はてなキーワード: ペン回しとは
こういうやつどこにでもいると思うんだけど
例えば話し合いが長引いて議論が停滞気味になってきた時に
無駄に大きな深呼吸してみたりみるみる猫背になったり机に肘乗せて身体斜めにしたり椅子に必要以上に深く座り始めたりする奴。
わざわざ注意するほどでもないギリギリのラインだが、視界に入ると間違いなく不快な気分にさせられるその行為。
本人は別に「早く終わんねーかなー」っていう反抗心を表に出したいわけじゃないんだろうけど
育ちが良くないのか他者から見た自分が想像出来ないのか、おそらく無意識のうちにそういう仕草をしている。
なぜ自然とそういう態度を取ってしまうのかがまるで理解できない。
お偉いさんがいるわけでもないどちらかといえばカジュアルな場だから
最初から最後まで背筋を伸ばして握りこぶしを膝の上に乗せてろとは言わない。
でもな、ここはお前の家の外なんだ、お前んちのリビングのソファではないんだ。
貴様が自室でダラけてる姿を見せつけられて誰が得するんだ愉快に思うんだ?
勘弁してくれ。あと不潔だから髭くらい余さず剃ってこい。もちろん自分ちの洗面台でな。
むしろ、怠さを周りにアピールしたいんならそういう路線で主張してくれ。
「お前の話マジうぜ〜〜」っていうつよいきもちを持って全面的な敵対戦略を選択してくれ。俺たちに宣戦布告しろや。相手してやる。
自制心が足りないせいなのか頭が悪いせいなのか知らないが、ちょろちょろと顔面や指先に滲み出てきてるのがうっとおしい。
でもそんな一言では済まないような半端ないキモさを目の当たりにして
仕方なくこの気分を効果的に増幅してわざわざ長文にまとめてネットに放流してる俺の気持ち、わかる?
わかるだろ? わかれよ? わかんねーのかよわかってくれよ……
本人は周りからそう見られてるとは夢にも思ってないからいつまで経っても態度は改善されないし
仮に指摘されても何のことだか理解できないだろう。
タチが悪すぎる。まだ悪意を持って怠いアピールしてくれた方が話が単純でいい。
ちなみに、お前とは今後絶対に一緒に仕事をしたくはないからな。
見ててハラハラするし、目の前でそんな態度取ってるお前が気に食わねえ。
長引く会話が怠くてつらいのはお前だけじゃないんだ、甘えんな。
伝われ
昼も夜も関係なく働く人たちをウェブシステムから支える自分の会社には早番、遅番という規則がある。
9-18が就労規則で決められた普通の勤務時間なら、遅番は13-22という感じに変則的な勤務時間になる。
アプリケーションの大きな更改時期に、アプデに付き物のクレーム、問い合わせに
ソフトウェアの開発側として、運用チームさんの側でサポートにあたるのが大きな仕事だ。
大抵は何もないので、昼過ぎに来た眠い頭は一度も切り替えられないまま、ペン回しに専念して終わる。
最近は遅番が月一でやってくる。
人事を尽くして天命を待つほどの悲壮感はない、気だるい雰囲気が
自分の残業時間が60hを今月も超えていることを、つかの間だけ忘れさせてくれる。
だから今日は前回のリリースからちょうど一カ月ぶりに定時に帰った。
事前にわかっていたことなのに、やっぱり今回も空いた時間の使い方が分からない。
ほぼ毎日が21時過ぎに退勤していたつい先日の慌ただしさにも
休日が週一ということまでセットになった規則正しさがあって何も考えなくてよかった。
年末調整の紙を書いて、モヒートの空き缶を片付けて、後何をしていよう。
学生の頃は、大学から都電沿いに歩いて途中で著名人のお墓に手を合わせるだけで
今は先が知れてることをもったいなく感じて、足が進まない。
今ここで電車を降りたらなんか変わるかもしれないのに。いや変わらないかもしれない。
人前、特に大勢の前で話す時、顔に不自然な引きつり笑いが浮かんでしまう。
やべーまた変な顔しちゃってるよーと焦るほどどうにもならなくなる。
所在なさから高速でペン回しを始めてしまったりもする。(そんなことをしたら余計注目を浴びるのに!)
