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2023-08-02

anond:20230801214058

ほら福島っていってもかなり横に広いから、会津喜多方中通り浜通りでは全然雰囲気うから

うからって文化があるわけじゃないかもしれないけれど

百何十年たっても長州許してないとか、根に持つ性格じゃなくて、えーとその忘れない、物事を忘れない性格醸造される土地だよ

まあ中通り在住組から言わせてもらうと、文化はないかもしれないが桃はめちゃくちゃ安くて美味しいし、水道水もめちゃくちゃ美味しい

この時期は普通に蛇口からコップにそそぐと冷えてて周りに水滴がつくよ

かにぜひ遊びに来てねって言うことはないけど、そこそこいいところだよ

ああそうだ”ほんとうのそら”があるところだよ

2023-02-17

喜多方らーめん 久しぶりに食べると美味い

あのネギゴマ油となんなんだろ

2023-02-08

さまざまな桶狭間

桶狭間の戦い

桶狭間度:★★★★★

海道一の弓取りと謳われた今川義元大軍を、小勢の織田信長が打ち破った戦い。「桶狭間は谷だった」「いや山だった」「奇襲だった」「いや正面攻撃だった」など、その実態については今なお盛んに議論される。また、勝利した織田信長がこれをきっかけに勢力を拡大し、のちには天下人となっていったこから、「小大名が敵の大軍を破り、その後の飛躍に繋げた戦い」のことを「〇〇の桶狭間」と言うようになった。

奥州桶狭間人取橋の戦い

桶狭間度:★☆☆☆☆

父親を殺された伊達政宗が、その弔い合戦として畠山氏の二本松城を攻めたところ、相手方の救援として駆けつけた佐竹氏・蘆名氏などの連合軍と戦いになった。兵力差四倍以上の相手に正面決戦を強いられることとなった伊達方はほぼ敗勢だったが、勝利目前の佐竹軍が急に撤退したため尻すぼみに合戦終結した。壊滅必至だった伊達軍がそれを免れたという点では「勝ちに等しい引き分け」と見ることもできる。その後、巻き返した伊達政宗二本松城を落とし、蘆名氏を滅ぼして南奥州覇を唱えることとなる。

関東桶狭間河越夜戦

桶狭間度:★★★★☆

泥沼の争いを繰り広げていた古河公方山内上杉・扇谷上杉らの関東勢が、勢力を急伸させた北条氏を恐れて連合し、北条方の要所・河越城大軍で包囲した。それに呼応した今川義元も西から挙兵して挟撃の形となり、家督を継いだばかりの北条氏康は早くも絶体絶命の危機を迎えた。しかし手早く今川と和睦した氏康は、大軍に驕った連合軍に夜襲を仕掛けて撃破した。この戦いで古河公方山内上杉・扇谷上はいずれも滅亡・没落し、関東北条氏を中心として動くようになった。

甲斐桶狭間飯田河原の戦い

桶狭間度:★★☆☆☆

甲斐に侵攻した今川大軍を、武田信玄の父・武田信虎が迎え撃った戦い。荒川沿いの飯田河原戦場に選んだ信虎は、数で上回る今川軍を地の利を活かして撃退、ひと月後に上条河原で再戦したがそれも打ち破り、敵の大将を討ち取った。一連の戦いにより武威を示した武田信虎は、敵対していた穴山氏などを服属させ、甲斐統一を成し遂げた。

近江桶狭間野良田の戦い

桶狭間度:★★☆☆☆

北近江浅井氏は、越前朝倉氏と南近江六角氏という大勢力に挟まれ、当時は六角氏に従属する立場だった。父親隠居させて浅井家の若き当主となった浅井長政は、すぐさま六角からの離反を表明した。それに対し、六角氏は当主六角承禎自らが大軍を率いて攻め寄せたが、浅井長政は半数以下の兵力で迎え撃って勝利した。弱い立場だった浅井氏はこの勝利により戦国大名としての地位を固め、敗れた六角氏はお家騒動などもあり衰退していくことになる。

