はてなキーワード: ナンシー関とは
なんかトラックバックのやりかたよく解らないです。すみません。
順番にレスさせてください。皆さんありがとうございます。
http://anond.hatelabo.jp/20111112043751
というのも同じフリーターの人達でしっかりしている人を見たことが無いからです。
もちろん私と同じように今後の生活の事も考えて生きているフリーターの方なら良いのですが。
男性はプライドがあるのでフリーターだけど結婚しよう、とは言ってこないと思います。
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ですので私も国立大学しか行かない、行っても意味が無い、と思うのです。
卒業後の就職を考えているわけではなく、ただ今はなんとなく勉強してみたいというだけなんです。
浅はかな理由でごめんなさい。
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頑張れと言ってくれる人は尊敬出来るような方々でした。
私はまだ自分というものがあまり確立できていないので、当面は尊敬出来る人に流されようと思っています。
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そのような就職先があり、昇給やボーナスもあるのなら私はそこに就職したいです。
勿論就職を考えるなら看護学校に行ったほうが良いというのも知っています。
大学に行きたいのは自分の価値観を変えたいからです。就職目的では無いです。
病んでる人にありがちですが、心理学とか哲学とかやりたいんです。
10代の子の創作と思われてしまうのは、私の考え方が10代だからでしょう。
30目前にして10代の考え方しか出来ない自分が恥ずかしいです。
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残念ながら親戚との関わりは一切ありません…。
本気で結婚したくなったら友達とお見合いパーティに行ったりするのかもしれません。
今は結婚に対しては活動的ではありません。
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私は何者かになりたいわけではありません。
隠しているのではなくて何も無いんです。
地元に居る生え際真っ黒な茶髪の子連れの若いお母さん達に目的があるとは思えないです。
でも毎日楽しそうにしてます。私の価値観では面白いと思えないテレビ番組を見て笑ったりして。
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「偉そうだと言われる言動」
でしょう。
夏に出るネプチューンとオリラジ「十」ばかりに気を取られていて、すっかり近場のをカバーし忘れておりました
「特典映像」は、買おうと思った矢先にバラでレンタル始まりましたから、しばらくしたら借りる予定です
元伊集院光好きとしてはなんか、伊集院が映像作品に残るというだけでも若干テンション上がるもんだから、うん
あなたが去った今、はてな界隈ではトロちゃま以外にも「拳銃列島ニッポン」のid:proyakyuhさんとかまた色々とおかしな人が増えて困っているのです、ハイ
2008-07-01(01:58) : sinyapos URL : 編集
しかしライブ中でちらほら言っていたけど、本当に名古屋公演収録したら、自分の声がDVDに入っていないかちょっと心配
オーラスでトチった東京公演はまず(本編としては)収録されないだろうし、前半の公演は若干グダグダだったらしいし
2008-07-01(02:01) : sinyapos URL : 編集
トラックバックは貰っているので、あんま久々って感じじゃないですが。
特に『ハンブン東京』の存在感が大きい。あと、はりけ~んず前田氏。
上に書いた以外にも、『さまぁ~ず×さまぁ~ず』のDVDも出ました。
あと、バカリズム単独とか。
伊集院さんはマトメ役をやってるので、あまり期待に添えないかと。
どういうわけか、はてなには変な人が集まりやすいらしいですね。
「はてな住人」みたいな言葉が意味する様に、民族意識が強いからでしょうか?
ちょっとブロガーの常識の一つ上を行く感じが…まあ、いざなれば辞めれば…ねぇ?