今までいくつかの克服トレーニングを試し、カウンセリングを受けたりした。
残念ながらあがり症は克服できていないが、以前ほどの絶望感はなくなった。
克服ではなく、あがり症とうまく付き合っていくという方法もあると気づいたからである。
少し照れながらも一生懸命な様子って微笑ましいものさ。大丈夫大丈夫!
目指せ、はにかみ屋!
しかし…しかし……ニュース映像で横田滋さん(この方もあがり症のように思われる)が映るとまた絶望的になってしまう。
微笑ましいどころじゃないよこれ! 不審だよ! なんでここで笑うの? 不謹慎だ、真面目にやれって感じだよ!
つらい…
予備校でいつも髪の毛を弄くって手が動かない生徒を退出させた - Togetter
で、なんか賛否両論なんですけどね。予備校にも大学にも行ってた人として思うことをつらつら書いてみようと思う。
結論から書くと、お金払って授業受けに来てる人に対し、髪の毛弄るくらいでその対価を与えないのってどうなの?っていう意見は大間違いだと思います。
お金を払って来てるの、その髪弄ってる奴だけじゃないんで。その教室内にいる生徒みんなそうですけど。
その髪の毛弄るっていう行為、隣の席の人もそうだけど、その生徒が視界に入る人間全員気になって集中できないんですよね。
ペン回し、髪の毛弄り、机とんとん妖怪、もう本当めちゃくちゃ気になる。夏とか修羅場ですよ。必死こいて汗かきながら受講しにきて、髪の毛いじってる人を視界の端に受け入れ続ける一時間半。あ、この時間は自分の過去の受講時間です。
鼻息荒いのとかはもう気を付けようがないから全然気にしないけど、上の三つって我慢しようと思えば出来るじゃないですか。
どう表現すれば分かりやすいだろう。映画館に行って、前の席の人がぺちゃくちゃ会話してるのと同じかもしれない。
その人達だってお金払って映画見に来てるんだし、映画を見る権利自体はある訳です。
でも、他にも同価格払って同じ空間に来て同じ映画を見に来てる人達いますよね。
すっごい気になりませんか?「話すくらいなら出ていけよ…」って苛立ちませんか?「集中できねえよ…」て思いませんか?「家で見ろよ…」って呆れませんか?
帰り道、その人の印象で「あー、この映画お金払ってまで見たのになあ」って後悔しませんか?
それがあるから、映画の前のマナーフィルムで「えいがーかんではおしずかに!」って注意を促すフィルムが流れるんだと思います。
喋っちゃいけないっていう厳格なルールがある訳ではなくて、そうしないと観に来ている人からのフラストレーションが爆発するからで。
貧乏ゆすりもそれに近いかもしれないですね、視界の端で何かしらの動きをされてるっていうことなので。
じゃあ予備校ではどうなのかって、そんなフィルム流す訳もなく。注意出来るのって、講師しかいないんですよね。
隣の席の人とか、後ろの席の人が「ちょっと、その髪弄るのやめてください」って注意したら、軋轢しか生まないですから。
でも講師が注意したことで、後ろの席の人は少なくとも「うわー、やっと言ってくれたよ」ってなったと思いますけどね。
件の講師の方と、受講生の方にだけ注目したら、「そんな髪弄るくらいで退室させんなよ」って思うかもしれないですが。もう少し視野を広げて、周囲の人達を自分に当てはめてみてください。
社会人の方は、取引先の人がずっと髪の毛を注視しながら髪弄ってる時に「ああ、この人って話聞いてくれてるんだなあ」って思えるんでしょうか。
これやったんだ。
記憶が逆流すると、何十もの万力で脳を締め上げられるあの独特の感覚に陥る。
数年かかった勉強が仕上がり間近で、あとはそれをたった一つのアウトプットにまとめるだけだった。
それを作るのに、これだけの時間がかかった。
30枚のノートが1冊3日で消費されていく日々。