備前桶狭間」明善寺合戦

桶狭間度:★☆☆☆☆

備前大名浦上氏の家臣として頭角を現しつつあった宇喜多直家は、毛利氏従属しながら備前進出しようとした備中三村氏の当主三村家親を、日本史上初となる火縄銃狙撃により暗殺した。怒れる三村氏は、弔い合戦とばかりに宇喜多方の明善寺城を攻め取ったが、宇喜多直家は素早く奪回し、逆にその救援にやってきた三村氏の大軍を待ち構えて打ち破った。この戦いにより影響力を増した宇喜多直家は、のちに主君反旗を翻し、戦国大名として独立することになる。

西国桶狭間有田中井手の戦い

桶狭間度:★★★☆☆

かの毛利元就の初陣。源氏の名門・武田氏一族で猛将と謳われた武田元繁と、味方の城の救援に向かった毛利吉川連合軍の戦い。寡兵連合軍は劣勢を強いられたが、初戦で運良く敵方武将を討ち取り、それに激怒して自ら前線へ打って出た武田元繁をも討ち死にさせた。この戦いにより、大内氏から独立して勢力を拡大していた武田氏は一転して衰退し、代わって毛利元就歴史の表舞台に躍り出ることとなった。

「海の桶狭間厳島の戦い

桶狭間度:★★★★☆

毛利元就の戦いとしてはこちらのほうが有名だろう。主君大内義隆に謀反し、大内家内を牛耳った陶晴賢だったが、その隙に離反した毛利元就によって安芸を奪われてしまう。大軍を率いる陶晴賢要衝厳島拠点安芸奪回を狙うが、毛利元就は嵐に乗じた奇襲でそれを打ち破り、陶晴賢自害に追い込んだ。この勝利により、毛利元就は逆に大内氏を滅ぼしてその領土併呑し、中国地方覇者となっていくのである

肥前桶狭間今山の戦い

桶狭間度:★★★☆☆

肥前勢力を拡大していた龍造寺隆信に対し、脅威を覚えた北九州覇者大友宗麟大軍を率いて侵攻、数ヶ月に渡って佐賀城を包囲した。援軍の見込みもないなかで龍造寺軍はよく持ちこたえたものの、ついに大友宗麟は弟の大友親貞に総攻撃を命じる。大友親貞は総攻撃前夜に士気を高めるため酒宴を開いたが、それを見た龍造寺家臣の鍋島直茂わずかな手勢を率いて夜襲を仕掛けた。油断していた大友軍は総崩れとなり、大友親貞も討ち取られてしまった。その後、和睦に持ちこんだ龍造寺隆信は、大友氏に従属しながら勢力を拡大し、のちに九州三強の一角に名を連ねることになる。

九州桶狭間木崎原の戦い

桶狭間度:★★★★☆

島津当主島津貴久が亡くなった直後、その隙を突いて隣国伊東氏島津領に侵攻した。伊東方が数千の軍であったのに対し、島津軍勢はその十分の一ほどしかなかったという。だがそれを率いていたのは名将・島津義弘だった。島津軍の頑強な抵抗により、伊東はいったん退却して陣を立て直すことになった。しかし、島津義弘から指示を受けていた農民たちが太鼓を鳴らして伏兵を装うと、伊東軍は慌てて陣から飛び出し、そこで待ち伏せていた島津軍に四方から攻められて壊滅、総大将も討ち取られてしまった。窮地を脱した島津氏は、島津兄弟のもと勢力を拡大し、九州を制覇していくのである

2022-09-27

人生で3時間並んだ経験ある?

