はてなキーワード: リイド社とは
■「フォロワー数が〇万ないと本は出せない」と言う側からの本音
Twitter漫画家が出版社に呼び出されて「フォロワー数がウン万いないと本は出せない」と言われる話、最近多すぎない? - Togetter
あのさあ・・・いい加減この手の話についてアスペみたいな反応するのやめてほしい。
なんでこの手の話でいつも編集者側が一方的に悪者にされてるんだろうか。
言っちゃなんですが、この手のもめごとは十中八九、問題があるのはマンガ家さん側ですよ。
ちょっと頭使って考えてみたらわかることでしょ。
こんなん「社内稟議通すための材料が少しでも必要です」(当落ギリギリラインです)って言ってるだけだよ。
要するに「評価が微妙」ってことだよ。こんなん社会人で稟議とろうとしたことある人なら言われなくてもわかるでしょ。togetterのコメント欄は社会人経験ない無職ばっかかよ。
なので、もし今後同じことを言われたマンガ家さんいたらズバリ「つまり、今のママではちょっと厳しいってことでしょうか」って聞いてみろよ。そしたら正直に説明するよ。
もうちょっと賢い人なら、「フォロワー数が少ないかもしれないけど、こんな感じで支持されてるのでこういうターゲットに売れると思います」ってのを提案してみてくれてもいい。
もちろん、考えるのがめんどくさい、それは全部編集の仕事だろっていうならいいけど、他力本願なら結果が出なくても文句言うなと。
んで、あとは何だ? 「取引が決まりそうになったら」呼べばいいだけだ。「つばつけた」みたいな感覚で呼び出されてたまるか、か。
これみて「偉そう」とか「編集は暇なのか」と思う人はもう悪いこと言わないから同人でやれ。
あのさあ、たいていの場合、呼びつける場合交通費も払うし、飲食代も払ってるでしょ。うちはそうしてるよ。
んで、しかもその話をするために1時間とか2時間とかをその人のためにとらなきゃいけないんだよ。こっち側からしてもコストを払ってるわけよ。
なんでそこまでして手間暇かけてその人と会ってるかというと3つ理由がある。
1つめは「まだ信用してないから」
2つめは「人柄を見たいから」
マンガ家志望してくるやつが、どれだけ常識がない連中ばかりか知ってるか?
マンガ描く以外にいろいろやり取りとかあるわけだけれど、絵はうまくても基本的なやり取りがこなせない人間めちゃくちゃ多いんだぞ。
読み切りに掲載するだけならともかく、これから連載をお願いしたいって時にどれだけのリスクがあるかわかってなさ過ぎだろ。
出来る限り連載前にリスクを減らしたいのは当然だろ。新入社員の採用面接よりはるかにハードル高いんだぞ。
なのに、編集に対してはそういう当たり前のことが想像できないのはなぜなのか逆に聞いてみたいわ。
呼び出されることや、フォロワー数の話をされて不満に思ったという人は他にもいるでしょうよ。
でも、ちゃんとした社会人経験ある人とか最低限のコミュ力ある人は、打ち合わせの中でそういう不満を解消しようとするんです。
こっちだって、文面だけで伝えたらコミュニケーションの行き違いがあって不満を感じるかもしれないと思ってるからきっちり時間を取って、納得してもらえるように話をしようとしてる。
こちらだってそんなに時間余裕があるわけじゃないから、最初の1回目がとくに大事なわけよ。
そのチャンスの時にちゃんと話して、疑問点とか不安な点とかを事前に考えてぶつけてほしいわけよ。
そこで黙りこくってちゃんと不満点を伝えようとせずに、打ち合わせが終わった後にTwitterフォロワー向けに対してそういうことを書く人はいったいどこを向いて仕事をしようとしてたのかと逆にお伺いしたいですね。
「出版社と一緒に仕事をする」という意識が絶望的に欠けてるだろ。
お前はどういう心持ちでその打ち合わせに来たんだよって言いたいですよ。
こういうのが話題になるとすぐに「編集者の名前出せよ」って言ってる人いるけどさ。