(お前も十分に痛いぞ、という某住民の視線は無視の方向で)
>「才」
買ったら探してみます<声
2008-07-01(21:36) : 菅家 URL : 編集
はじめまして。はてなのときから面白く読ませていただいていますし、更新を楽しみにしています。そのうえで、このエントリにおけるこのコメントのやりとりがどうしても納得できないので、お二人に真意を伺いたいと思います。
「あなたが去った以降~」のあと、やりとりはsinyaposさんの発言に菅家さんが同意する仕組みになっているのですが、まず、ここで槍玉にあがっているサイトのうち、「拳銃列島ニッポン」と「投げヤリズム」について、菅家さんのブログを長い間読み(はてなはすべてのログを読んだと思います。ヲチ的な意味ではなく、純粋に面白かったので)、また菅家さんとsinyaposさんのブックマーク、そしてsinyaposさんの日記をいま軽くではありますが確認したところ、この二サイトへの言及は見られませんでした(見落としていたなら申し訳ありません)。
また、「投げヤリズム」には掲示板がありますし、「拳銃列島ニッポン」にはコメント欄があります。このどちらにもお二人の発言は見当たりませんでした。
つまり、お二人がこの二サイトについて言及したことが確認できなかったのです。そのうえで「痛い」とか「困った」といった具体的でなく、揶揄するような言い方を用い、サイトの管理人さんが見る可能性が低いコメント欄という場でやりとりが行われているのを拝見し、正直に言って大変不快でした。
このやりとりから、私はこのやりとりで同じく揶揄的に言及されている、おりたさんや某スレ住人と同じ精神性を受けとりました。このやりとりは今のところ陰口でしかないと感じます。sinyaposさんはよく存じませんが、菅家さんはそういったことをする方ではないと思っていたのでその点がいささかショックでした。
よろしければ、sinyposさんの「陰口」を、管理人として菅家さんが容認し、追随した根拠を教えていただけないでしょうか。
ただの荒らしもしくはアンチと思われるのが嫌で丁寧に書くようにしたのですが、逆に異様な印象を与えているようでしたら申し訳ありません。お返事お待ちしております。
2008-07-01(23:55) : 砥石 URL : 編集
訂正
「拳銃列島ニッポン」には現在コメント欄がありませんでしたね。申し訳ありません。訂正します。
2008-07-02(00:19) : 砥石 URL : 編集
あ、「投げやリズム」ってブログの名前だったんですか!(そこからかよ) 「拳銃列島ニッポン」は確認したんですが、そっちはてっきりシンヤポス氏の言葉遊びだとばかり…。
>同意
んー。これは僕の対応が間違っていたかもしれません。いや、最初は「あなたも人のこと言えないじゃないですか(笑)」みたいなことを書こうと思っていたのですが、シンヤポスさんの心情を邪推してしまい、つい優しすぎる言い回しをしてしまいました。コテハンに遠慮したらいかんとです(また誤解されそなことを書いてしまった)。
>精神性
どっかの哲学者曰く、「人を不快に思うのは、その人に自らの性質を見るからだ」なのだそうで。…つまり、そういうことなんでしょうね。僕の中にも、トロ氏や某板の人たちの要素が含まれている、と。言い訳。反省。
>容認して追随した根拠
「いやー、シンヤポス氏ってそういう人だから」ではダメですかね。ダメかなあ…。しいて言うなら、「ナンシー関の影響を受けたんだろうなあ」という僕の感想が、シンヤポス氏言うところの「痛い」なのかなあ、という自己解析の結果として容認した、といったところでしょうか(再考の余地あり)。
ひょんな軽口で不快に感じたという件につきましては、謝ります。申し訳ありません。
2008-07-02(01:20) : 菅家 URL : 編集
お返事ありがとうございます。大方において納得しました。
しかし、(すいません、しんどいので文体をやや崩します)「拳銃列島ニッポン」というサイトは休止を何度か挟みながらも2005年からずっと更新されていたわけで、「現れた」という言い方は…。
まあ、これは菅家さんは関係ないですね。確かにナンシー関の影響は濃いかもしれないですが、逆に今ナンシー関と同じくらいの時間テレビを見ている唯一のブロガーだと思います。
2008-07-02(02:10) : 砥石 URL : 編集
>砥石
とりあえず、三行でまとめろやボケ
拳銃列島ニッポンさんは、数度トラバとかコメ返しても反応鈍かったですからね
まあ貶してもスルー耐性付いている方ですし、トロなんとかさんみたいなアフィ乞食じゃないだけマシですけど
投げヤリズムさんは、まあシンヤポスって名前出すのはアレだから別の名前で幾度か書き込んでますがね
あっちもあっちで聞く耳持っちゃいねえなあって感じで、掲示板の意味を為してないんで、まったく(笑)
2008-07-02(03:18) : sinyapos URL : 編集
じゃあ一行でまとめるよ。
てめえの厭らしい陰口を関係ない人間に押し付けんな気色悪いんだボケ!