行列嫌いだし人集まるイベント敬遠してるから滅多にない

強いて言うなら喜多方の坂内本店に行った時くらい

今振り返ると隣の松食堂でも良かった気がする、でもラーメンは美味しかった。

2022-08-21

ラーメンが食べたい

子持ち実家暮らしだけどラーメンが食べたくて気が狂いそう。

父親評論家気取りなので新規開拓すると煩くてイライラする、母親好き嫌い激しいので煮干し系か中華そばしか選択肢がない、小2の息子は讃岐うどん以外の麺類が嫌い。夫は単身赴任で居ない。

テレワークで家に居るので通勤時にランチラーメン、という手が打てない上に長時間勤務で自分実家ということもあって両親がよく子供相手をしてくれている分土日まで甘えられず(というか両親も非正規共働き土曜日仕事入れたりしてる)。日曜日食料品の買い出しがてらランチデートに出てしまうので本当に私がラーメンを食べる機会が無い。ラーメンが食べたい。ラーメン店の多い地域に住んでいるのにラーメンが食べられない苦痛

学校シーズンに昼に自分で作って食べてみてもコレジャナイ感しか無く、余計ラーメン欲を拗らせた。食事の準備、片付け、風呂洗いは私の分担なので仕事終わりに子供を預けてラーメンを食べに行くのすら難しい。

もうずっとラーメンに焦がれて焦がれて焦がれて、そろそろおかしくなりそうだ。Uberで頼めば?と思うかもしれないけど、あのプラスチック容器に入った「食べ時」を過ぎたラーメンは私の食べたいラーメンじゃない。着丼した瞬間の高揚感も、一口目に食べる「今がいちばん美味しいよ!」と感じさせてくれる麺も味わえないじゃないか

ああ、ラーメンが食べたい。淡麗塩、濃厚鶏白湯横浜家系博多とんこつ喜多方もいい。最近見かけなくなった味噌バターも食べたい。スープ熱々系の濃厚つけ麺も食べたい。黙々とラーメンを食べて店を出たい。麺類嫌いな子供に気を遣って騙し騙し食事を進めたり、きっと「ラーメンきじゃない」と口に出してしまうであろう子供の機嫌を取ったり他のお客さんや店員さんに気を遣ったりせず、のびのびとラーメンを楽しみたい。トッピングはのりがいい。

2022-01-18

うどん抽象

ラーメンだと「豚骨・みそ・しょうゆ」なんかの味だったり「博多喜多方尾道」とかの産地だったりでわりと具体性のある名称が付くのに

うどんになると急に「きつね」とか「たぬき」になるのなんなん?

由来を紐解くと意味はあるんだろうけど取り合えずひとひねりを加えたがる。

卵のせただけでも「月見」にしちゃうし。

挙句の果てに「ちから」てw


(追記)

思いのほかトラバブクマ集まったな。みんなサンキューな。

ブクマにある「かけ」もさあ、いきなり見たらなんなのかわかんなくね?主体がないというか……。


あと思い出したんだけどさあ



「しっぽく」



になるともう誰もわからないレベルじゃね?

2021-09-08

印象に残った飲食店街

喜多方(福島県)

蔵の街として知られる静かな町並み。

その何気ない住宅街ラーメン屋が点在している。

駅でもらえるマップを片手に、こんなところにもラーメン屋が!と街歩きするのが楽しい

ご当地ラーメン」を売る街は多いが、沢山の店舗が町並みに溶け込んでいるのはここが一番ではないか

いくつか有名店とされる店はあるようだが、私は並ばずすぐに入れるお店へ何店か。

期待通りの太いちぢれ麺。どの店も旨い。


出石(兵庫県)

蕎麦を売りとする街。門前町蕎麦屋が並ぶ街は多いが城下町では珍しいかも。

町並みは本当に蕎麦一色。感心するレベルで。

アクセスの便は良くもなく、周囲に人口の多い地域もない。関西圏以外で知名度ほとんどないのでは。

城下町として古い町並みも整備されているけど、それ単体で観光の売りにするのも他所の有名どころと比較すると厳しいかも。

それでも街にはにぎわいがあり、どのお店も絶え間なく客の出入りがある。

小皿に小分けされて提供される独特のスタイルで、しっかり打たれた蕎麦は間違いなく旨い。

周辺地域の方たちに愛されているのだな、と感じた。


広島市街(広島県)