鈴木倫さん。ぜひ具体的に出してほしい。 そしたら、編集者や出版社側だって反論できるから。
そして、いざ出版社が反論した場合、よくよく打ち合わせの事実を確かめてみたら、作者側に問題があるケースの方が多いです。
弊社では何度かネットでこういう告発系のツイートがバズって、当事者に確かめてみたら「これは作者が悪いな」という結論になっています。
鈴木倫さんがどっちのケースかは知りません。
この人は実業之日本社(リイド社)から何冊か本を出されているし、当然編集者ともやり取りがあったでしょう。
ただ、たいていの場合この手の話をする人が編集者の名前を出さないのは「名前さえ出さなければ面倒くさいやりとりを避けてバズれるから」って安易に考えているからだと思ってます。
なんとなくこれがウケるからとか、みんなやってるからという雰囲気に流されて深く考えずにやってしまってる。
編集者とのやりとりにちょっと困難があったらすぐに癇癪を起してこういうことを書いてしまう。
そういう人は普通にリスク要因だし、こちら側からお断りしたいです。
ただ、私は知らないけれど、Web系の部署やWebコミック専業の会社が最近ものすごく増えていて
そういう会社は作者のこと全然大事だと思ってないらしいからそういう話かもしれませんね。
向こうはコミックスの売り上げじゃなくて、広告表示およびアプリ向け配信でPVさえ取れればいいので作品の出来にはあんまり興味がないところもありますからね。
そういう人から声をかけられたのであれば私の知ってるところとは違うので、わかりませんね。
本当にやましいことがないのであれば、鈴木倫さんにはぜひ具体的にどの出版社のどの部門であるかを公表していただきたい。
コメント欄に同業者さんらしき人がいてより具体的な事書いてくれてます。当然のことが書かれており、これらの内容すら想像できない人が文句書いてるんだろうなと思ってますね。
最初から(連載も単行本化も)しないことが決まっているのに呼びつけるのはリアルあたおかやんけ。
最初の打ち合わせ時に
・作業スピードはどうか
・締め切りを守れそうか
ただ今回相手が女性でしょ。女性の場合、自宅は困るとかあるし男性でもたいてい近くの喫茶店とかファミレスで打ち合わせになる。
その場合もお勘定は編集持ちが原則。クリエイターさんと割り勘とか奢らされたなんて、それなりの事情がないとないハズ。
ただ交通費は事前に要調整では。レシートやsuicaの履歴出力が必要となるかもしれないので。
呼ばれたクリエイターさんもストレートに「交通費出ますか? 企画はどの程度まで進んでいるお話ですか?」と尋ね
編集者も「これから企画書作る段階で、何もお約束できません。直接お会いして、クリエイターさんがどんな方か企画書に反映したいです」(今回の件はこのレベルと思ってる)
とお互い正直にコミュニケーションできる打ち合わせが一件でも増えたらいいんじゃね?
おそらくなんですが、そもそも連載が通るまでの流れそのものが全く理解されてない気がしますね。
本当にやましいことがないのであれば、元増田さんにはぜひ具体的にどの出版社のどの部門所属であるかを公表して、批判も来るだろうが編集者や出版社側の立場で反論して欲しい
ちゃんと文章読んでほしいんだけど、こちらがわから言えるわけ無いでしょ。
一方的に誹謗中傷されてるのに応対する形でしか言うことが許されないから困ってるんですよ。
具体例について述べることができるのは相手側から批判されたときだけで、それ以外で個別の作者さんに名前出せないのは当たり前。
そして名前を出せなければ嘘つきだの何だのと難癖つけて叩いてくるのもわかってますからね。
はてなブックマークの皆さんは他人について口出すときに自分の立場に置き換えて考える癖がまったくないと聞いてますが本当だったんですね。脊髄反射で売り言葉に買い言葉を書いてるだけ。もうちょっと頭を使ってほしいです
