余計なお世話だけど今すぐバイトを初めて月8万円稼いだ方がいいよ。労働時間を減らして働きながら金儲けの勉強をすれば数年後には自営の仕事で稼げるようになるよ。貯金を切り崩すなんて最低の選択だと思う。
かたや「一日に増田に10回ぐらい書き込むうちの1~2発言が愚痴」くらいのもんだろうけど
もう一方の人は「一日に増田に50回ぐらい書き込むうちの50発言が罵倒」なので
同じ無駄でもだいぶ違う
今すぐにでもクローンがほしいわ
家賃3万円、食費1.5万円、光熱費1万円、通信費0.5万円、その他雑費0.5万円、大型出費のための積み立てで1.5万円、計8万円です。
仕事を失ってしまったので、交通費はかからないです。そんな生活で3か月がたちました。
生活には十分です。本当にすべての贅沢を捨てればもっとコストはかからないでしょう。私にはちょっとの贅沢が入るくらいじゃないと精神的に持たず、8万円くらいが限界でした。積立の1.5万も賃貸の更新料や保険、実家への遠征で消えてしまいます。年に20万円程度の積み立てでは余裕はありません。本当に最低限生きるためのお金といった感じです。
欲しいものが買えません。それどころか、必要な物が買えません。安物が逆にコスパが悪くなるケースも知ってはいますが、それを避けられない辛さがあります。
「あとちょっと稼いだら楽になるのに。」
こんなことを考えることが多くなりました。
無職なところもありますが、惨めな気分にはなりました。働いていたころの生活水準がありますから、そこからはどうしても落ちます。そこが原因になっているとおもいますが。服も生活環境も思い通りにはいきません。自分で違うなと感じながらフラストレーションがたまっていきます。
貧困の罠の状態とそんなに変わらないのではないかと思っています。食べ物を買うにも、生活雑貨を買うにも節約が頭から離れません。かなりのコストが浪費されていると感じます。
お金ほしいです。稼ぎたい。労働意欲はありますが、底辺労働にはかかわりあいたくないという葛藤で悩んでいます。新規で、少し稼げて自分の裁量を持てる商売を何とか開拓できないかといろいろ模索を始めました。
半年経過すれば、生活にも慣れてくるでしょう。そうなれば節約志向がルーチン化して効率化してくると思います。なんといっても定額が入ることが約束されてますから、その水準でノウハウが貯まってくれば楽になるだろうと予想しています。
何年もその嘘を言いふらし続けてるみたいだけど誰か一人くらい信じてくれる人見つかった?
自分の人生の時間をわざわざ使って、暴言を書きこまないと気が済まない人がいる
そんなことを書きこむために人生の時間をかけてていいのか…?って思うけど、
ここにそんなこと書いてる時点でまあ…
あげる一方で、これからもおそらくあげる一方だからだんだんバカバカしくなってきた
友人や、弟なら純粋にお祝いできるのに、あんまりかかわりのない人が結婚したから…おかねあつめるね…と言われても
なんか釈然としないんだよね…
おめでたいことだから、と言われてもなんか…おめでたいと思うのは社会的通念がそうさせるだけではなく…みたいな
頑張って一人家事をこなして、生きている私の事も祝ってほしいな~だめかな?
二人で生きることを選んだ、一人で生きることを選んだ、っていう選択の違いってだけなのに、そこに差がつくのはなんで?
あと手取りから徴収するんじゃなくて、天引きにしてほしい 最初から無いならあきらめがつくから…
やっぱり、結婚っていう生き方出産して子供ができることにお祝いがあるっていうのは
それが祝われる生き方なのかな?とか考えちゃったりして、
それが出来ない自分は、惨めな生き方なのかなとか勝手に被害妄想膨らんでしまってちょっとつらい
あと、扶養手当ってなんでつくんだろう?
ゆで卵、めちゃくちゃ美味しいと思う。安いから見くびられているけど、普通にめちゃくちゃ美味い。1パック200円の卵でもめちゃくちゃ美味い。
納豆も、美味い。3パック70円とかでも、めちゃくちゃ美味い。高いの買わなくても十分美味い。
多分卵はフォアグラより美味しいし、納豆はキャビアより美味しいと思う。卵がフォアグラぐらい高級ならフォアグラぐらい有り難がられたし、納豆がキャビアぐらい高級ならキャビアぐらい有り難がられたと思う。
しかも卵も納豆も健康に良い。卵は高コレステロールだから1日1つまでという話は嘘らしい。とにかく卵と納豆とご飯さえ食べてれば幸せだ。
子どもの頃、「め」と「ぬ」(「め」と「わ」だったかも)の違いが本気で分からない時期があったことを思い出した。
たしか「子供の城」というテーマパークで、コンピュータ上にひらがなを入力していくゲームがあって、そこで「め」か「ぬ」を入力する場面になるとどうしても解けなくて毎回投げだしていた記憶がある。あのときは幼心に「やばい…分からない…」と非常に焦ったのをよく覚えている。
なんとなく、近くに他人がいてほしいなと思うことがあるけど
それよりずっと、自分と違う考え方とか、生活リズムの人間が近くに居るのがつらい
お母さん、私に結婚して子供を生んで、っていうお母さんの考える理想の幸せを掴んでほしいっていうのが年々辛い
だけどお母さんとお父さんが死んだら、私のことを第一に思って心配してくれる人がいなくなるんだな、と思ったら底抜けに寂しい。
弟は、たぶん結婚して子供をつくるから、子供と奥さんが一番になる、それは当たり前
アパートの一室みたいな個人の空間ものがあって、食堂みたいな集まる場所みたいなところに住みたい
救われた~い
30半ばにして処女である干物女の私はその中には絶対に入らないだろうなあ…と。
去年、不正出血と貧血が同時に出たとき、婦人科の問診票に正直に「性交経験:なし」にマルを付けたのに、信じてもらえなかったのか経肛門エコーと子宮体がん検査だけでなく、本来不必要なはずの子宮頸がん検査までされたことを思い出した。
見た目はいまどきっぽくてオシャレさんなどと言われるがガチ処女なんですよ、そういう人間もこの世には存在するんですわ、すみませんね。
飛ぶことを覚えた鶏は人類の脅威になるんじゃね?
ちょっとした、にわとりパニックみたいなの起こるかもしれない。
これだけじゃなくてもし知恵を得た魚が出現すれば今までと同じように釣りはできなくなる。
水のなかに不自然に浮かぶ餌など何か裏があるに違いないと思うからだ。
そう思うと、もし今この瞬間地球上の生物が何か一芸を神に与えられてしまうと
そう思うと生きるのが楽になる。
アニメでもドラマでも何でもいいのだけれど、物語の続きが気になって気になって頭が一杯になってしまって仕事が手に付かないことはないだろうか?
で、既に放送された分のストーリーを何度も見返すという不毛な時間を過ごしてしまっている。
現在はアニメ「Just Because!」の続きが気になって居ても立ってもいられない。1話から見直し、7話、8話あたりは気づけば5回以上は見ている。原作も読んだ。「リゼロ」の時もこんな感じだった。
こんな時はどうすればいいのだろう?
そういう遺伝子云々の話持ち出されるのを見ると、
職場内で不倫してたやつだったけど、不倫男(既婚)が「嫁が風邪引くとよくもらうんだよな」とか言ってたのに対して
「私は彼(もちろん不倫男)と一緒にいても風邪もらったことないの。だから遺伝子的にお互いにない部分に惹かれ合うんだろうな」とか焦点の合わない目で言ってた。