「お好み村」が有名と聞き訪れたが、どのフロア制服着た学生で大混雑。平日なのに。

期待していたのとちょっと違うかなと立ち退いて繁華街をふらっと歩くと、次々に目につくお好み焼き店

それこそコンビニと同頻度で点在している。これなら有名店でなくても十分。

さな店舗に入ると、カウンターが全面鉄板となった席に通される。

店員さんがすべて焼いてくれるのが新鮮だ。投入が前提となっている麺は、そばうどん選択できるのも良い。

ビールを片手に、カウンター鉄板から直でいただく。

気取らない普段着カップル会社帰りっぽいサラリーマンカウンター奥の広島カープ野球中継

ああ、ここではこれが日常なのだな。その土地日常体験させていただく贅沢よ。


枕崎(鹿児島県)

鄙びた港町。最果て感漂うこじんまりとした街に、街の規模より気持ち多めな料理店・居酒屋が点在する。

鰹を名産として謳う街だがお店では名物!!と押し出される感もなく。定番メニューとして自然に鰹料理が並び、珍しい部位や調理の種類も豊富

一般的生ビールがあるようなドリンクメニューの先頭に、当たり前のように位置する「さつま白波」(枕崎に蔵がある焼酎)

料理手書きメニュー本日おすすめのお刺身を甘い醤油で味わいながら、1杯300円の焼酎を追加オーダーしつつゆったりと。

退店後周囲に目につく鰹節工場看板眺めながら、こういうのがいいなとほろ酔いで小さな街を夜をのんびり歩く。



私の知らない魅力的な街はまだまだたくさんあるのだろう。

長引くコロナ禍でおそらく街も店も様子が変わってしまったはず。

いつかまたどこかへ訪れることが叶ったとき、その街の魅力が保たれていて欲しい。




追記

ここだとあまり需要のない話題だと思っていたので、思いがけず読んでくださった方が多くて嬉しいです。

皆さんのコメントからそれぞれのスタイルや思い出が伺えるのが良いですよね。

2017-02-19

北品川駅会津藩喜多方出身者が埋立地に入植したことに由来する

品川付近東海道は海沿いをトレースしており、街道より海側の土地は埋め立てに起因するものである明治維新下北半島流刑された会津藩一部の人は、江戸へ転身し、東海道沿いの埋立地出身地名前をとった北方村を作ったのだった[要出典]。この北方村の北の字が北品川駅に残っているのである[要出典]。北方村の由来となった会津北方喜多方漢字のあてを変えている。

http://anond.hatelabo.jp/20170219120954

2011-04-08

会津に行ってみた

会津観光旅行に行った。会津地方観光客が激減しているというニュース月曜日にみて、折よく暇だったため翌日朝一の電車に飛び乗り2泊3日の観光旅行、昨日7日夜東京の自宅に帰り着いた。せっかくなので、一観光客が見聞きした会津の現状や観光したうえで感じたことを書きたい。無計画性が災いし時間が足りず磐梯には行っていないので、会津若松喜多方のみの話となります

# # #

1.地震の被害

会津若松駅前の地下道が冠水、未だに復旧せず通行止めであったり、マンホールが隆起していたり、蔵の土壁が壊れていたりと、地盤のよい会津地方も少なからぬ被害を受けており、極一部の観光スポットが休業している。とは言えその数は少なくまた有名どころはたいてい営業しているし、会津内での交通インフラも問題ないので、観光への影響は少ない。

2.原発の直接的影響

大気中の放射線測定値についてはさすがに東京より高く毎時0.2マイクロシーベルトあたり(健康には問題のないレベルだが野菜や水からほとんど検出されていない。

http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/index_php/info_hazard/view.php