採用サービスのメンテサボってるっぽいけど6月時点で12社14サービスで採用されてるってさ
はてなはC2Cメインになったって言われてるけど、たしかにブクマなんかよりよっぽど儲けてるな
https://hatenacorp.jp/press/release/entry/2021/06/11/153000
「少年ジャンプ+」「となりのヤングジャンプ」(株式会社集英社)/「マガジンポケット」「コミックDAYS」(株式会社講談社)/「くらげバンチ」(株式会社新潮社)/「コミプレ」(株式会社ヒーローズ)/「コミックボーダー」(株式会社リイド社)/「コミックガルド」(株式会社オーバーラップ)/「ゼノン編集部」(株式会社コアミックス)/「MAGCOMI」(株式会社マッグガーデン)/「webアクション」(株式会社双葉社)/「コミックトレイル」(株式会社芳文社)/「コミックブシロードWEB」(株式会社ブシロードメディア)
https://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2020/03/21/072217
はじめにいっておくが、私もワニの拙速な売らんかな主義は気に入らない。それはおそらく「お人形だと思っていた異性に性器が生えていた」ショックと似たようなもので、私の気質以上の理由はないのだと思う。
そういう意味では
そこで「金」と答えられるのは、私の価値観では嫌だ
には同意する。
だがそこ以外はすべて同意できない。
私は物語の力を信じている。フィクションが人を支え、鼓舞し、規範となり、揺さぶり、人生に決定的な何かをもたらす効力があると本気で考えている。
この言葉に嘘はないのだろう。
そして嘘がないゆえに過っている。
キャラクター(の死)を現実の人間(の死)と等価に扱うのは内心の自由であり、それはいい。
ならばなぜ、「キャラクターを現実の人間のように思いやること」をやれているのに「現実の人間そのものを思いやること」はできないのだろう。
作者はワニが死のうがなんだろうが何ら痛みを感じておらず、飯の種、名声へのステップくらいにしか思っていないでしょう、そこがもうヘドが出るくらい嫌だ。
恐れながらきくち先生がそのような趣旨の発言をどこかでなさったのでしょうか。きくち先生にしろ「広告代理店の連中」にしろ「要はフィクションを信じていない、フィクションによって支えられていない人間」だとする根拠は?
むしろ、フィクションを信じていないとああいう物語を100篇描いて毎日投稿するなどできないのでは? 人の人生は物語ではないし、それをやさしく見守る読者のような天使も実在しない。読者の反応を受けとめつつ、テーマにそった物語を書く。それも命に関係にする話を。それはまさに「フィクションを信じる」以外のなにものであるだろうか。
「広告代理店の連中」に関しての不信感は正直共感する。だが、世間に流布しているイメージそのままに彼らを悪魔化することはすなわち「現実の人間をフィクションのキャラクターのように扱っている」ことにならないだろうか。
フィクションのキャラクターは世間でのイメージと実際に接したときのイメージが一致する(というか、それらの差がない)。しかし実際の人間はそのシンプルな原理がなかなか通用しない。
特に「職業的なイメージ」で語られるときほど実際とズレることはない。
なぜ現実の人間には内心や人格がないと思いこんでいるのだろうか? フィクションと現実の区別がついていないから?
作者が、自らがクリエイションしたキャラクターに思い入れ、その死と向き合い、自然と湧き上がってくる弔意とのバランスを取りながら物語を紡いでいるのが伝わってくるのなら私はすごく共感
繰り返しになるが、作者が「自らがクリエイションしたキャラクターに思い入れ、その死と向き合い、自然と湧き上がってくる弔意とのバランスを取りながら物語を紡いで」いないとなぜ断言できるのか。
100日目の「死者への敬意のない」扱いを見ればわかる?