>菅家さん
2008-07-02(03:53) : 砥石 URL : 編集
>てめえの厭らしい陰口を関係ない人間に押し付けんな気色悪いんだボケ!
被害妄想乙
こんな所にまで悪口嗅ぎ回りに来ているお前の方が気色悪い件。
2008-07-02(08:29) : sinyapos URL : 編集
ここヲチスレと勘違いしてないですか? あくまで俺は「上半期のお笑いDVD総括」に対するコメントを読みに来たんであって、悪口を嗅ぎ回りに来たんではないのに、陰口を目にしたから不快に感じたんであって。
ようは場の問題であって、ここがヲチスレなら俺だってスルーしますけどね。
2008-07-02(11:09) : 砥石 URL : 編集
上のコメントでは言葉足らずなようなので補足すると、まず最初のやりとりが決して上品なものでないのはわかりますよね?
たとえばメールとか、個人的なやりとりであればこちらはそれを見ずにすむし、それが前提となっている場であれば、それを批難するのは無粋でしょう。
でもここで公開されているコメント欄という場はそうではないですよね? なんか勘違いしてるみたいですけど、ここで槍玉にあげられたサイトが別のものであっても同様に不快に感じたでしょう。
とはいえ、菅家さんも私が「痛い」のであって、邪魔だと感じるのなら、私のほうが消えるべきでしょうが。最初に書いたように、私は菅家さんのブログの愛読者であって、菅家さんを不快にさせるようであればまさしく本末転倒なので。
2008-07-02(12:08) : 砥石 URL : 編集
僕はどっちでも良いですよー。
(自分の事が片付いた途端にこの態度!)
ただ、長引くようであるならば、適当なところで切ったほうが、お互いの為かと。
仕事が終わって、パソコンを見ると長~い返信がですね…(以下、無関係な愚痴)
…小田嶋隆になりてぇなあ(ボソッ)
例えば二階堂奥歯さんの胸があと2カップ小さかったら自殺しなかったんじゃないかと、冗談半分本気半分くらいで思う。
だいたい何万年もかけて進化してきたのに、未だにオスを誘うために体の一部が肥大してるなんてナンセンス。
子どもができてから、必要なだけ膨れればいいじゃないと思う。そして子を育て終えたら萎んで無くなればいいじゃない。
生まれつき体の一部が欠損している人、逆に肥大している人がいれば皆気を遣うくせに、どうして乳の大小は明け透けに楽しげにどうこう言う。
小学校中学年のとき、学年に一人だけ腋毛のはえてる女の子がいて、陰でクスクス笑われてた。
クスクス笑ってる子たちは、身体測定のあととか、「見して見して」って私の服をつかんで襟ぐりから胸を覗き込んだ。
たぶん私も陰でクスクス笑われてんだろうなと思いつつも、本気で嫌がったりしたら余計からかわれるなと思ってへらへらされるがままになってた。
そういう私をクラスの学級委員長みたいな、女子グループからは浮いてるけど潔癖で真面目な子は軽蔑するような目で見ていた。
小学校を卒業するとき、母がお姉ちゃんの下着を買うのと一緒に、私も初めてブラジャーを買いに行った。
下着ショップの綺麗なおねえさんに「お嬢様のサイズですと、EかFになりますね」って言われたときの、母の戸惑った顔が忘れられない。
中学生のときは一回も水泳の授業に参加しなかった。私の仲良くしてるグループの子も皆参加しなかった。
スクールカーストの所謂ナードのチームにいたと思うけど、皆、実はむだに胸がでかかった。
でも、そのぶん胸の話とか異性の話とか避けてて、「自分達が女である話」には絶対ならなかったから、居心地よかった。
でも、女の子の一部は「でもあいつは胸がでかいからじゃん」「でもあれは巨乳じゃなくてただの鳩胸じゃん」とか言ってた。