ちなみに、現地の某ラーメン屋に入ったら使用している野菜の原産地をしるす貼り紙があったんだけど、そのなかに福島産の文字がない。つまり暗に福島産は使ってないですよと言うアピールをしていて、なんかすごい切ない気持になった。

3.観光産業の現状

機会があればなるべく現地の人と話すようにしていたんだけど、異口同音さっぱりお客さんが来ないとのこと。前年比で95パーセント減と具体的に数字を挙げてくれた方もいた。これから景気は悪くなるだろうし、外国人観光客も減るだろうから地震前に戻るというのは何年たっても無理かもしれないが、さすがにこの減り方は異常事態。しかゴールデンウィークの予約もキャンセルが相次いでいるということもあり、その異常事態のおわりが見えないことが怖い。しばらく続くとバタバタとお店が倒れてしまうかもしれない。

4.今観光すべきなのか?

しかし、このような惨状を見聞きしながらも、会津を助けるために今すぐ観光すべしと人に強く勧める気に僕はなれない。理由はふたつ。今一番困っているのは被災民なのだから観光する暇と金があるならボランティアしろよ寄付しろよという正論がそのひとつ。そして会津地方は避難民を多く受け入れているというのがもうひとつの理由。関係ない所で自粛だの不謹慎だのと言うのはバカらしいが、さすがに避難民の目の前で呑気に観光と言うのは気がひける。じゃあどうすればいいのか? 現地の人にいろいろ話を聞いてみて思ったのは、今観光客が激減していることよりも、その異常事態のおわりが見えないというところに不安を感じている様子だった。ならば、被災者難民に配慮しつつ、会津人の不安を解消するには、この異常事態には終わりがあるんだよというメッセージを送ればいいのではないかと思う。それにはちょっと先、例えばゴールデンウィークホテルの予約を入れるというのがいいんじゃなかろうか。先が見えれば会津の人も安心すると思う。もちろんそこまで被災者難民に配慮する必要はないよと言う人は、空いている今が好機だと思うので、どんどん行った方がいい。じっくり見学ができるし、スタッフさんと話し込むことができるし、サービスしてくれる店もあったし、写真も撮りやすいし。酒造りはほとんど終わっており、桜はまだと言うことでオフシーズンなのが残念ではあるが。

5.アクセス

東北新幹線東北本線が運転見合わせで、東部鉄道だと時間がかかり、高速バスはキャパが少ないということを考えると、現状では車で行くのがベターかなという印象。車がなければバスにするか、新幹線東北本線の復旧待ち。郡山会津間を結ぶ磐越西線現在間引き運転中。まあゴールデンウィークまでには意地でも復旧するでしょう。

# # #

以下蛇足ガイドブックではそれほど注目されてないが印象に残ったところをいくつか、ご旅行のご参考までに。

A.さざえ堂(会津若松

平面六角形の木造二重螺旋建築。前々から見に行きたいと思っていたもので、今回会津旅行即断したのもこれがあったから。世界に類をみない奇妙な建築物でありながら、中を廻れるというのが魅力。ずいぶん痛んでいるが、昔から多くの人が入ったという証左であり、歴史の重みを感じる。10年くらい思いを熟成させかなりハードルが上がっていたが、それをはるかに上回る感銘を受けた。

B.長床(喜多方

新宮熊野神社の拝殿。イメージとしては木造パルテノン神殿(ただし規模は劣る)といった感じの、壁のない建物70年代解体修理復元工事をしており、建材は再利用しているものの建物自体は古くはない。しかし、中にのぼれるという魅力には抗しがたいものがある。また木造大鳥居も時代がついていていい。

C.甲斐本家階段喜多方

蔵座敷で有名な甲斐本家だけど、注目は売店のなかにある螺旋状の吊階段。彎曲した側桁が一枚で、しかも曲げたのではなく削り出したのだという贅沢なつくり。店主が話好きのおじさんで、面白い話が聞けた。