それはあくまで外形的に現れる事象を見てあなたが”そう”感じたにすぎない。
描かき方が下手、売出し方が下手、それらはすべて技術の問題だ。
なぜ他人のせいにするんだろう。
単に「起こっている現象が気に食わない」なら、それが気に入らない自分と向き合えばいいだけだ。なのに、いや作者が公式が人格的に最悪だからという問題に持っていってしまう。
クレーマー気質のオタクにありがちなのだが、起こっている出来事から勝手に作者(芸能人とかでもいいよ)のお気持ちを推測して、その自分が作り出した仮想のお気持ちをあたかも現実のように捉えて勝手に涙したり怒ったりする。
なんなんだ。
怖いよ。
言語化にこだわるあまり、人間として捉えるべきはずの対象を悪魔に変えてしまう。
なんでも殺せるようになるから。
蛇足。
トーチとか毎日開いているリイド社の熱心なフォロワー諸君なら、きくち先生がその才気に比していかに不遇をかこってきたかはおわかりのことと思う。
私は『スーパーどうぶつ―ズ』がミリもおもしろいと思ったことはないけれど、ああいう誰もベットしないようなポジションから有馬記念の一番人気にハネあがったのは、なんだかいいなあと思います。
それもまた物語ではないですか。
※単行本での巻数のため,雑誌連載はあっても新刊が電子書籍のみの作品,たとえば現在44巻刊行中の石井さだよし「解体屋ゲン」は記載していない(議論の余地はあると思うが)
※蒼鷹社版の「コボちゃん」は60巻で出版が終了しているため,この欄には芳文社版の「新コボちゃん」のみの記載とする
※サブタイトル,監修,協力は割愛
トラバの指摘ありがとうございます
巻数による降順
以下,32巻の「強殖装甲ガイバー」「BARレモン・ハート」「あの山越えて」「ドカベン ドリームトーナメント編」,31巻の「KING GOLF」「ラディカル・ホスピタル」「団地ともお」「七つの大罪」「K2」「ハイキュー!!」と続く
書誌情報に50冊目であることが確認できる作品(よって超人ロックは該当しない,石ノ森の文庫版マンガ日本の歴史は一応該当とする),サブタイトルは割愛,同一作品でも合算はしない(ドラえもんプラス,ダイヤのAact2等)
サザエさんを追加,クレヨンしんちゃんを追加,絶対可憐チルドレンを追加,キングダムを追加,(試験的に)文庫版のマンガ日本の歴史を追加,劇画人間革命を追加
彼の独特な作風は間違いなく評価されるべき才能であると思うのだが、ものすごい不遇。圧倒的に不遇。
地味な作家ならいろいろ打ち切られても当然だと思わなくはないのだが、彼に関しては間違いなく光る何かを持っている。それでいて埋もれている。
まずデビュー作の「少女奇談まこら」という作品があるのだが、これは未だ完結していない。
この作品は原作付きで、原作は平野俊貴(魔法騎士レイアースなどの監督)植竹須美男(アニメ脚本家)の2人。
「ゲゲゲの鬼太郎」をオマージュした妖怪漫画で、妖怪皇の血を引く少女まこらが、お供の妖怪と共に父母を探す旅に出るお話。
2006年にリイド社の月刊少年ファングで連載を開始したのだが、1年後にその雑誌は休刊。
作品自体は好評だったようで、その後、講談社のピテカントロプスというウェブコミック誌で「まこら〜ひひひ怪々伝」に改題して連載再開したのだが、これも08年の終わりあたりに突然の更新終了。無念。
その間に、講談社の別冊少年マガジンで「バニラスパイダー」が連載開始(2009年)。
別冊少年マガジンの創刊号の連載陣としてラインナップされ、そのおどろおどろしい世界観とSF的なストーリーでそこそこ注目された。
原作無しの完全オリジナルの連載は初めてだが、きちんとストーリーも書けることを証明してみせたわけだ。
だが、別マガには他に同じようなおどろおどろしい雰囲気を持った怪物的な作品があった。
こちらの作品は瞬く間に注目され、あっという間に人気作に。
一方バニラスパイダーの方は一部で話題に出るものの特にブレイクはせず、地道に連載を続けていたのだが、結局3巻で打ち切られることになった。
別に「巨人」に何の罪もないのだが、完全に陰に隠れてしまった感がある。
実はこの作品、3巻でものすごくきれいにまとまった傑作なので、最初から3巻の予定だったのでは?という疑問も浮かぶのだが、