いい先生だろうとそうでなかろうと、その人が女で、胸があれば、教師としての能力とか人柄は無視ですかそうですか。
違うクラスの男の子と図書室の狭い通路ですれ違うとき、相手の背中に胸がぶつかってしまったことがあった。
数日後、いきなりその子に告白された。ものすごい恥ずかしくてみっともなくて、死んじゃえよこいつと思った。
大学生のとき、派遣バイトに行ったら、その派遣先の担当者がものすごい感じの悪い男の人だった。
あるときバイトの子が皆着替えてるときに更衣室に当たり前みたいに入ってきた。「ごめん」の一言も勿論なし。
で、その日から私だけ評価がプラスにされて、実際の売り上げが良い子よりも給料が多くなった。
派遣じゃなくて直接雇用でバイトしないかと言われたけど断った。なんて気持ち悪い人がいる会社なんだろうと思った。
母親にも、「あなたは胸おっきいからあんまりへんなところうろつかないでね」と言われた。
へんなところなんて行きませんし、胸が大きくなかったらへんなところ行ってもいいみたいな言い方だなと思った。
それに、へんなところに行かなくても、私の胸にどうこう言うへんな人はどこにだっているのに。
頑張って筋トレして体脂肪率18%くらいまで落としたことあるけど、胸は1カップしか減らなかった。
久々にあった友達に「痩せたよね」「でも、相変わらず胸はでかいけどね(笑)」と言われた。
今はもう大人だから、多少のことでいちいち傷ついてなんかいられないし、
周囲が求めてるものに答えるのが自分にとってもいいことだと分かってる。私の胸を求める人がいるなら私もそれを利用させてもらう。
襟ぐりが開いててウエストが絞れてる服、体のラインが出る服のほうがスタイルがよく見えるから、胸が目立つことを承知で着るし、
「胸でかいからいいよねー」みたいなこと言われれば「胸だけでかくてもねー」「いろいろかき集めて寄せてつめてるだけだからねー」と笑って返す。
でも、心の奥底にある、周囲の勝手な「胸」への押し付けに対する怒りと、それを利用する自分への軽蔑は消えない。
どこか、虚勢を張っていないとすぐに周りが皆敵になる、みたいな緊張感を感じさせるから。
乳房に翻弄される自分の性への不安とそこからの開き直りというのか。
リリー・フランキーがナンシー関との対談で「地味な巨乳とか、萌える。巨乳なのに地味みたいな」とかなんとか言ってた。
で、横に裁断機使ってる事務員の巨乳のイラスト。全然面白くないと思った。そんなのでお金貰ってるなんて意味わからない。
世の中の派手な女と地味な女の比率を考えれば地味な巨乳のほうが圧倒的に多いのに、なに言ってんだろうこいつと思った。
はしごたんが暴れまわってた頃、巨乳に対して憎悪を燃やすエントリをあげてて怖かった。
「お前らは太ってるからマンカス溜まりやすくて臭いだろ」みたいなこと書いてあった。
なんでそんなこと言われなきゃならないんだろうと思って悲しい一方ですごく腹が立った。死んじゃえよこいつと思った。
ツイッターかの何かの投稿で、「マスカラを塗りやすくするために温め中」って胸の谷間に挟んでる画像を上げてる女の人を見た。
死んじゃえよこいつとまた思った。喜んでそれに反応してる奴らもまとめて死んじゃえよ。
「どうせ私は貧乳だよ~!」「貧乳いいよ!俺は好きだよ!」みたいなやりとりして喜んでる奴らも死んじゃえよ。
胸はみんな、あとから膨らませたり入れたりするものだということになれば皆納得するし世の中平和じゃない。
月経の前になると、私の肥大した胸はさらに1サイズ分くらい腫れて熱と痛みを持つ。ものすごく惨めな気分になる。
でも、そんなときに2ちゃんの女性の集まる板を見ると、同じような人が胸の下に保冷剤をいれて痛みをやり過ごしていたりする。