D.割烹田季野(会津若松

名物輪箱飯(わっぱめし)の元祖。値段は高いが当然のようにうまいカウンターの隣には、とある形をした黒塗りの木造が鎮座ましましている。珍妙なことに、その木造には色々な国の紙幣が貼ってあった。訊くと、賽銭感覚外国人観光客が貼っていったものらしい。ちなみに、2泊3日の旅行外国人を一人も見かけなかった。

2010-02-26

曇っている街


 大学時代親友とふたりで裏磐梯へ行った。

 大宮に集合して、東北本線郡山経由、磐越西線で磐梯へ。

 男ふたり。

 たしか青春18切符だった。

 大学ではいいことなくて、親友も沈んで電話で話す。

「なあ、18切符でどっかいかない?」

「え? いいけど、涼しいところがいいな。どっかある?」

 夏だった。

「裏磐梯とか、考えているんだけど」

 それを聞いたとたんに心が弾む。うきうきして鞄を探す。

「なあ、今からでれる?」

「当たり前じゃん」

 そうやって、大宮から東北本線に飛び乗って、ふたりで車窓をぼんやり眺めながら、算段する。途中下車できるから、喜多方まで行ってラーメン食うか、一応ガイドブック買ってきた、お、用意周到じゃん。

「なんか探しておいてよ、任せるよ」

 そういってぼくは車窓を流れる畑と建物を見る。送電線を見る。びゅんびゅんと遠ざかっていく東京をただ眺めていると、ふしぎと心が軽くなっていく。暗い薄曇りの街を飛び出して、陽が差す田舎がものすごい速度で流れていくのをただぼんやりと、片肘突いてペットボトルお茶を飲んでいると陽が差してくる。

「なんかさ、都会って暗いよね」

「あ? あー、ビル多いからな。このへん何もないから」

 そうか、太陽を遮るものがないからか。

 がたごとびゅんびゅんそれは実に爽快だった。

 それが始まりだったか、ぼくは何か暗く雲がわいてきたようなときには、いつも電車に飛び乗る。どこでもいいから場所を決めて、朝早く起きて電車に飛び乗る。それで、自分の住んでいる街から一時的に避難する。

 長距離列車はいつもご機嫌で、陽の差すところを突っ走る。

 東海道本線東北本線高崎本線、宇都宮本線。

 まばらな建物の中を、都会の私鉄に慣れた人間には驚くほどの距離を、あっという間に走ってしまう。

 片肘突いて、お茶を飲んで、音楽聞いて、小説読んで。

 それであっという間に目的地にたどり着く。

 新幹線はもっとすてきだ。

 宇都宮だろうが、高崎だろうが、三島だろうが、浜松だろうが、ぼくは新幹線に乗る機会があれば、それを逃さない。

 改札をくぐって、重厚なホームへ行けば、そこには八戸山形からの新幹線が滑り込む。スキー客やら、帰省客やら、馬鹿でっかい旅行かばんを抱えた飛行機組やらの間を抜けて、その広いシートに腰を下ろす。

 ベルが鳴って、滑るように新幹線は走り出す。

 ぐんぐんとした加速が始まり、街が遠ざかっていく。

 それが東京でも、品川でも、宇都宮でも、三島でもいい。

 通常ではあり得ない速度で、ビルびゅんびゅん駆け抜けていくのを見ているだけでいい。自然に心が弾み始め、爽快な気分になっていく。時速三百キロで移動するのは実に心が弾む。

 いやなことなんて、そのビルと一緒にどっかへいく。

 きっとこうなんだとぼくは思う。

 ぼくは長距離列車で、曇った自分の街を逃げ出し、陽の差す所へ行き、そして超高速で新しい自分の街へ帰ってくるんだって。行って帰ってくると、一皮脱皮した、別の街になっているだって。

 そう書いて気付く。

 やはり曇っていたのは、街じゃない、自分なんだ。

 
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