序盤に出された伏線が回収できていないことと、3巻での作者のコメントを見る限り「打ち切り」だったのは間違いないと見ていい。
とまあここまでならありきたりな話だが、阿部洋一の不遇はまだ続く。
バニラスパイダー終了後、2010年末に今度はアスキー・メディアワークスの電子コミック誌・電撃コミックジャパンで「血潜り林檎と金魚鉢男」を連載開始。
コミックジャパンという名が付いてる時点で嫌な予感がするのだが(過去に短命に終わった同名の雑誌が2つある)、先に言ってしまおう。これも休刊する。
しかも、こともあろうに阿部洋一はこの雑誌で2つの連載をしていたのだ。
1つは前述の「血潜り~」、そしてもう1つはなんと連載を休止していた「少女奇談まこら」だったのである。
「まこら」連載再開時には大きく「復活」と取り上げられ、それまで発表された話数に加筆修正を加えた「完全版」の刊行、そして最後まで連載するという宣言もあり、ファンを歓喜させた。
そして「血潜り」と並行して連載されることになったのだが、結果は御存知の通り休刊で連載中断である。ひどい。
「血潜り~」は奇抜な設定の漫画で、第15回文化庁メディア芸術祭マンガ部門審査委員会推薦作品に選ばれたりとなかなかの高評価を得ていた。
「まこら」も連載再開後のエピソード「夢華族」が傑作中の傑作で、この作品はもう名作になること間違いなしだな、と勝手に思っていた。
それが休刊で2つ同時に中断である。「まこら」に関してはぬか喜びもいいところである。
休刊時の発表では、打ち切りではなく今後の動向は追ってお知らせするとなっていたが、いつまで経っても発表はされず、ついにはサイトまで消滅してしまった。
1つの連載作品で3つも休刊を経験するなんてなかなか無いことで、よくわからない称号を得たような感じすらある。
その後はまた別マガで2013年に「橙は、半透明に二度寝する」を連載開始したり(2015年中に完結予定、打ち切りかは定かでない。既刊1巻)、
集英社のウルトラジャンプで短期連載の「オニクジョ」を含め読切が複数回掲載され、短編集が発売されたり、
デジタル版に完全移行したコミック・アーススターで「新・血潜り林檎と金魚鉢男」として連載が復活したり(これまた新装版が発売されるようだ)(雑誌が雑誌なだけにまた休刊するんじゃないかとの声もある)
と、なんとか漫画家を続けてこられている。(しかし「まこら」は音沙汰なし)
ネット上でオススメの漫画とか紹介するのが流行ってたりするみたいだが、そこにもほとんど顔を出さない。
「少女奇談まこら」はマジで傑作。「橙は、半透明に二度寝する」もとてつもない怪作。オムニバスなんでとりあえず1話だけでも。(http://www.shonenmagazine.com/bmaga/daidaiha)
というわけで、皆さん是非読んでみてね。(わざわざ言わなくてもいいと思うけど、本人じゃないよ)
(追記)
ブコメに「総合マンガ誌キッチュの話はしないのかい?」とありましたが、はい。
「キッチュ」は同人誌に近いマンガ誌で、編集長が阿部洋一氏と同じく京都精華大学マンガ学科ストーリーマンガコースの一期生であるという繋がりからか、作品がよく掲載されています。
まだ本格始動もしてないのにネガティブなことを書いてもしょうがないと黙っていたけど、
twitterなんかを見てると手放しで賞賛してる声が多くてキモチワルイので記しておく。
仮にJコミでは単行本一冊あたり50万円分の広告を付ける、と設定する。
日本のPC向け電子書店で最大のものはYahoo!コミックじゃないかと思っているが、
同じ数の作品をJコミで公開しようとすると150億円分の広告が必要になる。
ありえないとは言わないけど、相当な巨額だ。
2:作品追加のスピード感
通常の電子書店では極端な話、金さえあればいくらでも作品を追加配信できる。
最初に書籍の電子化費用を払って電子化して、それを販売して儲けるわけだから。
でもJコミでは、赤松氏がいくら大金を持っていたとしてもあまり関係がない。
その本に広告を出してくれる広告主が見つからない限り、配信ができないから。
(もちろん赤松氏がネギま!やJコミの自社広告を入れれば別だけど)
だからJコミは普通の電子書店より作品追加に時間がかかると思われる。