そういう書き込みを見ると、なんだか少しだけ心が安らぐ。理不尽に抱いた凶暴な感情も少しだけ和らぐ。
できることならずっと、こういうやさしい傷のなめ合いみたいな同調だけし続けて生きていたい。
いやもうその通りだと思うよ。
ナンシー関が書いてたけど、アイドルっていうのは「金を払いたくなる対象」のことで、とは言えなんかのグッズを売り出さないと回収できないから、別に下敷きでもうちわでもなんでもいいんだけど、なんでもいいならCDで、ってくらいの感じでCDが発売されてるんじゃないかっていう。
俺はもっと別の視点から「男性アイドル」を見るんだけど、「男性アイドル」と「女性アイドル」っていうのは、決して対になる存在ではなくて、全然別の職業なんじゃないかと考えたんだ。
まず、「男性アイドル」のファンに締める男性ファンの割合はかなり低い。ほぼゼロと言ってもいいと思う。いるにはいるんだけどね。全体の割合から言うとかなりゼロに近くなるっていう。
一方「女性アイドル」っていうのは、(特に売れてるあいだは)女性ファンがけっこういる。場合によっては半々くらいにもなる。ここでもう性質が違うなと。
じゃあ「男性ファン」しかいない「女性タレント」っていうのとどういうのがあるかと言うと、(売れる前の)「グラビアアイドル」「AV女優」なんかで、つまり抜きの対象だ。
ということは、「男性アイドル」っていうのは女性にとっての「抜きの対象」だと考えれば、あなたがコッソリAVを見て抜いてるように、それ抜きでの生活はありえない存在ということになる。
そう考えれば理解も出来、寛容になるのではないだろうか。
しかも重大な差異は、「実際に抜く」というのは隠すものであるのに対し、「抜きの動作が入らない抜き」は隠す必要がないということだ。堂々とした「(行動を伴わない)抜き」。ここに男性アイドルで(精神的に)抜くことの圧倒的なアドバンテージがある。
前増田の言う「抽象」「具体」というのはちょっと変だが、ナンシー関の「記憶スケッチアカデミー」という本を読むといい。
これは人間が物事をどういう風に認識、思考しているかということに迫ったすごい本なんだ。
端的に言うと、絵が下手な人に記憶だけで牛の絵とか書かせると、ひどい絵が出来上がるんだが、よく見てみると「短いツノ」「まだら模様」「鼻輪」「よだれ」等の細かいディティールは正しかったりする。
つまり、人間はあるものを認識したり記憶したりするときに、各「要素」に分けて記憶しているのではないか、そのときに言語化が行なわれるのではないかという。
おそらく言語化して覚えた方が、脳の容量を使わないんじゃないかっていう。
インターネッツのサイトでもテキストばっかりのサイトの方が写真ばっかりのサイトより軽いみたいな。
その際に言語化され、それに母語が当てられているんじゃないかっていう。つまり母語の習得と意識の芽生えはある程度以上リンクしているのではないかっていう。
もっと正確に言うと「自分の話を心底聞きたがってくれる人」だったりする。
ナンシー関が書いてたけど、有名人なんかで、芸能記者に根掘り葉掘り聞かれてるうちが花で、盛りを過ぎたタレントの話はビックリするほど需要がなかったりする。ところがタレントは話したいんだ。
しかし、それを隠蔽し、観客がなぜかタレントの話を聞きたくなるようなマジックが「ごきげんよう」における「さいころトーク」だったりする。
もしさいころがなかったら誰がお前の「情けない話」を聞きたがるんだ? というようなタレントでも、さいころで「情けない話」が出たんだから「しゃべらざるを得ない」という、「話を求められている」という擬似的空間ができあがる。「ええ?何話そうかなあ、困っちゃうなあ」とか言ってるタレントはそのとき実は至福の瞬間を迎えているのだ。