それを淡々とひたすらに続ける。
一切のショートカットを拒否するとこれだけかかると、難関の試験を受けながら痛感する。はじめは痛みしか感じなかった難解な文章も、気づくとライトノベルを読むような感覚で、読めるようになっている。
鍛えたのだなあと、そう思う。
難解な試験の受験勉強は脳の筋肉トレーニングのようで、重量挙げのバーベルをペン回しのように指で回している自分がいることに気付く。
とても可愛い年下の子で、頭を鍛えることだけに熱心だったぼくの思考になぜかその子は付いてこれる。聡明というのが正しいのかもしれない。メールでやりとりして、その理解力のすごさにびっくりした。
負けず嫌いで、いろいろといたずらをしてくる。
ヒット&アウェイが得意で、側にいたかと思うとまたどこかへ行ってしまう。
彼女の周りのごたごたを片付けながら、すこし力を見せると、怯えたような様子を見せる。
そうか。
すべてを読み切れるだけの力がある人間に出会うのは初めてなのか。
デスノートのように殺伐とした知能戦ばかりが世の中に出回ると、怯えるのは無理もない。世界中で行われている本物の知性のぶつかり合いは、今は世界をよくしていく切磋琢磨のために、膨大に注ぎ込まれている。
ちょっと前まではデスノートのような世界だったけど、もう世界は決定的に変わってしまっていて、協調的競争の時代になってしまった。
だから、そんなに怖がることはないのに。
彼女とのやりとりは小気味のよいパス交換のようで、ひとりでボールを蹴ることが多かったサッカー小僧に仲間ができたよう。
この前、テクニックを披露して見せたら、すぐにそれを真似しようとする。
いくらなんでも、これはかなり長い時間を掛けて培ったものだから難しいと思う、ということでも果敢に挑戦してみてしまう。使っているところが違うんだけどなあと思うのだけど、すぐにでもコツを掴んでものにしてしまいそうに思えてくる。
できないできないと嘆いていたことも、あっという間にものにしてしまう。
もう抜かれてしまったことも、たぶんたくさんある。
おちおちしていられないなと思った途端にサッカーが楽しくなってくる。
ずっとひとりでボールを蹴っていたのだなと、いまさらのように気付く。
ずっと、ずっとひとりで。
そこに彼女が舞い降りて、あっという間に呪いを解き放ってしまう。
どうやったの?
と聞くとたぶんこう返す。
ひたすら淡々と修行僧のようにしていたことが、これが時間とお金を生み出すのだと思えるようになってくると妙に楽しい。
遊ぶ金欲しさになんて言葉が世の中にはあるけれど、ぼくは遊ぶ時間とお金ほしさに節約する、勉強する、やるべきことを片付けていく。
それを使ってなにしよう?
なんならいいと言ってくれるだろう?
そう考えると、心が華やいでくる。
楽しくなってくる。
この前、いきたいところをリストアップしていたら、あまりにも楽しくなってはしゃいでしまった。そういえば、遊んでいなかったのか。ずっと仕事で、ずっと勉強で。ぜんぜん遊んでいなかったんだ、とそう思い出す。
彼女もぜんぜん遊んでなかったという。
じゃあ、二人で遊びに行けばいい。
あんまり不健全でなければ、どんな遊びだっていい。
あちこちを遊んで回りたい。
そのために、頑張らなければ。
効率化をして、せっせと時間を作る準備をする。
着実な勉強をして、充分な実力を養っておく。
やるべきことはたくさんあって、それを身につけるたびに、今でも強固な仕事環境が、充分に強固になっていくのだと信じる。昔、別の分野にいたときは、勉強しても勉強してもまったく環境がよくならないのにため息をついていたのを思い出す。
それを使ってなにしよう?
すこし悩んで、選んだのは後者。
そろそろ恋人に昇格させてもらえないだろうか?
まあ、恋人みたいな友達でも、当面は問題はないのだけど。