Jコミにまとまった数の本がそろう頃には電子書籍の大勢は決まってるかもしれない。
3:「儲かる」に隠されたごまかし
が、赤松氏が意識しているかどうかわからないけど、そこにはある種のごまかしがある。
通常の本の販売の場合、最初に製作費がかかり、その後で売上が入る。つまり後払い。
売上が製作費を下回れば赤字になる。つまり損をする可能性がある。
Jコミの場合、最初に広告主から広告費が入る。つまり前払いなのだ。
前払いでお金が入っている(お金が入ることが約束されている)ものを配信するのだから
配信されたものに関して「確実に儲かる」のは当たり前である。
それは印刷物だって、出版されるものに関しては印税が約束されているんだから
「確実に儲かる」に決まっているのだ。
問題は出版できるかどうか、配信できるかどうかなのだ。
赤松氏が本当にしないといけないのは、「紙では採算が取れなくて出版されないものでもJコミでは出せる」
それはつまり「たとえ広告が付かなくても、クリック数が極端に少なくても、最低限これぐらいの額は保証する」
ということだ。
それは「採算が取れないものは出版しない」といってる既存の出版社と何も変わらない。
後述するように、Jコミは既存の出版社と何も変わらない、という結論で正しいと思っている)
4:公開作品の削除について
「Jコミで作品を公開した作家は広告の規定のクリック数を満たしていれば公開作品をいつでも削除できる」
とされている。
全体の雰囲気として、赤松氏は
「基本的には公開した作品は無期限で公開し続ける」のを前提にJコミ構想を進めていると思われる。
しかし作家側が「クリック数を満たしたらすぐ削除」という姿勢で臨んでいた場合、
そして困ったことに(?)「クリック数を満たしたらすぐ削除」という方が
無駄に公開を続ければその作品の広告メディアとしての価値を下げてしまうから。
5:公開作品の削除について2
作者が作品を削除してもネット上での流通は止まらない可能性が高い。
つまり、一応削除できるとは謳ってあるものの、一度Jコミで公開した作品は永久に公開されっぱなし。
……ってなことを赤松氏が考えているのであればそうとう腹黒い。
わざわざ自分の作品を実験台にするような人がそんなことを考えたりはしないと思うけど。
よその出版社で絶版になったマンガを自分のところで再出版するというのだから、
それは出版社に他ならない。
媒体が紙ではなくPDF、収益モデルが広告、という点で異なるだけである。
しかし赤松氏の言動を見ているとあまりその自覚がないように思える。
その典型が
「Jコミに作品が集まったら電子書籍端末にプリインストールするのはどうか」
という発言である。
Jコミはお金を取らない、というのはつまり人件費等をかけないという意思表示だ。
一方で「Jコミに作品が集まったら~」というのは、Jコミは集まった作品の管理を行うということだ。
マンガ家が出版社を起こしても別に問題はない。リイド社のような前例もある。
問題は自覚的に行動するか、対外的に出版社を名乗るか、である。
そうすることでJコミという「よくわからないもの」がはっきりとした形を持ち、
twitterでニコ動の違法動画について赤松氏が苦言を呈した際、
ある人からの「ニコニコで知名度が上がることが作品への間接的な貢献になってると認識してます。」
「それ、みんな言いますよね(笑)。でも、マジでそう思ってます?」と返答した。
ちなみに俺もそんなことでは貢献になってないと思う。
しかし、この言葉はそのままJコミにも跳ね返ってくる気がする。
つまり
「Jコミに広告を出して知名度が上がっても商品の売上にはつながらない」
もっとも、そんなこたあ広告主がどう考えるか次第なのだけど。
Jコミが大成功して電子書籍のデファクトスタンダードとなった場合、
電子書籍市場から得られる利益は全て作者(と広告代理店&メディアレップ)のものとなる。
今、出版社は出版不況から抜け出すために電子書籍に力をいれようとしているわけだが、
つまり出版社は現状と変わらない=近いうちに壊滅する。
出版社がなくなれば新作が生まれなくなる。
新作の供給が途絶えればJコミもいずれ絶版図書を食いつぶし、終了する。
もちろんマンガ家も消滅する。
以上。