違うんだよそれ。感情と論理は対立項なんかじゃなく、ぜんぜん違う種類のものなんだ。
感情というのは「動機」であって、論理というのは「手段」なんだ。
だから感情的であることと論理的であることは簡単に両立しうる。
例えば増田にすごく論理的なことを書いた人がいたとして、何でそんなことを書いたかと言えば「誰かにわかって『ほしい』」とか、「これによって社会に利益があって『ほしい』」とかいう感情が動機なんだよ。
だから男が感情的でないなんてことは一切なくて、手段として論理を選択してるだけの話で、女でもナンシー関みたいに論理を選択してそれをおもしろ文章に昇華できる人もたくさんいる。
もちろん、論理を選択したからと言って、その道具の使い方が稚拙であれば感情的に見えるだろう。それは何も間違っちゃいない。そもそも感情的なんだから。
「当時はこれがかっこ良かった」っていうくらいの想像力はみんな働くだろ。その上でクスクスなわけで。
ていうか、尾崎に限らず、かっこつけるってリスキーなんだよ。だってかっこつけることってかっこ悪いもん。間抜けだもん。
で、その間抜けさを承知で意図的にかっこつける(逆のニュアンスも多少帯びる。あくまで多少)やり方を現代人は探し当てちゃったからな。
ガクトとかネタも混じってるわけで。ネタ1割本気9割みたいな。自分がかっこつけてることに全く無自覚な人は本気10割で、これはもう天然ボケに等しいよ。
本人の意図関係なく「笑ってください」って言ってるようなもの。
昔ナンシー関が書いてたけど、かっこつけた俳優かなんかがテレビで「おれシャイだから」と言った時、どうしても間抜けさがつきまとう。なぜかと言うと、本当にその人がシャイかどうかはその人の一生をテレビに映らないところまで相当な時間追いかけてないとわからないわけで、あくまで「自己申告」なわけだ。
でも一つだけ確実に言えることがあって、この人は、テレビという公衆の面前でそんな自己申告をしたわけだから、少なくとも「シャイだと思われたがってる」ことは間違いないわけだ。ここに間抜けさがつきまとう。しかも本人は「思われたがってる」ことに対して無自覚だったりして間抜けさ3割増。
人前でなにかする、っていうことは、「自分の言っていないことまで結果的に言ってしまう」というきわめてリスキーなことなのさ。
ハイクに2、3日入り浸った雑感。
フォローの多いtwitterはこんな感じなのかな。
一瞬の間に次々ネタが生成されるんで、TV的に見入ってしまう。
で面白そうなカテゴリーを見たり気になる人のログを追ってると、
そのうちまた新しいネタがたまっている。
大喜利、お絵かき、つぶやき(+実況)の三派?
わりと賑やかでパーティーみたいなんで、つぶやきにくい人もいるのかな。
個人的には、お絵かき。
絵師の発想や構成や細かい表現に、つい反応してしまう。
あの画面とツールの特性をうまいこと使うなあと。
「お絵かきしりとり」では、描いてるうちに先をこされがち。
最大の驚きは、「デフォルトさん」か。
まさかハイクがはじまって、デフォルト画像がブレイクするとは思わなかった。
梅田もっち??さんは、「ナンシー関」がいたらって書いてたけど、
ネタにネタをかぶせたり、ネタで切り替えしたりしてるうち、なんとなく流れができていくのかな。
ナンシーさんのコメント力と編集センスがなくても、なんとなく時系列でならんでるだけで面白い。
個別の評価のものさしとしてはスターもあるし。
でもスター以上のリプライ・コメントは自分には敷居が高いかなあ。
前のエントリ、
の続き。
自分を「認める」ことのメリットがわからない。メタに逃げて鈍化させることが出来るってこと?
