱治ってんのかって言われたら治るとかってもんじゃねぇしって言い返すし、
あーでも一つは親はあるんだろうな。
12歳の時に言った時、ダメだったら家を出てどうにでも生きてやろうって思ってたな。そういう意味では自分が普通じゃないって自覚してたな。
拍子抜けした。
今になって母と話すと、当時は母はそういう相談ダイヤルとかも使ってみたり、LGBTの家族的なのも調べたりしてたらしくて
(当時、親に衝撃を与えていたのを気づかなかった。気付かなかったもんだから、それから親の前でもイケメンや筋肉芸人とかに普通にハマったりしてた。ポスターとか貼ってた)
そういうとこでの色々な違和感とかも感じたり、もちろん違和感だけじゃなかったけど。違和感があったからこそ(多分俺がゲイであることに悩んでなかったから)、
最終的に、俺は俺だしいっか、ってなったらしい。
うん、恵まれてる。
生きづらいだなんて、口が裂けても言っちゃいけない。
でも政治的オープンゲイによる強制オープンはよくないって常々思うから、自分はそういうオープンにはなりたくないなってクローズの友達の前で少し気をつけてるかも。
もう、極端、やめよう!
えーでも、金持ちになって子育てとかしたいわ。悪影響とか言われても知らんわ。国内に敵がいるなら海外で育てる。
そんなに金ないや。
生まれるの早すぎたのかなぁ。同性で子供つくって育てる未来の方が生きやすかったかなぁ。
それ以上を望むなってプレッシャーは嫌だし、じゃあ権利獲得に尽力しろっていうのも。
グラデーションの性のように、政治的グラデーションのゲイでいいじゃん。ってか政治的グラデーションのノンケばっかりだよ世の中。
いや、何が言いたいんだろう。
わりと、普段からこの微妙なオープン性のせいで極端な意見ばかり聞かされてるのかもしれない。