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20070726023532
メリットかあ。まあ繰り返しになるけど、メリットがあるからとかそういう問題じゃないんだよなあ。
最近読んだナンシー関の本に、たまたまこの話題に関係する面白い文章があったので紹介。
中学2年生の時点でイメージする19歳と、実際に自分がなってみてのその年齢には、必ずすごいギャップがある。そのギャップというのはどんな年齢に対してでも「かつて自分がイメージしていた○歳は、もっとちゃんとしていた」という思いなのです。
ちょっと前に「ピーターパン症候群」という言葉がはやりました。いつまでたっても大人になりたがらない人が増えているという意味ですが、コレとさっきの“ギャップ”の違いは、その“ギャップ”を「おもしろがれるかどうか」ではないでしょうか。「自分はまだちゃんとなんかしていないのに、大人の仲間になるのは嫌だ。恐い」と思えば、バカ・ピーターパンですが、「こんな自分でもいっぱしの大人たあ、笑わしてくれる」と思えば、テイキットイージー(Take it easy.)。
ま、ぶっちゃけた話、私が言いたいのは「大人、恐れるに足りず!」ということです。目上の人を敬いましょう、という道徳を否定するつもりはありませんが、でも敬わなくてもいい大人もいると思うけど、ま、そのへんは礼儀として分別ある日常生活を営むことでクリアしてください。
面白いのは、バカ・ピーターパンとテイキットイージーの差は、ちゃんとしているかどうかではないところ。周りから見てどんなにちゃんとしている人間でも、バカ・ピーターパンはバカ・ピーターパン。全然ちゃんとしていなくても、大人は大人。
ダメな大人? だから何。
自分を変えなきゃいけない? 関係ないね。
ちゃんとしてない大人よりもちゃんとしたバカ・ピーターパンの方がいい? 確かにそれもアリじゃん。
前回のエントリで私が言った「自分を認める」ってことは、大人になることに似ている。
「自分は○○だから、自分を認めることはできない」と思えば、自分を認めることはできないけど、「こんな自分でも自分を認めてるたあ、笑わしてくれる」と思えば、テイキットイージー。
自分、恐れるに足りず。
なんだか「自分を「認める」ことのメリット」がわかった気がしたのでこれから説明する。
たとえば「おまえは大人になることから逃げいている」と言われたときに、バカ・ピーターパンは「そうだ自分は逃げているんだ。だから大人になれないんだ。ダメな自分」と打ちのめされるだろう(そうやって打ちのめされるところが大人になれていないところなんだけど)。でもテイキットイージーなら「そうだねえ逃げているねえ。大人になれてないねえ。はっはっは」と思うだけである。で、そのあとも逃げ続けたり逃げることをやめて闘ったり、まともな大人になることに成功したり失敗したりするんだろうけど、それはバカ・ピーターパンもテイキットイージーも関係ない。
「おまえは大人になることから逃げている」みたいな説教をくらったときに打ちのめされないだけの強度を得ることができる。というのが「大人になる」メリットといえばメリットである。
とはいっても説教をくらって打ちのめされてしまう人もいるだろう。で、そのときに「自分はこんなことで打ちのめされてしまうんだ。ダメな自分」と打ちのめされるのは、自分を「認める」ことができてない人だ。自分を「認める」ことが出来ている人は「打ちのめされちゃったよ。はっはっは」と思うだけである。で、そのあとうまく立ち直ることができたりできなかったりするんだろうけど、それは自分を認めているかどうかとは関係ない。
「自分は打ちのめされた」ことに打ちのめされないだけの強度を得ることができる。というのが、自分を「認める」ことのメリットといえばメリットである。
とはいっても「打ちのめされちゃったよ。はっはっは」では済ませられない人もいるだろう。で、そのときに「自分は……
このように無限に続くわけですな。
よく「自分を許せない」という人がいるけど、でも許していないのも自分なのである。
「自分を許せない」
「「自分を許せない」自分を許せない」
「「「自分を許せない」自分を許せない」自分を許せない」
……
「「「……「自分を許せない」自分を許せない」自分を許せない」自分を許せない」……
自己否定の無限ループだ。ループを実行している間は不愉快なわけである。また無限ループだからいつまでも実行していられるわけである。
自分を「認める」ことができていると、この無限ループがはじめから実行されないのだ。ま、これが自分を「認める」ことのメリットといえばメリットかな。
とはいっても「ループの実行を止めることなんてできないよ」という人もいるだろう。で、そのときに「自分はできないんだ」と打ちのめされるのは……
というわけで、「メタに逃げて鈍化させる」と言われるとなんか違う気もするのだ。
むしろ「メタから逃げる」ような気がする。逃げた先もメタっぽいんだけどね。「あっちのメタはしょっぱいぞ。こっちのメタは甘いぞ」なんちゃって。
また、不愉快なことを不愉快だと感じないように「鈍化させる」のではなくて、無限ループを実行して不愉快をもくもく生成するのを「やめる」感じかな。
アイロニカルプロセス。興味深い。
「余計なことを考えるな」と言われると、「余計なことを考えていないだろうか」と確かめちゃうんだよね。
自分を「認める」とはどういうことかを知るには、カート・ヴォネガット・ジュニアの『スローターハウス5』を読むといいかもしれない。
これまで私が言ってきた「認める」というのと、この小説にある「そういうものだ」は似ている気がする。
「理解」(テッド・チャン 著 ハヤカワ文庫SF『あなたの人生の物語』収録)
わたしは自分の思考メカニズムを理解する。自分がどのように知るかを、そして自分の理解力は帰納的なものであることを、正確に知る。この自己認識の無限の退行は、はてしなく階段を踏んで進行するものではなく、その限界の了解であることを理解する。
自分の思考過程がみえ、自分の思考を記述する式がみえ、自分がそれらの式を了解するのがみえ、了解されたことをそれらの式が記述するのがみえる。
自分の思考をそれらがどのようにつくりあげているかをわたしは知る。
自分の思考を。
頭が良くなるクスリによってなんか臨界を超越しちゃった主人公が、自分の思考について語っているところ。
「私は考えている」
「私は「私は考えている」と考えている」
「私は「私は「私は考えている」と考えている」と考えている」
「私は「私は「私は「私は……
自己否定にせよ自己肯定にせよ「はてしなく階段を踏んで進行する」ことになる。無限ループとかアイロニカルプロセスとかに捕われてしまう。けど、それよりも「その限界の了解」しようぜ、と。自分を「認める」とはそういうこと。
後ろを向いてばかりで前を向くことができない、と悩んでいるなら上を向こう。うつむいてばかりで上を向くことができないのならば、横を向けばいいじゃない。横を向くことに意味はあるのかって? 知らねーよ。でもそんときはもううつむいてはいないじゃないか。自分を「認める」とはそういうこと。
今回のような騒動を二度と起こさないようにするために…
はてなブックマークを廃止して、古きよきトラックバック文化圏を復活させるのです!
そして、はてなアンテナ登録数を競うのです!
そうすれば成城トランスカレッジとリリカの日記とヘルシー女子大生が復活してくれるヨ!
トリックフィッシュおじさんなんか「性的にイケてるサブカル女子」と「儀礼的無関心」を語っちゃうよ!
阿部和重ってどうよ?みたいな!
都市論とか記号論をオシャレに語っちゃうよ!
でも、十代ではないし、田舎学生でもないので、あんまり読まないと思う。
でもトニオ君は喜びそうな環境だな。